願わくは来世の夢で


 ユニスは男の問いに答えられずにいた。目の前にいるのは、きっとクライヴが追っていた『真実を知る者』だ。ユニスはそれ以上の事は知らなかったが、これまでのクライヴの言動から、その男が己たちの味方だとは思えなかった。
 ならば、何故己の目の前に現れたのか。
 クライヴではなく、己の前に。

「ここは、ただの人間が足を踏み入れて良い場所ではない」

 この男は、フェニックスゲートの事を知っている。ジョシュアが儀式を行っていたとされる、ドミナント以外は立ち入る事の出来ない聖域――ユニスは己が『ただの人間』である事は痛感していたし、だからこそドミナントとして強大な力を持つクライヴとジルと離れ、ひとり待つ事を選んだのだ。言われなくとも、遺跡の中に入るつもりはない。

「死にたくないのなら、この場を離れろ。今すぐに」

 今まで言葉が出なかったユニスであったが、その問いには即答する事が出来た。
 ジルは自分たちの帰りが遅ければ、先にイーストプールに戻って待っているよう言ってくれた。けれど、それは今ではない。
 ユニスは首を横に振れば、フードで顔を隠した男に向かって告げた。

「ここで人を待っているのです」
「……言ったはずだ。死にたくなければここを離れろと」

 それでも動かないユニスに、男はついに懐から剣を抜いた。
 一瞬の事であった。ユニスが武器を手に取るより先に、男は一気に間合いを詰め、彼女の首を刎ねようとした。剣先はユニスの首筋のすぐ傍で止められた。

「忠告はここまでだ。返答次第では、このまま首を刎ねる」

 一体どうしてこんな事になったのか。ユニスは一気に血の気が引き、身体中が冷たくなる感覚を覚えた。
 この男の言うとおり、この場を後にしたほうが良いのだろうか。イーストプールに行けば良いだけの話で、後で事情を知ればジルも納得するだろう。
 けれど、目の前の男はクライヴが追っている存在である。ここで易々と逃げては、クライヴに顔向けが出来ない。
 ユニスはまともに働かない頭で必死に考え、決意した。
 今この男に殺されるのなら、それは避けられぬ運命なのだ。

 ユニスは腰に差していた剣を抜き、そして、男に剣先を向けた。
 手が震えて、これではまともに戦えない事は一目瞭然である。男はいとも簡単にユニスを殺してしまうだろう。
 それでも、ユニスにも譲れない意志があった。

「ジル様は、私が守る……!」

 子どもの頃からよく口にしていた言葉が自然と零れる。
 今にも泣きそうな声で、震えながら剣を向けるユニスに、男はどういうわけか、暫しの間を置けば、何も言わずにゆっくりと剣を下ろした。
 明らかに殺意を失った男の様子に、ユニスは一瞬困惑しつつも、まだ油断出来ないと剣を握る手に力を込めた。

「……警告はした。くれぐれも遺跡の中には立ち入るな。君が無事でいられる場所じゃない」

 男はそう告げると、背を向けてこの場を後にしようとした。
 突然の事にユニスは驚いて言葉を失ったが、クライヴが戻ってくるまで時間稼ぎが出来ないかと思い立ち、咄嗟に叫んだ。

「待って! あなたは、誰……!?」

 だが、男は振り向く事もなく、あっという間にユニスの前から姿を消してしまった。
 追い掛けるべきか。だが、先程クライヴも見失ったのだ、ユニスが捕まえられるとは思えなかった。それに、仲間を待っているとあの男に告げたのに、彼を追い掛けては己の言葉に矛盾が生じる。
 きっと、見逃してくれたのだ。ここで追っては、本当に首を刎ねられるに違いない。
 我ながら情けない、とユニスは肩を落としたが、それと同時に張り詰めていた気持ちが一気に弛み、その場にへたり込んでしまった。

 一体どれだけの時間、ここで呆然としていたのだろうか。後ろから獣の呼吸音が聞こえて我に返ると、ユニスが振り向くより先にトルガルが目の前に回り込んできて、彼女の頬を舐めた。

「きゃっ……トルガル、お帰りなさい!」

 トルガルが戻って来たという事は、あのふたりも無事だという事だ。ユニスは今度こそ振り返ると、クライヴとジルが奥から出て来るところであった。

「ユニス、ここにいたのね」
「ジル様!」
「探すより先にトルガルが外に走って行ったから、お陰で探し回らずに済んで――」

 ユニスは立ち上がってジルの元に駆け寄れば、脇目も振らずに彼女を抱き締めた。否、抱き付いたと称する方が正しい。余程心細かったのか、あるいは怖い目に遭ったのか。外傷はないが、ジルから見ると今のユニスはいつもと違うように感じた。

「寂しい思いをさせてしまって、ごめんなさい。もう大丈夫よ」

 ジルはユニスの髪を撫でて、まるで子どもをあやすように囁くと、トルガルもクライヴの元に駆け付けて、出迎えるように吠えてみせた。
 だが、様子がおかしいのはクライヴも同様で、何処か心ここにあらずといった状態であった。



「俺は自分が火のドミナントだと……分かってからも……その事実から逃げ続けていた……。だけど、ここへ来て、漸く受け入れる事が出来たよ」

 フェニックスゲートに背を向けて歩く中、ジルに様子がおかしいと訊ねられたクライヴは、少しずつ言葉を紡ぎ始めた。

「フェニックスゲートを焼き尽くし、ジョシュアを殺した火の召喚獣……あれは、間違いなく俺だった」
「クライヴ……」
「いや、それだけじゃない……君や皆の人生を……狂わせた……」

 ユニスはトルガルと共に、ふたりの後ろを歩きながら様子を窺っていた。今、クライヴにローブ姿の男に会った事を告げたら、余計追い詰めてしまうかも知れない。結果的に何もされなかったのだし、あの男ももう何処かに行ってしまったのだから、無理に伝える必要はないのかも知れない。

「この罪は、償わなければならない」

 そう呟くクライヴの後姿を見ていたら、これ以上彼の心を乱してはいけないと感じ、ユニスは謎の男との接触については胸に秘める事にしたのだった。



 クライヴ一行は、イーストプールの村で暮らすベアラーたちを隠れ家で保護できないか、一度シドに相談するつもりでいた。
 だが、隠れ家に向かうより先に、中継地点であるこの村で、信じられない惨劇が起こっていた。
 村に近付くにつれてトルガルが唸り出し、嫌な予感を覚えたクライヴは一気に走り出した。ジルもその後を追い掛け、ユニスも遅れて付いていく。

 イーストプールに到着したものの、ユニスたちの視界に飛び込んで来たのは、燃え盛る火、血を流して地に倒れる多くの村人、そして、ザンブレク皇国の鎧を纏った兵士たちの姿であった。

「そんな……どうして……!」

 愕然とするジルの傍で、ユニスもあまりの悲惨な光景に言葉を失った。ローブ姿の男と対峙した時とは比べ物にならないほど、ユニスは呆然としていた。苦しい生活をしていた皆を助けようとしていたはずなのに、何故こんな事が起こっているのか。

「貴様ら……! 一体何をしている!?」

 真っ先にクライヴが怒声を発すると、村人を嬲っていたザンブレク兵がユニスたちの姿を捉える。

「生き残りだ、殺せ!」
「くそ、貴様ら何者だ!」
「村の者は殺せ! 皆殺しだ!」
「皆殺しってどういう事!?」

 クライヴとジルは迷わず剣を抜き、襲い掛かるザンブレク兵を薙ぎ倒していく。
 トルガルはユニスを守るように前に出て唸り声を上げている。恐れている場合ではないと、ユニスはトルガルの背を撫でれば、剣を抜いた。

「トルガル、行こう!」

 ユニスの声に呼応するようにトルガルも吠え、共にザンブレク兵へ向かって走った。クライヴとジルに気を取られている兵士の背を捉えたユニスは、急所である首を剣で抉る。血が噴き出て、致命傷を与える事が出来たものの、ユニスは初めて人を殺めてしまった事に一瞬だけ罪悪感を覚えた。
 だが、それも束の間、別の兵士がユニスを攻撃しようとして、今度はトルガルが反撃して相手の動きを止めた。

「ありがとう、トルガル!」

 罪悪感なんて感じてはいけない。だってこの兵士たちは、何の罪もない、戦う力も持たない村人たちを殺したのだ。13年前にロザリス城でそうしたように。
 それに、クライヴもジルも戦っているのだ。自分だけ人を殺めず綺麗なままでいようなんて、虫が良過ぎる。

「神皇后アナベラ陛下のご命令だ! ここのベアラー共を村人ごと焼き尽くせ!」
「アナベラ……!? まさか、これは母上が!?」

 クライヴの声は、ユニスの耳にも届いていた。一体何故アナベラが――それを考えるよりも、今は村人たちを救う事を考えなくては。
 覚悟を決めたユニスは、トルガルと協力して兵士を攻撃していき、ついにはすべてのザンブレク兵が倒れたのだった。



 ユニスはクライヴ、ジルと共に、生存者がいないか村中を探し回ったが、努力も虚しく最悪の結果となった。

「マードック夫人まで……」

 ユニスたちの世話を焼いてくれたハンナも、血に塗れて息を引き取っていた。
 今朝、己たちを見送ってくれたばかりだというのに。ユニスは耐え切れなくなり、嗚咽を漏らして涙を零した。ジルも苦悶の表情を浮かべ、ユニスを慰めるように肩を抱く。

「この人たちが一体、何でこんな目に……。母上、あなたは……!」

 怒りに震えるクライヴたちであったが、複数人の足音が聞こえ、ユニスは肩を震わせれば顔を上げて身構えた。
 だが、トルガルは先程とは打って変わって大人しい。つまり、敵ではないという事だ。

「くそ、遅かったか……!」
「ガブ!」

 駆け付けて来たのは、シドの隠れ家の一員であるガブと仲間たちであった。



「そうか、アナベラの差し金だったのか……」

 クライヴから経緯を聞いたガブもまた、悔しそうに拳を握り怒りを露わにした。

「属領総督府の奴ら……ベアラーを受け入れるどころか、村ごと潰すなんて……。もっと早く手を打っていれば、こんな事にならずに済んだってのに……ちくしょう!」

 クライヴもこの惨劇を目の当たりにし、実の母親であっても許せるわけがなかった。

「母上はベアラーを疎んでいた。奴隷の身にありながら、クリスタルを用いずに魔法が使える。それは本来、あってはならないものだと……」
「だからってひどい……どうしてみんなを……! 彼らが何をしたっていうの……!」
「こんな事をして、許されるはずがない。ジル、俺たちで……!」

 クライヴとジルは互いに見つめ合って頷いたが、これは己たちだけの問題ではない。
 アナベラが何を思ってこんな事を命じたのかはユニスは分からないし、分かろうとも思わないが、許せないと感じているのは己たちだけではない。ガブをはじめ、隠れ家の皆――シドも同じはずである。
 ユニスはガブの元へ歩を進めれば、頬に伝う涙を拭って言葉を紡ぐ。

「ガブさん……皆、今日の朝は生きていたんです。どれだけ酷い仕打ちを受けようと、皆助け合って生きていたのに……」
「……俺たちがもっと早く駆け付けていれば……ユニスにも辛い思いをさせちまったな」
「私はいいんです。それより、こんな事許されません……!」

 ユニスが憤りの声を上げると、クライヴもその思いに同調するように声を掛けた。

「ガブ、力になれないか」
「でも、ロザリアでやる事があったんじゃ……」
「この惨状を……見過ごせるか……!」

 それは、シドに協力するという意味に他ならない。
 クライヴの決意を目の当たりにしたガブは、快く頷いてみせた。

「だったら、さっさとシドのところへ行って話をつけな。元々、仲間に誘われてたろ?」
「分かった」
「なら早いほうがいい。シドの奴、何か企んでたからな」

 クライヴたちの為すべき事は決まった。シドと協力し、ひとりでも多くのベアラーを救うのだ。こんな惨劇を、二度と起こさないために。
 ユニスはシドの事を信頼していたし、『企み』は、きっとこの世界を変えるために大きな事を為そうとしているのだと理解した。尤も、具体的に何をするのかまでは見当も付かなかったのだが。

 だが、そんなクライヴ一行を離れた場所で窺っているひとりの男がいた。

「やっと見つけたぞ、シドの一味め……! 奴らの隠れ家を見つけさえすりゃ、クプカ様に取り立てて貰える」

 悲惨な出来事はこれだけに留まらず、残酷な現実が容赦なく押し寄せるなど、ユニスが気付けるわけもなかった。この時はまだ、誰も。




 時は少し巻き戻り、ユニスがフェニックスゲートでクライヴとジルの帰りを待っていた頃。
 ユニスと対峙し、彼女を殺さない事を選んだローブ姿の男は、遺跡を見下ろせる場所まで移動すれば、フードを脱いで素顔を外気に晒した。
 黄金色の髪も、蒼い双眸も、13年前と何も変わっていない。ただ、背も伸びて声変わりもすれば、顔を隠してしまえば正体に気付かれる事はない。

「……ユニス……まさか、生きていたなんて……」

 ジョシュア・ロズフィールド――13年前に命を落としたとされるフェニックスのドミナントは、微かな声でそう呟いた。
 ジルを守ると己に言い放った彼女は、13年前とは随分と変わっていた。かつての逞しさは消え失せた、弱々しい姿。それでも、あの意志の強い眼差しはあの時のままであった。

 フェニックスゲート襲撃事件の後、ロザリス城は鉄王国に攻め込まれ、民は殺されるか連行されるかのどちらかであったとジョシュアは聞いていた。運が良ければ、鉄王国で生き永らえている可能性はあると思っていたものの、まさかこんな場所で出くわすとは。
 ユニスは何故フェニックスゲートにいるのか。仲間を待っているという事は、きっとジルが遺跡に入ったのだろう。だが、一体何故――ジョシュアの思考は、そこで止まった。

 遺跡から出て来るふたりの影と、一匹の狼がジョシュアの視界に入る。ジル、トルガル、そして――最後に出て来た男は、ジョシュアの兄に違いなかった。

「何故、ここに……!?」

 ジョシュアには姿を現せない理由があった。彼には彼の為すべき事があり、この13年間、姿を隠し偽名を名乗りながら、従者と共に旅をしていたのだ。

「まずい、このままでは奴に……!」

 ジョシュアは後ろ髪を引かれる事もなく、急いでこの場を後にした。己の為すべき事をする為に。
 ユニスが生きている、それだけで充分だ。例え、もう二度と会えなくとも。

2024/04/13
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