Sleeping Sun


「ここは……それに、何故お前が……!」

 己の目の前に飛び込んで来たのは、死んだはずの母アテナの姿だった。更に己の傍には、父ラハブレアと、そして『あの時』から二度と会えなかった、アゼムの使い魔が佇んでいた。
 一体何が起こっているのか。説明されなければ状況を把握出来ないのは当たり前の事であった。
 何故ならば、己はプラクシテアと共にパンデモニウムを守っていた筈だからだ。



 母はアゼムの使い魔に『研究』に協力して欲しいと告げ、姿を消した。何故母が死から蘇ったのかは分からないものの、自身が神へ至る事を諦めていないのは明白であった。

「……なるほどな。お前が、記憶のクリスタルについて語っていたのは、確かに覚えがあるよ。それが、まさか俺たちの遺した物だったとは……」

 アイティオン星晶鏡と呼ばれる場所に移動し、アゼムの使い魔――否、一万二千年後の世界を生き、この世界で『光の戦士』と呼ばれているその人から経緯を聞いて、感嘆せざるを得なかった。

「……加えて、お前が『未来』から来ていたなんてな。獄卒に戻ってから、お前を探した事もあったんだが、道理で見つけられなかったわけだ」

 途方もない話だが、信じられない事ではない。
 遠くで己たちの様子を窺っている『人』らしき者たちは、エーテルがやたらと薄いものの、光の戦士も同様である事から、未来を生きる『人』に違いなかった。

「今ここにいる俺たちは、『終末』と呼ばれる災厄が到来し、全てが変わってしまった時の記憶になる……。でも……! こうして未来があるという事は、俺たちは……終末の絶望を乗り越える事が出来たんだな?」

 光の戦士と呼ばれるその人が、己の問いに答える事はなかったが、今は母アテナを倒す事だけを考えろという父ラハブレアの意見に従い、各々は動き出す事となった。
 とはいえ、今の己の身体はあくまで記憶を元に再現されただけであり、肉体的な力も持たず、そして魔法を行使する事も出来ないほど無力であった。己たちの記憶、そしてこの世界を生きる未来の人々の知識をもとに、あの人を支援する事しか出来なかった。

 多くの知を有するラハブレアはともかく、一体己に何が出来るのだろうか。
 己の無力さを痛感すると同時に、いつも己の傍にいてくれた人の存在を思い出した。

 今ここにプラクシテアがいたら、いつものように不甲斐ない己を励ましてくれただろう。いつだってあなたの存在を肯定してみせる、と。
 ――寧ろ、プラクシテアは何故ここに居ないのか。冥界に放ったクリスタルが離れ離れになり、単に見つかっていないと考えるのが妥当だが、己とラハブレアのクリスタルが共に在ったのなら、プラクシテアのものだけが見付からないのも不可解である。

 アテナを倒す事とは無関係だと思いつつも、冥界――未来の世界では『星海』と呼ばれるこの場所を研究しているひとりへと、声を掛ける事にした。

「すまない。聞きたい事があるんだが」
「はい。私に分かる事であれば、何なりと」

 ネムジジという名の小柄な研究者は、嫌な顔ひとつせず応じてくれた。彼らにとって己たちという一万二千年前に生きていた人間は、畏怖の対象なのだという。尤も、ラハブレアとアテナなら話も分かるが、己は恐れられるような存在ではないのだが。現にこれから訊ねる事も、個人的な内容だ。

「俺たちの他にもうひとつ、クリスタルはなかったか?」
「…………」
「……いや、プラクシテアが居ないのは、見つからなかったからに他ならないか……今の質問は忘れて――」

 さすがに愚問だったとなかった事にしようとしたのだが、ネムジジは大きく目を見開いて、そして己の言葉を遮って声を上げた。

「ありました!」
「……本当か!? それは今どこに……」

 在処を訊ねると、ネムジジは途端に顔を曇らせてしまった。だが、彼女の声に反応して、ラハブレアともうひとりの研究者、ルイスノも駆け付けて来た。

「エリクトニオス。何の話を……」
「ああ、いや、個人的な話だ。その……」

 己がラハブレアに打ち明けるよりも先に、ネムジジがルイスノに話す声が耳に入る。

「クローディエン先生が、クリスタルをもうひとつ見つけたと仰っていました。ですが、更なる探索をと出立してしまい……止められなかった事を、今でも悔やんでいます」

 クローディエンなる者は、ここアイティオン星晶鏡にて星海研究を行っている第一人者なのだという。その彼が行方不明になったと同時に、この一万二千年後の世界にパンデモニウムが星海に突如として出現した、というのが事の顛末である。

「……クローディエンが持っているクリスタルは、プラクシテアのものかも知れない」

 ぽつりとそう呟くと、ネムジジとルイスノ、そしてラハブレアもはっとしたように目を見開いて己を見遣った。

「そ、その……プラクシテア、という方は……」

 恐る恐る訊ねるルイスノに、どう答えようかと悩んだが、今更恥じらうような状況でもないだろう。隠す事でもないし、なにせ今の己は記憶の再現でしかないのだ。皆に知られたとしても、己たちの関係が変わる事はない。一万二千年後の未来の人たちに、古の時代を生きたふたりの存在が知られる、ただそれだけの話だ。

「プラクシテアは……俺の恋人だ」

 ネムジジとルイスノは成程、と頷いたものの、ラハブレアだけは神妙な面持ちを浮かべていた。今更小言を言う状況でもないだけに、恐らくは彼女と己の関係とは別の理由で気掛かりな事があるのだろう。

「……エリクトニオス。彼女はアテナの事をどれだけ知っている?」

 ラハブレアの問いに、己は今まで何故気付かなかったのかと愕然としてしまった。
 プラクシテアには、アテナの事は何も話していない。巻き込んではいけないと思ったからだ。ラハブレアもテミスも、彼女には多くの事は伝えず、己に判断を委ねていた。
 彼女には余計な気苦労を掛けず、ただ笑顔でいて欲しかった。
 そんな己の身勝手な理由で、真実を告げないまま、彼女は最期の瞬間まで己と一緒にいたのだ。

「……何も知らない。プラクシテアにとっては、アテナはパンデモニウムの初代長官で、尊敬すべき存在である筈だ」
「ならば、もしアテナの手中に彼女のクリスタルがあるとすれば……」
「……アテナに唆され、俺たちの敵として立ちはだかるかも知れない」

 最悪の展開が脳裏を過り、ついそんな発言をしてしまったが、どちらにせよプラクシテアも記憶の再現としてしかこの世界に干渉出来ない筈だ。言い方は悪いが、アテナの役に立つとは思えない。
 だが、こんな考えを巡らせている己に喝を入れるかの如く、思い掛けない言葉が投げ掛けられた。

「大丈夫ですよ、恋人なのでしょう?」
「そうですよ……! 恋人と恋人の母親、どちらを取るかと言われたら……恋人に決まっているじゃないですか!」

 ネムジジとルイスノは、恐らくは己を励まして言ったのだろう。
 けれど、正直プラクシテアがアテナより己を信じてくれるのか、自信はなかった。なにせ、己はアテナに造られた存在だ。出来損ないの己と、完璧な母。かつてのラハブレアのように、プラクシテアもアテナに支配されてしまうのではないか。そんな気がしてならなかった。

「案ずるな、息子よ。そのクリスタルが彼女のものだと決まったわけでもない……今は、アテナを倒す事だけを考えるのだ」

 意外にも、ラハブレアからもそんな言葉を掛けられて、確かに落ち込んでばかりもいられないと気を取り直した。
 冷静に考えてみれば、例えそのクリスタルがプラクシテアだったとしても、アテナは彼女の存在を知らない筈だ。仮に知っていたとしても、彼女と己が恋仲になったのは、アテナが亡くなった後である。やはり、プラクシテアが己たちの前に敵として現れる事は考えられない。

 それでも、プラクシテアのクリスタルがもしこの未来の星海を漂っているのだとしたら。
 見つけ出して、未来の人たちに託したい。きっと彼女も、クリスタルに込めた願いを未来の人たちに伝えたい筈だ。
 その為にも、ラハブレアの言う通り、まずはアテナを倒すしかない。
 この時はそう思っていた。クリスタルの行方がどうであれ、アテナにとってプラクシテアに利用価値はない筈だ。最初に抱いた嫌な予感を、己は自ら切り捨てたのだった。



 光の戦士の探索、そして戦いによって、己たちはアイティオン星晶鏡の奥深く――突如現れたというパンデモニウムの中へと進んで行った。そこは一万二千年前のそれと違わず、遥か未来ではない、己が生きた時代の世界だと錯覚するほどであった。まるで、ここパンデモニウムだけ、時が止まっているかのようだった。

 そしてアテナの策略により、テミスが再現体として光の戦士の前に現れ、敵として立ちはだかった。だが、精神呪縛さえ解けば、テミスは必ず己たちに力を貸してくれる筈だと信じていた。一万二千年前も、アゼムの使い魔だと思っていた『光の戦士』が救ってくれたのだ。今この時も、きっと乗り越えられる筈だ。





「きっと大丈夫だって、信じていたよ」

 光の戦士がテミスを連れて戻って来た時は、心から安堵したし、まさか一万二千年前と同じように、この四人が揃うとは思わなかった。
 だが、懐かしさを覚えたのも束の間、テミスの口から告げられたのは、一刻の猶予もない事態であった。

「彼女は、既に神の原型となる肉体を手に入れている。その肉体は……クローディエン。どういうわけか、彼の肉体がアテナと適合したらしい」

 テミスの話によると、アテナはクローディエンの魂に記憶を焼き付け、肉体を乗っ取っている状態であった。だが、世界が十四分割された今の人間は魂も肉体も希薄であり、今のアテナでは神へ至る事が出来ないのだという。
 そこで、災厄と戦い、この世界を終末から救った英雄である光の戦士に目を付け、神へ至る研究に利用する――それが現状起こっている事だった。

 ラハブレアの考えでは、クローディエンが意識を取り戻せば、肉体の主導権をアテナから取り返す事が出来る。だが、それも可能性のひとつに過ぎない。

「でも、なんだってクローディエンという男が、神の原型に選ばれたんだ……?」
「……彼を救う為にも、その疑問こそが焦点になりそうだ。私は、クローディエンと直接の面識はないんだが、気になる事があってね」

 己の問いに、テミスは神妙な面持ちでこう告げた。

「アテナは、自分が操る肉体を指して、『エリクトニオス』と呼んでいたんだ……」
「俺の名前を……どういう事だ?」

 あたかも信じられない言葉であったが、ラハブレアだけは、ひとり納得するように頷いていた。まるで、すべての点が線で繋がったかのように。

 クローディエンを救う為には、アテナを弱らせる必要がある。現状戦う力を持たない再現体の己たちを除けば、それが出来るのは光の戦士しかいない。ラハブレアの賭けに、光の戦士は快く応じてくれた。
 この四人が揃えば、何でも出来る気がするから不思議だ。
 アテナを倒し、クローディエンが意識を取り戻せば、彼の手にあるクリスタルを漸く確認する事が出来る。それがプラクシテアのものであれば、こんなに嬉しい事はない。

 この時は、己もラハブレアも、プラクシテアがアテナの手に渡っているとは思ってもいなかった。再現体に出来る事など限られており、アテナの野望にプラクシテアは必要ないと初めから思い込んでいたのだ。
 プラクシテアの純粋な想いが、アテナに利用されているなど知る由もなく。

2023/09/24

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