No Good Deed



 通常のプロデュース業に加えて、fineの復活に向けて本格的に動き出してからというもの、早くも時間の捻出が難しくなってきていた。
 あんずちゃんは一体どうやって円滑にプロデュース業に励んでいるのだろう。単に私の要領が悪いだけかも知れないけれど、あんずちゃんのやり方を参考にすれば、自分の駄目なところが分かって、改善策も見つけられるはずだ。

 思い立ったが吉日、隣のクラスを覗いてみたものの、なんだか様子がおかしい。
 あんずちゃんではなく、Trickstarの面々が。

 氷鷹くんと明星くんが何やら口論をしている。ユニット全員、随分と仲が良さそうに見えるのに。仲が良いからこそ喧嘩も出来るという解釈も出来るけど、桜フェスがこれからあるのに仲間割れはあまり良い傾向とはいえない。
 それに、この雰囲気で呑気に声を掛けるのは気が引ける。ここは一旦退散しよう。

 とりあえずこれからどうしたものか。折角、放課後に一時間ほど空き時間が出来たから、あんずちゃんと親交を深める為にもゆっくり話をしたいと思っていたのに。まあ、空き時間とはいえやる事はいくらでもある。

 腹が減っては戦は出来ぬ――いや、誰とも争う気はないけれど。なんて心の中で自分に突っ込みながら、相棒のノートパソコンを携えて食堂に向かった。



 たまには冒険すれば良いものの、どうしても無難な物に落ち付く。以前、鳴上くんと一緒に食べたパフェをついつい頼んでしまうのだけれど、あの時精神的に辛かっただけに思い出補正が入っている気がしないでもない。
 とは言え、美味しいことに変わりはない。何かを食べながらパソコンやスマートフォンを弄るのは行儀が悪いと分かってはいるものの、極力時間は節約したい。『時は金なり』という諺もあるし。そう自分に言い訳しながら、色んなユニットのドリフェスの考案や、各々に合ったレッスンの見直しをしよう。

「おや? 樹里ちゃんもやっぱり女の子だね」
「ひえっ」

 突然すぐ傍で話し掛けられて変な声が出てしまった。言葉の内容よりも、デザートを食べながら作業をするという、行儀の悪いところを見られたのが恥ずかしい。昼休みも食べながらスマートフォンを見たりしていたから今更だけど。こういうところも少しずつ直して行かないと。

「ははっ、そんな気まずい顔しなくても大丈夫だよ。君って生真面目な子だと思ってたけど、こうやって息抜き出来てるなら良かった」

 私を嗜めるどころか逆に肯定するようなことを口にしたのは、三年A組の羽風先輩だ。いつぞやのfineとのドリフェスには参加していなかったが、DDDではUNDEADの一員として参加し、手慣れたパフォーマンスで観客を魅了していた実力者だ。

「あの、お恥ずかしいところを見せてしまってすみません」
「え? なんで謝るの? ……ああ、そういうことか。はいはい、少しは仕事から離れようね〜」

 羽風先輩はノートパソコンのカバーを閉じて、私の顔を覗き込んで来た。妖しく細められた灰色の瞳に至近距離で見つめられて、これは普通の女の子ならすぐに恋に落ちてしまうだろう。いや、私も普通なのだけれど、生憎このトラップに嵌ることはない。何故なら、

「羽風先輩。女子との距離感おかしくないですか? そういう事をするから、あんずちゃんに避けられるんですよ!」
「げっ、なんで樹里ちゃんその事を……」

 あんずちゃんに聞いたからだ。

「たった二人のプロデュース科ですから、それなりに情報共有してるんです。『羽風先輩には気を付けて』って教えて貰いましたから」
「酷いなあ。俺は女の子に優しくするのは当たり前だと思うけど?」

 あんずちゃんが人を悪く……言ったわけではないけれど、忠告めいた事を口にするのにはれっきとした根拠があるのだと納得した。

「それで、私に何か御用でしょうか……」
「いつも忙しそうな樹里ちゃんが、今日は珍しく暇みたいだし、交友を深めようと思って」

 どうやら私に拒否権はないらしい。羽風先輩は私の向かいに座って、まるで観察するように私をまじまじと見ている。

「羽風先輩も何か頼みますか?」
「えっ、付き合ってくれるんだ? ラッキー」
「この後レッスンを見る予定が入ってるので、三十分ぐらいしかありませんけど、それで良ければ」
「貴重な時間を俺の為に使ってくれるなんて、それだけで充分嬉しいよ。ありがとう、樹里ちゃん」

 あんずちゃん曰く、羽風先輩はかなりスキンシップが激しくぐいぐい来るタイプだという話だったけど、案外そうでもない。というか恐らく、相手によって接し方を変えているのだろう。私に対してはある程度距離感を保った上で、こちらの気分を良くさせる言葉を選んでいる、という気がする。

「ただ、私といても退屈だと思いますけど」
「それを決めるのは俺だから。まだろくに話してないのに、どうしてそういう事言うのかな?」
「あんずちゃんから聞いていた羽風先輩像と違うので……」
「俺も一応、弄っていい相手と駄目な相手の区別は付いてるから」

 あんずちゃんは弄っていいという認識でいるのか。それ、あんずちゃんが知ったら一生口利いてくれなくなると思うけど。というかそれよりも、私が弄ったら駄目な相手と認識されているって意外すぎる。

「とりあえず……羽風先輩、何にします? 頼んできますね」
「え? 女の子にそんな事させないよ。自分の事は自分でするから、樹里ちゃんはパフェ食べながら待っててね」

 羽風先輩は愛想の良い笑みを浮かべて、いったん席を立った。異性の扱いに慣れているという印象を受けた。優しくされてときめくよりも先に、羽風薫という人物はアイドルとしてファンへの応対能力が高い、と真っ先に判断したあたり、私もプロデューサー業務に染まりつつあるのかも知れない。

「お待たせ。おっ、ちゃんとパソコンは閉じたままだね」
「え、仕事していいんですか?」
「駄〜目。この後レッスンがあるなら、尚更今は仕事禁止。出来る人は休める時にしっかり休むものだよ。優秀なプロデューサーになりたかったら、今は俺に付き合うこと」
「は、はあ……」

 最後の一言はどうかと思うけど、羽風先輩の言葉には概ね納得できた。一般社会でも休みや休憩がしっかりある方が能率が上がると言われているし、理に適っている。やっぱりまともな話をしているし、軟派な印象とは少し違う。まあ、それも少し前の羽風先輩の発言に繋がるのだけれど。

 羽風先輩は珈琲を片手に、再び私の向かい側に腰を下ろした。

「羽風先輩。私ってそんなに弄りにくいですか?」
「えっ、そこが気になったんだ。へえ、俺に弄られたいのかな?」
「そうじゃないです! あんずちゃんと違って取っ付きにくいのかなと思って」
「取っ付きにくいなんて言ってないよ? 樹里ちゃんはバックに生徒会が付いてるから、近付きすぎると何かと面倒なことになりそうだし。決して君に非があるわけじゃないよ」

 三年生の羽風先輩でもそう思うという事は、他の生徒、特に一、二年生はそう思う人が多くいてもおかしくない。私としてはDDDの舞台での発言は自分の信念を貫いたつもりだったけど、それで未だなお私が近付きがたい存在になっているとしたら、果たしてあの時どうするのが正解だったのか。

「樹里ちゃん、早くパフェ食べた方がいいんじゃない?」
「あっ、はい! すみません」
「残したら俺が食べるから、無理はしなくていいよ」
「間接キスじゃないですか。駄目ですよ、そんなの」
「樹里ちゃんはそういうの気にするタイプなんだ」

 普通は気にしないのか。普通って何だろう。分からなくなってきた。

「嫌な気分にさせちゃったかな? ごめんね」
「いえ、嫌では全然ないんですが……普通は間接キスなんて気にしないのかな、って」

 素直にそう言うと、羽風先輩は目を見開いてきょとんとしたけれど、すぐに優しい微笑に戻った。こういう何気ない仕草も、女の子の心をぐっと掴みそうだ。

「樹里ちゃんって、周りからどう思われてるかすごく気にするタイプなんだね」
「は、はあ……言われてみれば、そうかもしれないです」
「気にするなって言っても難しいだろうけど、気にし過ぎたら駄目だよ。周りの言動に振り回されて自分を見失ったら、いつか壊れるよ」

 ……羽風先輩って、物凄く良い人なんじゃないだろうか。いや、悪い人とは思ってないけど。

「何が普通かなんて人それぞれ違うんだから、深く考えなくていいんだよ。君は君、あんずちゃんはあんずちゃん」
「えっ、なんでそこであんずちゃんの名前が出て来るんですか?」
「『あんずちゃんと違って私は取っ付きにくいのか』って聞いてきたのは樹里ちゃんでしょ」
「うっ……」
「二人共タイプが違ってそれぞれ良いところがあるんだから、自分を卑下したら駄目だよ」
「………」

 良い人だ。とても良い人だ。そう素直に思えれば良いのに、なんだか引っ掛かる。心地の良い言葉ばかりが並ぶからだろうか。先輩の言葉を肯定するのもなんだか歯痒くて、つい俯いてしまった。なんだか無性に顔が熱くなってしまい、気を紛らわす為に黙々とパフェの消費に勤しんだ。お陰様で、あっという間に平らげることが出来た。

「綺麗に食べたね〜。それじゃ、そろそろ行こうか」
「は?」

 ぼうっとしていて気付かなかった。羽風先輩はいつの間にか私の隣に移動していて、私の顔を覗き込んだ。近い。近すぎるって。

「落ち込みやすい樹里ちゃんに元気になって貰う為に、お兄さんが素敵な場所に連れて行ってあげるよ」
「はい? ていうか、私この後レッスンの予定が」
「うちの部室だから大丈夫だって。レッスンなんて、少しくらい遅れたって平気平気」
「駄目ですって。私、椚先生に十分前行動を徹底するよう言われてるんです」
「え? という事は、本当は三十分じゃなくて四十分も時間あるんだ。じゃあ尚更大丈夫だよね」

 私の承諾なんて聞く気もない、というか承諾以外有り得ないとばかりに、羽風先輩は満面の笑みで私の手を取った。

「行こう、樹里ちゃん」
「あ、あのう」
「樹里ちゃん、まだ部活決まってないでしょ? 見学においでよ。樹里ちゃんの場合は部活は強制参加じゃない筈だけど、学校生活の思い出作りも兼ねて、どこかに入って損はしないと俺は思うよ」
「う、う〜ん、確かにそれはそうですけど……」

 駄目だ。羽風先輩のペースに完全に飲まれている。予定がなければ多分ついて行ったと思うけど、これからレッスンが控えていると思うと気が気ではない。学校生活の思い出作りより、今はまずやるべき事をやらないと。青春だの何だのは、二の次だ。

「そうやって悩んでたらますますレッスンに間に合わなくなっちゃうよ? さ、行こう」

 羽風先輩に促されるように立ち上がった瞬間、

「貴様!! 遠矢殿に破廉恥な真似をするな!! 海洋生物部の面汚しが!!」
「うわっ、そ、颯馬くん!?」

 刀を持った同級生が突然現れ、羽風先輩に振りかかろうとしていた。二年A組の神崎颯馬くんだ。副会長率いるユニット『紅月』に所属しており、フラワーフェスでもその勇姿を見ていた為、彼の為人については把握はしている。とはいえ、まさか真剣ではないと思うけど。まさか。

「神崎くん、待って! 私は大丈夫だから!」
「遠矢殿、騙されるな! さあ、今のうちに!」

 まるでタイムスリップしたと錯覚する位、神崎くんの仕草は侍そのものだった。凛々しい瞳を向けて叫ばれて、なんだか時代劇みたいでほんの少しテンションが上がってしまった。このシチュエーションで私が取るべき行動は、ひとつだ。

「は、はい!」

 刀を携えた美男子の侍に逃げるよう促された町娘は、頷いてその場を後にするのだ。

「えっ!? ちょっと、樹里ちゃん!?」

 羽風先輩には悪いけど、やっぱりレッスンに遅れるのは良くない。先約を優先するのは当たり前だ。神崎くんの登場によって、羽風先輩の手が私から離れた隙に、駆け足で食堂を後にした。



「大体、なんで颯馬くんがここにいるわけ!?」
「あどにす殿と花見をする為に、食糧調達で食堂に来たら……貴様という男は!」
「ちょっと颯馬くん! 違うから! 樹里ちゃんをうちの部に誘おうとしただけだって!」
「部活の勧誘で手を握る必要があるか!」
「あ〜もう! 誤解だって!!」





 予定していたレッスンは無事終わったけれど、まだまだやる事はある。あんずちゃんは毎日遅くまで残っているみたいだし、生徒会もDDDが終わった今、膨大な量の雑務に追われている。私もfineのドリフェス開催に向けて暗躍しているのだけれど、今日は少し余裕がある。さて、これからどうしよう。生徒会の手伝いに行こうかと思ったけれど、どうにも今日のあんずちゃんとTrickstarの面々の様子が気になる。明日、衣更くんに聞いてみようかな。言い難ければ言わないだけだろうし。

「うわっ!?」

 考え事をしていたせいで、廊下で思い切り人にぶつかってしまった。反動で後ろに倒れそうになったところを、相手が咄嗟に私の背中に手を回して抱き寄せてくれたことで、難を逃れることが出来た。
 出来たけど。
 公共の場で私にこんな事をする奴は、ひとりしかいない。

「伏見。ありがとう。ありがたいんだけど、離して」
「尻餅をつかれなくて何よりです。ですが、目の前に人がいることにすら気付かないほど、考え事をしながら歩くのは感心しませんね」

 正論なので何も言えない。彼はすぐさま背中に回していた手を解き、数歩下がっていつも通りの愛想の良い笑みを私に向けていた。

「悩み事ですか? 樹里さんさえよろしければ、わたくしが聞き役になりますよ」
「伏見、生徒会の手伝いとかしなくていいの? ていうか姫宮くんは?」
「少しは坊ちゃまひとりの力で仕事をさせるように、と副会長さまから言われ、少しの間ですがお暇を頂きました」
「副会長、やっぱり厳しいんだね。皆で協力してやった方が効率も良いのに」
「だからと言って、人に任せきりなのも成長しませんしね」
「なるほど」

 とは言え、姫宮くんは入学したばかりの一年生なのだから酷とは思う。逆に言うと、それだけ副会長は姫宮くんに期待しているとも取れる。彼もそう思うからこそ、大切な主を置いて来たのだろう。

「じゃあ、少しだけ話聞いて貰おうかな。立ち話もなんだし……」
「どうぞこちらへ」
「は?」

 私が頷く前に、というか承諾も何もあったものではない。彼はあらかじめこうなることが分かっていたかの如く、付いて来いとばかりにとっとと歩き始めた。いや、私、「分かった」って一言も言ってないんだけど。と、心の中でぼやいても彼に届くわけもなく、声に出して文句を言ったところで話は進まない。無駄な口喧嘩をすることにエネルギーを使うより、早く己の問題が解決することを優先する方が賢明だ。うん、私も大人になった。





 辿り着いた先は、弓道場の入口だった。

「お疲れ様です、樹里さん。ついて来てくださらなかったらどうしようかと思いました」
「そんなこと思ってもいない癖に。大体、弓道場で話そうって一言言えば済む話じゃん」
「ふふっ」

 どうやらこの男は私を試して楽しんでいるらしい。いつもの微笑より心なしか上機嫌に見える。
 というか、てっきり入口で話すのかと思いきや、彼は当然のように奥へ入って行った。

「待って。私、部外者なんだけど」
「蓮巳さまから事前に許可は頂いていますので、大丈夫ですよ」

 随分と準備の良いことで……というか、ここまで準備万端だと、きっと私の相談を聞くというのは建前で、彼の方から何か話があるのだろう。蓮巳先輩――副会長と話が付いているのなら、生徒会絡みか。副会長も多忙なので、彼に言伝を頼んだという事はすぐに予測が付いた。

「お邪魔します」

 彼の後に付いて行って、弓道場の中に足を踏み入れた瞬間、凛とした雰囲気に包まれた。ひんやりとした空気を肌で感じる。誰もいない、音ひとつしない空間。神聖な場所、そう称するに値した。

「少し身が引き締まる感じがしませんか?」
「少しどころか、かなりね」

 というか、逆に話しにくい空間のような気もする。まあ、私の話を聞くのではなく向こうが話をするのが目的なら、問題はないのだろうけど。

「それで、話って何?」
「はい? 樹里さんの相談を聞くという話ではないのですか?」
「あ、いや、そうだけど……」
「あまり余計な気を回さなくてもよろしいですよ。お察しの通りこちらからも用件はありますけれど、大したことではございません。樹里さんのお悩み解決が最優先ですから」

 そう言われるとかえって話しにくくなる。というか、そもそも私、何に悩んでいたんだっけ。ええと、そもそも最初はあんずちゃんに効率の良いプロデュース業を教わるつもりでいて、でもTrickstarの皆の様子がおかしくて……こんな事、彼に話すことではないし。

「あの、伏見。申し訳ないんだけど、その、特に悩みはなかった」
「は?」
「ほんとごめん」
「ほう? という事は、誰にも頼ることなくプロデュース業も順調で、fineの次のドリフェスに向けての雑務も滞りなく、会長さまに胸を張って報告出来ると……」
「待って! そうやってプレッシャーかけるのやめて!」

 DDDまでの間、散々彼に迷惑を掛けたから、頼らずに極力自分の力で何とかしようともがいているところなのに、人の気も知らないで追い打ちをかけて。彼の言う通り、余計な気を回して損した。

「もういい。帰る」
「駄目です。こちらの話が終わっていません」
「結局そっちが本題だったって事!?」

 彼に振り回されるのは今に始まった話ではないので、もう今更何を言ってもどうしようもないのは分かってはいる。いるのだけれど。

「もう! それならそうと初めからはっきり言ってよ!」
「それも芸がないと思いまして」
「芸とか別に求めてないから。それで、話って何」

 この時の私は完全に油断していた。副会長の命令だから生徒会絡みで、どこかのユニットのドリフェスの企画書に急遽直しが必要だとか、そういう事だと思い込んでいた。

「つい数時間前、食堂で樹里さんと三年A組の羽風さまが不純異性交遊を働いていると報告がありまして」
「はあ!?」
「更には二年A組の神崎さまが真剣を振り回して乱入されたと……」
「………」

 前者は嘘だけど後者は事実だ。いや、前者も傍から見たらそう見えたのかも。私にそんな気はなくて、羽風先輩もただ単に部活に誘おうとしていただけであったとしても。

「羽風先輩は私を部活に誘おうとしてただけ。それを神崎くんが勘違いして……でも、傍から見て勘違いされる状況を作ってしまったのは事実だから、副会長には私から直接謝りに行きます」
「別に謝られる必要はないのでは?」
「えっ?」
「神崎さまの勘違いなんですよね?」
「………」

 この男、まさか知ってて鎌をかけたんじゃ……疑いの眼差しを向ける私に、彼は平然と余裕綽々の笑みを浮かべている。癪に障る。

「それでは、本題に移りますね」
「これが本題じゃなかったの!?」
「一応関係がありますよ。DDDが終わったとはいえ、反生徒会側の生徒が樹里さんに必要以上に接触するのは、あまり良いこととは言えません。樹里さんが反生徒会側に引き込まれ、生徒会に顔を出さなくなるのも時間の問題……それを危惧した副会長さまの胃痛も悪化している状況です」
「えっ、ちょっと、私のせいなの!?」

 私のせいで副会長が胃潰瘍になったりなんかしたら、ただでは済まない。いや、副会長は私を責めたりはしないだろうけど、会長の体調も優れない今、この学院を動かしているのは副会長だ。その副会長が倒れたり、あまつさえ入院なんてしようものなら、全てが滅茶苦茶だ。ドリフェスも、何もかも、立ち回らなくなる。

「という訳で」

 最悪の事態を想像して真っ青になる私とは対照的に、彼は実に楽しそうだ。久々に私を弄ることが出来て嬉しいのだろう。良かったね。私は全然良くないけど。

「副会長さまとしては、出来る限り樹里さんを手元に置いておきたいそうなのです」

 それって、つまり正式に生徒会に入れって事だろうか。でもそうなると時間の捻出がますます難しくなる。今日みたいに作業量も落ち着いている日なら良いけれど、プロデュース業というものも波がある。もう、いっそ彼に相談してみようか。

「あの、伏見。やっぱり相談なんだけど」
「そこで、樹里さんに我が弓道部に入部して頂きたいのです」
「……は?」
「羽風さまが勧誘されたという海洋生物部……神崎さまはいらっしゃいますけれど、副会長さまは樹里さんが羽風さまだけでなく、部長の深海さまと接触することも危惧しておられます。深海さまはDDDで生徒会と敵対した『流星隊』のメンバーの上、『三奇人』のおひとりですから」

 待って。話の展開が理解出来ない。私を生徒会に置いておくっていう話ではなくて?

「今後も反生徒会側の生徒が樹里さんを取り込んで、生徒会を引っ掻き回さないとも限りません。部活の勧誘なんて一番それとなく取り込めてしまいますよね。ですので」
「私を弓道部に入れて、手出しさせないようにするって事?」
「そういうことです」

 だから、初めから結論を言えばいいのに、どうしてこんなまどろっこしい事を。副会長の命令なら素直に従うし、部活もこれといった拘りもなくて、美味しい紅茶が飲めるからというただそれだけの理由で紅茶部に入ろうと思っていたくらいだし……。

「紅茶部のほうが良かったですか?」
「そんなこと誰も言ってない」

 まさか人の心を読んだのか。それとも私の顔に出ていたのか。美味しい紅茶が飲みたいなんて感情が顔に出るとは思えないけど。って、馬鹿か私は。いつも以上に頭が働いていない。

「入るのはいいけど、正直言って部活動に時間を割ける自信はないよ」
「幽霊部員で構いませんよ。樹里さんの身柄を副会長さまが確保しているという事実が、校内に広まれば良い話ですから」
「身柄確保って、私は犯罪者じゃないんですけど」

 副会長の望みはじゅうぶん理解できたけれど、兎にも角にもこの男の言い方が気に食わない。やっぱり相談しないで正解だった。迷惑を掛けたくないというより、これ以上こっちの弱みを握られたくない。

「入部で決定ですね。ありがとうございます。改めまして、これからよろしくお願いしますね」
「は?」
「お忘れですか? わたくしも弓道部員なのですが」
「あ」
「ふふっ、わたくしなど存在感も薄いですから、どうぞお気になさらずに。決して樹里さんの記憶力が鈍っているわけではございませんので」

 ここまで嫌味ったらしい態度を取っておいて、存在感が薄いも何もない。弱みを見せないよう気を付けても、何をやっても揚げ足を取られてしまう。いや、揚げ足を取られるようなことを言う私が悪いのだけれど。ああ、先行き不安だ。教室だけでなく、部室でも弄られるなんて。絶対に嫌だ。絶対に幽霊部員になってやる。そう固く心に誓ったのだった。

2018/04/18


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