Evening Star



 夢ノ咲学院に転入して、学校を休んだのはこれが二度目だ。尤も、一度目は大事な七夕祭の前に体調を崩してしまい、病院から数日安静にするよう言われて休まざるを得なかったから、今回とは事情が違う。学校に行きたくても行けなかったあの時とは。
 今の私は、もう夢ノ咲の校舎に足を踏み入れる資格がない――そんな風に思っているのだから。

「一週間もよその学校に行かされたんだから、今日は代休だと思えば良いのよ」
「うん……」
「それにしても、樹里も随分人気者になったのねえ」

 家のリビングでお母さんが淹れてくれたココアを飲みながら、ただただぼんやりと何もせず無意味な時間を過ごしていたけれど、どういう意図かお母さんが放った言葉が、私の胸に突き刺さった。

「人気者? 道化の間違いでしょ」
「またそうやって後ろ向きな事言って! マスメディアなんて上手い具合に利用してやればいいのよ」
「言うだけなら簡単だよね」

 私は溜息を吐きながらお母さんを睨んだけれど、当の本人は満面の笑みを浮かべている。
 多分、私を元気づけようとしているのだと思う。一緒になって落ち込んだって事態は好転しないし、こんな風になってしまって一番うんざりしているのは、もしかしたらお母さんかも知れない。だから、お互い前向きになれるように、こんな茶化すような事を言っているのだろう。

 お母さんが買い出しで家を出た時、何人かの取材陣が待機していていきなり私の事を訊ねられたのだという。お父さんは今日は早くに家を出て、顔を合わせていないのだけれど、多分、同じ事をされただろう。
 とりあえず、母の独断で今日は学校を休む事になり、夢ノ咲に転入して初めて『ずる休み』をしてしまったのだった。





 昨日の出来事はまるで悪い夢でも見ていたんじゃないかと思うほど、信じられない事がたくさんあった。
 秀越学園の生徒たちと一緒にステージに立ってしまった事。
 両親は予め秀越学園から招待を受けていて、ステージに立つ私を観ていた事。
 そして、問題はここからだ。
 その光景は中継されていて、多くのメディアに私の存在を知られてしまったのだ。

 秀越学園は初めから私を引き抜こうと動いていて、私がTrickstarと直接関係がないにも関わらず夢ノ咲から派遣されてしまった事も、両親がこの場に招待された事も、全て仕組まれた事だった。
 オータムライブが終わった後、私はライブ後にも関わらず疲労感など一切見せない七種くんに導かれ、学園内の応接室へと足を踏み入れた。その先には両親がいて、秀越学園の人達から何やら説明を受けているようだった。

『遠矢さんの御両親様には、簡単に我が校の説明をさせて頂きました。いえ、決して我が校に転入しろと脅しているわけではありません! 御両親様に、安心してお嬢様を預けられると思って頂かなければ意味がありませんしね』
『私の意思は無視なんですね』
『あ、口答え出来る程度には回復されて安心しました。いえ、さすがにあんな写真で脅した事については、自分もやりすぎだと思っていますので。遠矢さんのお気持ちを考えると、自分も胸が張り裂けそうです』
『あの! ……伏見とは、本当にそういう関係じゃないの。あの時は桃李くんも一緒にいたから、だから……』
『例の写真は世に放たれる前に抹消しますので、ご安心を』

 七種くんの事はあまり信用出来なかった。弓弦が気を付けろと言っていたのもあるけれど、全ての言葉が機械的で、思ってもいない事を言っているようにしか聞こえないからだ。
 もしかしたら、私が秀越学園への転入を断ったら、あの写真が流出してしまうかもしれない。あの写真に関しては疚しい事は何もない。けれど、そういう記事が出る時点で伏見弓弦というアイドルの名には傷が付いてしまう。それはつまり、『fine』の名にも傷が付く事と同義であり、メンバーである桃李くんにも迷惑が掛かる。

 もう、私に選択権はないのだと、諦めるしかなかった。
 私の意思など関係なしに、私はもう、夢ノ咲の生徒ではなくなってしまうのだ。
 悲しい、というよりも、身から出た錆だと反省する気持ちの方が強かった。
 あの写真は健全でも、私が弓弦の事を愛していて、少なからず恋人でないとしないような事も既にしてしまっているからだ。
 全ては私の行いに原因がある。だから、私にはもう夢ノ咲学院に足を踏み入れる資格はない――そう決め付けてしまっていた。





 ふと、窓ガラスをコツコツと叩く音がして、音のした方へ顔を向けた。
 瞬間、私は今までの悩みが全て吹き飛んでしまうほど、頭が真っ白になった。

『Amazing!! 妖精さん、随分と素敵なお家にお住まいなんですねぇ〜!』
「ひっ!!」

 思わずココアがまだ入っているマグカップを落としそうになった。
 窓の向こうでは、気球に乗った日々樹先輩が拡声器でこちらに向かって話し掛けているのだから。
 よくよく見ると、窓のすぐ傍には綺麗な鳩がこちらを見て首を傾げていた。さっきのコツコツという音は鳩がガラスを突く音だったのだ。

「あら、『fine』の日々樹渉くんじゃないの! 樹里、お家に遊びに来てくれる程仲良いの?」
「仲良いっていうか、ただの先輩と後輩の関係だけど……」
『つれませんねぇ〜。私も他の皆さんを見習って、これからはもう少し距離を詰めてみましょうか』
「もう充分近いですから!! ていうか、どうして私の声がそちらに聞こえてるんですか!?」

 仕組みは分からないけれど、とりあえずどうして日々樹先輩がここにいるのか聞かなくては。私はマグカップを机上に置けば、無我夢中で窓の傍まで走って全開にし、ベランダへと出た。

「お母様と優雅な一時を過ごされているところ心苦しいのですが、英智の命令です。恨むなら『英智さま』にしてくださいね」
「は? 何が……」

 ベランダで既に気球を隣接させていた日々樹先輩は、まるで待ち構えていたかのようにそう言うと、気球から私の目の前に降り立った。何も分かっていない私に一切の説明もなしに、突然私を抱きかかえて再び気球へと飛び移る。

「ちょっ、日々樹先輩!?」

 何も分かっていない、のは事実だけれど、日々樹先輩が何をしようとしているのかはさすがに分かった。私とてだてに夢ノ咲に半年在籍しているわけではない。『なんでもあり』の日々樹先輩なら、この気球で私をどこにだって連れて行けるのだ。
 尤も、現状を鑑みると行先はひとつしかないけれど。

 再び動き出す気球。強引に乗せられた私は日々樹先輩と共に、住み慣れた我が家から少しずつ遠ざかっていく。
 ついさっきまで一緒にいたお母さんが、ベランダに出て来て驚きの表情を浮かべた。けれどそれも一瞬の事で、すぐに笑顔へと変わった。

「日々樹くん! 樹里のこと、よろしくお願いします〜!」
「おや、お母様も私の事をご存知なんですね、光栄です! お嬢様を少々お借りしますね〜!」

 私の意思などおかまいなしに、あっさりと二人の間で遣り取りが交わされ、気球は私の家から見る見るうちに離れていった。



「さて。妖精さんは何処に行きたいですか?」
「えっ!? 夢ノ咲じゃないんですか!?」
「行っても大丈夫なんですか? 行き難いようでしたら別の場所で英智と落ち合う事も可能ですが」
「いえ、英智さまのお手を煩わせるわけにはいかないので……」

 日々樹先輩が私を連れ出した理由は分からないけれど、英智さまの命令である事は、先程の発言から分かる。きっとこんな事態になってしまった事に対するお説教か、最悪夢ノ咲の名に傷を付けた責任を取れと言われるかも知れない。英智さまは私が他校に引き抜かれる可能性をずっと指摘していたというのに、この体たらくなのだから無理もない話だ。

「ふふっ、随分と死にそうな顔をしてますが、もしや『英智さまに怒られちゃう〜!」なんて思ってませんか?」
「えっ!? 今の声どうやって出したんですか!?」

 私の声真似が、最早真似の域を越えて本当に私の声に聞こえて、つい反射的に質問返しをしてしまった。けれど日々樹先輩は特に不快に思う素振りもなく、口角を上げて話を続けた。

「英智が知ったら、ショックのあまり倒れてしまうかもしれませんねぇ」
「あ、あの、私そんなにおかしな事言いました?」
「樹里さん、あなたは別に悪い事は何もしていないではないですか。秀越学園でのいざこざは、あなたが自ら望んでそうしたわけではないと、誰しも思っていますがね」
「結果的にああなった以上、自分の意思と捉えられても仕方ないと思っていますが……」
「樹里さん。あなた、夢ノ咲を辞めたいんですか?」

 日々樹先輩が突然前触れもなく核心をついた質問をぶつけて来て、私は一瞬頭が真っ白になった。それは質問に答えられないからではなく、日々樹先輩の話の意図が分からなくなったからだ。
 でも、答えるのは簡単だ。初めから決まりきっている事なのだから。

「辞めたくないに決まってます。プロデュース業だって中途半端なままで、何も成し遂げられずに辞めるなんて絶対嫌です」
「だそうですよ、英智」
「はい?」

 次の瞬間、日々樹先輩は制服のポケットからスマートフォンを取り出してみせた。
 画面は見事に通話中で、スピーカーになっていた。つまり、日々樹先輩と私のやり取りは通話先に全て丸聞こえで、ついでに言うと発信先は英智さまという事だ。

『樹里ちゃんならそう言ってくれると思っていたけど……それにしても僕に怒られるのが恐くて学校を休んだのかい?』
「ち、違います!! 家の周りに取材の人がうろうろしてて……」
『お母様から欠席の連絡を受けた時に、事情も聞いているから大丈夫だよ』
「酷いですっ英智さま!」

 全部分かっていて鎌をかけたのかとつい嘆いてしまったけれど、正直、英智さまの声を聞いて心の底から安堵した。
 英智さまは怒ってもいなければ失望もしていない。いつもと変わらない英智さまだ。夢ノ咲学院の生徒会長が普段通りなのだから、他の皆もそうだ。そうではないとしても、そう思う事が出来て、学院に足を踏み入れる資格なんてない――そう思い込んでいた気持ちが嘘のように消え去った。

「おや、そうこうしているうちにもう校舎が見えて来ましたよ」

 半年間通い続けた、見慣れた校舎。こうして上から俯瞰して見るのは初めてだ。
 私はこの夢ノ咲で、まだ何も成し遂げていない。そんな大それた言い方じゃなくても、私は単にまだ、この学院を去るには心残りがあり過ぎる。まだ、もっと色々な事がやれるはずだ。
 それに――

「あんず!!」

 グラウンドには日々樹先輩の気球を見に来た野次馬か、生徒たちが徐々に集まって来ていた。その中に一人だけいる女子の姿を見つけた瞬間、私は自然と声を上げていた。
 私の声に気付いたのか、あんずが大きく手を振ってぴょんぴょんと跳ねてみせた。
 見計らったかのように気球が高度を下げ、地面に着陸するのも時間の問題だ。私は日々樹先輩に向き直って、深く頭を下げた。

「日々樹先輩、ありがとうございます。こうして連れ出してくださらなければ、私、また前の学校と同じ事を繰り返すところでした」
「いえいえ、私は皇帝陛下の意のままに動いただけですから。ですが、この半年間があなたにとって無駄なものではなかったようで、私も安心しましたよ、樹里さん」
「やっと私の事、名前で呼んでくれましたね」

 日々樹先輩が私の名前を呼ぶのは、私の記憶が確かならこれが初めてだ。もしかしたら今日だけ特別なのかも知れないけれど。日々樹先輩は何も答えない代わりに優しい笑みを湛えた。それだけで背中を押されたような感覚を覚えた。もう、悩む必要はない。
 私は着陸を待たずに、もうすぐ地面に着きそうな気球から飛び降り、あんずの元へ走った。

「あんず! ごめんね! 私……」
「樹里ちゃん!! もう戻って来ないかと思った……」

 お互いに抱き締め合って、なんだか泣きそうになってしまった。まだ何も解決していないというのに、あんずと一緒にいるだけで無敵だと思えるから本当に不思議だ。

「樹里〜! お帰り!」
「お疲れ、大変だったなお前も」

 明星くんと衣更くんがこちらに来て声を掛けて来ると、どんどん周りに人が集まって来た。次々に「おかえり」と声を掛けてくれて、やっぱり私はまだこの学院を去りたくない、と心から思った。
 そして、満を持すように、英智さまもこのグラウンドに現れた。英智さまの後ろには副会長と桃李くんもいる。桃李くんは今すぐこちらに来たそうにうずうずしているけれど、英智さまより前に出る事はない。やっぱりこういう時、英智さまの顔を立てる桃李くんは上下関係を弁え、しっかりしているという印象を受ける。

「君の意思を直接聞こうと、渉に頼んで強引に連れ出して貰ったけれど……その必要はなさそうだね」
「英智さま! 私、まだ夢ノ咲にいたいです! でも……」
「秀越学園の誘いを断ったら、君のお父さんの仕事に影響が出るんじゃないか、ってところだよね。樹里ちゃんがずっと危惧しているのは」

 英智さまは私の気掛かりをしっかりと把握していた。そう、私の我儘を押し通す事で、お父さんにこれ以上迷惑を掛けるのは絶対に嫌だった。前の学校を辞めて夢ノ咲に転入するだけでも、両親にはひどく迷惑を掛けてしまったのだから。

「その点なら安心して欲しい。先程君のお父さんに連絡を取って、万が一秀越学園や関連する企業、団体から業務妨害や圧力があれば、天祥院財閥があなた達家族を全力で守ると約束したところだよ」
「そんな……どうしてそこまでしてくださるんですか?」

 英智さまの一言で、全ての問題が解決してしまった。けれど、どうして英智さまがそこまでする必要があるのか。私はあんずの腕の中で困惑するばかりだった。

「樹里ちゃんの事が大切だから、なんて言っても信用しないよね?」
「何か裏があると思ってしまいますが……」
「酷いなあ。でも、ご名答。君に価値を見出したのは秀越学園だけに限った話じゃない。この夢ノ咲学院もそう判断したからこそ、君を普通科ではなくプロデュース科に配属させたんだ」

 英智さまが今、嘘や世辞を言う理由はない。私自身の価値、というよりお父さんの事だろう。そう考えれば辻褄は合う。夢ノ咲学院のアイドル科は男子だけという決まりがある以上、唯一の女子として配属させる事は出来ないが、新設予定のプロデュース科にあんずと二人でテストケースとして配属させる事で、学院側がお父さんのコネクションを使う機会が出来るかも知れない。

「納得したかい?」
「はい! お父さんを守ってくださり、ありがとうございます。英智さまのお陰で、私、安心して夢ノ咲に通えます」
「樹里ちゃん。『英智さま』なんて呼んだら、怒る人がいるんじゃないかな?」
「あ」

 言われた瞬間、脳内で弓弦のお説教が再生されて、つい苦笑を零してしまった。そういえば弓弦の姿が見当たらない。いつもなら桃李くんの傍に寄り添っている筈なのに。

「桃李くん、伏見は?」
「秀越学園に殴り込みに行ったよ、あの駄犬」
「は!? 待って、すぐに止めに行かないと!」

 溜息を吐きながらあっさりと告げる桃李くんとは正反対に、パニックに陥る私に、Trickstarの面々が宥めるように次々と声を掛けて来た。

「樹里ちゃん、落ち着いて! いくらなんでも伏見くんが殴り込みに行くなんてしないから!」
「う、言われてみればそうだね……」
「確か伏見は秀越に知り合いがいたのではなかったか? きっと、遠矢の事で伏見なりに詳しい事を探りに行ったんだと思う」
「そういえば、七種くんと知り合いみたい。そういう事か……」

 遊木くんの言葉で冷静になって、氷鷹くんの憶測に私は自然と納得がいった。多分、本当の事を探れるのは弓弦しかいないだろう。七種くんとどんな関係なのかまでは分からないけれど、赤の他人よりは接触しやすいのかも知れない。

「噂をすれば、だね」

 ふと呟いた英智さまの視線は、私達ではなくその後ろに向けられていた。
 そこには、秀越学園から帰還した弓弦の姿があった。

「一体何事ですか? 今日はグラウンドでドリフェスの開催予定はなかったと記憶してますが――」

 英智さま達の傍へ駆け寄った弓弦は、生徒会メンバーの視線が私に向かっている事に気付き、私のほうへ顔を向けた。
 私と目が合った瞬間、弓弦は一瞬目を見開いたけれど、すぐにいつもの余裕綽々の微笑を浮かべてみせた。

「お帰りなさいませ、樹里さん」
「……ただいま。って、ちょっと待って。逆じゃない? 伏見こそ、お帰り。なんか……ごめんね。私のせいでかなりご足労をお掛けしてしまったようで……」
「いえいえ、此度の件はわたくしにも原因がありましたので。茨を問い詰めて経緯をしっかり聞かせて頂きました。その件につきましては、後程会長さまと副会長さまにもご報告致しますので」

 弓弦の口振りと落ち着いた様子から、恐らく全てを把握したのだと理解出来た。でも、自分にも原因があるなんて言わないで欲しい。私が弓弦の事が好きな時点で、疚しくない、なんて事はないのだから。言いたくても、生徒たちが集まっているこの場では下手な事を口に出来ないのがもどかしい。

「全く、ボクの許可なく勝手な行動取るなよ! この駄犬!」
「駄犬ではありません。向こうも想定外の事が色々起こっているようですが、一先ず樹里さんは夢ノ咲で引き続き預かる方向で問題ないと思いますよ。樹里さんの意思が全てではありますが……」

 桃李くんに窘められてもしれっと言い返しながら、弓弦は英智さまと副会長に簡単に告げた後、私へちらりと視線を向けた。
 私の意思。そんなのは初めから決まりきっている。

「私、まだ夢ノ咲にいたい」
「そうですか、安心しました。樹里さんの事ですから、ご両親の事を思ってご自身の意思を押し殺してしまうかと思ったのですが」
「お父さんの事は、英智さまが配慮してくださるって」
「『英智さま』ではなく『生徒会長』ですよ、樹里さん」
「はい……」

 案の定指摘され、私は頭を下げて反省の意を表明してみせた。すると周りからはちょっとした笑いが発生して、弓弦はわけがわからず首を傾げていた。ついさっき英智さまが『英智さまなんて呼ぶと怒る人がいる』なんて言っていた事を、当の本人は知る由もないから無理もない。

「という訳で、今後の秀越学園への対応について、会長さまと副会長さまに相談させて頂きたいのですが」
「了解。と言っても、君のことだからほぼ解決済みで、僕等は単に頷けば良いだけの話に思うけどね」
「買い被り過ぎですよ、会長さま」

 桃李くんの次は弓弦が溜息を吐く番だった。どうやらこの後話し合いが設けられるようだ。私も同席した方がいいだろう。このままではあんずと抱擁する為だけに登校した事になってしまう。
 ふと、今まで押し黙っていた副会長が口を開いた。

「ついでといっては何だが、遠矢の今後についても話がある」
「ひっ」
「そう恐がるな。貴様にとって悪い話ではない筈だ」

 副会長は怯える私に対して怒りはせず、それどころか不敵な笑みを浮かべた。一体何が起ころうとしているのかまるで見当が付かなかったけれど……少なくとも、私は夢ノ咲の生徒で居続ける事が出来て、心の底から嬉しくて仕方がなかった。
 私を離さんとばかりに抱き着いているあんずのあたたかさを噛み締めながら、私はあんずに向き直った。

「あんず、こんな私だけど……これからも、よろしくね」
「……! 勿論だよ! 一緒に力を合わせていこう!」

 あんずは満面の笑顔で頷いてくれた。
 前の学校のように途中で投げ出すのはもう嫌だ。プロデュース科に入ったのだから、今度こそちゃんとやり遂げたいのだ。才能がなかろうと何だろうと、私はあんずの手助けをすると決めたのだから、プロデュース科が正式に動き出す来年の春までの残り半年、出来る事をしっかりしたい。
 そう思えるのは、あんずの事が、夢ノ咲学院の皆の事が大好きで、そして、入学時から今この瞬間もずっと陰で私を助けてくれた弓弦の事が、心の底から大好きだからだ。
 この日を転機に、私が諦めたはずの夢は、再び思わぬ形で叶おうとしていたのだった。

2020/02/22


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