If This Isn't Love



 オータムライブも終わり、突然降りかかった問題も解決し、少しずつ日常が戻りつつある秋のある日。十月も末に差し掛かり、新緑も徐々に紅く染まり始め、ぼうっとしていたらあっという間にこの夢ノ咲も雪景色と変わるだろう。冷たい秋の木枯らしを肌に感じつつ、私は学院への歩き慣れた道を闊歩した。

 英智さまの計らいで、私は秀越学園へ転学することなく、引き続き夢ノ咲学院のプロデュース科に在籍出来る事となった。その為の根回しも、英智さまが徹底的にやってくださったお陰で、私は今この瞬間も、誰に尾行される事もなく穏やかな学校生活を送る事が出来ている。

 遠矢樹里はあくまでヘルプで秀越学園の生徒と共にステージに立っただけであって、転学する意思はないという事。
 また、アイドルに戻る意思も今のところなく、寧ろ夢ノ咲でのプロデュース業を中途半端にしたまま、もう一人のプロデューサーに押し付けて投げ出す事は絶対にしたくないという強い意志がある事。
 そして、遠矢樹里はこの夢ノ咲学院を愛しているという事。
 以上を、天祥院英智自ら学院代表として大々的に発表し、瞬く間に周知されたのだった。

 更に、メディアからの想定される質問への回答も織り込み済みだった。

「それは本当に彼女の意思なんですか? 本当はアイドルに戻りたくても、建前上言えないのだとしたら――」
「もし彼女が再びアイドルを目指したいと言うのなら、僕が、この夢ノ咲学院が支援する。他校に転学する必要はない」
「しかし、夢ノ咲学院のアイドル科は男子だけでは――」
「やりようはいくらでもある。詳細については、彼女がアイドルへの復帰を希望してからのお楽しみ、としておこうかな」

 さすがにアイドル科を男女共学に、なんて事はしないと思うけど、特例で特別にアイドル科への編入を許可するか、または学院内ではプロデュース科に在籍したままで、外部でアイドル活動をするか――確かに抜け道は挙げようと思えばそれなりに挙がる。尤も、今のところ私は復帰については何も考えていないのだけれど。

「この件をきっかけに、秀越学園との関係が険悪になったりなどは?」
「心配無用。そこは遠矢樹里本人が、秀越学園へ詫び状を提出し、先方からも蟠りはないと聞いている」

 私も何もかもを英智さまに任せきりにしたという訳ではない。どういう事情であれ、秀越学園が私をアイドルとして評価してくれたのは事実だ。私個人ではなく父親に利用価値があるだけだとしても、本当にどうしようもない子をステージに上げるような暴挙はしない。
 それと、私自身の問題が全て解決して安堵した瞬間、一緒にステージに立った女生徒たちのその後が気に掛かった。私には関係ない――そう思っていたけれど、私だけが救われて彼女たちが任務に失敗としたと判断されて、特待生から降格させられたとしたら非常に後味が悪い。解決した今だから言える事だけれど、彼女たちだって大人たちの勝手な計画に巻き込まれた被害者なのだから。

 だから、転学を断る手紙と一緒に、私を評価してくれた事に感謝する言葉と、彼女たちをちゃんとしたステージで再評価して欲しいと秀越学園に伝えた。きっと、彼女たちの実力はあんなものではない。もっとちゃんと出来る筈だと、一週間ずっと一緒にいてはっきり分かったのだ。

 すると、そう日も経たないうちに返事が来た。秀越学園の教師や七種くんではなく、一緒にステージに立った女生徒たちからだった。
 手紙には、私を脅した事への謝罪と、私が弓弦と交際関係にあるわけではないと信じてくれた事と、そして、長いようで短かった一週間がとても楽しかったと書かれていた。
 そして、私が来る前に実はもう一人メンバーがいて、奇しくも私の転学と同じ理由で秀越学園を去っていた経緯を教えてくれた。
 彼女たちは、まるで去った女生徒へ償うように、私をその生徒と同一視して接していたのかも知れない。自然と、あっという間に距離が縮まったのも納得出来た。

 更に喜ばしい事に、彼女たちの降格はなかった事になった。一人失ってバランスを崩した事で芳しくない評価を受けていたものの、私とのステージ、というよりも私の怒りの声をきっかけに、皆の心に火が付いたのだという。
 そういえば、怒りに任せて散々偉そうな事を言ってしまった。いくら頭に血が上っていたとはいえ、ブランクのある私よりも秀越学園の特待生としてアイドル活動をする彼女たちの方が実力はずっと上だ。もし、また会う機会があったら、まずはちゃんと直接謝らなければ。なんて思いながら目を通していると、最後に記されたメッセージに、私の鼓動は高鳴った。

『樹里さんもアイドルに戻った方が良いと思います。我が校の七種茨様も、プロデュース業とアイドル活動を両立されています。樹里さんも、きっと出来ますよ』

 優秀な七種くんと一緒にされても困るのだけれど、そういう道もなくはない。
 全く考えもしなかった新たな進路が生まれただけでも、今回の件は私にとって必要な出来事だったと思えた。終わり良ければ総て良し、というよりも、喉元過ぎれば熱さを忘れると称した方が正しいかも知れないけれど。私の場合。

 舞台がオータムライブではなく、かつ脅しがなく自分の意思でステージに立ったとしたら(そんな事は有り得ないのだけれど)、アイドルとして大勢のお客様の前で歌とダンスを魅せる事を、心から楽しく思っただろう。
 アイドルとして復帰するかはまだ考えていない。けれど、私自身ももっとちゃんと出来たはずだ、なんて思うあたり、結局のところ諦め切れていないのかも知れない。夢はきっぱり諦めたはずだったのに、こんな思いも寄らぬ形で、辛かっただけではなく楽しい事もあった以前の学校での日々を思い出したのだ。





「という訳で、修学旅行の旅行行程はこんな感じだ。何か質問は?」

 ロングホームルームにて。クラス委員長の衣更くんが教壇に立って簡単に説明し、皆に問い掛ける。
 夢ノ咲学院も普通の学校と同様に修学旅行がある。ただ、仕事が入っているUNDEADの大神くんと乙狩くん、Valkyrieの影片くん、Switchの夏目くんは不参加だ。あんずが修学旅行に行くなら、私は不参加でその間学院のプロデュース業にあたろう、なんて思っていたのだけれど、寧ろ私が行かないとあんずが女子一人になってしまうという理由で、強制参加が決まってしまったのだ。

「衣更、質問〜! 樹里ちゃんと一緒の部屋になる可能性はありますか!?」
「残念ながら遠矢はあんずと同室だ」
「じゃあその二人と俺が同じ部屋になる可能性は?」
「ないに決まってるだろ」

 呆れがちに言う衣更くんに、教室内が笑いに包まれる。
 行き先は京都。他の生徒たちもアイドル活動があるから、二泊三日という短い期間だ。それでも充分な息抜きになり、貴重な想い出になるだろう。特殊な学科である以上、ごく普通の高校生として過ごす時間は限られているのだし。

 非日常であるがゆえに、普通の高校生として過ごす事が出来る、数少ない機会。
 ふと、弓弦の席に自然と視線が行く。
 私の瞳に映ったのは、どこか上の空で元気がない様子の弓弦の姿だった。
 もしかして修学旅行が憂鬱なんだろうか。弓弦って集団行動が苦手だったっけ。そんな素振り、今まで見せた事がない。

 私自身、弓弦のすべてを知っているわけではない。現に、秀越学園の七種くんと旧知の仲である事も知らなかったし。きっと他にも、私の知らない事がたくさんあるのだろう。それはさておき、私の知っている弓弦は、この夢ノ咲で過ごした半年とちょっとの間での姿しか知らないけれど、それでも、こんなに元気のない弓弦を見るのは初めてかも知れなかった。
 一体、何が気掛かりなんだろう。





「桃李くんが心配!? いや、心配し過ぎでしょ」
「樹里さんなら、わたくしの気持ちを分かってくださると思っていましたが……」

 放課後、弓道部の活動に顔を出した私は、真っ先に弓弦に尋ねてみたら、桃李くんの事が気掛かりで修学旅行に行くのが憂鬱だという答えが返って来て唖然としてしまった。いや、弓弦が桃李くんにただならぬ愛を注いでいるのは分かる。けれど、今回はたったの二泊三日だ。一日目の朝に出発して、三日目の夕方には帰宅出来るのだから、会えないのは実質たったの二日間といったところだ。

「だって、オータムライブなんて一週間も外泊したのに、なんでたったの二泊三日が駄目なわけ?」
「秀越は遠方とは言っても、電車で行ける範囲ではないですか。坊ちゃまに何かあればすぐに駆け付ける事が出来る程度の距離です。ですが、京都は……」
「なるほど、日数より距離が問題なわけね」

 弓弦にそう説明されると、確かに一理あると納得してしまったあたり、私も桃李くん可愛さに弓弦の価値観に近付きつつあるのかも知れない。慣れとは恐いものだ。

「全く、伏見先輩は桃李くんに甘すぎですよ。使用人をここまで不安にさせるとは、桃李くんが普段どれだけ伏見先輩に心労を掛けているのか、想像に容易いですね」

 私達のすぐ傍で、弓道部員である朱桜くんが、的に向かって弓矢を放てば不機嫌そうにぼやいてみせた。弓矢は惜しくも真ん中ではなく、ほんの少しずれた位置に刺さる。

「朱桜。他所の家への口出しをする余裕があるなら集中しろ」
「は、はい! 申し訳ありません、蓮巳先輩」
「まあ、貴様の言う事にも一理あるがな。伏見は過保護過ぎだ。姫宮は充分立派にやっている」

 蓮巳先輩が朱桜くんを窘めつつ、弓弦にも視線を遣る。言っている事はご尤もだ。桃李くんは生徒会役員としてだけでなく、一年B組のクラス委員長としても、皆を導いて立派にやっている。それは当然、桃李くんの為にこの夢ノ咲へ転入した弓弦も分かっている筈だ。
 つまり、そこが問題ではないのだ。
 ただ、それを今口にしても良いものか。

「遠矢、何か反論があれば言ってみろ」
「ひえっ、何もありません!」
「俺を甘く見るな。口を挟みたくて仕方がない顔をしていたぞ」

 眼鏡の奥で目を細め、不敵な笑みを浮かべる蓮巳先輩に、反論できるはずがなかった。やっぱり上に立つ人は違う。単に私が考えている事が顔に出やすいだけかも知れないけど。というか『口を挟みたくて仕方ない顔』って、私はどんな表情をしていたんだか。

「反論ではないのですが……桃李くんが一人でも立派にアイドル活動、および学校生活を送れているのは、ゆづ……ええと伏見も分かってると思うんです」
「では、遠矢は伏見の心をどう捉えている?」
「えーと……伏見、怒らないでね」

 一応、本人のため、というより自己保身のために弓弦へちらりと視線を向ける。弓弦は小首を傾げつつ、「内容によりますね」とあっさり返して来た。まあ、ここまで来たら言わないのもおかしな話だ。もういいや、後で弓弦に散々怒られても。

「……私は単に、伏見自身が桃李くんと離れるのが寂しいんだと思ってます」

 言った後、もうどうにでもなれと思いつつも弓弦本人の顔を直視することが出来ず、弓道場の床へと視線を落とした。
 少し間を置いた後、蓮巳先輩と朱桜くんの笑い声が弓道場に響いた。

「まさかそう来るとはな。いや、遠矢が言うと信憑性がある」
「遠矢先輩には伏見先輩がそう見えてるんですね、さすがプロデューサーです」
「いや……ははは……」

 乾いた笑いを零しつつ、恐る恐る弓弦へ顔を向けた。この和やかな雰囲気によって弓弦の怒りが中和されていて欲しい。
 弓弦は至って落ち着いた微笑を湛えていた。弓弦の事を知らない人が見れば、穏やかな表情だと思うだろう。でも私には残念ながら分かってしまうのだ。今、弓弦は怒りを隠して作った笑みを張り付けているという事に。

「伏見、怒んないで」
「わたくし、『内容による』と申し上げましたけれど」
「だってさぁ、桃李くんが一人でも大丈夫なのは分かってるはずでしょ!? 執事なんだし! それでも心配っていうのは弓弦自身の問題じゃん」
「『問題』?」
「いや、問題じゃない! なんていうか……だから、要するに桃李くんに何かあった場合に駆け付ける事が出来ないのが不安なんでしょ?」

 苦し紛れに弓弦をフォローしたつもりが、今度は弓弦の怒りが収まると同時に、余計不安を駆り立ててしまったようだ。当たり前だ、ご主人様に『何かあった場合』なんて仮定をうっかり口にしてしまったのだから。

「坊ちゃまに……何かあれば……」
「いや、ないって!! 送り迎えも姫宮家の使用人の方がやってくださるでしょ? 弓弦がいない間、他の使用人の皆様が桃李くんの面倒を見るわけでしょ? 大丈夫だって! 考え過ぎ!」
「ですが、万が一坊ちゃまに身の危険が訪れた時に、わたくしは呑気に旅行しているなど……」
「ないって! ない! 絶対大丈夫!」
「その根拠は?」
「ないけど、大丈夫!」

 最早自分でも何を言っているのか分からず、朱桜くんが近くで笑いを堪えているのが聞こえてくる始末だ。
 収拾が付かなくなり、さすがに部活動が疎かになった状況に蓮巳先輩が苦言を呈し掛けた瞬間。

「おい、月永!! 弓道場の床に楽譜を書こうとするな!!」

 飛び出たのは、苦言ではなく怒号だった。
 その先は私と弓弦ではなく、『月永』。
 夏休みが終わり新学期が始まった頃から復学した、『Knights』のリーダー、月永レオだ。

「ああっ、止めるなケイト! このインスピレーションを書き留めないわけにはいかないっ!」

 橙色の髪を後ろに結い、パーカーを羽織って床にマジックで何かを書こうとする様子は、カタギの人間ではない――と言ったら語弊があるけれど、完全に芸術肌の人間だ。
 私が抱いている感覚通り、この月永レオは天才的な作曲家でもあり、学生にして巨額の富を得ており、Valkyrieの斎宮先輩とは方向性は違うものの、この夢ノ咲を代表するアーティストと言っても過言ではない。
 そんな凄い人が何故ここにいるのかというと、彼も一応、弓道部員なのである。

 一先ずその天才のインスピレーションを消してはならぬと、私は無言でノートを差し出した。

「おおっ! くれるのか!? ありがとうっ妖精さん!」
「遠矢樹里です、いい加減覚えてください」
「曲作りのネタを提供してくれるわ、ノートもくれるわ、本当に良い妖精さんだな〜!」
「私、人外か何かだと思われてるんですか?」

 日々樹先輩といい月永先輩といい、『妖精さん』は褒め言葉ではなく人間扱いされていないのではないか、という気がしないでもない。

「すまんな、遠矢。月永が復学してからというもの、貴様にも手間を掛けさせてしまって……」
「いえ、ノート一冊百円の出費で大ヒット曲がこの世に誕生するのなら、あまりにも安すぎる投資ですから、喜んで」
「貴様、意外に商魂逞しいな。あまり英智の影響を受けすぎるなよ」
「あそこまで多くのものは背負えませんから」

 別に英智さまの影響を受けているつもりはないのだけれど、夢ノ咲の未来を想っているという意味では似ているかも知れない。尤も、私は自分の将来の為に夢ノ咲の評判を高めたいと思っているだけで、英智さまのような崇高な気持ちは持っていないのだけれど。

 とりあえず月永先輩の来訪のお陰で、弓弦に怒られる展開は避けられそうだ。ほっとした瞬間、ふと、先程の月永先輩の言葉が引っ掛かった。

「あの、月永先輩。熱心なところ申し訳ないのですが、私、何かネタ提供しました?」

 さっき、『曲作りのネタを提供してくれるわ』なんて言っていた気がするけれど、提供した覚えはない。そんな才能があるなら自分でも曲作りに勤しんでいるだろう。
 すると、月永先輩はとんでもない事を言ってのけた。正直、聞かなきゃ良かったと大後悔する位には。

「妖精さん、さっき嫉妬してただろ!」
「はい?」
「使用人がご主人様の事ばかり心配して、あたしの事なんて全然気にしてくれない! あたしはこんなにあんたの事が好きなのに!」
「はい?」
「おれにはそう見えた! 例えおまえが否定しようと!」
「誤解ですっ!! というか、一体どんな曲作ろうとしてるんですか〜っ!!」

 思わず涙声で訴えたけれど、ノートにペンを走らせる月永先輩の手は止まらない。いくら商魂逞しかろうと、自分の恋心を勝手にネタにされては堪ったものではない。
 今にも泣きそうな顔で蓮巳先輩を見上げると、「仕方ない、諦めろ」と溜息混じりに返されて、次に朱桜くんに顔を向けると、興味深そうな目で私を見た後、伏見へと視線を移す。

「伏見先輩。先程の遠矢先輩の反論にはloveが込められていたのでしょうか?」
「それは本人に聞いてみないと分かりませんね。尤も、月永さまの言う通り否定されるとは思いますが」
「誤解だって言ってるでしょ!?」

 今の私の顔はさぞかし真っ赤に染まっているだろう。弓弦は先程の仕返しとばかりに意地悪そうに目を細めて笑ってみせる。ひとり騒いでいる私が馬鹿みたいだ。
 ただ、この場は収まっても弓弦が桃李くんの事を心配している気持ちが変わるわけではない。結局何も解決しないまま、修学旅行を迎えようとしていたのだった。

2020/03/03


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