Slip Into the Spring



「サーカス……ですか?」

 学院に革命が起こした『DDD』が終わり、まるでその革命をずっと待っていたかのように、長らく蕾のままだった桜が一気に満開になった、ある春の日の放課後。

「そう。僕たちfineは、S1でサーカスを開くつもりでいるんだ。大々的なステージで敗北を喫してしまったからには、それを超えるインパクトを以てして、僕たちは決して地に落ちてはいないのだと大衆に見せつけないとね」
「なるほど……」

 ガーデンテラスで会長――英智さまの話を聞きつつ、私はたいして分かってもいないのに適当に相槌を打ちながら、ドライフルーツの入った紅茶を嗜んでいた。

「樹里ちゃん、分かってないよね?」
「はひっ!?」
「大々的なライブでもやれば済む話なのに、なんでまだサーカス?って言いたそうな顔してる」
「し、してません〜!」

 驚きのあまり、危うくティーカップを落として大惨事になるところだった。
 やっぱりこの人の前では嘘も吐けないし、取り繕うのも無理だ。『皇帝陛下』――天祥院財閥の御曹司であり、学院の頂点に君臨している人物の前で、迂闊な態度は取ってはならない。
 英智さまはきっとこれまで幾多の人間と接し、人の汚い面も見たくなくても見てきたのだろう。私なんかよりずっと『そういう』思いをしてきて、逆にそういうこともしてきたのかも知れない。

 そんな英智さまは、尊敬出来ると同時に、私にとっては絶対に敵に回してはいけない存在だ。そもそもそんな気もないけれど。今みたいに可愛がって貰えるうちはいいけれど、役立たずだと切り捨てられたら終わりだ。私自身の技量はどうしようもないとしても、せめてちゃんとした姿勢は見せなくては。

「……で、どうしてまた『サーカス』なんですか?」
「あ、やっぱり樹里ちゃんそう思ってたんだ」
「も〜! 酷いです会長っ!」
「ごめんごめん、つい弄りたくなっちゃってね。弓弦の気持ちがよく分かるなあ」
「は?」

 あの男がところかまわず私の揚げ足を取って弄り倒すせいで、色んな人にそういう認識をされてしまって、もううんざりだ。プロデュース業に支障はないから、今のところはまだいいけれど。

「ただのライブではインパクトに欠けるからね。歌やダンスだけでなく曲芸も披露することで、ただのアイドルとは一線を画す特別なユニットだとアピールしたいと思っているんだ」
「えっ?」
「なんだい?」
「あの、会長。曲芸までやるんですか?」
「もちろん」

 あまりにもさらっと言うものだから、またしてもティーカップを落としそうになってしまった。

「あ、あの、会長、その、お身体は……」
「万全とは言い難いけど、その程度のことぐらいは出来ないとね」

 サーカスというテーマで歌と踊りに加えて曲芸まで見せることが、『その程度のことぐらい』では絶対にないと断言できるけれど、余計なことを言ってはならない。
 ぐっと堪えつつ、果物の甘酸っぱい香りを漂わせる紅茶を口にした。ちなみにこの紅茶は英智さまが淹れてくれたものだ。私が淹れると言ったのだけれど、「僕はこれでも紅茶部の部長だよ?」と笑顔で圧を掛けられて、すっかりもてなしを受けてしまっている。

「ところで」

 英智さまの視線が私を射抜き、あまり働いていない頭が覚醒した。このガーデンテラスといい、紅茶の甘い香りといい、まるで夢の世界みたいでついぼうっとしてしまっていた。

「樹里ちゃんの話は何かな?」
「あー…っと、その……」

 本来の目的を失念してしまっていた。
 というより、英智さまがfine復活のビジョンをここまで明確に持っているのならば、私の出る幕はない。

 差し出がましくも、fineのイメージを回復させる為にS1か何かを開催できないか相談しに来たのだけれど、完全に余計なお世話だった。

 DDDに勝利したTrickstarは、これから開催される『桜フェス』への出場が決まっていて、あんずちゃんは彼らに出来る限り付いているようだ。その間、私も今までの穴埋めをする為に、色んなユニットのレッスンを見たり、経験値を積む為にA1やB1のドリフェスの企画や運営をやったりして、かなり充実した日々を送っている……のだけれど、ちょっとした時に思い出すのだ。長い期間ではなかったけれど、fineの皆と過ごした時間。生徒会の手伝いをしたり、生徒会の人たちとDDDの設営に明け暮れた日々。それが仕組まれたものであっても、懐かしく感じるのは、あまりにも一気に環境が変わってしまったからだろう。

「随分と黄昏れているけれど……あ、もしかして紅茶部に入りたい?」
「えっ!? いや、ただでさえ生徒会室でタダ飲みしてるのにそれはさすがに……というか、お茶代払います」
「そんな微々たる額を君から徴収するほど、この学院も僕の家も困窮してはいないよ」
「そ、そういうつもりで言ったわけではないのですが……」

 英智さまが苦笑いを浮かべたものだから、また変なことを言ってしまったと反省したけれどもう遅い。『微々たる額』なんて、財閥の御曹司だからそういう台詞がさらりと出て来るのであって、実際は私のお小遣いで払えるような小額で済むのかも怪しい。ここはもう黙っておいた方がいい。

 アルバイトで稼げれば、払いますときっぱり言えるのに。転学の手続きを取ってこの地域に越して来た春休みシーズンから、転入したばかりの頃にかけては、単発のアルバイトをちまちま入れたりしていたけれど、最近はすっかりご無沙汰だ。DDD前から生徒会の手伝いを始め、更にはプロデュース業を本格的にするようになってからは、放課後はおろか土日も潰れてしまっている。大前提としてアルバイトをする時間の捻出が難しい。

「今度は難しい顔をしているね。一人で悩むことも色々あるだろうけれど、今は僕が目の前にいるのだから、僕と話をして欲しいな」
「ひっ、す、すみません英智さ……会長」
「『会長』なんて他人行儀な呼び方じゃなくていいんだよ? でも、さま付けもちょっと距離感があるよね」
「じゃあ何とお呼びすれば」
「えーと、例えば……『英智お兄ちゃん』」
「無理です!!」

 満面の笑みで小首を傾げながら言われたけれど、さすがに言うことを聞くわけにはいかない。だって私、これでも一応プロデューサーだし。皆に対して平等じゃないといけないし。いや、こうして英智さまに会いに来ている時点で、というかさま付けしている時点で決して平等ではないけれど。でも一応、表面上は公平でいなければ。

「そんなに全力で拒否しなくてもいいじゃないか。単なる遊びだよ、遊び。何も全校生徒の前でそう呼べって言ってるわけじゃないんだから」
「で、ですが私も腐ってもプロデューサーなので……誰かを特別扱いするわけには……」
「ふふっ、泣きそうな顔しないで。樹里ちゃんが固く心を閉ざすものだから、つい弄っちゃった」
「ううっ……」

 この人はどこまでが冗談でどこからが本気か分からない。それこそ不興を買おうものなら、本当に全校生徒の前で『英智お兄ちゃん』と呼ばされるかもしれない。いや、さすがにそれはないか。でも、絶対にないと言い切れないのがこの人の恐ろしさだ。

「紅茶を嗜みに来た、でも良いのだけれどね。でも、会いに来た以上、僕は時間を割いて君に付き合っているという自覚を持って欲しいな。そもそも、僕と一対一の面会を求めて来たのは君なのだから」

 英智さま――会長は、微笑は決して崩さないけれど、感情がそのまま顔に出ているとは限らない。それどころか、多分、苛立っている。ああ、駄目だ。しっかりしないと。やっとプロデューサーとして歩み始めたばかりなのだから。
 よし、言おう。

「会長」

 何も行動を起こさないことで不興を買うより、言って後悔した方がまだマシだ。……多分。
 残り僅かになった紅茶を飲み干して、ティーカップを机上に置いた。時間は無限大ではない。自分でもタイムリミットを予め決めていたし、もうそろそろ御暇しなければならない。ちょうどいい、一気に伝えて、呆れられて、それで用件は終わりだ。

「私、fineのために何か出来ないかってずっと考えていたんです。S1、寧ろDDDぐらいの大きな舞台で、もう一度観客の前で圧巻のパフォーマンスを魅せて、『僕たちは決してTrickstarに負けてなんていない』って皆に分かって貰えるような……そんなドリフェスを開催したいって思ったんです。それで相談に来たんですけど、でも、もう会長はとっくに段取りを済ませていたんですよね。だから、もう私が何かを言う意味は無いなって。すみません、本当にただ紅茶を飲みに来ただけって感じになってしまって」

 言い訳じみた言葉をつらつらと並べながら、ひたすら苦笑を浮かべるしかなかった。大体、今まで学院の上位にいるアイドル達は皆、自分たちで何から何まで全てを行っていたのだから、それをド素人の私が何か手伝いをしようなんて、考えること自体が烏滸がましい話だったのだ。私のやることは、この学院に入ったばかりの子達と協力して何かをしたり、あるいは同級生、上級生から様々なことを教わりつつ、私も手伝えることをする。今はそれで充分なのだから。

 案の定、英智さまは透き通った青の双眸をこちらに向けて、ぽかんとしている。

「ほ、本当に申し訳ありません! 仰る通り、貴重な時間を無駄にしてしまって……」
「謝らないで、樹里ちゃん」

 慌てて立ち上がって深々と頭を下げた私に、英智さまは思いもよらない優しい言葉を掛けた。

「君は悪いことなんて何ひとつ言っていないのだから。それどころか僕は今、凄く嬉しいんだ。もう君は僕たちに縛られる必要なんてないのに、そこまで僕たちのことを考えてくれていたなんて」

 英智さまは何を考えているのか分からない人だ。でも、多分、今の言葉は、本心だ。ただの勘だけれど。
 伏見にも言われたけれど、やっぱり私は変なところで前向きなのかもしれない。

「僕たちの利害は一致したというわけだ。樹里ちゃん、君だってここで結果を出せば、あんずちゃんの陰に隠れる必要もなくなる。君は隠れたいのかもしれないけれどね。でも、そうはさせないよ。君はここで成功を掴み、新たな人生を歩み出すのだから」





 随分と大きなことを持ち掛けられてしまった……別に私はあんずちゃんみたいになりたいとか、あんずちゃんを超えたいとか、そんな気持ちは一切なくて、今のままで充分なんだけど。
 これは今の私一人で抱えきれる問題とは思えない。よく生徒会に顔を出しているせいか、ついつい椚先生に相談しがちなのだけれど、今回は、会長と幼馴染である副会長の方がいいかもしれない。きっと、会長のことを一番よく分かっているのは副会長だと思うし。

 善は急げとばかりに生徒会室に出向き、扉を叩いたら、出て来たのは生徒会の役員ではなく、顧問の椚先生だった。

「おや? 遠矢さん、どうしましたか」
「先生! あの、副会長に話があって来たのですが」
「蓮巳くんなら今日は部活ですよ。部活が終わり次第こちらに来る予定ですが、急ぎなら弓道部に行った方が早いでしょうね」
「そうですか……うーん……」

 善は急げと来たものの、急ぎというほどでもない。そもそもこれは私の個人的な問題なのだから、副会長を頼ること自体が間違いなのでは、と思い始めて来た。

「困りごとなら相談に乗りますよ。蓮巳くんに会いに来るということは、ドリフェス開催の相談か何かではないのですか?」
「はい、と言っても、主導権を握っているのは私ではなく会長なんですが」
「ほう、ということはfineのドリフェスを開催するのですか。それなら天祥院くんと旧知の仲である蓮巳くんに相談した方が、遠矢さんの不安を取り除くには適正かもしれませんね」

 まさか椚先生が私の行動パターンを完全に把握しているなんて。羞恥で一気に顔が熱くなった。そんな私を見て先生はくすりと笑ってみせた。皆に恐い恐いと言われているけれど、案外そんなに怖くはないのに。

「恥ずかしいと思う必要はありませんよ。天祥院くんと一緒に仕事をするなんて、不安を感じて当たり前ですからね。困った時に一人で抱え込まず、周りを頼るのは正しい判断ですよ」
「あ、ありがとうございます! それでは、失礼しました」

 一礼して踵を返すと、ぽつりと声が聞こえた。

「遠矢さん、ありがとうございます」
「え?」

 気のせいかもしれないと思いつつ振り返ると、椚先生が困ったように眉を下げつつ笑みを浮かべていた。

「あんなことがあったのに、変わらずに生徒会の皆と接してくれて、感謝していますよ」
「い、いえ! 感謝されることなんてしてません。悪気がなかった……とは言い切れないですけど、生徒会、そして学院の為を思ってやったことでしょうし。それに、私自身全然気にしていないので大丈夫です」
「それなら良いですが、我慢は禁物ですよ。私が言うのも説得力に欠けますが、何かあればいつでも私や生徒会を頼ってください。あなたにはその権利がありますからね」

 椚先生は随分言葉を選んでいるように見えた。もしかしたら椚先生も多くのことを知っていて、敢えて止めなかったのかもしれない。





 生徒会室を後にして、今度は弓道部を訪れた私を出迎えたのは、やはり彼であった。

「おや、樹里さん」
「あ、伏見も今日は部活なんだね。お疲れ様」
「ふふっ、気晴らしに楽しくやっていますよ」

 弓道着を纏った彼は、柔和な微笑を湛えてはいるものの、いつもより少し凛々しく見えた。

「副会長さまに御用ですか?」
「うん。よくわかったね」
「わたくしや朱桜の坊ちゃまを訪ねてここに来るとは考え難いですからね」
「すおーのぼっちゃま……?」

 この学院には坊ちゃまがもう一人いるのか?とつい訝し気な顔をしてしまったけれど、その謎はすぐに解明された。

「伏見先輩! 私のことは朱桜の坊ちゃまではなく、司と呼んでくださいと何度言えば……っと、遠矢先輩!」

 彼に続いて出迎えてくれたのは、Knightsに所属する一年生の朱桜くんだった。ああ、すおーって朱桜くんのことか。それにしても、坊ちゃまってことは――

「朱桜くん、姫宮くんの親戚なの?」
「What!? 何故そんな出鱈目な話になっているのですか!?」
「樹里さん、それはさすがに飛躍しすぎですよ」

 双方から変な目を向けられて、押し黙ってしまった。ええと、整理しないと。伏見が朱桜くんのことも坊ちゃまと呼んでいて、確か朱桜くんの家も名家で、つまり英智さまや姫宮くんと同じ御曹司だ。ああ、それで……いや、それでもよその家の子をそう呼ぶのはおかしな気もするけれど、それが普通なのかな。

「おい、騒がしいぞ。伏見、朱桜……む? 遠矢か。どうした」
「蓮巳先輩! 遠矢先輩が私と姫宮くんが親戚だと誤解されているのです」
「は?」

 遅れてやって来た副会長――蓮巳先輩に、朱桜くんが私の間抜けな勘違いを暴露してしまい、この場にいるのが辛くなって来た。もう、私のことは忘れて欲しい……。

「伏見。一体どういう事だ」
「わたくしがふざけて司さまのことを坊ちゃまと呼んだせいで、混乱されてしまったみたいです」
「えっあれふざけてたの!?」

 蓮巳先輩に訊ねられて答えた彼の言葉に、唖然としてしまった。その呼び方が普通だと思っていた私の純粋な気持ちを返して欲しい。文句のひとつでも言ってやろうかと思ったけれど、さすがに副会長と朱桜くんの手前、下手なことは言わないでおくことにした。

「全く……伏見、遠矢を混乱させるな。それで、何の用だ、遠矢」
「あっ、はい、ええと……」

 英智さま、というよりfineの今後に関わることだ。伏見はともかくとして、朱桜くんのいる前で話しても良いのだろうか。機密事項というほどではないけれど、下手に他言するのもまずい気がする。

「どうした? ここでは言い難いことか? それなら場所を変えよう」
「いえ! そこまでしなくても大丈夫です。ただ、fineに関わることなので、朱桜くんの前で話しても良いのか判断が付かなくて」
「ほう?」
「遠矢先輩、よろしければ私、席を外しますよ」

 ドリフェス絡みだとすぐに判断したのだろう。蓮巳先輩は眼鏡をくいと上げて興味深そうな視線をこちらへ向ける。その横で、朱桜くんが片手を上げて微笑んだ。気遣いの出来る子だ。というか、別に朱桜くんが同席していても問題ない気もしてきた。元々Knightsは反生徒会側ではなかったはずだし。

「朱桜くん。Knightsって別にfineと敵対しているわけではないよね?」
「ええ。姫宮くんに対しては色々と思うところもありますが、天祥院のお兄さまのことはお慕いしておりますので」

 今の朱桜くんの呼称でなんとなく色々なことが理解出来た気がする。多くは語らないけれど。世の中には知らなくて良いことや、首を突っ込まない方が良いこともたくさんあるのだ。何はともあれ、英智さまのことは『お兄さま』と呼ぶほど慕っているのは間違いない。ならば、英智さまを裏切るようなことはしないに違いない。家同士の付き合いもあるだろうし。

「それなら、朱桜くんは席を外さなくてもいいかな。ごめんね、部活の邪魔しちゃって」
「いえ、もうそろそろ帰り支度をするところだったので、お気になさらないでください。それより、本当に私がいても良いのですか?」
「うん。朱桜くん、本当に会長のことを慕っているなら安心だし」
「司を信頼して頂けて光栄です。ありがとうございます、遠矢先輩」

 屈託のない笑みを浮かべる朱桜くんを見て、大人びてはいるけれどやっぱり新入生らしくどこか初々しく、可愛らしい雰囲気もあるなと思っていたら、突然やけに刺々しい声が飛び込んできた。

「『遠矢さま』。それで御用件は何なんですか? まさか朱桜の坊ちゃまにデレデレする為に来たわけではないですよね?」
「はあ!? デレデレなんてしてないし!」
「坊ちゃま、日々樹さま、会長さま、そして朱桜の坊ちゃまですか……わたくし、なんとなく遠矢さまの好みが分かってきた気がします」
「ちょっと! 何それどういう意味!?」

 ついうっかり素が出てしまった。声を荒げた瞬間後悔した。言葉がなくても分かる。冷ややかな視線が、私を貫いていることを。

「……申し訳ありません、副会長」
「ここは生徒会室ではない。名前でいいぞ、遠矢」
「す、すみません、蓮巳先輩。あの、それで肝心の話なんですが……」





 結果として、話の半分も出来なかった。
 何故なら、英智さまがサーカスをテーマにS1を行うつもりでいると言った途端、蓮巳先輩は怒りの形相になって「英智!! 貴様という奴は!! 自分の体を考えろ!!」と怒鳴りながら、部室を後にしてしまったからだ。

「…………」
「副会長さま、きっと会長さまのことが心配で堪らないのでしょう」
「うん、まあ、そうだろうね……」

 さすがの彼も苦笑いを浮かべているし、朱桜くんに至ってはぽかんと口を開けて、蓮巳先輩が去った後の虚空を見つめていた。

「それで、結局のところ何のご相談をするつもりだったんですか?」
「業者とのやり取りとかプロモーションとか、やってみないかって言われて……どこに何を頼むとか、手配自体は会長のほうでやってくれるみたいで、お膳立てはあるんだけど……ちゃんとやれるか、不安で……」

 話しているうちに徐々に声が小さくなっていくのが、自分でも分かった。ああ、そもそも相談になっていない。こんなのただの愚痴じゃないか。彼はまだしも後輩の朱桜くんの前では言うべきではなかった。こんな弱音を吐く奴にプロデュースを任せたいなんて思わないだろう。

「大丈夫ですよ、樹里さん」

 躊躇いもなく、きっぱりと言い放つ彼の声が、静かな室内に響いた。

「校内で小規模なライブをするのと、校外でやり取りするのは訳が違いますから、心配するのも無理はありません。ですが、樹里さんなら『不安だ〜どうしよう〜』などと泣き言を言いながら、なんだかんだでやり遂げることが出来ると断言できますよ」
「あのさ、その泣き言って声真似だよね?」
「そうやって冷静な突っ込みが出来る余裕があるなら大丈夫です」

 まるで根拠も何もない発言だけれど、彼が言うと、なんとなく、まあ、そうなのかな……という気持ちになってくるから不思議だ。というか、断言したんだから私が失敗したら責任取ってよね、と言いたい。いや、さすがにそれを言ったらプロデューサーとして無責任すぎるから、心の中で文句を言うだけにするけれど。もう、やるしかないのだ。

「遠矢先輩。まだ未熟な私が言うのも差し出がましいですが、私も伏見先輩に同意します。遠矢先輩ならばきっと出来ます。DDDで、私たちKnightsとTrickstarの対戦を、冷静に公正に進行したあなたなら、きっと……いえ、必ず出来ます」
「朱桜くん、さすがに褒め過ぎだって」

 そもそもあの時、結局Trickstarに加勢した覆面を被っている生徒が誰なのか確認しないで、なあなあで終わらせてしまったので、課題は残っているのだ。恐らく、というか確実に、あの覆面の生徒の正体はあんずちゃんだ。とはいえ、今となっては証拠もないから、胸の内に秘めるしかないのだけれど。そういう後ろめたさが私自身にもあるから、生徒会の一部の人が私に対してやったことを責める権利など私にはないのだ。表面上は良い子ぶっているけれど、これが真実だ。

「樹里さんは自分に自信がないのが玉に瑕ですけれど、上手くいっている時に慢心するのは危険ですから、慎重なくらいがちょうどいいのかもしれませんね」
「えっ、伏見にしては珍しく肯定してくれるんだね」
「おや? 聞き捨てなりませんね。わたくしはいつも樹里さんに優しく接しておりますが」
「はい?」

 DDDのことを思い出して気持ちが少し落ちてしまったけれど、相も変わらずこの男はああ言えばこう言うし、優しいと思った次の瞬間には私を弄ってくるし。でもそんなやり取りで、意外にも気が楽になったりもしている。DDDが終わった直後になんとなく距離を置かれて、あらためてそれを実感したのだ。

「遠矢先輩、やっぱり伏見先輩と仲良いんですね」
「ちょっと朱桜くん、どこをどう見たら仲良く見えるわけ? それに『やっぱり』って何?」
「ええっ、怒らないでください!」
「このやり取りを仲が良いと思えるなら、うちの坊ちゃまと朱桜の坊ちゃまも仲が良いと言えますね」
「ふ、伏見先輩! それは聞き捨てなりません!」
「ああ、なんとなく朱桜くんと姫宮くんの関係性が分かって来た……」
「遠矢先輩! 勝手に納得しないでくださいっ!」

 何も解決していないのだけれど、こうやって馬鹿なことを言い合いながら笑っていると、本当になんとかなりそうに思えてくる。
 不安がないと言えば嘘になるけれど、fineが完全復活する日が来るのが、待ち遠しい。桜が遅れて咲いたのと同じように、私もやっと、一歩前に進めたような気がした。

2018/03/18


[ 23/39 ]

[*prev] [next#]
[back]
- ナノ -