Incantation



『三奇人』。かつては五奇人と呼ばれていた存在。あらかじめこの学院の生徒達のデータは把握していたし、その他大勢とは明らかに一線を画する名の知れた人物であれば、一目でその人物だと分かる。外見だけではない。オーラからして違うのだ。
 とはいえ、
「貴女が噂の転校生さんですね? 執事さんと同じクラスのほうの。ささ、お茶をどうぞ〜」
 日々樹渉がそう言って差し出した紅茶は、私の見間違いだろうか、彼の手ではなく、その透き通るような美しい長髪がまるで人間の手の如く受け皿に絡んで、差し出されたように見えた。いや、いくら奇人とはいえ、相手だって紛れもないひとりの人間だ。そんな馬鹿な話がある訳がない。幻覚を見てしまうなんて、自分で思っている以上に、私は相当疲れているのか。

「ありがとうございます、日々樹…先輩。突然お邪魔してしまった上に、お気遣いまで」

 何も考えず足を踏み入れてしまったここは、演劇部の部室だ。恐らく今だけ、fineの練習拠点となっているのだろう。
 ふかふかのソファーに腰掛けて、間違いなく高級品であろう紅茶に口を付けたけれど、正直呑気に味わえるような状況ではない。なにせテーブルを挟んだ向かい側で、日々樹渉が私を値踏みするかのように見ているのだから。
 折角のチャンスを、ここで無にしてはならない。

「日々樹先輩! あの」
「歓迎しますよ転校生さん! ようこそ、私の王国へ!」
 日々樹先輩が満面の笑みで私の言葉を遮った瞬間、
「ひっ!?」
 目の前に突然白いハトが現れて両翼を羽搏かせたかと思えば、無数の薔薇の花弁が私の周りを舞った。一瞬本当に心臓が止まったんじゃないだろうか。仰け反ったら、ソファーの背もたれに背中がぶつかった。立ってたら間違いなく間抜けな倒れ方をしていたに違いない。
「ひ、ひえっ」
 ハトが私の周りを旋回して、情けない声が漏れた。花弁はひらひらと地へ落ち、そのうちの一片が目の前のテーブルに置かれた飲みかけの紅茶に舞い落ちる。まるで映画のワンシーンの様なその光景を、呆気に取られたまま見届けたと思いきや、今度は眼前に一輪の白い薔薇が現れた。
「さ、どうぞ。棘は全て取り除いてますのでご安心を」
 日々樹先輩の声が真横で聞こえて顔を向けたら、いつの間にか私のすぐ隣に座って、微笑を湛えていた。全然気付かなかった。
 差し出された薔薇を手に取ると、甘い香りが鼻腔を擽る。
「まだ何も知らない、純真無垢な転校生さんにお似合いですよ」
 そう言って悪戯な笑みを浮かべる日々樹先輩に、つい見惚れてしまった。駄目だ、相手はアイドルで私はプロデューサーなのだから、こんな邪な感情を抱いてしまうなんて許されない。

「うわ、ロン毛ほんと気持ち悪いんだけど」

 ぽつりと聞こえた声に、漸く我に返った。恐る恐る声の主の方へ顔を向けると、苦虫を噛み潰したような顔をした姫宮くんと、いつも通りの飄々たる佇まいの伏見くんがそこにいた。というか、割と至近距離で一部始終をしっかりと見られていた。

「日々樹さま。お言葉ですが、初対面でいきなり遠矢さまを怯えさせてしまうのは、さすがに非常識かと」
「おや? 執事さんには彼女が怯えてるように見えるんですか? 私にはどう見ても、喜びのあまり恥じらっている様にしか見えませんけど。そう、さながら初めて恋の味を知る乙女!」
「だから気持ち悪いって! ……ん?」
 姫宮くんが私の顔をちらりと見るなり、更に顔を強張らせた。
「うわ。おまえ、まさか」
「坊ちゃま、如何なさいました?」
 同じ様に伏見くんも私を見るや否や、僅かに眉を顰めた。二人して一体何なの、気分悪いんだけど。そう言おうとしたものの、伏見くんが私の傍に歩み寄って来たので、私の毒づきは心の中にしまわれる事となった。
「遠矢さま、失礼します」
 額にあたたかな温盛を感じて、反射的に体を強張らせてしまった。異性どころか親にさえ、額を触られる事なんて滅多にないから、変に緊張してしまう。そもそも、突然何なんだ。

「少し熱がありますね」
「え、嘘」
「大事を取って、本日はもう帰られた方がよろしいのでは」
 冗談じゃない。折角、日々樹先輩とこうして対面出来たっていうのに。肝心の嘆願したい事を、まだ何も言えていない。
「熱なんてない。伏見くんが気にしすぎなだけ」
 伏見くんの手を払い除けて強い口調でそう言って、つい溜息を吐いてしまった。すると、いつの間にかテーブルを挟んで向かい側に座っていた姫宮くんが、連鎖反応の如く大きな溜息を吐いた。

「弓弦、違うって。こいつ明らかにロン毛に見惚れてたでしょ」
「え?」
「は?」
 伏見くんと私がほぼ同時に声をあげると、姫宮くんは今度は大きな瞳で私をぎろりと睨み付けた。
「世界一可愛いこのボクには見向きもしない癖に、ロン毛の事はうっとりした目で見ちゃってさ。悪趣味〜!」
「は!? ちょ、違っ」
「ああ、先程の羨望の眼差し……まるで友也くんと初めて出会った日の事を思い出しますね……! フフフ、逃がしませんよ転校生さん!」
 何としても否定したかったのに、日々樹先輩が勝手に話を進めてしまって、口を挟もうにも挟めない。
「転校生さん、とお呼びするのも芸がないですね。はて、何とお呼びしましょうか……」
「すみません、申し遅れました。私、遠矢樹里と」
「あ、名乗らなくて結構ですよ。名前を覚える気はありませんので〜」

「……は?」
 何とか口を挟めたかと思いきや、予想も何もあったものじゃない答えが返ってきて、呆然としてしまった。
「何がいいでしょうね〜。転校生さん、あなたを含めて二人いらっしゃいますしね。呼び名を付けるには、私まだあなたの事詳しく知りませんので。困りましたね〜」

 困っているのは私の方だ。練習風景を見学したいと頼み込もうと思っていたのに、このままだと一向に話が進まないうえ、日々樹先輩に抱いた名前のない感情が、がらがらと音を立てて崩れ落ちたような気がする。そんな私の落胆は顔に出ていたらしく、姫宮くんが呆れ果てた顔で私を見つめていた。
「やっと目が覚めたか。これだから庶民は、ほんっと馬鹿だよね」
「坊ちゃま。人を馬鹿と言う方が馬鹿だという言葉があるのですが…」
「なっ、おまっ、奴隷の癖に生意気だぞ!?」
 挙句の果てに、ご主人様と使用人が目の前でまたうるさくし始めて、不快指数が見る見るうちに上がっていくのが嫌という程分かる。本当に熱でも出そうだ。

 なんだかもう全てがどうでも良くなってきた。何をしたらいいのか分からない状態が続くなんて、時間の無駄だし何より私が耐えられない。迷惑を掛けるのを承知の上で、椚先生に直接相談しに行くのが一番建設的だ。そうしよう。

「遠矢さま?」
 さすがに気付かれないように黙って去るのは無理があった。私が立ち上がった瞬間、真っ先に気付いた伏見くんと目が合ってしまった。いくらなんでも無視する訳にはいかない。
「えーっと……あの、もう帰るね。用がないのに居座るのも申し訳ないし」
「日々樹さまにお話があってここにいらしたのでは?」
「あ、いや、また日を改めて……」
 頼むから余計な事を言うな、伏見くんに対して心の中で罵るも、更に追い打ちをかけるように、日々樹先輩が私の通り道を遮断するかの如く立ちはだかってしまった。
「逃がさないと言ったはずですよ、転校生さん! 新入部員をこれ以上逃す訳にはいきませんからね!」

 ん?
 新入部員?
「あの、すみません、日々樹先輩」
「言われなくとも分かっていますよ。転入して間もないのに、我が演劇部への入部を志願しにわざわざお越し頂けるなんて、ああ、なんと素晴らしい事でしょう!」

 完全に勘違いされている。
 正直今は部活の事なんて頭にないし、それよりもプロデューサーの卵として基本的な事を学んでいかなければならないのに。否定して本来の目的を告げる事は簡単だけれど、日々樹先輩のこの喜び方を見ると、入部する気はない事を言おうものならきっと落胆されて、練習風景の見学なんて叶いそうもない。

 無理だ。諦めよう。

「日々樹先輩。あの…大変…申し訳ないんですが…」
「日々樹さま。遠矢さまは演劇部の入部ではなく、fineの練習風景を見学しに来たのだと見受けられるのですが」

 最早声も出なかった。伏見くん、いや、この伏見弓弦という男は、どこまでも私の邪魔をしたいのか。唖然とする私を余所に、伏見くんは私の当初の目的を見事に代弁してくれた。余計なお世話もいいところだ。というか、なんで分かったんだろう。

「おや、そうなんですか? 転校生さん」
 日々樹先輩が腰を屈めて私の顔を覗き込んできて、もう何も為す術がなかった。
「えっと……はい。申し訳ありません……」
 もうこれ以上言葉が出て来ない。相手の意向に沿えなかった以上、こちらから願い事を言うのは図々しいと思えてきて、気が引けたからだ。

「如何なさいますか? 日々樹さま」
「と言われましても、私、fineにあまり干渉する気はありませんので。執事さんにお任せしますよ」
「かしこまりました」
 日々樹先輩の言葉に伏見くんは頷くと、今度は私に向き直って爽やかな笑顔を向けてきた。
「という事で、早速今日からよろしくお願いしますね、遠矢さま」
「え?」
「はあ!?」
 間の抜けた私の声と同時に、姫宮くんの怒りの声が部室に響いた。
「おい奴隷! いい加減にしろ! ボクを無視して話を進めるな!」
 姫宮くんの言う事は尤もだけど、この使用人には通じなさそうだ。この二人の力関係はなんとなく察している。

「坊ちゃまは遠矢さまの見学に反対されるのですか?」
「いや、別にこいつが居ようが居まいがどうだっていいけど」
「では特に問題ございませんね」
「だから、ボクを差し置いて仕切るな〜!」

 姫宮くんは一頻り伏見くんをぽかぽかと叩いた後、それですっきりして心の整理がついたのか、溜息をひとつ吐けば私の傍に歩み寄って来て、不敵な笑みを浮かべながら私を見下ろしてきた。見下ろすといっても、背丈はたいして変わらないので威圧感はまるで無いのだが。

「ふふん。今回は特別に見学を認めてやろう。おまえのような庶民がボク達の練習風景を見るなんて、本当は許されないんだからね? このボクの寛大な対応を有り難く思うがよい!」
「………」
「おい、返事は?」

 私の胸中など一切誰も構う事がなく勝手に話が進んでしまい、ただただ唖然としていたら、姫宮くんが見る見るうちに不機嫌になっていく。どうしよう。元々はfineの練習風景を見学したいと思ってはいたけれど、伏見くんがそれを知っているのも謎だし、なんだか腑に落ちない。このもやもやする気持ちをどう処理したらいいんだろう。頼りになるのは、やっぱり――

「あの、日々樹先輩」
「はい?」
「良いんでしょうか、本当に」
「それは私ではなく、執事さんにお訊ねする事では?」

 日々樹先輩は、演技なのか本心なのかまるで分からない笑みを浮かべるばかりだ。リーダーである生徒会長が入院中の今、このfineを仕切るのは日々樹先輩だと思っていたけれど。いや、特に拒否する理由もないから、伏見くんに判断を委ねたのだろう。そして、その伏見くんはというと、姫宮くんの言う通り何故か勝手に話を進めてきた訳だけれど。

「あの、伏見くん。ごめんね」
「遠矢さまに謝られる覚えは全く以て無いのですが」
「私がいると、たぶん迷惑かけると思うから」
「ご安心を。迷惑をかけるような方でしたら、とっくに追い出してますから」

 虫一匹殺さないような微笑を湛えている癖に、なんだかいちいち言い方が引っ掛かるな、この男は。伏見くんに対する苦手意識が、日に日に強まっていっている気がする。ああ、だからユニットの練習風景を見学しようと思い立った時に、無意識にfineは選択肢から除外されていたんだな、と我ながら妙に納得してしまった。

 そうは言っても、色々と引っ掛かるとはいえあっさりと当初の目的が達成されたのだから、ここは素直に甘えておいた方が賢明だ。つまらない意地を張ったところで、決して自分の利益にはなり得ない。いずれはプロデューサーとしてやっていかなければならないのだから、誰が苦手だとか言ってはいられない。ここは大人にならなくては。

「日々樹先輩、伏見くん、姫宮くん。見学の許可を与えて頂き、本当にありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」
 最早愛想笑いを浮かべる気力すらなく、定型文を述べて深々と頭を下げた私に、各々の反応が突き刺さる。
「そうそう、初めからそうやって素直に言う事を聞いてよね。おまえの働きによっては、このボクの奴隷にしてやっても構わないよ?」
 いや、私は奴隷になる気はさらさらないのだけれども。
「入部願いではないのが残念ですけど、ここに迷い込んだのも何かの縁でしょうね。あなた、話によると『右手のほう』のお気に入りですし、なかなか面白い立場になりそうですしね〜」
 何を言っているのかさっぱり分からないけれど、きっと分からない方が幸せだ。本能がそう告げている。
「こちらこそよろしくお願いします、遠矢さま。右も左も分からない者同士、一緒に頑張っていきましょうね」
 右も左も分からない? 分かっていないのは私だけだ。

 溜息を吐きたい気持ちをぐっと堪えながら顔を上げると、よりによって伏見くんと目が合ってしまった。その余裕綽々の微笑みも、最早何もかもが癪に障る。大人になろうと思った矢先にこんな風に思ってしまう時点で、私はまだまだ子供だ。
 伏見くんが苦手な理由が、少しだけ分かった気がした。幼稚な自分とはまるで真逆だからだ。要するに嫉妬でしかない。そんな感情に気付いてしまった自分に、ますます嫌気が差した。

2016/10/30


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