Colors of Life



「いつも樹里がお世話になってます〜、って、お世話じゃなくて迷惑掛けてるでしょ? あの子、口を開けば愚痴ばっかりだから」
「いえいえ、そんな事はありません。皆様と分け隔てなく和気藹々と過ごされていらっしゃって、羨ましいくらいですから」

 主と共に彼女の家を訪れたところ、彼女とよく似た妙齢の女性に満面の笑みで出迎えられた。己の隣にいる主も、負けじと笑顔を向けている。姫宮家の子息たるもの、外向けの態度はどこに出しても恥ずかしくない完璧なものである。

「こんな可愛い男の子と仲良いなんて、樹里も言ってくれればいいのに〜」
「ボクたちのこと、樹里……えっと遠矢センパイは何も話してないんですか?」
「そうねえ、『すごい人たちにお世話になってる』とか、生徒会の皆に良くして貰ってるとは聞いてるけど……二人とも生徒会なの?」

 リビングに通され、応接用の椅子に腰かける己たちに投げ掛けられた質問に答えようとしたところ、二人分のマグカップを持った彼女が現れた。

「お母さん、その可愛い男の子は姫宮家のご子息」
「え!? 姫宮って、あの?」
「そう、おもちゃ屋さんとか経営してる、あの」
「ちょっと、そんな凄いご家庭の子なら前もって言いなさいよ!」

 彼女は「はいはい」と淡々と聞き流せば、己たちの前にそれぞれカップを置いた。主にはホットミルク、己には珈琲が注がれている。芳ばしい香りに、張り詰めていた緊張が少しだけ解けた気がした。

「ありがと、樹里」
「ありがとうございます、樹里さん」
「紅茶にしようか迷ったんだけど、生徒会室でいつも飲んでるから違うほうがいいかなって」

 そう言って、今度は自分の分のお茶を淹れに行くのか踵を返した彼女に、母親が予想もしない言葉を投げ掛けた。

「樹里、今のうちにお風呂入っちゃいなさい」
「は!? 友達連れて来てるのに!?」
「今日お父さんの帰り早いから、先に入って」
「お風呂、私別にお父さんの後でいいけど」
「いいから」

 彼女はわけがわからないとでも言いたげに困惑の表情を浮かべつつも、渋々母親に従う事にしたようだ。己と主へ顔を向ければ、申し訳なさそうに眉を下げた。

「ごめん、お母さん一度言い出すと聞かなくて……」
「樹里さんは一度過労で倒れられていますし、お母様も心配なのでしょう。睡眠時間を確保する為にも、早く入浴を済まされた方が良いとわたくしも思います」
「ええ……そう……?」

 彼女の困惑は尤もであり、己もなんとも不自然かつ急だとは思ったが、恐らく彼女の母親は、彼女の耳に入らないところで己たちと話をしたいのだろうと推察出来た。

 彼女が両親に対して、夢を諦め転校せざるを得なかったことを申し訳ないと感じているのはこれまでの言動から分かる。それゆえに、両親を心配させまいとあまり学校生活の話をしていないのではないだろうか。
 だとすれば、母親が己たちから彼女の学校生活の様子を聞き出そうとするのは、ごく自然な流れである。別に拒否する理由もないだろう。

「樹里、早く入ってすぐ上がればいいじゃん。ボクたちものんびり待ってるからさ」
「うう……二人だって忙しいのにごめんね」
「本当に忙しかったらこうして寄り道してないから大丈夫だよ」

 主の的確なアシストによって、彼女は何度も謝りながらリビングを後にした。ひとまず主と目配せをしつつ、彼女の淹れてくれた珈琲に口を付けた。店頭で出るような味と遜色ない。主も口を付けた瞬間目を見開いていて、それがただのホットミルクではない事が見て取れた。

「ハチミツが入ってる! さすが樹里、ボクの好みを熟知してるな」
「成程。わたくしの珈琲もただのインスタントではないようです。喫茶店と遜色ない質のものをすぐに出せるとは、流石ですね」
「二人とも、樹里のこと褒め過ぎよ〜。そんなに気を遣わなくても大丈夫だからね」

 彼女の母親が、口ではそう言いつつも満面の笑みを浮かべていて、娘を褒められて嬉しいのが見て取れる。
 そして、テーブルを挟んで己たちの向かい側に座れば、顔色ひとつ変えずに口を開いた。

「あの子、学校では上手くやれてる?」

 やはり予想通りだ。本人のいる前で聞いては、『本当のこと』を聞き出すのは難しいと考えたのだろう。ただ、転入当初ならともかく今は特に問題なく、彼女の家族が杞憂する心配はないのだが。

「ええ。春は色々と苦慮されていたご様子でしたが、今ではすっかり皆様と打ち解けて、同じプロデュース科の方とも助け合って、頑張っていらっしゃいますよ」
「本当にそうならいいけど……転入したばかりの頃はよく愚痴ってたけど、それが徐々になくなっていって。本来なら上手くいってるんだって思うべきところなんだけど、夏休み前に倒れたからやっぱり心配でね」

 母親が心配するのは尤もである。そもそも彼女が倒れる羽目になったのは、完全に学院側の責任である。それは教師だけでなく、アイドル科、ひいては彼女と距離を置いていた己にも責任がある。

「申し訳ありません。樹里さんが倒れられたのはわたくしたちにも責任があります」
「ううん、あなたたちは何も悪くない。子供に責任を押し付けるのは違うわ。悪いのは監督不行き届きの大人であって、一番悪いのは娘の異変に気付けなかった実の親」

 彼女の母親は自嘲気味にそう言えば、今度は真剣な面持ちになって己たちに目を向けた。

「それで、あなたたちはどこまで知ってるのかしら。あの子のこと」

 どこまで知っているのか、という言葉の意味は、考えずとも理解出来た。
 彼女の経歴の事を言いたいのだろう。

「あ、別にあなたたちを疑っているわけじゃないのよ。ただ、樹里も前の学校では色々あって、こうやって友達を家に連れて来るなんて、ここに越して来てから初めてのことだから。余程あなたたちに気を許してるんだなって思って」

 無理に聞き出すわけではなく、答えるか答えないかは己たちに委ねるという口ぶりだ。
 遠矢樹里という生徒について、生徒会が彼女を保護、悪い言い方をすれば拘束しているようなものなのだが、この件は彼女の家族に隠すようなことではない。
 だが、己は正式な生徒会の役員ではない以上、正式な役員に伺いを立てる必要がある。

「坊ちゃま、如何なさいますか」
「えっ、ボク!? 樹里絡みのことは、副会長も殆どおまえに任せてるじゃん」
「ですが、生徒会の守秘義務に関わりますし、わたくしの独断では何とも……」
「全く、樹里のお母さんに話すのは問題ないだろ。ていうか、逆に知っておいて貰ったほうが安心して貰えると思うけど」

 主はやれやれと溜息を吐けば、真剣な面持ちで彼女の母親へ向き直った。

「樹里……遠矢センパイの前の学校がアイドル養成所で、それも特待生だった事は、先生たちと生徒会のごく一部だけ知ってます。そして、遠矢センパイのお父さんが大手の広告代理店に勤めている偉い人だっていう事も」

 さすがに今の段階で父親の話を出す必要はなかったと思うのだが、主の言葉に彼女の母親はすぐに納得したようだった。

「『どこまで知ってる』じゃなくて、全部知ってるのね」
「全部かどうかは分からないけど……でも、遠矢センパイのお父さんは芸能界において影響力があるから、ろくでもない連中に利用されないよう、生徒会が遠矢センパイを守っています」

 守っていると言えば聞こえは良いが、反生徒会側から見れば彼女を雁字搦めにして自由に動けなくしているように見えるだろう。彼女の経歴や取り巻く環境を知らない者が殆どであるから良いものの、こういった機密事項が一般生徒に漏洩しようものなら、彼女を利用しているのはお前らだと石を投げられそうである。

「なんだか随分物騒な話になってるのね。うちの主人、そんな凄い人物じゃないんだけど……」
「遠矢センパイが普通科を志望したのにプロデュース科になったのは、お父さんの影響力を考えて学院側が『そうした』んじゃないんですか?」
「そこまでの権力者じゃないわよ。まあ、樹里が前の学校で色々あって塞ぎ込んでいる時に、ちょうど主人がこっちに転勤する事が決まって……多少の口利きはあったでしょうけど、正直そこまで主人とあの子に利用価値があるとは思えないわ。なにせ夢ノ咲学院は、実質天祥院財閥が運営しているようなものだしね」

 正確には天祥院家が運営しているわけではないが、天祥院財閥が多額の出資を行い、子息である天祥院英智が生徒会長を務め、学院を代表するユニット『fine』のリーダーとしても外部に顔が知れている時点で、傍からはそう見えるのだろう。

「ま、樹里が楽しく笑顔で過ごしてるなら良かったわ」
「はい! それに遠矢センパイは英智さま……えっと生徒会長とも楽しくやっているので、安心してください」
「天祥院財閥のご子息とも!? あんな要領の悪い子だったのに……一体どこでそんな処世術を身に付けたのかしら」

 心底驚いている様子に、彼女が前の学校でどんな思いをして来たのか察するものがあった。
 彼女が夢ノ咲学院に転入すると決まった後、インターネット上に散乱する彼女に関する良からぬ書き込みは全て削除されたと聞いているが、書き込みの内容は「ファンに手を出した」だの「裏金で特待生になった」だの根も葉もないものであった。
 これらが事実無根であることは、半年以上彼女を見ていて充分理解している。彼女の母親が口にした通り要領が悪い、というより不器用な彼女には、卑怯な手を使って他人を蹴落とすなど不可能であろう。逆に卑怯な手で引き摺り下ろされたという解釈でほぼ合っているに違いない。

 尤も、この世界では余程の実力がない限り、綺麗事だけでは生き残れない。彼女がアイドルの道を諦めたのは、結果的に正しい選択肢だったのかも知れない。

 そんな事を考えていると、玄関口で音がした。父親が早く帰って来る、という話は事実だったのだろう。主人の帰りを出迎えに彼女の母親が席を外した隙に、己の主が耳元で囁いてきた。

「弓弦、ごめん。ボク、かなり余計な事喋っちゃった」
「大丈夫ですよ、坊ちゃま。特に不利益は生じないでしょう」
「だといいけど。でも、良いお母様だね」
「ええ」

 話も程々に、すぐに彼女の父親がリビングに現れた。疲れ果てた様子はない、というより見せないように日頃から振る舞っているのだろう。凛とした佇まいで、己たちを目にした瞬間、目を見開いて驚いてみせた。

「君たち、『fine』の姫宮桃李君と伏見弓弦君じゃないか!」
「えっ!? ボクたちの事、知ってるんですか?」
「勿論。いつも樹里と仲良くしてくれて有り難う」

 実に愛想の良い笑顔で、当たり前のようにそんな事を言うものだから、主だけでなく己も驚きを隠せなかった。姫宮家の次期当主である主が顔と名前を知られているのはまだ分かるが、己の存在まで認識しているとは思いもしなかった。

 呆気に取られているうちに、今度は風呂上がりの彼女が濡れた髪をタオルで乾かしつつ、パジャマ姿でリビングに現れた。

「お父さん、お帰りなさい。今日珍しく早かったんだね」
「なんだ樹里、友達が来てるのに風呂に入ってたのか?」
「お母さんが入れってうるさいんだもん」

 当然だが彼女の父親は怪訝な顔で母親へと目を向ける。

「樹里がいたら学校での様子とか詳しく聞けないでしょ?」
「ちょっとお母さん、二人とどんな話したの?」
「ヒミツ〜」
「ちょっ……弓弦、桃李くん、変な話してないよね!?」

 今、彼女の頬が赤いのは、風呂上がりで火照っているせいだけではないだろう。思わず主と目を見合わせて笑みを零してしまった。

「何の話したの!? ねえ!」
「お母様が樹里さんの学院生活をとても心配されておりましたので、とても楽しく過ごされてますよ、と事実を述べただけです」
「本当に? 本当の本当に?」
「樹里、落ち着いて。変な話が何の話かは知らないけど、樹里の名誉が傷付けられる話はしてないから」

 主は彼女の傍まで歩を進めれば、彼女の濡れた髪をタオル越しに撫でた。さすがに主にそこまでされては、彼女も黙るしかないようだ。

「これじゃどっちが年上か分からんな」
「やっぱり御曹司の子は違うわね〜。お友達も大人びてるし、しっかりした子同士で仲良くなるものなのね。樹里も少しは見習いなさい?」

 彼女のご両親の言葉に対して、主がうっかり「弓弦は友達じゃなくて奴隷だ」などと言い出そうものなら強引に口を塞いでやろうと思ったが、大人しくしていたので杞憂であった。姫宮家の次期当主たるもの、外面の良さ――ではなく、外部に向けての態度に関しては苦言を呈する必要はない。

「では、坊ちゃま。そろそろお暇しましょうか」
「うん、お父様も帰って来たし、家族の団欒を邪魔したら駄目だもんね」
「えっ!? 私まだ何も話してないのに!?」

 互いに珈琲とホットミルクを飲み干せば、主と共に立ち上がると、彼女は眉を下げて困惑を露わにした。会話に参加出来なかった彼女の気持ちを考えると申し訳ないが、己も主も彼女の母親と話が出来、充実した時間であった。元々長居する予定はなく、これ以上居座るのはさすがに迷惑だ。

「また明日も学院で会えるではないですか」
「いや、そうなんだけど……なんか腑に落ちないっていうか……」
「樹里さんの淹れてくださった珈琲が飲めただけでも、わたくしは満足しておりますよ」
「ボクも! ハチミツ入り、とっても美味しかったよ」

 言葉通り、己たちはそれなりに満足しているが、彼女にしてみたら勇気を出して家に呼んだのに、自室に招き入れることも出来なければ蚊帳の外に追いやられ、それはもう不満であろう。

「樹里さん。残念がって頂けるのは光栄ですが、ご家族との団欒も大事ですよ」

 そう言うと、彼女は渋々といった様子で無言で頷いた。どうやら納得してくれたようだ。
 風呂上がりという事もあり外まで見送る事も出来ず、玄関口で別れを告げて、主と共に遠矢家を後にした。





「樹里のお父様とお母様、素敵な人だったね。一見庶民だけど、やっぱりお父様は雰囲気が違うね」
「そうですね。あれだけしっかりしたご両親ですと、樹里さんが家族に迷惑を掛けたくないと思い詰めるのも分かる気がします」
「迷惑?」
「樹里さんはマイナス思考かつ自罰的な傾向にありますから、転校した事で両親に迷惑を掛けたとお考えのように思えます」

 帰りの車内での会話は当然彼女のことになる。主はそこまで彼女の深層心理を探っていなかったようで(する必要がないので当然なのだが)ひどく驚いた表情を浮かべた。

「え? だって、たまたまお父様の転勤が決まったから夢ノ咲に来たんでしょ?」
「樹里さんのお母様もそう仰られていましたが、実際のところは分かりませんからね。樹里さんの事を想って異動を志願したのかも知れません」
「……でもそうだとしても、樹里の将来のためでしょ? あのご両親が樹里を責めるなんて思えないけどなあ」
「責められないからこそ、かえってお辛いのではないですか。優しいご両親にこれ以上迷惑を掛けたくない、と」

 夜の闇を照らす、煌々と光る街並みを窓越しに眺めながら、主はぽつりと呟いた。

「……樹里は、好きでアイドルになるのを諦めたわけじゃないんだよね。本当はアイドルになりたかったのに、周囲の悪意に負けてしまっただけ」
「…………」
「樹里は、成り行きでプロデュース科に入って、ご両親に迷惑を掛けたくないから、その道に進むしかないって考えてるのかな」
「それはさすがにわたくしも分かりませんね」

 答えのない問いを続けても意味がない。主はそれ以上彼女のことを追究するのは止めて、黙り込んだ。
 彼女の人生は彼女自身が決め、進むことであり、己が干渉する謂れはない。いくら互いに異性として好いているからといって、踏み込んではいけない領域もある。アドバイスはすれども、相手が答えを求めてもいないのに意見を押し付けるのは支配しているのと同じだ。彼女の一人の女性として愛し、共に歩んでいこうと考えるのであれば、絶対にしてはならない事だ。
 困っている時に手を差し伸べるのと、彼女の人生に口を出すのは別である。

 七夕祭の前に彼女と距離を置いてしまった事と、今彼女の経歴に敢えて干渉しない事は同じ過ちではない。そう思って彼女と一定の距離を保っていたが、それが誤りであったと、迫るオータムライブで秀越学園が――『あの男』が介入するまで、己は全く気付かなかったのだった。

2019/10/27


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