この鈍色の世界で


「……すみません、帰って来ちゃいました」

 隠れ家に戻ったユニスは、シドの自室に向かうクライヴとジルとは別行動を取って、真っ先にグツとカローンの元に行って頭を下げた。元々シドの手伝いで外に出たと思っていたカローンはともかく、グツはユニスが旅に出たと知っていただけに、喜びと困惑を露わにしていた。

「ユニス、旅はもういいの?」
「クライヴ様とジル様の目的が変わって……というより、遅かれ早かれこうなると私は思っていましたが」
「という事は……」

 ユニスがクライヴ、ジルとともに隠れ家に戻ってきたという事は、今後は三人ともシドに協力する事を意味する。つまり、ユニスもこれまでと同様に隠れ家で暮らすというわけだ。グツより先にカローンが結論を口にした。

「シドと手を組むのかい。ユニスもこれでご主人様に嘘を吐かず、堂々と私の手伝いが出来るわけだね」
「カローン様、知ってらしたのですか!?」
「シドから聞いてるよ」

 どうやらここで隠し事は不可能のようだ。ユニスは苦笑したものの、ジルに悪い事をしたのは事実であり、それを隠す必要もない。とはいえ、隠れ家の皆に身勝手な奴だと思われてしまったかも知れないと、気まずそうに目を逸らすと、近くを通りかかったガブと目が合った。

「おっ、ユニス。ちょうどいいところに」
「ガブさん、どうかされましたか?」
「お前もシドの話を聞いておいたほうが良いだろ」

 ガブは愛想の良い笑みを浮かべて言うと、ユニスの手を取って歩き出した。手を振って微笑ましそうにふたりを見送るグツに、ユニスは引き止めてくれと内心思ってしまった。
 ジルに黙って隠れ家を出た事を叱責されたのもあり、今はまだシドと顔を合わせる心の準備が出来ていなかったからだ。
 とはいえ、カローンが事の顛末を知っているのなら、ガブの耳にも入っている。ゆえに、ガブは敢えてユニスを強引に連れて行く事にしたのだった。

 シドの部屋の前まで来ると、三人の話し声が自然とユニスの耳に入って来た。

「……ガブも言ってたな。何をするつもりなんだ?」
「ザンブレク皇国――その皇都オリフレムに潜入する」

 重要な作戦の話をしているようだ。ユニスは邪魔してはいけないと足を止め、ガブを見上げると、どういうわけか彼は口角を上げて面白がるような笑みを浮かべてみせた。その意図は、続く言葉によってすぐにユニスも理解する事となる。

「――マザークリスタルをぶっ壊す」

 聞き間違いではないか。
 マザークリスタルは、この世界になくてはならない神聖なものである。とりわけクリスタル正教を国教とする鉄王国に何年もいたユニスにとっては、マザークリスタルを破壊するなど有り得ない事であった。

「――黒の一帯は、死の大地だ。大地のエーテルが枯渇し、草木も生えない、魔法なんて使えようはずもない。それもすべて、マザークリスタルが周辺のエーテルを吸い尽くしたからなのさ」

 シドの言葉が頭に入って来ないほど呆然としているユニスに、ガブは得意気に笑みを浮かべれば、彼女の肩を叩いて室内に入るよう促した。

「誰もが使ってるこいつは、そう、エーテルを吸って魔法に変えるが――一体、どこで採れる?」

 頭が働かないまま、室内に足を踏み入れたユニスの目に飛び込んで来たのは、クライヴとジル、そしてクリスタルを手に取るシドの姿であった。シドの質問に、同じく部屋を訪れたガブが答える。

「各国のマザークリスタルを削り出してんだろ」

 クライヴとジルの視線がガブ、そしてユニスへと向かう。ユニスは慌てて頭を下げた。ふたりに対して、というよりシドに対してである。尤も、シドも別にユニスを追い返す気など端からなく、おかえりとでも言いたげに笑みを浮かべて軽く片手を上げれば、言葉を続けた。

「つまり、マザークリスタル自体も本質は変わらないってことだ」

 マザークリスタルが神聖なものだという大前提が誤りであり、誰もが当たり前のように使っているクリスタルと同じ原理だと考えれば、辻褄は合う。ユニスはシドを信頼しているからこそ、完全に鵜呑みにはせずとも納得は出来たが、隠れ家以外の人たちに話しても絶対に信じないであろう事も分かっていた。それほどまでに、世界の常識が覆されるような主張なのだ。

 とはいえ、シドでもマザークリスタルが大地からエーテルを吸う事で、黒の一帯に変えている事までは分かっても、吸い上げたエーテルが何処に流れているかまでは分からないらしい。
 そもそもユニスは、大地が黒の一帯と化す仕組みなど考えた事もなかった。世界情勢だけでなく、この世の理についても自発的に学ばなければならない。そう決意を新たにするユニスと同様に、クライヴも認識を改めようとシドに問う。

「マザークリスタルは神聖な存在……俺たちは、そう教えられてきた。だからこそ、人は、エーテルの享受をクリスタルの加護として崇め――その加護をめぐり、争い続けて来たのだと」
「真実を知られると、都合が悪かったんだろうな」
「都合が悪いって……誰が?」

 クライヴの問いに、シドはクリスタルを机上に置けば、冗談めかして答えた。

「さてね、神様かな」

 決してシドはふざけているのではなく、マザークリスタルが吸い上げたエーテルの行く先と同様、今隠れ家が持ち得ている知識では不明だという事だ。
 クライヴは問い詰める事はしなかったが、シドの目的がずれている事を指摘する。

「マザークリスタルのことは分かった。だが、ベアラーは? 彼らやドミナントを救うんじゃなかったのか」
「勿論続ける。これまで通り対処していくさ。しかし、マザークリスタルを放っておけば、この世界は黒の一帯に沈む」

 ユニスは分からない事ばかりだが、それでも、シドの言っている事は正しいと思えた。きっとシドは、多くの人が苦しむ姿を見てきていて、救えなかった人も多くいたからこそ、ここまで使命感を持って、本気で世界を変えようとしているのだ。

「みんな死んじまう……それじゃ遅いんだ。生き残らなけりゃ話にもならん。クライヴ、お前の言う『人が人として生きられる場所』……そいつをつくるためにもな」

 シドがどんな人生を送って来たのか、ユニスは知らない。けれど、この隠れ家にこんなにも多くの人が集い、誰もがシドを慕っているのを見て、彼は信頼出来る人だと断言出来た。
 シドは本気だ。本当に、ベアラーをはじめとするこの世界すべてを救おうとしている。

「だから、すべてのマザークリスタルを破壊する。俺たちの手で」

 シドはそう言うと、机上に敷かれている地図にナイフを突き立てた。

「どうだ、乗るか?」
「……もう一度くらいは、あんたを信じてみよう」

 クライヴはそう告げると、机上に置かれたもう一本のナイフを取り、同じように突き立てた。
 その様子を見て、ユニスの顔には自然と笑みが零れていた。半信半疑であったジルも、ユニスを見て微かに笑みを浮かべる。

「誓いの証ってとこだな。頼りにしてるぜ、ふたりとも!」

 ガブはクライヴとジルに向かって明るく告げた。これで漸くふたりも正式にシドの協力者となり、ユニスもこれまで通り、隠れ家で暮らす事になった。
 とはいえ、シドに御伺いを立てなければと、ユニスが恐る恐る顔を向けると、ジルが隣に立ってシドにきっぱりと告げた。

「ユニスをよろしくお願いします」
「えっ!?」

 まさかジルからシドに願い出るとは思いもせず、ユニスは素っ頓狂な声を上げたが、シドはどうやら想定内のようで快く頷いた。

「ご主人様がそう言うんじゃ、断れないな」
「主人じゃないわ。ユニスは仲間で……私にとって、かけがえのない友達」

 そう言い直すジルに、ユニスは何故か胸の奥が熱くなって、徐々に双眸に涙が滲み始めた。すると慰めるようにトルガルが寄って来て、ユニスの足に纏わりついた。

「成程な。対等な関係なら、ユニスは『ジル様』に御伺いを立てる必要もない、決定権は自分自身にあるという事だ」

 シドはそう告げたが、ユニスにしてみれば、別にジルに従って生きて来たわけではなかった。
 故郷を出てジルと一緒にロザリア公国で生きたいと思ったのも、ニサ峡谷でジルを守って死のうと思ったのも、シドに助けられて彼に付いて行こうと思ったのも、すべて自分の意志であった。
 そもそも、主従関係など初めからあってないようなものであった。ワーリック家の使用人の娘であったユニスにとって、ジルに仕えるのは当たり前の事であったが、ジルは一度もユニスを使用人として接した事はなかった。いつだって対等な友人で、妹のような存在として、家族同然に過ごして来たのだ。
 ユニスも、それは感じ取っていた。そんなジルだからこそ、守りたいと思ったし、共に鉄王国に連れ去られても、後悔した事など一度もなかったのだ。

「シドさん、私は私の意志で、ここに居たいです」

 別に言葉にせずとも、シドはユニスを受け入れただろう。それでも、ジルと思いは同じだと改めて主張するように、涙交じりの声でそう告げた。
 そんなユニスに、シドも悪い気はしなかった。ベアラーの粛清を目の当たりにしたという理由で旅を切り上げたのは、決して良かった事とは言えないが、こんな世界を変えるためには、ドミナントであるクライヴとジルの力が必要である。一足早く隠れ家に馴染んだユニスもサポートしてくれるのなら、こんなに心強い事はない。

「勿論だ、歓迎しよう。どいつもこいつも、ユニスはいつ帰って来るのかとうるさくてな」
「シド。ユニスをこき使うような事はないだろうな」
「隠れ家での生活は自給自足が原則だ。そうだな? ユニス」

 苦言を呈するクライヴを躱しながら、シドはユニスに笑みを浮かべながら訊ねた。
 ここでの暮らしは充実している。なにも取り繕う必要はないと、ユニスは笑顔で頷いてみせた。

「はい! たくさん働いて、皆と一緒に作ったご飯を食べて、ぐっすり寝て……こんなに充実した生活はありません」

 クライヴは良いように使われているのではないかと若干心配であったが、対するユニスは本当に隠れ家での暮らしを幸せだと感じていたし、こんな日々がずっと続けばいいと心から思っていた。
 シドがいる限り、隠れ家は安泰だ。そう信じ切っていた。きっとユニスだけでなく、ここで暮らす誰もが。



 皇都オリフレムに突入するまでの間、ユニスはジルと共に隠れ家の皆から情報を集めていた。
 カローンやオットーの話によると、オリフレムはここ最近新たな戦を始める準備をしている気配があるのだという。
 過剰なほど物流の行き来があり、また、領土争いでウォールード王国に敗北したばかりだというのに、早くも再軍備が始まっており、何処かと戦争を起こすのではないかと専らの噂であった。

「相手は鉄王国とダルメキア共和国のどちらかでしょうか。ウォールード王国に再度侵攻するとは思えませんし」
「さあな、戦好きの神様を崇める国の考える事は分からん」

 そう言って肩を竦めるオットーに、ユニスも溜息を吐いた。シドの言う通りマザークリスタルが諸悪の根源なら、早々に破壊してしまえば、戦で民が命を落とす事もなくなるだろう。
 オットーが言うには、この混乱に紛れてシドたちが皇都に侵入するのは、またとない機会なのだという。

「不安ですが……やるしかないですね」

 ユニスは自らもシドと共にオリフレムに行くつもりでいたのだが、ジルはそうは思っておらず、何も言わずにただ彼女を優しく見守っていた。
 今のユニスが自らの意志でしたい事は、この隠れ家で暮らしながら、ベアラーを助ける事である。マザークリスタルの破壊は一筋縄ではいかない。これ以上ユニスを危険な目に遭わせたくはないと、ジルは内心葛藤していたのだった。



 そして、ついにクライヴも出発の準備が整ったある日。出発の気配を感じ取ったガブが、いつもと変わらぬ飄々とした様子でクライヴに声を掛ける。

「早速出発か、気の早いことで」
「また振り回される」
「『振り回されたい』の間違いじゃねえの?」
「お前ほどじゃないさ、ガブ」

 すっかり打ち解けているクライヴとガブを微笑ましく見遣りながら、ユニスもジルの隣に佇み、一緒に行くつもりでいたのも束の間。
 シドもこの場にやって来て、皆に声を掛けた。

「潜入するにはいい頃合いだ。行くとしよう」
「構成は?」
「ドミナントだけで行く」

 クライヴの問いにきっぱりと答えるシドに、ユニスの顔は一気に暗くなり、力なく肩を落とした。こうなる事は一応覚悟してはいたが、いざ戦力外と言われると落ち込むものである。
 正反対に、ジルは内心ほっとしつつも、念を押してシドに確認する。

「それじゃ、三人だけで?」
「戦をしに行くわけじゃないんだぜ。マザークリスタルは国の要だけに警備も厳しいからな。少人数で潜るに越した事はない。それに最悪の場合、俺たちなら召喚獣になりゃいい」

 決してユニスが弱いのではなく、ドミナントだけで行動すれば、最悪の事態は避けられる。シドの作戦はユニスを傷付ける事なく、皆を納得させるものだった。
 クライヴはまだイフリートの力を使いこなせておらず、本人は若干の不安を露わにしていたが、フェニックスの祝福とガルーダの力があるから大丈夫だと励まされ、予定通り三人で、そしてトルガルもクライヴと共に出発する事になった。ユニスはクライヴがガルーダのドミナントを倒して力を吸収した事を初めて知り、ジルにもそんな力があるのだろうかと思い、後でハルポクラテスに相談しようと決めたのだった。



「トルガル、皆をよろしくね」
「はは、ユニスの中ではドミナントよりトルガルの方が強いらしい」

 トルガルの背中を撫でながらそう呟くユニスに、シドは苦笑してみせた。尤も、トルガルに強大な力が備わっている事を一行が知るのは、まだ先の話である。

「ジル様。危険な任務ですが、無事帰って来てくださいね」
「ええ、早くユニスに会えるよう頑張るわ」

 ジルはそう言うと、ユニスの身体を抱き締めた。
 今生の別れではないが、暫く隠れ家を留守にする事になる。これまでユニスは常にジルの傍にいたし、ふたりの旅に付き添わない事を決めた時も、結局すぐに合流する事となったため、長期間離れて過ごすのは初めての事である。
 さすがに寂しくなるとユニスは思ったものの、ここで我儘を言ってはいけない。送り出す側が落ち込んでどうすると心の中で言い聞かせ、笑顔を作った。

「クライヴ様。私が言う事でもないですが……どうかジル様をお守りください」
「ああ、心得た」

 クライヴははっきりと答えると、ユニスの頭を軽く撫でた。もうユニスも立派な大人だというのに、12年前の頃の癖が出てしまい慌てて離したが、ユニスは気にする事なく頷いた。今のユニスは、最早自分のプライドよりも、皆の無事を願う事のほうが重要だった。

「シドさん」

 ユニスはシドを見上げれば、この数日間で抱いたシドへの率直な思いを、迷いなく告げた。

「私、シドさんの思い描く未来をこの目で見てみたいです。ですから……絶対に、無事戻って来てくださいね」

 どうやら自分はドミナントだけでなく、頼り甲斐のある同志を拾ったようだ。シドは口角を上げれば、ユニスの頭をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。

「きゃっ」
「娘と似た背丈なもんでな、つい」
「シドさん、娘さんがいらっしゃるんですね」
「ああ、そのうち会えるだろうさ。その際は仲良くしてやってくれ」

 シドはそう言って手を離せば、隠れ家の皆に背を向けて歩を進めた。クライヴ、ジル、そしてトルガルもその後を付いていく。

「じゃあユニス、行って来るわね」
「はい! 皆様、お気を付けて!」

 ユニスはガブと共に手を振って一行を見送ったが、これがシドとの最期の別れとなった。
 そして、この隠れ家での平和な日々も、間もなく終わりを迎えようとしていた。

2024/04/27
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