Blue Moon



 修学旅行、当日。
 学院を出発し、高速バスに揺られながら、隣に座るあんずとお菓子を片手に雑談していたら、数時間などあっという間に過ぎていた。折角の修学旅行、この二泊三日はプロデュース業の事は忘れて普通の学生を堪能しようと決めていたお陰か、あんずとの友好が一気に深まった気がした。仕事の話ではなく、お互いの趣味や好みの話からどんどん話題が広がっていき、あんずも敏腕プロデューサーといっても普通の女の子なのだと実感したりもした。
 尤もその間、明星くんがやたら話に入って来て更に話があちこち脱線してしまったけれど、そのお陰で話題も尽きないまま京都に到着したのだった。





 高速バスが止まり、降りた瞬間数時間ぶりの外の空気を浴びた瞬間、若干の車酔いや疲れも一気に吹き飛んだような気がしたから不思議だ。引率の佐賀美先生が先頭に立ち、ぞろぞろと夢ノ咲の制服を纏う男子生徒たちが先生の後をついて行く。私は半ばあんずを守るように、手を繋いで男子たちに紛れて最初の目的地――清水寺へと向かった。



「おう、みんな集まってるか〜? これからそれぞれの班に分かれて行動して貰うが、くれぐれも集合時間を破るなよ。集合場所はここで、時間は十三時だ。んじゃ、解散!」

 一服する為に単独行動に移りたいのか、佐賀美先生が手短にそう言って立ち去ろうとしたけれど、私とあんずは重要な事を聞いていない。
 夢ノ咲のアイドル科は二つの班に分かれて行動しているのだけれど、私達二人は特に割り振られていないのだ。

「佐賀美先生、待って!」
「あ? どうした遠矢ちゃん」
「あんずと私、どちらの班に合流すればいいですか? というか、別々の方が良いんでしょうか」
「ああそっか、おまえたちは『プロデュース科』だからな〜? どこの班に組み込んでいいかわからなくて後回しにしてたんだっけ」

 佐賀美先生は相変わらず呑気に笑ってみせたけれど、要するに今の今まで考慮していなかったという事だ。
 まあ、班がふたつに分かれているなら別々に行動した方がバランスは良いけれど、女子二人しかいないから一緒に行動した方が何かと良い。どちらにすべきか保留にして当日を迎えてしまったのだろう。というか、忘れてたんだと思う。

「お、あそこにいるのは……お〜い、氷鷹!」

 ふと佐賀美先生の視界に止まったのは、A組のクラス委員長、氷鷹くんだった。手招きをして呼べば、氷鷹くんはすぐに駆け付けて来た。

「佐賀美先生、俺に何の用ですか?」
「おまえ、A班だろ? おまえの班にあんずと遠矢ちゃんも入れてくんない?」
「俺は構いませんが……というか、二人をどこの班に入れるか決めていなかったんですか?」
「あはは、おっかない顔で睨むなよ。まあそういう事だから、二人の事頼んだぞ!」

 呆れ果てる氷鷹くんの視線を愛想笑いで躱せば、佐賀美先生はさっさと走り去ってしまった。

「……逃げられたか。まったく、どこかの誰かみたいに逃げ足だけは早いな」
「佐賀美先生より氷鷹くんのほうが余程教師って感じだね」

 氷鷹くんの言う『誰か』になんとなく察しが付いてはいるものの、とりあえず失笑しつつあんずの手を引いて氷鷹くんの元へ歩み寄った瞬間。

「氷鷹さま〜? どこにいらっしゃるのですか〜?」

 聞き覚えのある声に、私達はほぼ同時に声の主のほうへ顔を向けた。辺りを見回しながら氷鷹くんを探している弓弦の姿が視界に入る。そういえば、弓弦もA班だったはずだ。

「ここだ」
「ああ氷鷹さま、あちこち探し――おや、何故あんずさんと樹里さんが氷鷹さまと一緒に?」
「佐賀美先生に二人をA班に入れて貰えるよう頼まれたんだ」

 氷鷹くんに気付きこちらへ駆けて来た弓弦は、この組み合わせに不思議そうに首を傾げたけれど、すぐに納得したようだ。

「そうでしたか……あんずさんと行動できるとは僥倖ですね。あそこにB班の皆様がいらっしゃいますが、羨ましそうにこちらを見ていますよ」
「うわっ、気付かれた!?」

 弓弦が指差した先には明星くんがいて、その更に先には鳴上くんが明星くん目掛けて走って来る姿があった。

「うふふ、スバルちゃんったらこんなところにいたのねェ。んもう、探したわよォ」

 明星くんは随分嫌そうに逃げ回っているようで、二人はもしかして相性が悪いのか、と他人事ゆえについ笑みが零れてしまった。

「明星くんでも苦手なタイプっているんだね」
「スバルくん、意外と好き嫌いはっきりしてるんだ」
「へえ、じゃあそんな明星くんに懐かれてるあんずは相当愛されてるって事じゃん」
「いやいや! そういう意味じゃないからね!?」

 冗談で言ったのだけど、あんずは顔を真っ赤にして全力で両手を横に振って否定してみせた。そこまできっぱり言われると明星くんもショックなんじゃないか……と思うので、これはここだけの秘密にしておこうと心に誓った。
 そして、遊木くんも私達の元に駆け寄って来た。

「明星くん、顔色が悪いけど大丈夫かなぁ……?」
「鳴上も明星の反応が面白くてからかっているだけだろう。それより神崎の姿が見えないが、どうした?」
「おかしいですね。先程までわたくしたちと一緒にいたのですが」
「う〜ん……? あ! あそこにいるのって神崎くんじゃない?」

 A組の神崎くんの姿が見当たらないらしく、困惑する氷鷹くんと弓弦に、遊木くんが真っ先に神崎くんの姿を発見し指を差した。
 見れば、少し離れた場所でこの清水寺を堪能している神崎くんがいた。初めて来たのか、興奮で何か喋っていたけれど、微妙な遠さと他にも観光客がいる事で、何を言っているのかはっきりとは聞こえなかった。

「うーん、人が多くてなんて言ってるのか聞こえないなあ? 『抜刀』がどうとかっていうのは聞こえて――って、抜刀!?」

 遊木くんの顔は一気に真っ青になって、慌てて神崎くんの元へ走り出した。何事もないとは思うけれど、私も遊木くんの後を追う事にした。

「何もないとは思うけど、一応見て来るね」
「悪いな、遠矢。まずい事になったらすぐに助けを呼ぶんだぞ」
「大声で叫んでくだされば、わたくしがこの身を賭して樹里さんをお守りいたしますからね」
「いや、伏見がここで身を賭したら桃李くんが悲しむでしょ」

 私には荷が重い、と冗談めかして言って、そのまま踵を返して遊木くんの後を追った。
 この時の私は、目の前で起こり得るトラブルにしか目が行ってなくて、まさか弓弦が私の言葉で桃李くんを思い出し、この後ずっと引きずる事になるとは思いもしなかったのだった。





 ちょっとしたトラブルはありつつも、清水寺の拝観を終え、佐賀美先生と合流して次の目的地である金閣寺に辿り着いた。

「そういえば、樹里ちゃんって京都は初めて?」
「いや、実は子供の頃に家族で来た事はあるんだけど、漠然としか覚えてなくて……」
「あはは、子供の頃の記憶ってそんな感じだよね」

 あんずとそんな会話をしながら、自然と並んで歩いていた。あんずの傍には氷鷹くんだけでなくB班の明星くん達もいて、最早班を分けた意味すらなくなっていた。まあ、こうなるだろうなと思ってはいたけれど。

「金閣寺といえば、今日は銀閣寺には行かないんだね」
「逆方向だからな。ここから一時間はかかるぞ」
「なるほどね」

 この眩しい程黄金に輝く金閣寺と、俗に言う『侘び寂び』に象徴される銀閣寺を見比べてみたいと思ったのだけれど、そもそも位置関係を分かっていなかった私に氷鷹くんが冷静に指摘する。納得したものの、氷鷹くんの横で明星くんが瞳を輝かせながら身を乗り出して来た。

「銀閣寺もキラキラしてるのかなあ?」
「ううん、銀閣寺って言っても名前だけで、実際は銀色じゃないしキラキラもしてないよ」
「ええ〜? つまんないなあ」
「世界遺産に向かってその言い草はないだろう」

 明星くんの発言にあんずが冷静に、そして氷鷹くんが呆れがちに答える。遊木くんは少し離れた場所でそんな様子を苦笑しながら、でもどこか微笑ましそうに見守っていて、神崎くんは刀を出したい気持ちを抑えつつ美しい和の情景を堪能しているようだ。A組ではいつもこんな雰囲気で日々を送っているのだと思いつつ、自分が在籍しているB組の面々へ視線を移した。

 相変わらず朔間くんが衣更くんに甘えていて、少し離れた場所で鳴上くんが弓弦に声を掛けている。こちらもなんだかんだでいつもと変わらない――そう思おうとしたのだけれど、鳴上くんが私の視線に気付いて手招きをした。眉を下げて困った表情を浮かべているように見える。いつも笑顔の鳴上くんが、この修学旅行でこんな顔をしているなんて余程のトラブルなのかも知れない。しかもさっきまでは明星くんを弄り倒す元気まであったというのに。
 これは異常事態だ。そう察して私は急いで鳴上くんと弓弦の元へ向かった。

「どう? 楽しんでる?」
「アタシは楽しんでるけど、弓弦ちゃんがね〜……」

 はあ、と溜息を吐く鳴上くんの隣で、随分と浮かない顔の弓弦も一緒になって溜息を吐いている。
 どう考えても桃李くんの事だ。というか考えなくても分かる。
 でも、桃李くんが一人でもちゃんと学校生活を送れている事は、弓弦だって分かっている筈なのに。

「伏見さあ、桃李くんなら大丈夫だってば。そんなに心配なら、私が今桃李くんに連絡取ろうか?」
「いえ、樹里さんがお手を煩わせる必要はありません。これはわたくしの心の問題ですから……」
「そうは言っても修学旅行だよ? 伏見が元気ないと皆心配するよ。無理に元気出せとは言わないけどさ……」
「って、樹里ちゃんまで落ち込んでどうするのよ〜!」

 確か清水寺を拝観していた時はいつもの弓弦だったのに。やっぱりこうして物理的に離れてしまうと、徐々に不安が募るものなのか、と私は自ら桃李くんの話題を口にした事すらすっかり忘れていた。
 一年生の時間割も分かっているのだから、休み時間を見計らって桃李くんに直接連絡を取って声を聞けば安心すると思うのだけれど、それをしてしまうと、弓弦が桃李くんの自立を阻んでいるという事になる。尤も、桃李くんも寂しいだろうけどここまで落ち込んではいないだろう事は想像に容易い。つまり、弓弦が逆に自立出来ていないのだ。

「わたくしがこうして呑気に旅行している間に、坊ちゃまに万が一何かあれば……」
「ないって! 言霊とかあるし縁起でもない事言っちゃだめだって!」

 これは重症だ。私は思わず鳴上くんに視線を移して、どうしよう、と目で訴えた。すると鳴上くんは少し屈んで私の耳元で囁いた。

「樹里ちゃんの言うとおり、折角の修学旅行なんだから皆楽しく過ごせないといけないわ。アタシも色々考えてみるわね」
「私もあんずに相談してみる。ごめんね、鳴上くんに気を遣わせちゃって」
「いいわよォ。アタシは皆のお姉ちゃんだからっ」

 笑顔で両拳を握る鳴上くんに、私も自然と元気が出て前向きになれた。
 弓弦に無理に元気になって貰うだけでは何の解決にもならない。桃李くんが心配なのは当たり前だ、幼い頃からずっと一緒に暮らしていたというのだから。でも、明後日の夕方に帰るまでの間、少しでもこの修学旅行を楽しんで貰いたい。姫宮家に仕える執事とはいえ、弓弦だってひとりの高校生である事に変わりはないのだ。





「これがかの有名な渡月橋かあ」
「樹里ちゃん、子供の頃に来た時に嵐山は回ったの?」
「それが全然覚えてない……ここには来なかったのかなあ」
「京都って観光名所がありすぎて一回じゃ回り切れないもんね」

 嵐山に来て、竹林の道を進んだ先にある渡月橋を視界に捉え、あんずとそんな話をしながら、私はスマートフォンを翳し写真を撮った。一応、これまで回ったところは全て写真に収めている。自分の想い出用でもあるけれど、両親に見せる為が一番の理由だ。お父さんもお母さんも、私が普通の学校生活を送る事が出来ているのかそれなりに心配でいるらしい。だから、こうして写真に残せば少しは安心するだろうと思ったからだ。

「景観もいいし、ここで一緒に写真撮ろう! ほら、伏見も」

 今私の傍に居るのはあんずだけでなく、ずっと心ここに在らずな状態でぼんやりとしている弓弦もいる。ちなみに、私とあんずが弓弦と一緒にいる間に、鳴上くんたちが弓弦を元気づける為に色々策を練ってくれる事になっている。旅館に行ったら男子と女子は別行動になるから、最終的には男子勢にお任せするしかない。勿論、あんずと私で弓弦を元気付けられたら良いけれど。

「はい、撮るよ〜」

 スマートフォンを持つ手を精一杯伸ばして、なんとか背景の渡月橋と三人の顔が枠内に収まるようにして、撮影タイマーを押下する。秒読みの合図がして、シャッター音が鳴った瞬間、私は腕を降ろして画像を確認した。

「樹里さん、鼻から上しか映ってないじゃないですか」
「いいんだってこれで。想い出なんだから」
「樹里ちゃんってそういうところあるよね。私が私が、って感じじゃなくて遠慮がちっていうか」
「そうかなあ、あんずの方がそうじゃない?」

 押し問答というわけではないけれど、あんずと決着のつかない話になりかけたところ、弓弦が数歩引いてこちらに向かってスマートフォンのカメラを向けて来た。

「では、あんずさんと樹里さんがばっちり映っている写真をお撮りしましょうか」
「え、いいの?」
「勿論です、お任せくださいまし」
「ありがとう、弓弦くん」

 さっきまで落ち込んでいた弓弦は少し元気になったみたいで、私とあんずがしっかり映るように距離を置いて写真を撮ってくれた。なんだか、アイドルとプロデューサーの立場が逆転している気がするけれど……まあ、この修学旅行が唯一普通の高校生として振る舞える時間だと思えば良いか、と納得する事にした。





 観光を終えて旅館に着き、私は鳴上くんに駆け寄ってこっそりと耳打ちした。

「伏見、少し元気になったっぽいけど……根本的な解決には至ってない感じ。ごめん」
「ううん、少しでも弓弦ちゃんの気が晴れたなら良かったわ! ありがとう樹里ちゃん、後はお姉ちゃんと男子たちに任せて」

 鳴上くんは胸をとん、と軽く叩いて微笑んでみせた。ここは任せてしまっても良いだろう。初めは申し訳ないと思ったけれど、そもそも私が弓弦と付き合っている事はこの場にいる皆は誰も知らない事を鑑みると、私が心配しすぎてあれこれ口出しする方がかえって誤解を招きそうだ。
 鳴上くんはクラスメイトとして純粋に弓弦を心配して、力になろうとしてくれている。私が転入したばかりの頃に弓弦との事で落ち込んでいた時、DDDが終わった後に弓弦と距離が空いてどうして良いか分からなかった時、それ以外にもさりげなく、でも確実に背中を押して助けてくれた鳴上くんの事だ。ここは申し訳ないと思うより、頼りにする方がずっと良い。

「鳴上くん、ありがとう。明日は皆笑顔で観光できるといいね」
「ええ! その為にお姉ちゃんも男子たちも頑張るわよ〜!」

 私は鳴上くんに別れを告げて、あんずの元に戻った。陽も落ちつつあり、薄暗くなり始めた空には、淡く光を放つ月と一番星が優しく輝いていた。限られた時間で青春を送る私たちを優しく見守るかのように。

2020/03/20


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