作戦決行前、ブリーフィングルームにて。リンネたちはwZERO部隊の面々とともに、副司令のクラウスの説明に耳を傾けていた。
「今回の『ガンマ作戦』は、ワルシャワに駐屯しているユーロピア共和軍本部の援護です」
先日の騒ぎはレイラによって訓練の一環として処理されていた。本来ならば死刑も免れないというのに、つくづく御人好しで、不思議な人だ――リンネはレイラの事をそう捉えていた。
駒として扱われる末端の兵士とともに戦場に立つ司令官など、まるで日本で暗躍していた『黒の騎士団』のようであった。アヤノたちの前では言えないが、リンネはレイラが共に戦うと宣言した時点で、彼女の事を信用に値する人間だと思い始めていた。
「本隊が東の前線24Aエリアに進撃する、同エリアに布陣しているブリタニア軍の後方に、我がワイヴァン隊が降下し敵を奇襲攻撃する。それによって混乱する敵の正面から第103部隊が進撃するって訳です」
モニタを用いながらそう説明するクラウスに、早速リョウとユキヤが茶々を入れる。
「敵のど真ん中に降下しろって訳か」
「イレヴンを使った作戦だけはあるね」
だが、クラウスとてイレヴン――旧日本人である彼らからの反発は想定内であり、つかみどころのない笑みを浮かべながら補足した。
「そんなに悲観することはない。進撃して来る第103軍団と合流出来れば、君達は無事帰還できる」
「四方八方敵だらけの中で……」
「生き残っていたらね」
納得する様子のないリョウとユキヤに、クラウスは肩を竦めて溜息を吐いた。とはいえ、彼らが納得出来ない状態で、生存率の低い作戦に強制出動させるわけではない。
「旧日本人の若者達は考えがネガティブだね。じゃあそんな君達にハッピーな決定事項を伝えようじゃないか。……今回は司令官自ら出撃なさる」
レイラがリンネとアヤノの前で自分も一緒に戦場に出ると言ったのは、嘘ではなかった。副司令の言葉に、何も知らされていなかったwZERO部隊の面々が困惑する中、アレクサンダの開発者であり、レイラの親友でもあるアンナ・クレマンが、心配そうな表情で本人に訊ねた。
「え? レイラ、本気なの!?」
「奇襲作戦は、可能な限り多くの兵力を投入しなければ効果はありません。残念ながら現在、この作戦に投入可能な兵力はごくわずかです」
レイラはアンナの問いを、アキトたちワイヴァン隊を除くwZERO部隊全員の総意であろうと認識し、真剣な面持ちで淡々と言葉を紡ぐ。
「それを補うために、ドローンを使用する事を私は決断しました。しかし、そのドローンをコントロールするためのオペレーターが必要です。よって……」
そして、レイラはリンネたちワイヴァン隊を一瞥し、きっぱりと言い放った。
「私が共に出撃します」
誰が反対しても、レイラは絶対に決行するだろう。止める為には、レイラの案より生存率の高い代替案を提示しなければ、誰も納得しない。それを分かっているアンナは、親友を止めたくても止められず、ただ黙り込むしかなかった。
ブリーフィングルームが動揺に包まれる中、唯一日向アキトだけは不敵な笑みを浮かべているのを、アヤノは見逃さなかった。
リンネはレイラを真っ直ぐに見遣っていたが、視線に気付いた彼女がリンネに向かって笑みを向けた。絶対にこの作戦を成功させる、あなたを決して死なせはしない――そう言っているかのようで、リンネは不覚にも頬を弛ませてしまった。
「…………」
ふたりの間にどんな遣り取りがあったのか知らないユキヤは、リンネがレイラを見て笑みを浮かべている事に気付いて、面白くなさそうに眉を顰めたのだった。
「打ち上げ八分前です。打ち上げに向けた秒読みが開始されました」
迎えた『ガンマ作戦』決行日。大気圏離脱式超長距離輸送機――通称『アポロンの馬車』を発射すべく、wZERO部隊は準備を進めていた。
「全システム正常です」
「さてさて、お嬢様がどこまでやれるか……まあ、帰ってこれれば上出来だけどな」
クラウスは他人事のようにあっさりとそう言ってのけた。この場に司令のレイラはいない。宣言通り戦場に出る為、アキトたちと共に輸送機内にいるからだ。
「全システム電源外部から内部へ切り替えました」
輸送機にはドローンを含むアレクサンダが格納されており、リンネたち六人は既にコックピットに乗り込み、輸送機の発射を静かに待っている。
そんな中、リョウが通信を開いてアヤノとリンネに声を掛けた。
「アヤノ、リンネ、眠っていいぜ。どうせしばらくする事なんてなにもねえ」
「そうだよね。眠っていれば死ぬ時も恐くないし」
ユキヤも同調するように言ったものの、物騒な言葉にリンネは苦笑すれば、同じく通信を開いて己の上官へと声を掛けた。
「絶対に生きて帰って来るんですよね、マルカル司令」
まさか話し掛けられると思っていなかったのか、レイラはびくりと肩を震わせれば、すぐに返答した。
「勿論です、久遠准尉」
レイラはリンネが己に心を開いてくれたと思い、密かに笑みを零した。『嘘を吐いたら許さない』という意味が込められている事も、言われなくとも分かっていたが、それでもレイラは、リンネが己の名を呼んでくれた事は、信頼への第一歩だと実感していた。
そしてついに、『アポロンの馬車』の発射準備が整った。
「全システム準備完了」
「メインエンジンスタート!!」
オペレーターの宣言と共に、アポロンの馬車はエンジンを起動させた。そして、淡い橙色の光を放ちながら、ゆっくりと空へと飛び立って行く。
モニター越しに様子を見ながら、クラウスが祈るように叫んだ。
「そのまま飛んでけよ!」
発射から三分が経過。すべてのシステムは正常に動作し、ロケットは順調に空へと昇っている。
「第一エンジン燃焼終了」
「第一段ロケット分離!!」
「第一段ロケット分離成功」
「第二エンジン燃焼開始!」
燃焼が終わり不要になったロケットのパーツが次々に空中で分離し、発射は無事成功した。
「アポロンの馬車第二エンジン燃焼終了。慣性飛行は順調です」
「ふう……さて、これからが本番だがな」
オペレーターの言葉に、クラウスは安堵の息を吐いたが、今はまだ序の口である。これから敵地に降り立ち、奇襲作戦を決行しなければならないのだ。生きて帰還出来る確率は、著しく低かった。
一方、アポロンの馬車に搭乗しているリンネたちワイヴァン隊は、アレクサンダの中から外の景色を眺めていた。
今、リンネたちは大気圏を越え、宇宙を漂っている。地上から見えるただの夜空を眺めているのではない。紛れもなく自分たちは夜空の中にいるのだ。
「……きれいだね」
ぽつりと呟いたアヤノの声は、リンネにも届いていた。宇宙空間でも通信に異常はない。
このロケットは地球を一周し、そしてベラルーシ自治州へと降り立つ予定である。まさかこんな形で宇宙旅行が叶うとは――リンネは辛い人生の中で、まさかこんな経験をするとは夢にも思わず、心ここに在らずな状態であった。
尤も、リョウとユキヤは「死ぬ前に見る光景としては悪くない」などと悪態を吐いているのだが。
「リョウ、ユキヤ。私は皆で生きて帰るつもりでいる」
リンネは二人に向かってきっぱりとそう言うと、更に思い掛けない人物に声を掛けた。
「日向中尉。あなたは前回のワイヴァン隊の作戦で、唯一生き残ったと伺いました」
「そうだ」
「今回もそのつもりですか?」
抽象的な質問。それはお前ひとりだけが生き残るつもりかと言いたいのか、それとも司令官のレイラの言う通り、全員帰還するつもりで戦うのか。どちらかだとしても、あるいはまったく違うとしても、アキトの知るところではなかった。
「それはお前たち次第だ」
アキトの答えに、リンネは何も言わなかった。果たしてどう答えるか試したのだが、無難な回答にリンネは喜びも怒りも抱かなかった。
リンネにとって日向アキトという男は、レイラと違い得体の知れない存在であった。会話の成り立つ相手かどうかを探ったと言っても良い。
結論は、共闘するにあたって特に問題はない。せいぜい足を引っ張って見捨てられないよう、尽力するだけである。
「司令。大気圏再突入フェーズに移行します」
アキトは宇宙を目の当たりにしても顔色ひとつ変えず、レイラに向かって冷静にそう告げた。
「了解。成層圏到達後にグライダーを展開。着陸後は全火器の使用を許可します」
対するレイラも冷静に告げたが、それに対してリョウが横槍を入れる。
「全火器、ね。……しかし、本当にあんたが同行するとは思わなかったぜ」
「宇宙に放り出されたのも驚いたけどね」
続けて失笑しながらそう話すユキヤに、レイラは一切動揺せずにきっぱりと答えた。
「パイロットは確保出来ませんでしたが、アレクサンダのType-02事態は定数を満たせましたから、ドローンとして運用します。その指揮を執るためにも、私が同行する必要があります」
人員不足を補うための苦肉の策。だが、反対していた司令部の仲間たちも最終的には協力してくれて、計二十台のドローンは無事戦力として動かす事が可能となった。
レイラは絶対に、この作戦を成功させ、六人全員で帰還するつもりでいた。
「大気圏再突入フェーズへ移行」
六人を乗せたアポロンの馬車は、再び地球へと舞い戻る。圧縮断熱によって赤く輝くそれは、まるで流星のようであった。
一方その頃、wZERO部隊司令室では、来る奇襲作戦に向けて戦々恐々としていた。
「フェアリング分離三十秒前」
「大丈夫だよな、たぶん……」
「レイラ……」
クラウスも、レイラの友人であるアンナも、不安そうにモニターを見つめていた。他人事のように振る舞っていたクラウスも、やはりレイラが心配な事に変わりはないのである。
「システムオールクリア!」
「分離開始!!」
「カプセル分離確認! システム起動確認。全機異常なし!」
アレクサンダやドローンを格納したカプセルがアポロンの馬車から分離され、ついにリンネたちが地上に降下する準備が整った。
「いよいよだね」
ここまで来れば恐れている時間などない。飄々とした態度でそう告げるユキヤに、リンネは鼓舞するように声を掛けた。
「頑張ろうね、ユキヤ」
「リンネは頑張らなくていいよ、僕が守るから」
やはり己は戦力外なのか、とリンネは頬を膨らませた。訓練では問題なく動けていたし、足手纏いになるつもりはないのだが。言い返そうとしたものの、そんな余裕はなさそうである。
「高度三百キロからのフリーフォールだぜ、アヤノ!」
「わかってるよ!」
リョウとアヤノが叫ぶ中、彼らを包むカプセルは、軌道を修正しながら地球への再突入を開始した。
無事大気圏を抜けたカプセルは外装が剥がれ、アレクサンダ六機と数々のドローンがむき出しになる。アレクサンダは降下しながら空中でグライダーを開き、風に煽られながら地上を目指して滑空した。
「ウイング展開成功!」
だが、レイラの機体だけがバランスを崩してしまった。
「――流される!?」
レイラだけが降下ルートから逸れ、そして、予定とは異なる場所で墜落してしまった。
「シミュレーションではうまくいったのに……!」
だが、レイラ本人は勿論の事、アレクサンダも無事である。機体を起き上がらせると、すぐにアキトの通信がレイラの元に飛んで来た。
「予定降下位置から東北東に五キロメートルほど流れました。許容範囲です」
心配する素振りすらない淡々とした発言ではあるものの、アキトの搭乗するアレクサンダは、すぐさまレイラの元へ駆け寄った。
無事合流したところで、レイラはすぐさま状況を把握しようとした。
「ドローン全機確認。佐山准尉、成瀬准尉、香坂准尉、久遠准尉。各機位置を報告して……」
瞬間、アキトは突然レイラの乗るアレクサンダを突き飛ばして、共に倒れ込んだ。
それと同時に、つい今までふたりがいた場所に銃弾が襲い掛かる。
まさか敵が己たちの奇襲を予め把握していたのか――混乱するレイラであったが、アキトは常に冷静であった。
己たちを攻撃した相手を確認すると――こちらに銃口を向けているのは、リョウの搭乗するアレクサンダであった。
「戦争じゃ指揮官が真っ先にやられる事もあるよな」
リョウは初めからそうするつもりでいたのだ。レイラに向かって容赦なくミサイルランチャーを撃ち放つが、アキトとてこうなる事は予測出来ていた。冷静にミサイルを次々と撃ち落とし、レイラのアレクサンダが傷を負う事はなかった。
「ヒュウガ中尉! 彼らは必ず無傷で確保してください!」
「それはどうかな……」
この期に及んで彼らを庇おうとするレイラに、アキトは溜息交じりに呟いたが、つまらない同士討ちで命を落とすほど愚かではなかった。
お前はナルヴァ作戦で唯一生き残ったが、今回もそのつもりか――そんなリンネの問い掛けが、アキトの脳内でこだまする。
「それは……お前たち次第だ」
アキトの言葉は、紛れもなく久遠リンネに向けられていた。
2023/11/02