The Red Aspens



 前兆は確かにあったのに、誰も彼女を助ける事が出来なかった。皆気付いていたのにも関わらずこうなってしまったのは、皆、自分の事で手一杯だからだ。アイドル科なのだからそれは当たり前の事で、本来であれば同じ科の生徒がフォローしなければならない事だった。それも、一度倒れた事のある私がその経験を活かして、もっと早く、確実な方法で動くべきだったのだ。
 つまり、私が悪い。
 あんずが倒れて入院してしまったのは、何も出来なかった、私のせいだ。



「樹里さんが悪いわけではないと思いますよ」
「いや、慰めて欲しくて言ったわけじゃないんだけど……」
「では、どうすればあんずさんが倒れずに済んだのか、を議論したいという解釈でよろしいですか?」

 あんずが突然学院内で倒れて、救急車で病院に運ばれた翌日の朝。早々に教室に来て、あんずに割り振られていたスケジュールを代行しなければならないと確認していた私の元に、登校してきた弓弦が現れて、自然と相談の流れになったのが事の顛末だ。

 弓弦の事は異性として好いているのは勿論、悩んでいる時に冷静かつ的確な助言をくれて、頼りにしているし一人の人間として尊敬もしている。私は弓弦の言葉に頷いて、自責の念を吐露した。

「私が夏に倒れてるのに、今ここであんずも同じ事になるって、要するにこの数ヶ月で何も改善されていないわけだし」
「それは樹里さんに責任があるわけではないと思いますが。樹里さんが副会長さまに依頼されていたのはあくまで来年に向けての改善策であって、今すぐに体制を変えるのはそもそも無理でしょう。樹里さんにそこまでの権限などありませんから」

 弓弦の言う事は尤もだ。でも、あんずの体調が優れない事はオータムライブの前に衣更くんから相談を受けていたし、同じ女子だからこそあんずに出来た事もあったのではないか。結局また脳内で押し問答していると、突然頬を摘ままれた。

「ちょっと弓弦、人の頬を何だと思ってんの」
「相談を持ち掛けた樹里さんがわたくしの話を一切聞いていないように見受けられましたので、つい腹が立ちまして」
「ごめんごめん」
「ご自身を責める気持ちも分かりますけれど……今朝坊ちゃまと共にあんずさんのお見舞いに行きましたが、元気そうでしたよ。明日の夕方には退院されるそうです」
「朝でも面会出来るの!? 知ってたら私も行ったのに」

 一先ずあんずが今日やる予定だったスケジュールを代わりにこなして、全て片付いてから病院に顔を出そうと思っていたけれど、朝のほうがゆっくり話せただろう。

「樹里さんもお誘いしようか迷ったのですが、あんずさんの代行をする為に誰よりも早く学院に向かっているだろうと思いまして」
「大当たり過ぎて恐いんだけど。よくそこまで人の行動予想できるよね」
「学院で一番、わたくしが樹里さんの事を理解していると自負しておりますので」
「はいはい、どうせ私は分かりやすい性格してますから」

 自嘲するように引き攣り笑いを浮かべて話を切り上げようとしたものの、弓弦が顔を近付けて来て、つい私は身構えてしまった。

「な、何?」
「樹里さんが分かりやすいから、ではなく、わたくしが樹里さんの事を愛しているからだと解釈して頂きたかったのですが……」

 愛しているなどと平然と言ってのける弓弦とは正反対に、私は鏡で確認するまでもなく自分の頬が紅潮していると分かった。一気に顔が熱くなって気が動転したものの、今この場所が何処なのかを認識し直して、私は毅然とした態度で眼前にいる弓弦を見つめ返した。

「そうやって言って貰えて嬉しいけどさあ……ここ、教室だから」
「他に誰もいませんよ」
「これからみんな来るじゃん」
「では、皆様が来る前に……」

 一瞬の事だった。弓弦は息を吸うようにあっさりと私に口付けをして、その感触を自覚するよりも早くその唇は離れてしまった。あまりにも突然かつ数秒の出来事で呆然としたけれど、徐々に怒りがこみ上げて来た。

「……こら〜っ! 弓弦ッ!!」
「こうでもしないと樹里さん、わたくしの気持ちを分かってくださらないではないですか」
「分かってる! 分かってるけど、今はあんずの話をしてたよね!?」
「樹里さんに学院の体制を変える権限はなく、あんずさんは無事明日の夕方退院されます。これで話は終わりだというのに、樹里さんは延々と答えの出ない問いを繰り返すばかり。こうでもしないと目も覚めないでしょう」
「そういう意図でキスしたわけ!?」

 怒りに任せてぽかぽかと弓弦の胸元を叩いたけれど、当の弓弦はまるで動じていないどころか、猫が戯れているのを眺めていると言わんばかりの微笑ましい目を私へと向けている。

「それより、あんずさんに連絡してみたらどうですか? 退院までの間は樹里さんがあんずさんの仕事を受け持つと分かれば、安心して休めるでしょうし」
「もう連絡してる!」
「ですが、樹里さんがあんずさんの分まで引き受けるとなると、樹里さんまで倒れられてしまうのではないかとあんずさんも逆に心配されるかもしれませんね」
「それもキャパオーバーしたら先生に頼るって言ってるから!」
「さすがです、樹里さん。過去の失敗を繰り返さないよう努められているとは、わたくし感服致しました」

 わざとらしく泣き真似の仕草をしてみせる弓弦に尚更苛立っていると、教室の扉が開く音がした。

「おいっす〜。ていうか遠矢、廊下まで声漏れてたぞ」
「えっ、嘘!?」
「俺と凛月しかいなかったから良かったけど、痴話喧嘩も程々にしとけよ〜?」

 寝ている朔間くんを背負って教室に入り、苦笑いを浮かべながら苦言を呈す衣更くんの言葉に、私は羞恥のあまりその場に蹲ってしまった。キスという言葉だけは聞かれていないと良いけれど。万が一聞かれていたとしても、衣更くん朔間くんが他の人に喋るとは思わないけれど、どちらにしても軽率過ぎた。本当に気を付けないと。

「弓弦もあまり遠矢のこと弄るなって。遠矢だって弄られない限り、本来は大声出して怒るタイプじゃないだろ?」
「そうですね、少々やり過ぎたかもしれません。ですが、わたくしの弄りのお陰で樹里さんも元気になられたようです」

 恐る恐る顔を上げると、満面の笑みを浮かべる弓弦と、「そういう事か」と納得するような衣更くんの表情が目に入った。

「そっか、あんずが入院して一番しんどいのは遠矢だもんな」

 別に私が一番ではないし、ショックを受けて心配しているのは皆同じだと思うけど……と思いつつも、確かに弓弦と話せた事でどこか救われたような気がしたのは事実だった。





 あんずの代わりにプロデュース業をこなしつつ、空き時間で企画書を提出しに生徒会室に向かう私の横を、同じように男子生徒が闊歩する。ふと見上げると、髪を後ろに結った大柄な男が私の視線に気付いて顔を向ければ、満面の笑顔を浮かべてみせた。

「おおっ、樹里さんも生徒会室に用があるのかあ?」
「はい。三毛縞先輩もですか? 企画書の提出なら事前に見せて頂ければ、確実に通るように副会長好みに改良しますけど」
「樹里さん、随分としたたかになったなあ。ママはちょっと寂しいぞお」
「いやいや、先輩は私のお母さんじゃないですからね」

 鳴上くんがお姉ちゃんと名乗ることといい、この夢ノ咲学院アイドル科は本当に男子校なのかと自分の認識が揺らぎかける事が多々ある。まあ、女子が自分とあんずしかいないと引け目に感じるよりずっと良いけれど。

「樹里さんの提案は有り難いが、あいにく企画書はないんだなあ。だから、ライブ開催の許可を貰うために直談判するつもりだ!」
「え!? ちょっと待ってください、そんな無謀な!」
「そうは言っても悠長にはしていられん。あんずさんの為のライブを行いたい! タイムリミットは明日の夕方、企画書を作っている時間が惜しい!」

 三毛縞先輩の言葉に、私は驚くと共に苛立ちを覚えた。だって、私もプロデューサーだ。あんずより劣っているのは百も承知だけれど、それでも筋は通して欲しい。

「どうして私に言ってくれないんですかっ!」

 無意識に声を荒げてしまった私に、三毛縞先輩は大きく目を見開いた。

「あんずの為だって事前に相談して貰えたら、私、副会長に何を言われようと強引に開催したのに……ひどいです、私だってプロデューサーなんですよ!?」
「まさか樹里さんからそんな言葉が出て来るとは……平身低頭! 申し訳ない! てっきりルールに従わなければ駄目だと突っぱねられると思っていたんだがなあ……どうやらあんずさんは、樹里さんの信頼をも勝ち得ていたようだ! これは痛快愉快!」

 よく分からないけれど、三毛縞先輩は一人で納得したように満足げに頷いてみせて、次の瞬間、前触れもなく私の身体を担ぎ上げた。

「ひっ!!」
「そうと決まれば話は早い! 生徒会に殴り込みに行くぞおお!!」
「分かってますから! 行きますから、降ろして〜!!」





 かくして、三毛縞先輩によって生徒会室に強制連行された私は、怒髪冠を衝かんばかりの副会長に怯えつつ、事の顛末を説明した。副会長はあくまで三毛縞先輩が私を担いでいる事に対して怒っただけであって、あんずの為にライブを行う事には寧ろ好意的で、瞬く間に話が進み、明日急遽ライブを行うまでに至った。

 私が自分の仕事とあんずの仕事を片付けている間に、三毛縞先輩は様々なユニットに声を掛けて、無事メンバーが集める事が出来、明日のライブに向けて打ち合わせを行う事となった。
 ただ、希望者が殺到する事を考慮して、各ユニットから一名だけの参加となった。それでも相当な人数になり、いかにあんずに人望があるか改めて実感した。

「おっ、ラッキー。樹里ちゃんもいるんだ」
「羽風先輩、お疲れ様です! ていうかラッキーって何ですか?」
「樹里ちゃん、オータムライブの一件からちょっと遠い存在になっちゃったしね」
「え!? そんな事ないですよ。腫れ物に触るような感じだと察してはいますけど……」

 UNDEADから代表して出る羽風先輩が気さくに話し掛けて来て、私はつい自虐を口にしてしまったのだけれど、当の先輩は嫌な顔をするどころか目を見開いて驚いてみせた。羽風先輩も、弓弦とタイプは違うけどいつも余裕綽々って感じがするから、私との会話でこんな表情をするなんて意外だ。

「樹里ちゃん、君って本当に自分の価値に気付いてないんだね。蓮巳くんが手放したくないのも分かるなあ、危なっかしいもん」
「褒めてるのか貶してるのかよく分かりませんが……」
「こっちの話。それより樹里ちゃん、あまり自分を追い詰めたら駄目だよ。君の事だから、あんずちゃんが倒れたのは自分のせいだ〜なんて思ってそうだけど」

 私はそんなに分かりやすい性格をしているのか、それとも羽風先輩の洞察力が高いのか。どちらにしても、今は羽風先輩の言葉があたたかく感じた。

「はいはい、ナンパは駄目ですよ〜! 今日はあんずさんのライブの為に集まったんですからね、羽風先輩」
「酷いなあ、そんなつもりじゃなくて純粋に樹里ちゃんを励ましただけなんだけど〜?」

 2winkの葵ひなたくんがたしなめて、苦虫を噛み潰したような顔をする羽風先輩を見てちょっと申し訳なく感じつつ、参加メンバーは打ち合わせに入ったのだった。
 三毛縞先輩と副会長、羽風先輩とひなたくん、他はKnightsから鳴上くん、Valkyrieから影片くん、Switchから逆先くん、そして流星隊からは――

「仙石くん。今回のライブ、発案してくれてありがとうね」
「い、いやっ! 拙者は何もしてないでござるよ。全て三毛縞殿が動いてくれた事で、それに拙者はあんず殿が倒れた時そばにいたのに、何も出来なかったでござる……」
「だから、あんずの為に何かしたいって思ったんだよね?」

 皆より少し離れた場所でおどおどとしている仙石くんに、私は歩み寄って視線を合わせた。

「何かしたいと思うだけで終わらないでちゃんと口にするって、出来そうで出来ない事だよ? 仙石くんが勇気を出してくれたから、三毛縞先輩も動く事が出来た。仙石くんが提案しなかったら、素敵なライブを開催する事も出来なかったんだよ」
「遠矢殿……」

 涙ぐむ仙石くんを見て居ても立っても居られず、つい髪を撫でようとしてしまったけれど、咳払いをする弓弦の姿が脳裏をよぎって、伸ばした手を引っ込めた。一体どこまで私の心を侵食すれば気が済むのか、と思ったけれど、これでは言いがかりだ。まあ、朝にあんな事をされたから、余計弓弦の事を意識してしまっているのかも知れない。

 このまま打ち合わせを終えて、明日の日中に練習を済ませて本番に備えよう。あんずには今日の夜時間があれば会いに行きたいけれど、多分、たくさんの生徒たちがお見舞いに行っているだろうし、逆に推し掛けたら負担を掛けてしまうかも知れない。夜、会いに行ってもいいかあんずにお伺いを立てておこうか――なんて考えていたけれど、まさか明日自分もステージに立つ事になるとは、全く以て思っていなかった。
 何故三毛縞先輩が『お祭り男』と呼ばれているのか、その理由をこの後身をもって体感する羽目になるのだった。

2020/04/12


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