Wind of Spring



 ついに桜フェス当日。Trickstarの皆がぎくしゃくしていたのは結局解決したのか、私には分からないけれど、彼らがこの学院の伝統あるフェスを私情で台無しにするとは考えにくいし、きっと大丈夫だろうと楽観視していた。
 というのも、大体の事情を知ることが出来たからだ。

 前に食堂で神崎くんが羽風先輩に向かって刀を振り翳したあの一件について、さすがに私も誤解をとかなければと思い、副会長に間に入って貰い神崎くんと話をしたのだけれど、その時にTrickstarの現状も聞くことが出来た。

 夢ノ咲を代表するユニットとして、桜フェスの成功を優先したい氷鷹くんに対し、明星くんは皆とお花見をして思い出作りがしたいと願い、仲間割れしていたのだ。神崎くんはちょうどその時に乙狩くんと共にグラウンドでお花見をしていて、後々、明星くんとあんずちゃんも合流し、そこで明らかになったそうだ。

 状況を把握して、正直安心した。Trickstarを学院の頂点へと導いたあんずちゃんなら、きっとなんとかしてくれるはずだと思えたからだ。

 正直、氷鷹くんの言分が尤もだとは思うけれど、明星くんの気持ちも理解出来た。学院の改革と共に様々なことが一気に変わったことで、自分たちの関係やアイドルとしてありたい姿、そういう、ありとあらゆるものも変わってしまう気がして、寂しくて、ちょっとわがままを言ってみたかっただけなのかも知れない。ただの憶測だけど。

 というか、同じクラスの衣更くんに聞くのが一番早かったのだけれど、彼の傍には常に朔間くんがいて、上手に伺うことが出来なかった。DDDが終わった今、TrickstarとKnightsは別に対立してはいないとは思うけど、朔間くんの前でそういう話をされるのは、衣更くんもあまり良い気分はしないと思うし。これもただの憶測だけど。



「樹里ちゃん!」
「あっ、あんずちゃん」

 こちらに向かって駆けて来るあんずちゃんに、つい苦笑を浮かべてしまった。だって、桜フェス本番を控えているのに、わざわざ私のところに顔を出してくれるなんて。皆に慕われるだけあって、気遣いの出来る子だ。

「来てくれてありがとう。ていうか、気を遣わせちゃってごめんね」
「ううん、だってなんだかんだで樹里ちゃんには色々手伝って貰ってるし……私も何か手伝えることはある?」
「こっちは大丈夫だよ。任せといて」

 そう、なんだかんだで私も桜フェスの運営を手伝っている。というか、手伝わない理由もない。逆にこちらがあんずちゃんに助けて貰う機会は、この先間違いなくあるだろうし、『生徒会側』の立ち位置になっている私が協力体制を見せることで、生徒会を快く思っていない人たちの気持ちが、少しでも変われば良い。私が損をすることは何もないのだ。

「ていうか、このグッズってどこに外注出したの? ハンドメイドっぽいけど」
「それ、私が作ったんだ」
「ええっ!? すごい! 衣装もあんずちゃんが作ったんだよね? 手先が器用ってレベルじゃないよ、職人技って感じ」

 私は校外からの来客に備えて、他の生徒と手分けして物販を担当するのだけれど、まさかこんな細かな作業まであんずちゃんが全て手作業でやっているとは……でも、今はなんとかなっても、この先色んなユニットを担当することになると、身体がいくつあっても足りないのではないか。あんずちゃんに倒れられたりでもしたら、それこそ副会長が倒れるのと同じくらい学院にとっては痛手だ。そうなる前に何か対策を考えないと。

「あんず、ここにいたのか。……む? 遠矢か……?」
「ああ、氷鷹くん。どうしたの、難しい顔して」
「遠矢こそ難しい顔をしているぞ。それに対してあんずは何やら恥ずかしがっているようだが……何があった?」
「え?」

 後からやって来た氷鷹くんに言われて、ふとあんずちゃんを見ると、確かに顔が赤い。

「あんずちゃん、大丈夫? まさか、過労で熱でもあるんじゃ」
「違う違う! その、樹里ちゃんに褒めて貰えて嬉しかったから……」

 あんずちゃんは首を大きく横に振れば、頬を染めたまま照れ臭そうに目を細めて、私を見つめた。多分、私が男子でアイドル科の生徒だったとしたら、抱いてはいけない感情を抱いてしまったに違いない。私の意思が弱いのではなく、それぐらい、まるでドラマのヒロインみたいにあんずちゃんが可愛く見えたのだ。

「ふふっ、遠矢も顔が赤いぞ」
「いや、それは気のせいだから」
「否定することはないだろう。仲が良くて何よりだ」
「氷鷹くん、人の話聞いてる?」
「あんずはどうにも無理しがちなところがあってな。これからも協力して、あんずの力になってやって欲しい」

 全っ然人の話聞いてないし。
 とは思ったけど、氷鷹くんの言葉は頷けるものがあった。今回の桜フェスのグッズを見れば一目瞭然だ。手作業でひとつひとつ丁寧に作っただけでなく、Trickstarの練習指導、それに他のユニットのレッスンだって見ている。おまけに衣装制作まで……取り返しのつかないことになる前に、誰かが止めてあげないと。

「言われなくても協力するよ。色んなライブを成功させれば、学院の評価が上がって、私の進路も有利になるしね」
「そんな言い方をしなくても、ただ単にあんずの力になりたいと言えばいいだろう」
「いや、まあ、それはそうだけど」
「衣更が『猫みたいなヤツ』『捻くれているが根は良いヤツ』などと称していたが……なんとなく遠矢の為人が分かって来た気がするな」
「は?」

 絶対に人を悪く言わなさそうな人物の名前が出て来たと同時に、ものの数秒で物凄く貶されたと感じたのは気のせいだろうか。
 この何とも言い難い感情が顔に出ていたのか、氷鷹くんは首を傾げ、その横であんずちゃんが慌てて氷鷹くんの横腹を小突いた。

「どうしたあんず? ああ、あと『気を許した相手にはツンデレ』とも言っていたな」
「北斗くん、もう黙って。真緒くんの名誉の為にも」
「二人ともどうした? 遠矢、何故そんな苦虫をみ潰したような顔をしている?」
「氷鷹くん、私を貶しにここに来たわけ?」
「何故そうなる? キャラが立ってて良いと思うぞ。友也が羨ましがっていた位だ。あいつは自分は個性がないと悩んでいるからな……そうだ、今度友也の相談に乗ってやってくれないか?」

 本当に何しに来たんだ。天然というか、究極のマイペースなのは良いとして、まさか私が捻くれた猫とかいうキャラ付けをされていることをわざわざ伝えに来たのか。まあ、真白くんの相談にはいつか乗るけれど。でもそれって今言うこと?

「いや、ほんと、何しに来たの」
「ああ、そうだ。遠矢、明星を見なかったか?」
「見てないけど……って、当日なのにまだゴタゴタしてるの解決してないわけ?」
「ゴタゴタ?」
「あ」

 私も人のことは言えない。やってしまった。氷鷹くんは同じユニットなのだからともかく、あんずちゃんの前で言うことではなかった。私の失言に、あんずちゃんの顔が一気に暗くなったからだ。

「あの、余計なこと言ってごめん……」
「謝るな。しかし、まさか遠矢にも知られていたとはな……」
「一応私もプロデューサーだし多少の情報はね。まあ、誰かひとりが我慢するより、お互い意見をぶつけ合う方がユニットとしては健全だと思うけど」
「とはいえ、桜フェス当日になっても四人揃っての練習もままならないとは、リーダーとして恥ずべきことだ」
「うーん、私は何とかなるって思ってるけどね」

 私の言葉に、あんずちゃんがぴくりと肩を動かした。先程の神妙な面持ちとは変わって、その表情は僅かな希望を抱いたかのように輝いて見えた。

「……樹里ちゃんは、どうしてそう思うの?」
「だって、このフェスがうまくいかなかったらあんずちゃんが悲しむって、明星くんならちゃんと分かってるはず。あんずちゃんを悲しませて平気なわけないから、絶対に舞台に立つよ。それに、Trickstarは四人でTrickstar。誰が欠けても駄目。違う?」

 随分と偉そうなことを言ってしまった。けれど、私の不安とは真逆に、あんずちゃんと氷鷹くんははっとした表情を浮かべた後、どちらともなく微笑へと変わった。

「そうだな。遠矢の言う通りだ。『ゴタゴタ』していたせいで、大事なものを見失ってしまっていたな」
「あの、その『ゴタゴタ』とかいう頭の悪い発言は忘れて……」
「ううん。失言なんかじゃないよ。樹里ちゃん、ありがとう。樹里ちゃんが言うなら、絶対にうまくいくと思う」
「ええっ、それはちょっと責任重大……」

 少し自信がなくなってきたけれど、でも、明星くんなら間違いなく桜フェスの舞台に立つという確信があった。だって、DDD前にTrickstarの皆が本当にバラバラになっていた時、あんずちゃんと二人で頑張っていたわけだし。DDDでやっと四人が元に戻って、最高の展開を迎えて。折角掴んだ栄光を、一時の感情で無下にするほど、彼は考えなしではないはずだ。





 あんずちゃんと氷鷹くんが去った後、外部からのお客さまを迎え、物販に来る客足もまばらになった頃。どうやら桜フェスは無事始まったようだ。ここからは死角で舞台は見えないが、軽快な音楽に合わせてTrickstarの歌声が聞こえる。その中に、ちゃんと明星くんの声もあった。無事四人で舞台に立って、問題なくフェスは進行しているようだ。
 安心して、ついうっかり油断してしまった。両手を上げて伸びをした瞬間、

「お疲れ様です、樹里さん」
「ひえっ」

 あまり見られたくない相手にばっちり見られてしまった。どうして伏見がここに。しかもこんなタイミングで。

「はあ!? おい、樹里! なんでおまえが手伝いなんかしてるんだ! あいつらは敵だぞ〜!」

 彼の後ろに隠れていた姫宮くんが顔を出して私を見た瞬間、声を荒げた。
 責められても仕方ない。云わばTrickstarは生徒会長を王座から引きずり下ろしたわけだし、SSだけでなくこの桜フェスも、本来なら学院を代表してfineが出ていた筈なのだ。

「坊ちゃま。DDDはもう終わったのですから、プロデューサーという立場上、樹里さんが誰に対しても平等に接するのは当然のことですよ」
「だからって手伝う必要ないだろ! しかもボクの奴隷にこんな雑用をさせるなんて、許せない〜!」
「落ち着いてくださいまし、坊ちゃま。樹里さんはわたくしどもの次のドリフェスに向けて、水面下で動いていらっしゃるのですから、寧ろ特別扱いして頂いているぐらいですよ」
「そ、それはそうだけど……」

 彼は姫宮くんを窘めると、私に愛想の良い笑みを向けた。

「とはいえ、坊ちゃまの言う事にも一理あります。お手伝いもよろしいですが、ご自身の体力を過信して無理し過ぎないでくださいね」
「了解。確かにちょっと疲れたし。……さっきのは見なかった事にしてね」
「ふふっ、伸びをするぐらい誰だってしますよ。アイドルだろうと、プロデューサーだろうと、その辺を歩いている猫だろうと」
「猫」

 衣更くんが言っていたらしい言葉を思い出して、つい不機嫌極まりない声を出してしまった。彼は一瞬不思議そうに怪訝な顔をして、また先程の微笑に戻った。

「物販もすっかり売り切れのようですし、樹里さんもステージを見てきたらどうですか?」
「伏見たちも見に来たの?」
「いえ、わたくしたちは……」
「ボクたちが見るわけないだろ! 大体、本当はボクたちが桜フェスをやる筈だったんだからね!」

 姫宮くんはそう言うと、ふん、と鼻を鳴らした。怒っているというよりも、いじけていると称した方が近いかも知れない。従者の彼は苦笑を浮かべると、言葉を続けた。

「そういう訳ですので……ただ、樹里さんはお気を遣わなくて結構ですよ」
「いや、私も似たような理由で、別に見に行かなくてもいいかな」
「え? どうしてですか?」
「あんずちゃんが大きなドリフェスを成功させているのをじかに見たら、それに比べて自分は駄目だって落ち込むかもしれないし」

 こんな嫉妬まる出しの台詞など言いたくなかったのだけれど、つい本音が漏れてしまった。あんずちゃんは良い子だ。だからこそ、こんな風に引け目を感じてしまう自分が嫌になるのだ。別に彼女より上に立ちたいとか、敵視しているとか、そういう類の感情ではない。でも、醜い感情であることには違いない。

「ごめん、変なこと言って」
「樹里!」
「は、はいっ」

 突然私の名前を呼んだのは、彼ではなく、彼の主人だ。

「ボクたちの次のドリフェス、絶対に成功させようね。そうすれば、おまえも自信が付くでしょ? おまえが頑張っていることは、ボクも会長もちゃんと知ってるんだから」

 さっきまで怒っていた姫宮くんは、慈悲に溢れた微笑みを湛えてそう言った。全く予想していなかったあたたかな言葉に、鼻の奥がつんとした。油断したら泣いてしまいそうだ。

「姫宮くん、ありがとう」
「全く、おまえは少し目を離すとすぐ落ち込むんだから。しっかりして貰わないと困るぞ!」
「横入りして恐れ入りますが、わたくしも坊ちゃまに同意見です。引け目を感じるなと言われても難しいでしょうけど、無理に『良い子』でいようとする必要はないと思いますよ。我慢して自滅する前に、適度に吐き出した方がよろしいかと」
「はい……」

 これは説教なのか、あるいは苦言か、忠告か、助言か。涙は流れることなくすっかり瞳の奥に引っ込んだ。姫宮くんはともかく、従者の彼の前ではあまり弱いところは見せたくないから、これはこれで良しとしよう。

「ところで、二人はどうしてここに来たの? 姫宮くんの様子を見る限り、私が手伝ってる事は知らなかったみたいだし」
「わたくしどもは生徒会室で仕事をしていたのですけれど、グラウンドから漂う美味しそうな匂いに坊ちゃまが釣られてしまいまして……」
「おい! 樹里の前で恥ずかしい事を言うな〜!」
「そうしてグラウンドを彷徨っていたら、樹里さんを発見したのです」

 姫宮くんは顔を真っ赤にして従者の身体をぽかぽかと叩いた。なんだか微笑ましくて、少し荒んでいた心も幾分か晴れてきた。

「屋台たくさん出てるし、良い匂いだもんね。姫宮くん、何食べたの?」
「弓弦が買ってくれるわけないじゃん……」
「ちょっと伏見。屋台ぐらい、おやつ程度に買ってあげてもいいんじゃないの?」
「いけません。坊ちゃまが口にするものはわたくしが全てカロリー計算しておりますので、屋台の食べ物など言語道断です」
「うわ」

 別にちょっと食べるくらい良いのでは……と思ったけれど、これからサーカスが控えている。確かにあれはグラム単位で体重が増えただけで、ダイレクトに影響が出そうだ。尤も、姫宮くんにどこまで、どれだけの事をやらせるのか、まだ分からないけれど。

「樹里〜! なんとか弓弦を説得してよ〜!」
「うーん、でも伏見の言うことも一理あるし……」
「ええっ!? 弓弦の肩持つの!? 樹里の裏切り者〜!!」

 今度は私に矛先が向かい、姫宮くんに胸の上あたりをぽかぽかと叩かれた。全然力が入ってないし、目の前に姫宮くんの愛らしい顔があって、少し照れてしまった。怒っていてもその可愛さが失われることはない。可愛い。

「坊ちゃま。女性に暴力を振るうなど、姫宮家の次期当主としての自覚が足り……あの、樹里さん? 何故嬉しそうなんですか?」
「はい?」
「随分と腑抜けた顔、というかデレデレしていらっしゃいますけれど」
「してないし!」

 いや、彼がそう言うならしていたんだろう。可愛いなあ、と思ったのは事実だし。とはいえ、何も面と向かっていうことはないでしょ。つい声を荒げてしまったけれど、ふと姫宮くんに視線を戻すと、姫宮くんこそ嬉しそうな顔をしていた。そして得意気に胸を張りながら従者へ顔を向ければ、「弓弦、おまえヤキモチ焼いてるんでしょ? 樹里がボクに見惚れてたから!」と言い放ち、その言葉に彼の眉がぴくりと動いた。

「坊ちゃま。そろそろお暇しましょう。樹里さんのお仕事の邪魔をされてはいけませんよ」
「ふふん、さては図星だな〜?」
「それ以上言うと今夜の晩ごはんは抜きですよ」
「ちょっ、おい! 置いてくな〜!!」

 何やら機嫌を損ねてしまった従者が、挨拶もなしにこの場を去ってしまい、姫宮くんは慌ててその後ろ姿を追って行った。氷鷹くんといい伏見といい、一体何しに来たのだか。

 とはいえ、彼の言葉で少し気が楽になったのは事実だった。どうして口を滑らせてしまったのか、自分でも分からないけれど、もしかしたら彼なら私が間違ったことを言っていたら、厳しく叱って正してくれる、そう思ったからかも知れない。
 彼は姫宮くんの従者であって、私にとってはただのクラスメイトなのに。いけない。甘えが出てしまっている。それぐらい、彼を頼りにしているということなのだろう。それって、プロデューサーとして恥ずかしい事だ。

 でも、自分のもやもやした気持ちを言葉にして、自分の弱さと向き合えた気がした。無理に『良い子』でいる必要はないという、彼の言葉。言われてみればその通りだ。勿論、模範的な態度を取る必要はあるけれど、時には落ち込んだって、嫉妬したって良い。そうやって弱い自分を受け容れることで、少しずつ前に進めるのかも知れない。

「暇だし……やっぱり、観に行こうかな」

 もし私があんずちゃんの立場だったとしたら。もう一人のプロデューサーが何をしてくれたら一番嬉しいか。きっと、ステージを観に来て、笑顔で応援してくれたら、凄く嬉しいに違いない。そうとは限らないけれど、一切顔を見せないよりはずっといい。彼らの最高のステージを見て、いつか私もこんな舞台を自分の力でやってみたいと、今の私ならきっとそう思えるはずだ。

2018/04/29


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