リンネとて、こうなる事が予想外だったわけではなかった。レイラ・マルカルを信用してみようと決めたのは、あくまでリンネだけであり、皆でそう示し合わせたわけではない。それに、リンネも完全にレイラに心を開いているつもりはなく、自分たちを捨て駒にしようものなら、迷わず息の根を止めるつもりでいた。
だが、それは今ではない。
少なくとも、今のレイラは司令としての責務を全うしようとしているのだから。
「ユキヤ! 後ろからヒュウガを狙え!」
そう叫ぶリョウに、ユキヤは同調するかと思いきや。
「ここで殺しちゃうのは……もったいないんじゃないの?」
リンネと同じ考えなのか、あるいは本人なりの考えがあるのか。理由は定かではないが、ユキヤはリョウの指示を聞かず、躊躇する素振りを見せた。
「ヒュウガ中尉!!」
レイラは咄嗟に身を乗り出したが、アヤノの搭乗するアレクサンダが彼女に向かって攻撃を放つ。少なくともアヤノはリョウに従うつもりで、ユキヤに向かって叫んだ。
「ユキヤ、何してるの! 早く!!」
「はいはい」
ユキヤが仕方なく動こうとしたのも束の間。
突然、自分たちのいる場所に砲弾が降り注ぎ、瞬く間に爆発を起こしていった。
「うわっ!?」
リョウは叫びながら咄嗟に回避した。リンネも攻撃から逃れようとアレクサンダを走らせ、致命傷を負う事のないよう華麗に避けていく。シミュレーションを散々行っていたお陰か、戦場でも上手く使いこなす事が出来た。この分ならユキヤとアヤノも大丈夫だろう。
だが、レイラが連れて来たドローンの一部が、回避が遅れ爆破されてしまっていた。前途多難である。
一方その頃。ヴァイスボルフ城、wZERO部隊司令室では、予想外の状況に騒然としていた。
「ん? 何だコレは? ねえねえ、何が起こってるの?」
周囲にそう問うクラウスに、オペレーターが次々と答える。
「多分敵の砲撃です!!」
「熱源多数!」
「ワイヴァン隊の着陸地点に着弾しています!!」
奇襲作戦の筈が、まさか先手を打たれるとは。その可能性を考えなかったわけではないが、クラウスは狼狽えながら再びオペレーターに問う。
「まじですか……ねえ、どこから撃ってきてるの?」
「高高度観測気球データロスト! ワイヴァン隊の座標をロストしました!」
しかもレイラたちの居場所が把握出来なくなってしまった。とにかく攻撃元を掴もうと、クラウスは更に問うた。
「弾道計算出来ないんですか?」
「算出できました! 東北東500キロです!」
「ウッ……じゃあ、超長距離砲を使ってきたってワケか……ブリタニアさんも手を打ってきなすったかあ……」
任務達成どころか、敵襲から逃げて生き延びる事が出来るのか、それすらも今のクラウスたちには分からない。ただただ、ワイヴァン隊の無事を祈るしかなかった。
「北北西へ進めば着弾範囲から出られる!!」
ブリタニア軍の超長距離砲を躱しながら、レイラの指示に従って、アキトは先に進んで行く。リンネも必死で彼らの跡を追った。
だがその先には、明らかにユーロピア共和軍ではない機体が待ち構えていた。残念ながら味方との合流は叶いそうにない。
「ブリタニアのナイトメア隊か!」
ユーロ・ブリタニア軍のサザーランドが待ち構え、アキトの乗るアレクサンダに襲い掛かった。アキトは悠々とそれを躱し、相手機のコックピットを破壊する。
だが、アキトの背後に別のサザーランドが銃弾を放とうとした。
それに気付き、アキトが避けるよりも先に、真横から敵機に向かって攻撃が放たれ、サザーランドは呆気なく爆破された。
アキトが攻撃を放った相手を確認すると、そこにいたのはアレクサンダ――佐山リョウの搭乗する機体であった。
「お前との決着はここを生き延びてからだ!」
先程までアキトを仕留めるつもりでいたリョウは、あっさりとそんな事を宣った。リョウたちが自由を手に入れるために、ブリタニアに殺されては何もかもが無意味と化す。ゆえに、一先ずこの状況での同士討ちは止める事にしたようだ。
そんなリョウに、ユキヤはやれやれと溜息を吐いた。
「まったく……素直じゃないんだから。リンネ、アヤノ! 遅れるなよ!」
「分かった!」
ユキヤの声掛けにリンネは安堵して明るく頷いたが、アヤノの返事はない。ここでアキト――というより、司令官のレイラに従う事に納得いかないのだろうと察するのは容易かった。
ユーロ・ブリタニアの超長距離砲の着弾地点から逃れたリンネたちは、ベラルーシ自治州のスロニム市に辿り着いた。ここは北のリトアニア、西のポーランドの交差点に位置し、ユーロ・ブリタニア軍の補給集積地でもある。
その為、それなりに栄えている筈なのだが、人ひとり存在しなかった。
「……どうして?」
レイラがぽつりと呟く。まるで一夜にして住民が消えた街のようで、リンネも本能的に恐ろしさを感じた。
その違和感は決してリンネの気にし過ぎではなく、真っ先にリョウが口を開いた。
「やべーな……」
「嫌な雰囲気だ。楽しくなりそうだよ」
ユキヤは完全にこの状況を楽しんでおり、リンネとアヤノは即座に窘めた。
「ユキヤ、不穏な事言わない」
「ユキヤがそう言う時は、ろくなことが起きないんだよ」
だが、これがブリタニア軍の罠であれ、やるべき事をやらなくてはならない。ワイヴァン隊がそれぞれ探索にあたる中、レイラはまずキーボードを叩き、先程の砲撃から無事逃れた残りのドローンを市街地の各所に配置させた。
「ドローンの展開は完了……あとは……」
だが、突然ドローンの反応が消失した。間違いなく、敵襲である。
「待ち伏せ!?」
レイラが叫ぶと同時に、ユーロ・ブリタニア軍のナイトメアの銃弾が襲い掛かる。アキトは咄嗟にレイラの前に飛び出し、彼女を守るように攻撃を防ぎ切った。
「司令、私から離れないでください」
「ヒュウガ中尉……」
「ドローンを使い切るまでは、死なれると困りますので」
自分を心配して庇ったのではなく、あくまでドローン展開の為にそうしているだけだと分かり、レイラはつい眉を顰めて言い放った。
「分かりました! 絶対みんなと生き抜いて帰還します!」
だが、相手はユーロ・ブリタニア軍の『アシュラ隊』。七剣士と呼ばれる、いずれも手練れ揃いの部隊であった。
「やべーな、敵だぜ!!」
単独行動をしていたリョウが異変に気付き叫ぶも、その頃には既にドローンが次々と爆発し、敵機は目前に迫っていた。
その頃、リンネはユキヤ、アヤノと共に、敵機を探して周囲を入念に見回していたところであった。
「敵……いないよね?」
アヤノはぽつりと呟くも、ユキヤはそうは思っていなかった。
「近くにいるな……」
刹那、アレクサンダからけたたましい音のアラームが鳴り響いた。敵襲である。
ユキヤが咄嗟に叫ぶ。
「アヤノ、上!」
「え!?」
アヤノが上空を確認すると同時に、一機のナイトメア『グロースター』が教会の屋根から飛び降り、剣を振り下ろす。アヤノは咄嗟に大型ブレードでそれを受け止め、なんとか攻撃を防いだ。ユキヤが叫ばなければ、今頃真っ二つになっていたであろう。
「押し切られる!」
だが、アヤノのアレクサンダが敵機の威力に耐えられなくなりそうになった――瞬間。
ドローンの援護射撃が放たれ、その隙に駆け付けたリンネが大剣をグロースターに向かって振り被り、アヤノの機体から遠ざけた。
「アヤノ! いったんユキヤのところに!」
「分かってる! ありがと、リンネ」
そうしてふたり揃ってユキヤの元に舞い戻ったものの、ついに、シミュレーションではない本当の戦闘が始まってしまった事に、リンネは平常心ではいられなかった。
相手を殺さなければ、自分たちが殺される。
だが、こんな時でもユキヤは冷静であった。
「誘い込まれたね」
「そうだね。ユキヤ、こいつらハンパじゃないよ」
ユキヤの言葉に、アヤノが同調するように頷いた。
ユキヤの冷静さが、今のリンネには有り難かった。正直恐怖は拭えないものの、仲間たちが一緒にいれば、これまでと同じように乗り越えられる。リンネはそんな気がしていた。
「さて、あの指揮官と……それに日向アキトは、どうするのかな」
ユキヤはまるで他人事のようにそう呟けば、機体の中で笑みを浮かべていた。
絶体絶命の状況だというのに、リンネの心の中で大丈夫だという気持ちが湧いているのは、アキトとレイラの存在が影響していた。それをリンネは自覚していたが、対するアヤノは溜息を零していた。ユキヤが楽しそうにしている時は、ろくな事が起こらないからだ。
その頃、アキトとレイラは、ワイヴァン隊の中で一番激しい攻撃を受けていた。防ぐのが精一杯で、反撃も出来ない状況である。レイラはドローンを用いてアヤノを助けたり、辛うじて敵の戦力をある程度は削れたものの、『アシュラ隊』の対処までは出来なかった。
「司令、ドローンをこちらに呼べませんか!?」
「残り3……いや、2機のドローンも敵と交戦中で……」
それなりの数があったドローンも僅か2機。それらが撃墜されるのも時間の問題である。
アキトは意を決するようにひとり頷けば、レイラに向かって言い放った。
「……では、強行突破します」
「え?」
「自分について来てください」
「ヒュウガ中尉!?」
レイラの許可を待たずに、アキトはアレクサンダを一気に走らせた。とはいえ、レイラとて戦場での心得がないわけではない。兵学校での教えを思い出し、戦場慣れしたアキトの後を必死でついていった。
だが、走り出したのも束の間、アキトは異変を察してアレクサンダの動きを止めた。
「司令……!」
「え!?」
「司令、離れてください」
アキトは敵機のいないルートを選んだはずであった。そのはずが、一機のグロースターが待ち構えるように、塔の上に佇んでいた。
「赤いナイトメア!?」
明らかに他の機体とは違うそれは、『アシュラ隊』の頭である事は想像に容易かった。そう簡単には通してくれない、強敵である事が窺える。
己たちは、民のいないこの街に誘い込まれた。つまり、ブリタニアはここに最強の兵を置くだろう――そんなレイラの嫌な予感は的中した。
「ヒュウガ中尉!」
グロースターは塔の上から飛び降りれば、アキトの搭乗するアレクサンダに向かって剣を振り放った。
「ユキヤ! どんどん増えるよ、どうするの?」
「落ち着いてよ、アヤノ。増えてるわけじゃない。包囲されてるんだ」
「同じ事じゃないの!」
「違うよ」
アヤノとユキヤの言い争い、というよりアヤノが一方的に不安を露わにしている状況を、リンネは通信を介して聞きながら、打開策を考えていた。
これまでの経験則から、恐らくユキヤは既にこの街でなんらかの手を打っているはずだ。リンネはユキヤのお陰で、表面上は冷静でいられる事が出来ていた。
「僕たちは取り囲まれ、敵の波状攻撃を受けてる。確かにね。でも数は10機程度のはずだ。こっちのドローンを計算に入れれば、数はまだこちらが有利だよ」
「でも、リョウだって、あのレイラだってどこにいるのか!」
「飛行船からのデータリンクはまだ生きてる。焦っちゃ駄目だ」
このままでは平行線だ。思わず、リンネは先程あった事を思い出し、アヤノに声を掛けた。
「アヤノ。さっき助けてくれたドローン、あれきっとマルカル司令が動かしてくれたと思う」
「……だからあの女を信用しろって?」
「そうじゃないけど、本当に私たちがピンチの時は、司令か日向中尉が助けに来てくれるんじゃないかな」
「リンネ、あいつらがそんな事すると本気で思ってる?」
いつの間にか彼らに絆されているリンネに、アヤノは苛立ちを露わにしたが、その間に少し離れた場所で大きな爆発が起こった。予めユキヤが仕掛けていたトラップに、敵機が引っ掛かったのだ。
「よし、今だ! ドローンが生きてるうちに突破するよ、アヤノ、リンネ!」
やっぱりユキヤはしっかり先回りしてくれていたのだと察したリンネは、笑みを浮かべて頷いた。もう言い争っている暇はない。アヤノも覚悟を決めて、ふたりに向かって叫んだ。
「了解! あたしが突破口を開く!」
アキトの搭乗するアレクサンダは、赤いナイトメアに押されていた。レイラは『ハンニバルの亡霊』と称されるアキトの強さを信じていたし、疑いのない事実だと思っていた。だが、どう贔屓目に見ても今のアキトは押されていた。
それは、アキトがレイラを庇いながら戦っているからに他ならなかった。
レイラはアキトを援護しようとしたが、二機の交戦は間に入れないほど動きが早く、下手に手を出せばアキトを傷付けてしまうかも知れない状態であった。
かといって、アキトを置いてひとりで逃げる事など出来るわけがない。だが、このままでは全滅するのは時間の問題であった。
その時、レイラの機体の中に、突然声が聞こえて来た。
『……ね……死ね……』
「え?」
『死ね……!』
通信を介して聞こえて来たのは、紛れもなく、日向アキトの声であった。
それと同時に、アキトの搭乗するアレクサンダが宙を舞い、ついに敵機に斬撃を喰らわせた。赤いナイトメアが後ずさる。
その動きは、レイラを庇いながら戦っていた今までとは違う。まるで、レイラの事など見えていないかのようであった。
そんな中、新たな敵機が現れる。赤いナイトメアの援護に駆け付けたらしいそれを、アキトは一瞬にして弾き飛ばした。
「……死ねっ!!」
異変は、アキトだけに起こったわけではなかった。
「なに!?」
「なんだ、今の!?」
「アキト!?」
それぞれ離れた場所にいた、リョウ、アヤノ、ユキヤ、そしてリンネも、アキトの声を聞くと同時に、豹変した。
「……死ね……!」
四人は、まるで悪いものに憑りつかれたかのように、殺意を露わにしながら、敵機へ反撃を始めた。
これまでの戦場慣れしていない動きとはまるで違う、アキトにも匹敵するとも思えない動きで、次々とアシュラ隊を圧倒していく。
今のワイヴァン隊は、レイラ以外誰も正気を保っていなかった。『ブレイン・レイド・システム』――レイラ機以外の五機に搭載されているシステムによって、アキトの精神が四人の精神と同調し、リンネたちはまさに『ハンニバルの亡霊』そのものと化したのだった。
2023/12/03