Procession


 終末が訪れたこの星は、もう長くはもたないだろう。
 災厄はこの星のありとあらゆる地を襲い、最早人類が安心して暮らせる場所は、今となっては何処にも存在しなかった。
 ただ、十四人委員会はこの星を救う秘策があるらしい。
『星の意志』を創造し、この世界の理を直して災厄を鎮める。ただ、そんな強大な創造魔法など、誰も行使した事がない。それに、何かを生み出す為には、必ず対価が必要だ。
 星の意志を創造する為の対価。それは、私たち『人』の命だった。しかも、ほんの数人が犠牲になれば救われるという次元の話ではない。この世界の半数の人類の命が必要だった。

 人の命とは、厳密には一生涯で終わるものではない。星に還った後は冥界と呼ばれる場所へ渡り、そして、新たな生命として星に生まれる。万物の命とはそのように循環しているのだ。
 この星の意志なるものを創造する為に捧げた命は、冥界へ渡る事はないという。
 その魂は、永遠に星の意志に囚われ続けるという事だ。



「ここも随分と静かになりましたね」

 パンデモニウムに残る獄卒は、最早エリクトニオスと私のふたりだけになってしまった。他の獄卒は皆、残された時間を愛する人と過ごす為、あるいはこの星の為に命を捧げようと、ここを去ってしまった。
 勿論それらは当たり前の選択で、誰にも止める権利はない。寧ろ、未だにこのパンデモニウムにしがみ付いているほうがおかしいのだ。
 ――しがみついているのは、エリクトニオスではない。私だ。

 エリクトニオスは、十四人委員会として尽力しているラハブレア様やエリディブス様に代わり、収容された創造生物たちが逃げ出さないよう、最後までパンデモニウムを守り抜く事を決めて、ここにいる。ラハブレア様――彼のお父様がその選択を望まないとしても、それでもなお、ここにいる。

「……プラクシテア、今ならまだ間に合う。いや、きっと……今が最後のチャンスだ」

 私は、エリクトニオスのような優しさや使命感など、初めから持ち合わせていない。
 ただ愛する人と最後の瞬間まで一緒にいたいから、ここにいる。

「もうこれ以上、俺に付き合う必要はない。今なら災厄から逃げる事も、星を救う選択肢を取る事も出来る」

 例えエリクトニオスが私と遠ざけようとしても、私の意志は揺るがない。

「これは、決して邪魔だという意味ではなく……その、愛しているからこそ、プラクシテアには自由に――」
「ここに留まっているのは、私の意志です」
「だが……」

 エリクトニオスの気持ちは痛いほどよく分かる。仮に立場が逆だったとしたら、十四人委員会に反してでもパンデモニウムに留まろうとする自分に、皆を付き合わせようとは思わない。
 けれど、私には選択肢なんて存在しないのだ。

「エリクトニオス。もう逃げ場などない事は、あなたも分かっている筈。とすれば、星の為に命を捧げるか、ここに留まるかの二者択一となりますが」
「…………」
「あなたは私に、星の為に死ねと言うのですか?」
「違う!」

 乱暴な言い方をする私に、エリクトニオスは即座に否定すれば、困ったように顔を顰めて首を横に振った。世界の滅亡が迫っているというのに、こんな不毛な遣り取りをしているなど、十四人委員会の誰かが知ればさぞ腹立たしく思うだろう。

「……いや、違わないな。プラクシテア、すまない。今更逃げるなど、理想論に過ぎない……」
「ええ。どうせ『星に還る』のなら、最後の瞬間まで、愛する人の傍にいたい。ただそれだけです」

 今日この日まで、果たしてどれだけエリクトニオスに愛の言葉をぶつけただろう。
 想いが伝わっていないのではなく、彼にとって私の感情が重荷になっているのか。
 私の存在は最早邪魔でしかなく、ひとりでこのパンデモニウムを守りたいと思っているのか。
 もしそうだとしても。エリクトニオスをひとりぼっちにするなんて、絶対に嫌だ。

「エリクトニオス、私――」
「俺の存在が、プラクシテアの枷になっている」

 その言葉に、漸く私は、彼が私と同じような事を思っていたと知った。

「どちらにせよ星に還る……ならば、この星の為に命を捧げる事こそが、『正しい』行いだ。俺がここに留まっているのは、単なる我儘でしかない」

 エリクトニオスの言い方は、まるで自身が道理に反した行いをしていると言っているように聞こえた。
『正しい』とは何か。それ以外の行為は悪しき事なのか。
 私には分からなかった。愛する人を捨てて星のために命を捧げる事が正義で、愛する人に寄り添う事が悪なのか。
 私はそうは思わなかった。
 私ひとりの命を捧げる事で、この星の命運が決まるわけではない。
 私たち人は、自らの意思で星に還る。例え災厄が訪れようと、それだけは歪めたくない。

「エリクトニオス、何回でも言います。私は、私の意志で、あなたと共にいる事を望んでいるのです」

 同じ事を何度繰り返しただろう。エリクトニオスに抱き付いて、その大きな背中に手を這わせ、そしてこう告げるのを。

「あなたがそれを望まないのなら、今すぐに私を突き放し、追い出してください」

 エリクトニオスは一度たりとも、私を強引に追い出そうとはしなかった。
 本当に邪魔だと思っているのなら、とうに突き放している筈だ。彼が言ったように、私たちに時間は残されていない。私をどうにかしたいのなら、もう手段は選んでいられないのだ。
 それでもなお、私にすべての判断を委ねるような質問を投げ掛けるのは。
 本心では、傍にいて欲しいと思っているのかも知れない。
 そう思うのは、傲慢だろうか。

 私の言葉に対する回答はない。その代わり、エリクトニオスは私を突き放す事はなく、私の身体をきつく抱き返した。
 それが彼の答えだ。
 私は何度でもエリクトニオスを肯定するし、同じ事を繰り返しても、同じように肯定し続けるだろう。
 彼がパンデモニウムを守る事に固執しているように、私も彼の傍にいる事に固執している。ただ、私の場合はエリクトニオスのような崇高な理由でもなんでもない、それこそ、ただの我儘だ。



 暫くして、エリクトニオスは小さなクリスタルを私に差し出した。
 既にエリクトニオスは、別のクリスタルに自身の記憶を封じ込めたのだという。

「一体何故、そんな事を?」
「未来の世界に届けるんだ。もし、俺たちが終末を乗り越えられなかった場合……このパンデモニウムの危険性を、終末を乗り越えた未来の人々に伝える必要がある」
「……よく思い付きましたね」

 私はそんな事を考えもしなかった。責任感の強いエリクトニオスだからこそ、考え付いた策だ。中にはいたであろう、彼を軽く見ていた連中では思い付かない事だと言い切れる。

「記憶を封じ込め……経験はありませんが、理論上は出来ますね」
「ああ。プラクシテアも、終末の先にある未来に生きる人たちに、伝えたい事があれば……」

 例え私が「伝えたい事などない」と拒否しても、エリクトニオスは怒らないだろう。
 ただ、このまま何も為さずに星に還るよりは、未来に懸けてみるのも悪くない。
 私はエリクトニオスが差し出したクリスタルを受け取って、笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。やってみますね」
「なんだか強引に受け取らせてしまったみたいだな。無理にとは言わないが……」
「いえ、突然の事でびっくりしただけです。未来に希望を託すなんて、夢があって素敵です」

 エリクトニオスはまさかそんな事を言われるとは思っていなかったのか、呆気に取られたように目を見開いていた。馬鹿な女だと思われたかも知れないけれど、思った事を口にしたまでだ。

 理論上は出来る。やった事がないだけで、術式は簡単だ。

 エリクトニオスが見守る中、私は記憶をクリスタルに封じ込めた。
 そして、願わくば未来の誰かがこのクリスタルを見つけた時に、私の言葉が届くように。



「……ふう、終わりました。多分、大丈夫な筈です」
「封じ込めたのは、記憶だけか?」

 そう訊ねるエリクトニオスは、私が封じ込めた未来の人々へのメッセージが気になるらしく、どこかそわそわした様子で私の顔を覗き込んでいる。
 とはいえ、私はエリクトニオスのように使命感を抱いて生きているわけではない。寧ろ、この世界の理に反する危険思想を持った女なのだ。言えるわけがない。

「秘密です」
「……俺には言えない事か?」
「ふふっ、変な事ではないですよ。エリクトニオスには恥ずかしくて言えないだけです」
「なっ……待て、プラクシテア! 一体何を封じ込めたんだ!?」

 こうしてからかい合うような時間も、もうすぐ終わってしまうのだろうか。
 いつどうなるか分からない。ふざけている時間などもう残されていない。
 打ち明けよう。
 例えエリクトニオスに否定されても、叱責されても、嫌われても。
 本当の私を打ち明けるのは、今しかない。

「……このクリスタルを手に取った、未来の人へ」

 私が呟くと、慌てふためいていたエリクトニオスははっとしたように息を呑んだ。

「私たちは、魔法であらゆる生物を創り出し、不要と判断すれば処分する。そんな理でこれまで生きて来ました。私は、危険だと判断された生物が外の世界に逃げ出さないよう、監視する仕事をしていました」

 すべて過去形なのは、このクリスタルを誰かが受け取る時には、私という魂は星に還っている事が確定しているからだ。

「このメッセージを残している今この瞬間も、この星は災厄に蝕まれています。創造生物が凶暴化し、たくさんの人を襲い……人類の種の存続すら危ぶまれるほどの危機に瀕しています」

 エリクトニオスが真剣な眼差しで私を見つめている。
 ここで本当の事を言えば、嫌われてしまうかも知れない。
 でも、嘘は吐きたくない。勇気を出して言わなければ、きっと後悔する。

「……私はこれが、生物の命を弄んだ、人の驕りに対する罰だと思えてならないのです」

 彼がどんな表情をしているのか、私はまっすぐに見る事が出来なかった。
 代わりに、顔を上げて虚空を見つめる。青空でもなければ、災厄に見舞われた赤く燃える空でもない、見慣れたパンデモニウムの天井だ。
 見知らぬ未来の人へ、想いを込めて。これは人々を気遣う言葉でもなんでもない、エゴに塗れた私の疑問でしかない。

「未来の人へ。あなたが生きている世界は、幸せに満ち溢れていますか?」

 刹那、私の視界はエリクトニオスによって覆われた。私を強く抱きしめるその腕は、決して私を罰するものでも、拘束するものでもない。どこまでもあたたかで、こんな私を受け入れてくれるという、意思表明のようだった。

「プラクシテア……お前は、ずっとひとりでそんな気持ちを抱えて……誰にも言えず、ずっと……」

 どうして気付けなかったのか。どうして分かってやれなかったのか。まるで自責の念に駆られるようなエリクトニオスの言葉に、私は身を委ねるように、彼の背中に手を回す。

「あなたがいたから、私は今日この日まで、迷わず生きる事が出来たのです」

 それはきっと、私だけじゃない。他の獄卒もそうだ。命を捧げる事を決めた仲間たちも、別の道を歩むと決めた仲間たちも、誰もが皆、エリクトニオスのお陰で災厄が来るまでは腐らずに生きる事が出来たのだ。

「プラクシテア……俺も願うよ。未来は、お前が苦しまないような、幸せな世界であるように」



 十四人委員会はこの星の半数の命と引き換えに、『星の意志』――蛮神ゾディアークを召喚し、災厄は過ぎ去った。けれど、ゾディアークという強大な力を巡り、生き残った人類は対立した。そしてゾディアークの枷となる蛮神ハイデリンが生み出され、両者は激しい戦いの末、この世界は十四の世界に分かたれた。
 それから約一万年後、冥界を漂う私とエリクトニオスのクリスタルは、原初世界と呼ばれる未来の人々の手によって発見される事になる。

2023/09/09

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