Jeux d'enfants



「弓弦くん、吹っ切れてくれるといいんだけどね」
「うん……っていうか、桃李くんの方が精神的に大人かもしれない」
「それ、弓弦くんが聞いたら傷付きそう」

 男子勢より一足早くあんずと一緒に旅館の露天風呂に浸かりながら、ここにいない人物の話題に自然と興じていた。これまでの経緯を考えれば無理もない話で、きっと鳴上くんたちが策を練ってくれるとは思うけれど、やっぱりクラスメイトが修学旅行を心から楽しんでいないのは心苦しい。私が弓弦の事を好きだという事を抜きにしても、やっぱりこういう特別な時間は皆で楽しみたい。それは私だけでなく、皆同じ気持ちでいる筈だ。

「それにしても、やっと樹里ちゃんと二人きりでゆっくり話せそうだね」
「ああ、そういえばなかなか二人きりになる事ってないよね。オータムライブの時も私がバタバタしてたせいで……」
「色々あったよね。だから、今日こうして穴埋め出来て良かった」

 本当に色々あった。私の過去が公になった事、秀越学園に転学するかもしれなかった事、英智さまの計らいで私は無事夢ノ咲に在籍し続ける事が出来るようになった事――ほんの数日間の出来事で、掻い摘んで説明すればただそれだけの事だけれど、何も知らない皆にしてみれば情報量はかなりのものだ。
 幸い、誰も私に詮索したりはして来ない。しない、というよりも全てが公になった以上、本人に聞く必要もないという方が正しいのだろう。

 それに、アイドル科の皆にとっては、私の過去がどうであろうとさして問題ではないのだ。プロデュース科の女子ひとりが元々アイドル養成学校にいたくらいでは、過去の経験を活かして夢ノ咲に来たのだとかえって納得がいくだろう。
 でも、あんずは違う。私と同じプロデュース科の生徒なのだから、ちゃんと説明しないといけない。たった二人のプロデューサーで、仲間で、大切な友達のひとりなのだから。

「あのね、あんず。私の前の学校の話なんだけど――」





 私のつたない説明を、あんずは頷きながら聞いてくれた。あまり長話になると湯あたりしてしまいそうだし、だいぶ端折ってはいるけれど、そもそも他人の身の上話など余程気心知れた仲でない限りは退屈なものだ。私は適当なところで話を切り上げて、あんずの手を取って腰を上げた。

「そろそろ出ようか。ごめんね、私ばかり喋って」
「ううん。樹里ちゃんが自分の事を話してくれるって初めてだから、嬉しい……って言ったらおかしいかもしれないけど」
「初めて、か……確かに、仕事の話が中心になっちゃうしね。私もあんずの事は、夢ノ咲に来てからの事しか知らないし……あんずもいつか話したくなったら聞かせてね」

 あんずは少し思案した素振りを見せて、静かに頷いてみせた。高校で転学なんて親の転勤以外で早々あるものではない。寧ろ大学受験の事などを考えて、子供が親の転勤について行かないケースも多い。だから、もしかしたらあんずも前の学校で色々あって、この夢ノ咲に来たのかも知れない。でも、それを詮索する必要はない。あんずは紛れもなくプロデュース業を立派にこなしているのだから、過去がどうであれ私たちにとっては何の問題もない。

「まあ色々あったけど、私としては来年プロデュース科が正式に発足する前に、中途半端な状態で投げ出すなんてしたくなかったから、英智さまが上手くやってくださって本当に良かった。お陰様で早い段階で日常生活に戻れたし」
「でも、それって……」
「ん?」
「来年プロデュース科が設立されるまでは投げ出したくなかった、っていう事は、樹里ちゃんは来年春からは本格的にアイドルに戻るの?」

 あんずの言葉に私は頭が真っ白になった。そんなつもりで言ったわけじゃないし、そんな事思いもしなかった。でも、今の私の言い方――いや、これまで英智さまたちにも言っていた言い方では、そう捉えられてもおかしくない。
 英智さまは私の秀越学園転入を阻止する為に、私がもしアイドルをまた目指したいと言うのならサポートすると発表していたけれど、あの時は進路の事なんて考えていなかったし、今も同じだ。

「ごめん! 変な事聞いちゃったね」
「いや……もうそろそろちゃんと先の事を考えないといけないと。来年の春なんてまだまだ先だと思ってたけど……考えてみたら先輩方が卒業するまで、もう四ヶ月ぐらいしかないもんね」

 このままでは駄目だ。今と同じようにあんずと共にプロデュース科に所属するか、あるいは何か他の道に進む必要があるのか。もう先延ばしにしてはいけない時期に差し掛かっている。

「あんず、ありがとう。あんずに言われなかったら、私、ぼやっとしたまま春を迎えるところだった。まあ、このままプロデュース科に在籍し続けるとは思うけど」
「でも勿体ないよ。春からアイドルに戻るのか、なんて言っちゃったけど……転科や転学じゃなくて、プロデュース科と並行して少しずつ初めてみるとか」
「いやいや、アイドルに戻るって決めたわけじゃないからね!?」

 大体、そう簡単に戻れる程甘い世界ではない。プロデュース科と並行といっても、時間は有限だ。歌やダンスの練習、それもステージに立っても素人だと思われてはならない完璧なパフォーマンスを見せなければならない。オータムライブで駆り出された時とは訳が違うのだ。本気でアイドルとしてやって行きたいなら、それ相応の覚悟と代償が必要だ。

「樹里ちゃん、大丈夫? のぼせちゃったかな」
「あ、ううん、平気! あんずこそ大丈夫?」
「うん、ありがとう。そろそろ出ないと時間的に男子たちが来ちゃうね」
「あ、そっか。露天風呂は男女共用だもんね。危ない危ない」

 お互いに手を取り合って、湯気の立ち込める露天風呂を後にしようとした。けれど、話に夢中になってろくに景色も見ていなかった事に気付いて、私は内風呂へと戻る前にあんずを呼び止めて空に向かって指を差した。

「あんず、見て! すっごい綺麗な夕焼け!」
「わあ、本当に……! 紅葉の景色と混ざり合って、なんだか落ち着くね」

 二人で暫し美しい風景に見惚れていたものの、秋の冷たい風が軽く吹き、互いに身を震わせた。このままこうしていて風邪を引いてしまったら、折角の旅行が台無しだ。それに男子と鉢合わせになったら大変だ。私はあんずと共に足早に内風呂へ戻り、もう一度身体を温めてから、客室へ戻ったのだった。





 客室に戻ると、既に夕食が運ばれていて、私とあんずは早速頂く事にした。普段あまり口にすることのない旅館の料理に舌鼓を打ちつつ、もう少し大人になったら合わせてお酒も飲んだりして、料理も更に美味しく感じる事が出来るのかな、なんて事をぼんやりと考えていると、あんずが恐る恐る口を開いた。

「……樹里ちゃん、私、思ったんだけど」
「ん?」
「樹里ちゃんの進路について、アイドル科の皆にも相談してみるのはどうかな」
「ええ!? でも、皆には関係ない事だし……」
「関係あるよ! 樹里ちゃんだって皆にとって大切な仲間だよ」

 あんずは自分が思っていたより大きな声を出してしまったらしく、慌てて口を塞いで恥ずかしそうに俯いた。決して怒って言ったわけではなく、真剣に思っての声だったのだろう。その証拠に、あんずは再びゆっくりと顔を上げて、私に向かって微笑んでみせた。

「じゃあ早速、食べ終わったら男子の部屋に行こう!」
「いやいやいやいや!? 他の部屋は侵入禁止ってしおりにも書いてあるし……」
「そうやって後回しにしてたら、いつまで経っても相談出来ないよ!?」
「いや、そうだけど……そうだね……うん……」

 いつもは言葉少ななあんずが積極的にそう訴えるものだから、私も圧されてつい頷いてしまった。あんずは偶にこうして一歩も引かない面を見せる事がある。だからこそ、プロデューサーとして皆に頼られ、しっかり導いていくことが出来るのだろう。それを言ってしまうと、こうして流されている私はプロデューサーに向いていないという事にもなるけれど。

「よし、そうと決まれば腹ごしらえしないと!」

 そう意気込んで食事に戻るあんずの姿は、まるでプロデュース業をしている時や、アイドル達のライブを見ている時と同じまではいかなくても、それに近いレベルで輝いていた気がする。





 食事を終えて空になった食器を仲居さんが片付け、布団を敷いて部屋を後にする。私とあんずは顔を見合わせれば、忍び足で部屋から出て隣の部屋へ向かった。
 まさかこの修学旅行で、こんなスリリングな体験をするなんて思ってもいなかった。そういえば、小学生の頃の修学旅行で、友達と悪乗りして男子の部屋に侵入しようとして、先生に見付かりかけて急いで部屋に戻った記憶がある。中学生の頃は、私も随分と真面目になって、そういう事はしなかった。そのまま歳を重ねたつもりが、まさかまた小学生の頃にタイムスリップしたかの様な体験をしているなんて。私の為、という大義名分があるとはいえ、あんずも意外と悪い子だ。

 ひとまず先生や仲居さんに見付かる事なく、私とあんずは隣の部屋の前に来た。確か班長の氷鷹くんがこの部屋だというのはなんとなく頭にあったし、あんずも信頼できるTrickstarのメンバーに会いに行こうと考えている事は、確認しなくても分かっていた。

 お互いに無言で見つめ合って頷けば、恐る恐る襖を開けた。
 中は――もぬけの殻だった。

「……まだお風呂? って事はないよね」
「布団は敷かれてるし、むしろもうご飯も済ませたっぽいね」
「皆で歯磨きでもしに行ってるのかな」
「そうかも」

 なんて話していると、襖の向こうから話し声と足音が聞こえた。
 瞬間、私とあんずはお互いに「まずい」と声に出さずとも、目を見合わせて頬を引き攣らせた。そして、何を思ったか、というより考えている暇などなかっただろう。あんずは私の手を引いて、背後にあった押し入れの中に入り込み、二人して身を潜めた。

「憎い太陽が沈んで夜の帳が下りた。これからは俺の時間なんだけど」
「凛月、生き生きしてるな〜?」

 何やら男子たちの話し声が聞こえる。盗み聞きするのもどうかと思い、あえて聞き耳を立てようとはしなかったけれど、何やらどたばたと音がし始め、僅かに聞こえた言葉から、今男子たちは枕投げをしているのだと察した。

 完全に出るタイミングを失ってしまった。どうしよう、と思ってちらりと顔を横に向けたけれど、押し入れの中で暗くてあんずの表情が読み取れない。ただ、あんずが判断を誤ったと自分を責めていたとしたら、と思うと居ても立ってもいられなくて、私は思わずあんずの手を握った。ぴくりとあんずの肩が震えて、あんずも私の手を握り返す。

 今、声を出すわけにはいかないから、考えている事を言葉に出来ないのがもどかしいけれど、あんずは悪くない。強いて言うなら連帯責任だ。というか、あの状況で他に出来る事など何もなかったのだから仕方ない。

「……あれ? 何かいいにおいがする……? そこの押し入れからあんずのにおいがするんだけど、気のせいかな?」
「ちょっとちょっと、どこ行くの〜? 敵前逃亡は許さないぞっ!」

 身構える余裕もないまま、突然、押し入れの中に一気に光が入って来て、私は思わず目を閉じた。

「ん? え、え、あんず!? うわっ、本当にあんずがいる……!! それに樹里も! ええっ!? 二人ともどうしちゃったの!?」

 目を開けると、押し入れの扉を開けた朔間くんと、驚きで目を見開く明星くんの姿が視界に入った。更に氷鷹くんも戻って来て、枕投げでぐちゃぐちゃになった布団の惨状に呆れつつ、それよりも私とあんずがこの場にいる事に驚いてみせた。
 最早これ以上黙っている事は無理だと判断し、私とあんずは恐る恐る押し入れから脱出し、蛍光灯の下へ歩を進める。ふと室内を見回せば。話し声が聞こえた朔間くん、衣更くん、明星くん、神崎くんの他、今ここに来たばかりの氷鷹くん、それに鳴上くんと弓弦の姿があった。

「あら、あんずちゃんに樹里ちゃん。押し入れに隠れるなんて大胆な事するわェ。そこまでして枕投げに参加したかったのかしらァ?」
「いや、これには事情が……」

 何と説明したら良いものか。でも、枕投げで盛り上がっているところで私の進路についての相談をするなんて、水を差すようなものだ。私はあんずをちらりと見遣って、任せて、と言わんばかりに目を瞬かせれば、鳴上くんに向き直って苦笑いを浮かべてみせた。

「二人きりだと寂しくて、つい来ちゃった」
「あらァ、樹里ちゃんって真面目一辺倒って感じなのに。やっぱりこうした旅行だと、開放感っていうか、本当の樹里ちゃんが目覚めちゃうのかしら?」

 なんだか私にとんでもないキャラ付けがされている気がするけれど、下手な事は言えない。とりあえず苦笑で誤魔化すと、鳴上くんが弓弦に何やら小声で話し掛けて、次にこちらに向き直った時には、二人とも満面の笑みを浮かべていた。

「あんずちゃん! 樹里ちゃん! やるわよ、枕投げ!」

 まあ、こうなるだろうと思ってはいたし、ふとあんずの様子を窺うと、自信満々な笑みを浮かべていて、これは本気でやる気だ……と息を呑んだ。完全にここに来た目的が失われているけれど、これでいい。人生における修学旅行というイベントは、高校生の今が最後だ。大学に進学したら、サークル活動の合宿や友達同士で旅行する機会はあるだろうけれど、学年みんなでこうして非日常を味わうイベントは、これが最後なのだ。だから、存分に楽しまないと。難しい話は帰ってからで良い。

「樹里さんも枕投げ、参加されるのですか?」
「え? も、勿論。これで一人帰るわけにはいかないでしょ」
「それがよろしいかと。あんずさんが女子一人というのも些かご不安かと――」

 弓弦が言葉を紡いでいる瞬間、何処からか枕が飛んできて肩にあたる。見回せば、あんずが笑顔でガッツポーズをしていた。
 そう、ここは戦場――戦いは既に始まっていたのだ。

「よしっ、反撃するよ! 伏見っ!」
「承知しました、というか樹里さんはあんずさんに付かなくて良いのですか?」
「あんずには俺が付いてるからねぇ」

 弓弦の質問に答える前に、朔間くんがあんずを守るように立ち塞がって答えてみせた。すると、その役目は自分達だとばかりにTrickstarの面々もあんずの傍に駆け寄る。

「えーっ! ずるい! 私もあんずみたいに、守ってくれる騎士さまが欲しいんだけどっ」
「承知。我が助太刀致す」
「じゃあアタシも今回は樹里ちゃんに付こうかしらっ」

 みっともなく嘆く私に同情したのか、神崎くんと鳴上くんが私の横に立ってくれた。これで人数は四対六――圧倒的不利だけれど、あっさり負けを認めるわけにはいかない。

「え〜、ナッちゃん俺と敵対するの?」
「じゃあ凛月ちゃんがこっちに来なさいよォ。それなら五対五でちょうどいいしね」
「俺はあんずとま〜くんに付くから駄目」

 呆気なく断られ、人数的には不利な状態で挑む事となったけれど、ここで怯んではいけない。

「神崎くんも鳴上くんもありがとう! この戦い……皆で勝ち抜いて勝利の旗を上げようね!」
「ああ! 武者震いが止まらんな!」
「圧倒的不利な状況でも諦めないなんて、燃えるじゃない?」

 すっかり悪乗り状態になってしまっている私に、神崎くんと鳴上くんは合わせてくれた。弓弦はてっきり呆れているんじゃないかと思ったけれど、次の瞬間、私は弓弦と出会ってから今までで一番驚いたかも知れない。
 弓弦は不敵な笑みを浮かべて、私にきっぱりと言ってみせたのだ。

「樹里さんはわたくしがお守り致します。ですので、堂々と挑んでくださいまし」

 いつもはやれやれと呆れがちに溜息を吐いたり、進んで暴挙を止めたり、あるいは冷ややかな目で静観するような弓弦が、今この瞬間に限っては、多分、この中で一番楽しそうだったと思う。





 大暴れした翌日は案の定寝不足で、私もあんずもうっかり寝過ごすところだった。先生にバレなかったのが奇跡だと言っていい。あんずには一夜たって物凄く謝られたけれど、寧ろ私はお礼を言いたいくらいだった。人生で最後の修学旅行で、あんなに楽しい夜を過ごせたのだから。たまには悪い子になるのも良いものだ。

 その証拠に、弓弦はもう桃李くんの事を気にして落ち込む様子を素振りを一切見せないまま、他の皆と同様に普通の高校生として修学旅行を楽しんでいた。さすがに二泊目の夜も男子の部屋に侵入はしなかったけれど、私とあんずは云わば女子旅のように、まったりと二人きりの時間を楽しんだ。寄り道したお店で売っていたお茶と和菓子を、夜に淹れて嗜んで、お互いの髪を梳かしあったり、疲れ果てた身体を互いにマッサージしたりしているうちに、今まで以上に距離が縮んだような気がした。

「そういえば、樹里ちゃんの事、皆に相談出来なかったね……ごめんね」
「いいよ、そもそも自分で決めなきゃいけない事だからね。あんずが私の事を思って行動してくれただけで、本当に嬉しいよ」
「樹里ちゃんの人生がかかっているし、軽々しく言える事じゃないけど……でも、このまま樹里ちゃんがアイドルを諦めるのは、勿体ないって思うんだ」

 ……あんずにそんな事を言われたら、本当にその気になってしまいそうだ。お世辞を言うような性格じゃないし、的確なプロデュースでアイドル達の実力を更に更にと引き上げていくあんずが言うのだから、本気で捉えなければかえって失礼にあたるだろう。

 修学旅行は、楽しいだけでなく、自分の未来の事を考える意味でもとても充実した三日間だった。弓弦も鳴上くんたちのお陰で、笑顔で桃李くんの元に帰れたし、最高の修学旅行を終える事が出来た。けれど、私は結局自分の事ばかり考えていて、あんずの身体を気遣う事が出来ていなかった。
 あんずがこれまでの無理が祟って過労で倒れてしまうのは、修学旅行から帰って来てから僅か数日後の事であった。

2020/03/22


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