Last Day Dream



「ええ、別に樹里さんの人生ですから、わたくしに断りなど入れる必要などございませんよ。真っ先にわたくしに相談してくださらなかった事については、正直、腸が煮えくり返っておりますが……」
「本当にごめん! 私もまさかこんな事になると思ってなくて……」
「『こんな事』になる前に相談して頂きたかったのですが」

 あんずの退院日――『ウィッシングライブ』当日。眠気を堪えつつ、本番に備えて早く登校した私を教室で待ち構えていたのは、笑顔を張り付けていた弓弦と桃李くんだった。桃李くんは弓弦と共に登校する都合上、強引にこんな早くに連行されたようだ。
 弓弦がそこまでして早く登校して来た理由は、私が勝手にアイドルとしてステージに立つと決めた事に対するお小言を言うためだ。

「も〜、別にいいじゃん。樹里がアイドルに戻るかもしれないって、ボク達だって何となく察してたでしょ?」

 さすがに朝も早くから小言を言われている私を不憫に思ったのか、2-Bの教室に連れて来られた桃李くんが、大きな欠伸をしながら弓弦を諭す。

「わたくしたちが察するのと、樹里さんが自らわたくしたちの相談するのは別としてお考えくださいね、坊ちゃま」
「似たようなものでしょ。ボクたちが一歩踏み込んで樹里に寄り添うことだって出来た筈だよ。fineもドリフェスがあったり、会長の体調が優れなかったりで、なかなかそこまで気が回らなかったけど……」

 桃李くんの言葉に、弓弦も思うところがあったのか珍しく頷いてみせた。逆に言えば、私こそ弓弦や桃李くん、そして生徒会長である英智さまに相談するタイミングは絶対どこかであった筈だ。修学旅行であんずと二人きりで話すまで、ずっと先延ばしにしていたのは私の怠慢によるものだ。

「桃李くん、ありがとう。でも、私自身どうしたら良いのか悩み始めたのがつい最近で……そうしたら不思議な巡り会わせでステージに出る事になっちゃって……。オータムライブが終わった時点で、ちゃんとこの先どうするか考えていなかった私が悪い」

 弓弦が小言を言うのも無理はない。全て受け容れよう。そう思って言ったものの、当の弓弦はこれ以上私を責める様子はなかった。桃李くんの言葉で考え直したのだろうか。

「……確かに、プロデューサーとしてこの夢ノ咲学院で別の道を歩む樹里さんに、突然アイドル復帰の道が提示されたのですから、相談以前に進路の決定を先延ばしにするのは無理もありませんね」

 言い切った後、軽く溜息を吐く弓弦の横で、桃李くんが目を細めて意地悪そうに笑いながら私に顔を向けた。

「これは建前で、弓弦は単にヤキモチ焼いてるんだよ。自分に真っ先に相談して欲しかったのに、副会長達と勝手に話を進めて、しまいにはKnightsが個人レッスンするなんてさ」
「坊ちゃま」

 弓弦が桃李くんを嗜めるも、怒っている様子はなく、余計な事を言うなと牽制しているように見えた。まるで、その先の言葉は自分が述べるのだと言いたげに。

「……樹里さん。恥ずかしながら、坊ちゃまの言葉の通りです。わたくし……いえ、わたくしたち『fine』は樹里さんにとって特別なユニットであると自負しておりました。それゆえに、わたくしたちの与り知らないところで話が進んでしまった事を快く思わないのは、どうかご理解くださいね」

 苦笑混じりにそう告げる弓弦に、私は全く以てその通りだと肩を落とした。弓弦のことが好きだから、弓弦の言っていることが全て正しいと思ったのではない。私が弓弦の立場だったら、もっと感情的になって怒っていたに違いないからだ。
 弓弦も、fineの皆も、私が転入したばかりの頃からずっと支えてくれたというのに、大事な人生の岐路を他の生徒、ユニット達と共に進めてしまっては、今までの自分たちの関係は一体何だったのかと思われても仕方がない。

「ごめんね、弓弦、桃李くん……今更謝ってもどうしようもないけど……」
「――ですから、今日ばかりはわたくしたちも、樹里さんに協力させて頂きたく存じます」
「え?」

 一瞬弓弦が何を言っているのか理解できず、呆けた声を出した私に、桃李くんが今度は満面の笑みを浮かべて言ってみせた。

「樹里の初ステージの最後の仕上げ、ボクたちにやらせてよ。ライブは夕方だよね? お昼休み、一緒に特訓するぞっ!」
「本当!? ありがとう!」

 この二人の特訓が手厳しいかどうかなど、最早頭になかった。これで私の無礼が少しでも許されるのなら、喜んで受けよう。それに、ふたりが私のステージ復帰を反対せずに――決定した以上何も言えないだけだとしても、こうして背中を押してくれる事が、何よりも嬉しかったのだ。





「振り付けは樹里が考えたの?」
「うん、月永先輩が曲を作ってくださったのが昨日の夜だったから……簡単に、だけど」
「分かった。えっとね、ここをこうした方が所作が綺麗に見えるよ。それと足の向きを……」

 完全に付け焼き刃でしかなかった私のパフォーマンスは、昼休みに弓弦が作ったお弁当を食べながらアドバイスしてくれる桃李くんの力によって、瞬く間に改善していった。

「坊ちゃま、あまり口出ししてはいけませんよ。樹里さんも素直なのはよろしいですが、ご自身の拘りも持ち合わせていてくださいね」
「も〜、ボクだってちゃんと考えてアドバイスしてるんだからね」
「いやいや、こうしてブラッシュアップして貰えて本当有り難いよ」

 弓弦はどうしても小言を言いたいらしく、いつもの事とはいえ桃李くんも少しうんざりしているようだった。私としては別に不快ではないし、今言った通り有り難いと心から思っているのだけれど……と思った瞬間、ふと弓弦が一言もアドバイスめいた事を口にしていない事に気が付いた。

「……あの、弓弦。率直な意見を聞きたいんだけど、私のパフォーマンス、どうかな……? やっぱり人前で披露するには拙いよね?」

 弓弦はお世辞は言わない人だ。それは初めて会った日に痛感している。ただ、今の私は気休めの言葉が欲しいのではなく、嘘偽りのない意見が欲しかった。素人目(ではないけれど)から見てどうしようもないのであれば、ステージに立つのは今日を最後にするし、少しでも改善の余地があるなら、本番で何かしらの手応えを掴めるかも知れない。けれど、弓弦の回答は私が思っていたどちらとも異なっていた。

「問題ありませんよ」
「……いや、何かあるでしょ。昨日の今日で完璧にこなせるわけがないし」
「樹里さん。あなたは今日、『アイドルとして復帰する為』にステージに立つわけではないですよね?」
「あ……」

 弓弦の言葉に私は本来の目的を忘れていたと気付き、恥ずかしさと情けなさがこみ上げて来た。
 私が今日、ステージに立つのはまず大前提としてあんずの為だ。あんずの為のライブなのだ。自分の進退を決めるのは『ついで』の話であって、それが本来の目的というのは違う。

「……弓弦、ごめん。私、肝心な事を忘れ掛けてた」
「はい、そういう事です。あんずさんの為に披露するのですから、想いがこもっていれば十分かと。それに、メインは当然アイドル科の皆様ですからね。樹里さんはあくまで前座です」
「そうだね、本当にそう……私、恥ずかしい……何ムキになってたんだろ……」

 昨日の瀬名先輩の指導で舞い上がってしまったのだろう。もう気恥ずかしくて弓弦の顔もまともに見れなかったのだけれど、意外にも桃李くんが助け舟を出してくれた。

「ボクは別に樹里のその気持ちは悪い事だと思わないよ? あんずの前で適当なパフォーマンスは見せられない、最高の自分を見せたいって思うのは、大切な事だと思う」

 弓弦の言っている事も正しいし、桃李くんの言っている事も間違っていない。
 今出来る限りのパフォーマンスを見せたい。けれど、スキルが足りないと自分を責める必要はない。少なくとも、今は。もっとレベルの高い事を求めるのは、本格的にアイドルとして復帰すると決めてからだ。

「……私、まだアイドルの道に戻るか迷ってるけど、今日のステージでどうするか決めたら、真っ先に二人に相談するね。勿論、会長や日々樹先輩にも」

 私の言葉に、二人は顔を見合わせた後、再び私に顔を向けて笑みを湛えながら頷いた。

「まあ、ボクは樹里がどうするか、なんとなく分かるけどね」
「おや? わたくしは全く見当が付きませんが」
「おまえ……一番樹里の事分かってる癖に……」

 桃李くんがどう思っているのかはさておき、二人のお陰で自信を持ってステージに立つ事が出来そうで、私は今日初めて心から安堵した。油断は禁物だけれど、瀬名先輩が昨日言っていたように、がちがちに固まっていたら良いパフォーマンスも出来ない。良い意味でリラックスして挑もう。挑む、というのもおかしいか。今日はあんずの為に、あんずの為だけに歌うのだから。





 授業が終わり、ウィッシングライブに出る生徒たちが続々と会場――あんずの入院している病院へ向かう中。私も向かおうと学院を後にしようとしたところ、突然目の前に鳩が飛んできて思わず目を瞑った。突然で驚いただけで、何故鳩がいるのかなどと思考を巡らせる必要はない。目の前の鳩のご主人様は誰なのか、最早考えなくても分かるからだ。

「日々樹先輩、何か用事ですか?」

 目の前でばさばさと羽ばたく鳩を横目に、虚空に向かって飼い主の名を呼ぶと、どこからともなく、というより空から日々樹先輩が降って来た。

「ひっ」
「ふむ、慣れたとはいえやはり私の出没に驚いて頂けるのは有り難い事ですね! 飽きられてはいけませんからねぇ」
「たまには普通に現れてくださいよ、心臓止まるかと思いましたよ〜……」

 まだばくばくと鼓動を打つ胸を抑えながら言うと、日々樹先輩は満足そうに笑みを浮かべれば、次の瞬間――大きな布を被された。訳が分からないまま、布が捲られ太陽の光を再び浴びた時には、私の姿は気慣れた制服姿ではなく、明るい色合いのステージ衣装に変わっていた。
 一体どんな手品を使えばこんな事が出来るのか分からないけれど、日々樹先輩ならなんでも出来てしまう、と最早全てを受け入れてしまっている自分がいた。

「いくら前座でもいつもの制服では味気ないですからね」
「……ありがとうございます! こんな短時間で、誰がこの衣装を?」
「あんずさんですよ」
「え?」

 何故入院中のあんずが? 物理的に無理な筈だ。そう思ったけれど、少し考えれば分かる事だ。
 この衣装をあんずが作ったのだとしたら、それは昨日今日の話ではない。
 入院する前に、こっそり作ってくれていたのだ。
 だとしたら、どうしてそんな事をしたのか分からないけれど……。

「もしかしたら、樹里さんがアイドルに復帰するのを一番願っているのは、英智でも右手のひとでも教師の皆さんでもなく、あんずさんかも知れませんね?」
「まさか、そんな……あんずが……」

 日々樹先輩の言っている事が本当かは分からない。けれど、嘘を吐くような人じゃない。例え仮定の話だとしても、日々樹先輩はきっと確信があって言っている。
 思わず感極まって涙が出そうになったけれど、日々樹先輩がハンカチを取り出して私の瞼を拭った。

「涙はステージが終わった後に取っておきましょうね」
「はい……! ありがとうございます、日々樹先輩!」
「今日という日があなたにとって素晴らしい一日になる事を、心から願っていますよ」

 そう告げた日々樹先輩の表情は、もしかして今まで見た中で一番穏やかで、優しい笑みかも知れない――そう思うくらい慈愛に満ちているように感じた。





 会場となる病院の中庭に到着した頃には、設営はすっかり終わっていた。事前に英智さまが業者に頼んでくれていると聞いていたけれど、元々ここで演奏会を開く事があるようで、様々な段取りがスムーズに進んでくれた。

 今回はサプライズで行うから、皆この場でのリハーサルは出来ていない。学院での練習が全てで、私も学院を出る前に皆のレッスンを見たけれど、特に問題はない。唯一一年生である仙石くんが少し心配だったけれど、私が瀬名先輩に見て貰っている間、三毛縞先輩が仙石くんに付きっきりでレッスンしてくれたのだという。
 まるでプロデューサーらしい事が出来ていない……と少しばかり落ち込んでしまったけれど、そんな私の様子を察したのか三毛縞先輩が顔を覗き込んで来た。

「樹里さん、どう見ても立派なアイドルじゃないかあ! ママは正直驚いたぞお!」
「いや、まだ何もしてないですからね!? 情けないパフォーマンスを見せようものなら、折角あんずが作ってくれた衣装も無駄になっちゃいます」
「この衣装をあんずさんが……? うむ、やっぱり樹里さんは『そうなる』運命なのかも知れんなあ」

 三毛縞先輩は暈して言ったけれど、何を言わんとしているのかは理解出来た。
 確証はないけれど、もし、万が一、私が一度諦めた夢をもう一度追い掛ける事を、あんずも願っていたのだとしたら。
 何もしないで諦めるなんてやっぱり駄目だ。
 あんずの前で、精一杯のパフォーマンスをして、それからちゃんと答えを出そう。
 私がこれからしようとしている事は、きっと間違いじゃない。

 瞬間、皆の顔がとある方向へ一斉に向いた。逆先くんがあんずを病室から連れ出してくれたのだ。駆け付けて驚きの表情を向けるあんずは、私の姿を見た瞬間、驚きで口元に両手を当てて、目を見開いた。
 その反応を見て、やっぱり日々樹先輩の言っていた事は本当だったのだと確信した。

「樹里ちゃん、トップバッターよろしくね!」
「頼んだぞ、遠矢」
「遠矢殿! 頑張るでござるよ〜!」

 アイドル科の皆が次々に励ましの言葉を掛けてくれる。迷ってる暇なんかない。とにかく私は今前座をちゃんとこなして、メインの皆に繋げなくては。
 ステージに立った瞬間、不思議と高揚感に包まれた。急ピッチで作って貰った音楽が流れ、桃李くんのアドバイスを元に動き、頭に叩き込んだ歌詞に想いを乗せて、歌を紡ぐ。
 瀬名先輩の言っていた、肩の力を抜くという事がちゃんと出来ている気がする。自分を過大評価し過ぎかもしれないけれど、今ぐらいは良いだろう。ステージに立つアイドルとは、きっと皆そういうものなのだから。

「あんず、退院おめでとう! とにかく、もう無理はしないでね。あんずがいないとダメだよ、皆も、私も……」

 笑顔で終わろうとしたけれど、やっぱり涙が堪え切れなかった。あんずがいなかったのはほんの少しの間で、その間慌ただしく過ごしてあっという間だったというのに、あんずの姿を見た瞬間、本当に心の底から安心したのだ。

「樹里ちゃん、お疲れ様! 後は俺たちに任せて。あんずちゃんは任せたよ」

 ステージに駆け上がった羽風先輩が私の肩を軽く叩いて、片目を瞑ってみせた。他の皆も駆け付け、私は入れ替わるようにステージを降りてあんずの元に向かった。

「樹里ちゃん! どうして……!? それに、私が作った衣装……!」
「詳しい事は後で! それより皆のステージ! 皆、あんずの為に頑張ったんだよ」

 あんずの手を繋いで、共にステージを見上げる。アイドルとして日々邁進しているアイドルの皆のパフォーマンスはやっぱり違う。私もこんな風に、心から楽しんで、誰かの胸を打つパフォーマンスが出来たなら――私は潤んだ瞳で、輝かしいステージを見つめていた。私もまた、アイドルとして生きられたら。そして、大好きな人と同じ世界で生きる事が出来たら。この時の私は未だ高揚感が収まらないまま、かつて諦めた夢をまた見たいと、最初の一歩を踏み出しつつあったのだった。

2020/04/24


[ 28/41 ]

[*prev] [next#]
[back]
- ナノ -