Caprice



 fineの練習風景を見学する事になって数日が過ぎた。てっきり一日だけかと思いきや、いつの間にか『フラワーフェスが終わるまで』という話になっていたらしい。
 あの後、他のユニットが受け容れてくれる可能性の低さや労力を考えると、この状況は願ったり叶ったりなのだが、なにせ伏見くんが勝手に決めてしまった事なので、どうしても腑に落ちないと感じてしまう。気にし過ぎだと言われればそれまでだけれど、まるで彼の掌の上で転がされているようで、正直言って、あまり良い気分はしない。

 フラワーフェスまであと数日。それまでに、学院の頂点に立つユニットとして相応しいパフォーマンスが出来るよう、日々樹先輩が付きっきりでまだ新入生の姫宮くんの指導にあたっている。成程、当初演劇部の部室から聞こえてきた姫宮くんの断絶魔――と称するには愛らしすぎる叫び声は、日々樹先輩のそれによるものだったのか。
 見ていて辛そうではあるけれど、きっと姫宮くんならば乗り越える事が出来るから、厳しく接しているのだと推察出来た。そもそも私はまだ口出し出来る身分ではないし、なにより日々樹先輩の指導は見ていてとても勉強になる。

 もっとも、それを良しとしていない人もいるけれど。

「遠矢さま、如何でしょうか」
「え?」
 その張本人に突然声を掛けられて、つい間の抜けた声を出してしまった。
「今のわたくしの動きで改善点があればご指摘頂きたいのですが」
「って言われても……」

 日々樹先輩が姫宮くんを指導している間、それを黙って見ているだけというのも進歩がないので、私も見様見真似でちょうど自主練に励む伏見くんを見る事にしたのだけれど、どこをどう見ても完璧で隙がない。素人の私からしてみたら、最早褒め称える以外何もできない次元である。

「気を遣って頂かなくて結構ですよ。遠矢さまはこれから、プロデューサーとして多くの生徒をトップアイドルへ導いていく立場になるのですから、わたくしの事は実験台とでも思って、遠慮なくご指導の程よろしくお願い致します」

 無茶振りにも程がある。
 伏見くんはさしずめ清涼剤の如く爽やかな微笑みを湛えているけれど、彼が放つ言葉がものの見事に私の心臓に突き刺さる。ああ、この人は私が役立たずって分かってて、そういう台詞を吐いているんだろうなと思うと、情けないやら悔しいやらで鼻の奥がつんとしてきた。

「遠矢さま?」
「あ、えっと……すごく良かったよ、うん。今のところ、これといって改善すべきところは特にないと思う」
「遠慮は無用だと申し上げたはずですが」

 表情は変わらないけれど、伏見くんの口調が少しだけ強くなったような気がした。まるで責められているようで、つい萎縮してしまう。
「遠慮とかじゃなくて……本当に、何も言う事はないよ」
「……そうですか」
 伏見くんは困惑しているかのように眉を下げて、小さく溜息を吐いた。違う、困惑ではなくこれは落胆だ。プロデュース科とは名ばかりでアドバイスのひとつすら出来ない、ただのお飾り。彼の中で私はそう認識されてしまったに違いない。


「あ〜もう無理!! 休ませろ!!」

 瞬間、空気が一転した。嘆きの叫び声ではあるものの、可愛らしいという形容詞以外の表現が見当たらないその声の主は、紛れもなく姫宮桃李のものであった。
 私が初めて演劇部の部室に迷い込んだ時と違い、今はフェスまで残り僅かな日数しか残されていない。姫宮くんの口から不満が漏れる事はここ最近なかったはずだが、私の知らない間に、日々樹先輩の指導が更にハードになっていたのだろうか。

「おや? どうしました姫君。その程度でくたばっていては英智に見せる顔がありませんよ?」
「卑怯だぞ! そこで英智さまの名前を出すな! ねえ奴隷、ぼけっとしてないでボクを助けてよ〜」

 突然、姫宮くんがこちらを見て猫撫で声で助けを求めてきた。私は奴隷ではないので、当然伏見くんに対しての懇願である。ちらりと横目で奴隷呼ばわりされている彼を見遣ると、何故かその彼もこちらに顔を向けていて、その瞳は信じられないと言わんばかりに見開かれていた。

「伏見くん?」
「遠矢さま。失礼ですが坊ちゃまとはいつからそのような関係に?」
「は?」

 この男が何を言っているのか瞬時に理解できず呆けた声を出すと同時に、タタタと駆ける音が聞こえた、と思いきや突然横から腕を思い切り引っ張られ、バランスを崩して危うく転びそうになってしまった。
「聞いてるの奴隷!? ねえ、ボクちょっと休みたいから外に出ようよ〜」
 何が起こっているのか分からないけれど、とりあえず事実を整理すると、何故か姫宮くんは私の腕を掴んで、そのつぶらな瞳で『私』を見つめて、『私』に向かって奴隷と言った。
 いや、そんなわけがない。多分あまりに疲れすぎて、人の顔の区別が付いていないのだ。

「ほら、伏見くん。姫宮くんが外に出たいって」
「おい樹里。せっかく奴隷に格上げしてやったのにその態度はなんだ! 庶民に格下げするぞ!」
 これは一体どういう事なんだ。と思っているのは私もだけど、伏見くんも同様らしい。その証拠に姫宮くんを窘める言葉が一切聞こえて来ない。無言だ。奴隷より庶民の方が格上なのではないかという突っ込みすら出来ないくらい、今の私と伏見くんは頭が働いていない。

「ま、息抜きぐらいはいいでしょう。姫君…と言うよりも、執事さんのほうがちょっと重症みたいですしね」
「ふふ〜ん、よしっ行くぞ奴隷!」
「え? ちょっ、待っ」
 日々樹先輩の鶴の一声で全てが決まってしまい、姫宮くんはそのまま私の腕を引っ張って、大股で歩き出した。部室を出る瞬間、「頼みましたよ」と日々樹先輩の声が聞こえた。




「樹里、大丈夫?」
 廊下を闊歩し部室からだいぶ離れた位置で、姫宮くんはぴたりと足を止めて私を見つめるや否や、真顔で突然問い掛けてきた。
「大丈夫って、何が?」
「弓弦、機嫌悪かったでしょ。嫌味とか言われてない?」
「ううん、別に。伏見くんはそんな事する人じゃないよ」
「嘘」
 私の腕を掴む姫宮くんの手が、少しだけ強くなった。
「じゃあなんで樹里は泣きそうになってたの」

 まさか年下の子に見抜かれて、同情までされるなんて。本当に情けない。
 伏見くんの言う通り、プロデューサーが生徒をこの世界の頂点へと導く存在なら、私は早々に諦めて退学した方がいい。転入したばかりだから、今年度はあくまで実験的な試みで満足なカリキュラムがないから、そんなのは言い訳だ。隣のクラスのあんずちゃんはうまくやっているのに、それに比べて私は間違いなく、導くどころか足を引っ張っている。

「樹里!? ねえ、泣かないでよ!」
 自然と涙が零れてしまっていたらしい。姫宮くんが慌ててハンカチを取り出して、私の頬を拭った。
「ごめんね、樹里」
「なんで姫宮くんが謝るの」
「奴隷の不始末は主人の責でもあるからね」
「違う、伏見くんは何もしてない、何も悪くない」

 もう伏見くんの話題を出すのはやめて欲しかった。本当に彼は何も悪い事はしていない。私は役に立たない存在、それが全てだ。でも、そんな己の醜い感情を、目の前の幼気な少年に向かって吐き出したところで何になる。私にもちっぽけなプライドというものはある。

「樹里が打ち明けてくれるまで、ボク部室に戻らないから」
「え、なんで? 困るよ」
「そんな状態で見学される方が困るんだけど」

 その言葉で我に返った。同時に、この自分の卑屈な性格が全ての元凶なのだと、現実を突き付けられた。
 右も左も分からないのはあんずちゃんも同じだ。彼女にあって私に足りないものは、元々のポテンシャルだとかコミュニケーション能力だとか色々あるけれど、兎にも角にもまずは前向きな姿勢ではないのだろうか。そして、他者の意見に耳を傾ける素直さ。自分の殻に閉じ籠っていたら、出来ることも出来なくなってしまうに違いない。

「……ねえ、姫宮くん。伏見くんに欠けているものって何なのかな」
「は?」
「どう見ても完璧だし、アドバイスなんて求められても何も言えなくてさ。私に見る目があれば色々気付けるのかな」
「……ああ、なるほど。そういう事か」
 脈略も何もあったものではない私の胸の内の告白を、姫宮くんは瞬時に理解してくれた。

「そういえば、前にロン毛が言ってた。弓弦には情熱が足りないって」
 情熱、か。確かに伏見くんは淡々としてはいるけれど、転入してきたばかりの今の段階で指摘するような事だろうか。
「樹里は転入してきたばかりなんだから、今は分からない事だらけでもまあ仕方ないんじゃない?」

 伏見くんに対して思っていた事を、そのまま私宛に姫宮くんが放って、思わず肩を震わせてしまった。言われてみれば確かにその通りではあるけれど、やっぱり周りと比べると、自分はここにいてもいいのかと自問自答してしまう。

「あと、ボクがロン毛と一緒だから弓弦も面白くないのかもね」
「ああ、それはあるだろうね…」
「はあ…。おまえ弓弦と同じクラスでしょ? 休み時間あいつが付き纏ってくるのうんざりだからなんとかしてよ」
「あ、それは無理」
「即答か! も〜、樹里はこのボクの奴隷候補なんだから、少しは役に立ってよね!」

 だからいつ私が奴隷になると言った。大体さっき姫宮くんがそういう発言をするから、伏見くんの機嫌も更に悪くなったような気がするし――ああ、部室に戻りたくない。かといっていつまでも油を売るわけにもいかないし。腹を括るしかない。

「ありがと、姫宮くん」
「何が?」
「元気出たから」
「そ、なら良かった。その調子で頑張ってよ。なんか眼鏡もおまえに期待してるみたいだし」
 頼むから固有名詞で言ってくれ。まあ私を知る眼鏡のひとと言われると、副会長か椚先生しか思いつかないし、期待しているとなるとまあ副会長になるだろう。どうしてこんな役立たずに期待しているのか、さっぱり分からないけれど。



 部室に戻ると、日々樹先輩と伏見くんが何か話し込んでいたけれど、私達の姿を見るなりぴたりと話をやめた。日々樹先輩の視線が私の横にいる姫宮くんに向けられて、目配せをしているように見えた。その瞬間、部室を出る前に日々樹先輩が言った「頼みましたよ」という言葉は、私ではなく姫宮くんに対してだったのだと悟った。

 姫宮くんは本当に休憩したくて駄々をこねたのではなく、私の様子がおかしいのを見かねて気分転換に外に連れ出したのだ。そしてそれは日々樹先輩も、何も言わずとも気付いていたという事だ。

 だめだ、やっぱりどうしても前向きになれない。
 何気なく視線を移すと、伏見くんと目が合った。伏見くんは一瞬戸惑ったような素振りを見せた後、ぎこちなく微笑んできた。なんだか普段の彼らしくない。私がいない間に、日々樹先輩に遠慮無用のご指摘でも受けたんだろう。


「遠矢さま」
「は、はい」
 練習を終えた伏見くんに呼ばれ、つい身構えてしまった。今の段階ではアドバイスなんて到底できない事は、彼も分かったはずだけれど。
「ひとつだけ、願いを聞いて頂いて構わないでしょうか?」
「な、何かな…」
「当日、日々樹さまや坊ちゃまだけではなく、わたくしのパフォーマンスも見て頂きたいのです」
 なんだ、そんな事か。正直ほっとした。姫宮くんも伏見くんもこれが表舞台のデビューだし、置物状態とはいえ数日間見学させて頂いているのだから、彼らの晴れの舞台を見ない理由はない。

「言われなくても見るに決まってるよ」
「ありがとうございます、そう言って頂けて安心しました」
 伏見くんがあまりにも余裕綽々すぎて、応援の言葉もかける気が失せるというか、何もできない何もしていない私が言えた立場ではない。でも、まあ、最低限の礼儀として言うべきだとも思うし、言っても罰は当たらないだろう。

「伏見くん。初舞台、頑張ってね。私、全然、何も出来てないけど……せめて応援ぐらいはするから」

 なんとか口角を上げたつもりではいるけれど、今の私はうまく笑えているんだろうか。伏見くんはそんな私を見て、「遠矢さまの応援があれば、わたくしも当日失敗しないで済みそうです」なんて台詞を吐いた。心にもない事を言うな。余計惨めになる。
 けれど、気のせいだろうか。伏見くんが浮かべた微笑は、今日見たなかで一番穏やかに見えた。

2016/12/06


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