Megapolis



「遠矢さまはすっかり学院に馴染まれたようで、羨ましいです」

 季節は春、私が夢ノ咲学院に転入して数日が経過したある日の朝。廊下で偶然出くわしたクラスメイトと共に教室へと向かう途中、彼が何気なく放った言葉に、私の不快指数は一気に頂点に達した。

「伏見くん、それ嫌味?」
「は?」
「『プロデュース科』なのに、プロデュースなんて何も出来てない私が馴染んでるように見えるんだ、へえ」
「見えますよ」

 本人に悪気があるのかないのかは最早どうでもいい。彼の何気ない一言に私は傷付いたのだという事実を、いかに相手が鈍感であろうとはっきりと分かるように、表情、口調、どれを取っても理解できるように言ったのだが、当の本人に伝わる事は残念ながらなかった。というより、私の感情を汲み取るという選択肢自体、彼の脳内にははじめから存在しないのだろう。唖然としている私を余所に、彼は余裕綽々たる微笑を湛えたまま言葉を続ける。

「先日、副会長さまも仰っていた通り、隣のクラスの転校生さんと同様、遠矢さまもまたプロデューサーとしては『ド素人』。これから徐々にやるべき事を身に付けていくという段取りになっているのではないですか?」
「いや、まあ、それはそうだけど…でも、現状何も出来てない事に変わりはないでしょ」
「遠矢さまは随分と自己評価が低いのですね。現段階で遠矢さまが出来る事は全てされていると思いますが」
「また嫌味」
「人の話は最後まで聞いてくださいね」

 笑顔はそのままに声色だけきつくなった様な気がして、つい身構えてしまった。こういう、人当たりが良さそうに見えて、腹の中で何を考えているのか分からないタイプは本当に苦手だ。

「この学院のシステムから専門用語、全ユニット・メンバーの名前から勢力図まで、全て把握していらっしゃるではないですか。副会長さまも、遠矢さまの事は高く評価しておりましたし」
「え、嘘」
「嘘ではありませんよ」

 転入して日が浅い私でも分かる位、ここ、夢ノ咲学院は混沌としている。この学院は云わば生徒会の支配下にあり、抗う者は罰される、独裁政権のようなものだ。生徒会長が入院中で不在の今、実質この学院の支配者は生徒会副会長である蓮巳敬人だ。そんな重要人物が自分を高く評価しているなんて、例えお世辞であっても嬉しい事に変わりはない。つい頬が弛んでしまった。

「――さま? 遠矢さま?」
「はい?」
「さて、遠矢さまに質問です。わたくしが今何の話をしていたか、仰って頂けますか?」
「副会長が私の事褒めてくれてた、って話だよね」
「その後です」

 後?
 全然聞いていなかった。いくら昨日の夜バイトがあって寝不足とはいえ、朝っぱらから人の話を聞いていないのは自責せざるを得ない。たとえ相手が、大の苦手な伏見弓弦くんであったとしてもだ。私は彼を『何を考えているか分からない奴』と思っているけれど、今この瞬間だけは分かる。こいつは私が話を聞いてなかった事を分かった上で、敢えてこんな質問を投げ掛けているのだ。とはいえ私が悪い事は事実なので、ここは素直に謝るしかない。

「伏見くん、ごめん、聞いてなかった」
「謝る必要などございませんよ、遠矢さま」
 苦し紛れに上目遣いで許しを請う素振りをしても、この伏見弓弦くんには通用しない。彼は相変わらずの何を考えているんだか分からない作り笑いを浮かべて、私の心を抉ってきた。
「わたくしの様な、未熟で取るに足らない存在の戯言など、どうぞ聞き流してくださいまし」

 未熟、取るに足らない存在。それって私に対して言ってる? そうだよね、そうじゃないとおかしいよね、だって伏見くんはこの学院のトップユニット『fine』のメンバーじゃん。おまけに伏見くんって私と同じ転入生で、本来なら右も左も分からない状態の筈なのに、トップユニットへの仲間入りを涼しい顔して果たしてしまう時点で、未熟でも取るに足らない存在でもないよね? ほら、やっぱり嫌味じゃん。
 という事を口にしそうになったけれど、ぐっと堪えた。彼はクラスメイトである以前にアイドル科の生徒であり、私はこれでもプロデュース科の生徒なのだ。何を言われても波風を立てない様にしなければならない。

 幸い、教室は目前だった。もう何も話す事はないし、一緒にいたところで無駄に心が疲弊するだけなので、彼から逃げる様に、駆け足で教室に足を踏み入れた。

 そういえば、伏見くんは私のどこが羨ましいと思ったんだろうか。まあ、どうせ社交辞令だし、それを聞いたところで私にとっては何の得にもならないし、どうでもいいか。





 昼休み、食堂でひとり学食を頬張りながらスマートフォンを弄るのも、最早日課となってしまった。
 クラスメイトと打ち解けようにも、クラスで女子は私一人。一緒にプロデュース科に転入した子がもう一人いるけれど、彼女は隣のクラスだし、転入初日にして同じクラスの男子生徒達と行動を共にしているのを見て、なんとなく声を掛けづらくなってしまった。私も性別なんて関係なく、あんな風にクラスメイトと一緒に行動出来ればいいのだけれど、性格上どう足掻いても無理だ。
 朝教室に入れば、精一杯笑顔を作って挨拶、挨拶、挨拶。話し掛けられれば笑顔で応えるけれど、込み入った話はしない。そして下校時間の鐘が鳴れば、また笑顔で別れの挨拶。私にとってはこれが限界、全てがルーチンワークだ。
 それでいい。だって私はいずれはプロデューサーになるのだし、彼らはアイドルなのだから。適切な距離感で互いの為すべき事をするだけだ。

「おい、おまえ!」
 視線をスマートフォンから声の聞こえた方へ向ける。他生徒とは適切な距離感を保っている私に向かって開口一番おいおまえなんて事を言ってのける人物は今のところ一人しか知らないので、いちいち見なくても誰なのかは分かるのだが、ここは礼儀として食べる手を一旦止めて、目の前で仁王立ちしている桃色の髪の美少年へ会釈した。
「いかがなさいました? 『坊ちゃま』」
「ちょ、やめろ! ボクの名前を知らないとは言わせないぞ!」
「存じておりますよ、姫宮桃李『坊ちゃま』」
「坊ちゃまって言うな! ……ていうかまさかそれ、弓弦の真似?」
「うん」
「全っ然似てないから」
 似せる気など全くないので、姫宮桃李坊ちゃまの苦言はまさにその通りである。

「いい? 弓弦がもしこっちに来たら、ボクの姿は一切見てないって事にして! バラしたらただじゃ済まないからな!」

 私が返答するどころか頷く前に、桃色の髪の美少年こと『坊ちゃま』こと1年生の姫宮桃李くんは、ガーデンテラスへと走っていった。はあやれやれ、と溜息を吐いて再び学食に手を付けようとしたのも束の間、

「坊ちゃま〜、どこにいらっしゃるのですか〜、坊ちゃま〜」
 本家が来てしまった。まあ私は無関係を貫くまでなのだが、貫けた事は今までで一度もない。
「おや? 遠矢さま」
 この人に見つかったら最後、私は姫宮桃李くんの『バラしたらただじゃ済まない』という脅しの言葉と、今この場に現れた有能すぎる使用人、伏見弓弦くんがこれから始める誘導尋問の板挟みに合わなければならない。
「遠矢さま。お食事中申し訳ありません。いえ、大してお時間は取らせませんので」



「バカ〜! 弓弦にバラすなって言っただろ! この役立たず!」
 そう仰られましても、わたくしは役立たずゆえ、彼との口頭弁論に勝つ事は不可能です。申し訳ございません、坊ちゃま……そう言いたい気持ちを堪えつつ、伏見くんに腕を掴まれて抵抗虚しく引き摺られていく姫宮くんの叱咤を、私は悲痛な表情で受け容れた。

「遠矢さま、本当に申し訳ありません。ガキの戯言を気にする必要は一切ございませんので。わたくしの教育が到らないばかりに、ご不快な思いをさせて申し訳…」
「ガキって言うな! おまえ、奴隷の癖に最近生意気すぎるぞ!」

 もう何度目だろうこの遣り取り。役立たずと言われても最早全く傷付かなくなってしまったし、私の手元にあるすっかり冷めきった学食を、残り限られた時間で完食しなければならない事も、これも全て日々のルーチンワークのひとつと化してしまっている気がする。この学院で、心から休める時は存在しない。





 放課後は、ユニットの練習の見学に充てている。いや、充てたいという表現の方が正しい。

 転入してまだ日も浅いし、先輩方に声を掛ける勇気はなく、後輩となるとまだ入学したばかりで余裕はないと思うし、隣のクラスは私と同じプロデュース科の転校生がいるので、となると現段階では同じクラスの生徒が所属しているユニットに限られてしまう。
 と言ったものの、名の知れたユニットで実際見学が叶ったのは鳴上くんと朔間くんがいる『Knights』だけで、あとは大体断られている。

『UNDEAD』の大神くんと『Valkyrie』の影片くんは、そもそも取り合ってもくれない。確かに、今年度から新たに新設されたプロデュース科の、右も左も分からない女子生徒の面倒を見るようなものなので、断られるのは仕方のない事だ。
 クラスで恐らく一番私を気に掛けてくれているであろう優しいクラスメイト、衣更くんが所属する『Trickstar』は、もう既に隣のクラスの転校生がまるで専属プロデューサーの様な事になっているらしく、やんわりと断られてしまった。正直これは堪えた。断られた事ではなく、同じスタートラインだった筈の、隣のクラスの転校生『あんず』ちゃんが、もうプロデュース業を手掛けているという事に対してだ。
 焦った私は、衣更くんと同じくらい気に掛けてくれているであろう鳴上くんに頼み込んで、なんとか練習風景の見学に漕ぎつけたのだが、私なんて居ても意味がないし、むしろ居る方が皆の気を散らせてしまってる気がして、瀬名先輩と朔間くんの有り難い、耳に痛い忠告をひしひしと噛みしめて、それ以来Knightsの練習には顔を出していない。何の成長もしてなければ、居る方が彼らの足を引っ張ってしまうと思ったからだ。入学したばかりの1年生の朱桜くんはしっかりやっているというのに、本当に自分が情けない。

 という訳で、放課後は実質何もしていないに等しく、流石に転入したばかりとはいえ、日に日に焦りを覚えずにはいられなかった。
 副会長に相談しようかと思ったけれど、副会長の所属する『紅月』は、これから始まるフラワーフェスというイベントに向けて練習に励んでいる最中なので、それこそ私なんて邪魔以外のなにものでもない。
 そうなると、頼りになるのは教師――真っ先に椚先生が思い浮かんだが、先生と副会長にはあまり頼りたくない理由がある。二人共、生徒会の人間だからだ。
 この学院は混沌としている。生徒会が統治している世界。だが、反乱分子というものは必ず存在する。
 椚先生は生徒会の顧問を務めているし、生徒会長が不在な中、そういった反乱分子の処理だとか、様々な事を背負っているのは副会長の蓮巳先輩だ。そんな、ただでさえ大変なのに、私のせいで二人の手を更に煩わせたくはなかった。

 正直、今のままでは完全に行き詰まってしまう。悠長な事は言っていられない。比較対象がいないならまだしも、隣のクラスのあんずちゃんは一足先にプロデュース業をやっているのだ。
 思い切って、人当たりの良さそうな先輩を探して、勇気を出して声を掛けよう。そんな事を考えながら、普段通る事のない場所を歩き始めた、瞬間。

「うわああああああん、無理!! もう無理〜!!」
 どこかの教室から叫び声がほんの僅かだけど漏れてきて、思わず身を竦めてしまった。どこかのユニットが練習中なのは百も承知だけど、悲痛な叫びを聞いて、ついその練習風景を見学したくなってしまった。でもこの辺りの教室は防音がしっかりしていて、どの教室からか探し当てる事は難しい。
 それにしてもさっきの声、何処かで聞いた事があるような。声の主が誰なのかが脳裏を過ったと同時に、すぐ横の教室の扉が開かれた。

 互いに互いの顔を見遣って、息を飲んだ。
 忘れていた訳ではないけれど、無意識のうちに選択肢から除外していた。そう、彼も同じクラスであり、れっきとしたユニットに所属する生徒なのだ。

「伏見くん」
「遠矢さま。奇遇ですね、こんな所で」
「そうだね。……じゃなくて、さっき姫宮くんの叫び声が聞こえた気がしたんだけど」

 何も考えていなかった。助けるとかそんなんじゃなくて、ただの野次馬みたいな感覚で、伏見くんの横を潜り抜けて教室に足を踏み入れた。踏み入れてしまった。

「おや?」
「あっ、おまえ! いいところに来た! 助けて〜!」

 目の前で何が起こっているのか認識する前に、叫び声をあげていた張本人、姫宮くんが大きな瞳に涙を溜めながら、覚束ない足取りで駆け寄ってきたかと思えば、私の背中にしがみ付いた。
 私の視界に入った人物を認識して、私は声を失った。

 一瞬女性かと見間違うくらい、長い銀色の髪。その美しい顔と目が合った瞬間、思考が停止した。
『三奇人』、日々樹渉。暫し時を忘れて見惚れてしまっていたが、後にこんな感情を抱いた事を私は大後悔する事になる。

「坊ちゃま。遠矢さまを盾にするなんて失礼ですよ。駄々をこねていないで早くレッスンに戻ってくださいまし」
 背後から呆れの感情を露わにした声が聞こえて、我に返った。
 どうして失念してしまっていたのだろう。学院最強のユニット『fine』。まさにそのユニットに所属する生徒が、とても身近にいたというのに。

 私の物語は、今この瞬間、幕を開いた。

2016/09/10


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