きらきら星の子供たち I
『凄いな。適正値は四人ともAAAです。こんな被検体、よく見つかりましたね』

 ガラス越しに己たちを観察している科学者が何を喋っているのか、リンネに知る術はない。検査着を纏い、なんらかの装置を全身に取り付けられている今のリンネたちは、まさにモルモットと呼ぶに相応しい状況である。

「なんだっけ、この曲」

 最初に呟いたのはアヤノであった。
 今、四人の脳には音楽が流されていた。スピーカー等で聴覚に訴えるのではなく、脳に直接疑似体験を送るという試みである。仮想空間にバーチャルブレインを作り出し、並列接続する事で脳の反応速度を飛躍的に向上させる『ブレインドシステム』。ナイトメアフレームでの戦闘に活かす為に、以前からイレヴンの身体で実験が行われていたのだった。

「『きらきら星』だよ」

 アヤノの質問に、リンネとユキヤがほぼ同時に答えた。奇跡的にも見事に言葉が被り、リンネは出しゃばってしまったと気まずそうに俯いたが、対するユキヤはどこか嬉しそうに微笑んでいた。そんなふたりに、リョウが「相変わらず仲が良い事で」と呆れるように呟く。
 皆、子どもの頃に耳にした、あるいは歌ったり演奏した事のある、世界的に有名な童謡。一般的な知識ならそこで終わる話なのだが、この時のユキヤは饒舌であった。

「正確には、フランスの歌曲『ああ、お母さん、あなたに申しましょう』による12の変奏曲。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト編曲、ハ長調、作品番号265」
「長ぇな」

 リョウはユキヤの話に興味を持った――というよりも、黙って実験体にされているよりは、仲間の知識に耳を傾けるほうが遥かに有益な時間であった。そうしてきらきら星に纏わる話に耳を傾けていたのだが、リンネは違う事を考えていた。

「当時フランスで流行った歌だったのを、1778年にモーツァルトが編曲したピアノ曲なんだ。ちなみにきらきら星って言われるようになったのは、ブリタニアの詩人、ジェーン・テイラーの詩の曲として使われるようになってからだね」
「ブリキ野郎の歌だったのかよ、あれ!」

 子どもの頃に聞いた童謡、というだけでは知り得ない知識。ユキヤが楽器演奏や聖歌隊など、なんらかの形で音楽に携わっていたのだろうと思い、リンネは複雑な表情を浮かべた。
 ユキヤの話が、きらきら星が世に出た当時の世界史の内容に発展したところで、リョウは感心しながら呟いた。

「詳しいな」
「昔、好きだったんだ。リシャール・エクトルに捧げるソナタ。何度も演奏したよ」

 ユキヤはそう言うと、手袋をしている手を、もう片方の手で撫でた。その言い回し、動作から、かつて楽器演奏をしていたものの、今はもう叶わないのだと察するのは容易かった。

「……そうか」

 険しい顔付きへと変わるリョウを見て、リンネは改めて、己たちに安息の未来などないのだと思ってしまった。リンネは詳しくは知らないものの、ユキヤが音楽の道を諦めざるを得なくなったのは、同じ日本人から暴力を受けていた事が原因だろう。
 何故ならば、自分も同じようなものだからだ。

「リンネは?」

 まるで心を見透かしたかのように、突然ユキヤにそう訊ねられ、リンネは大きく目を見開いた。恐る恐るユキヤを見遣ると、何を答えても正しい正解へと導いてくれそうな、頼りがいのある優しい笑みを浮かべていた。

「……私? あの、私、特に何も話せるような事は……」
「嘘。アヤノの質問に即答してたよね」
「それは……曲名くらいなら分かるから……」

 別に責められているわけではない。恐らくは、ユキヤはお前も音楽に詳しいのではないか、と聞いているのだろう。リンネはそう察し、目を逸らして言い難そうに呟いた。

「……子どもの頃、聖歌隊にいたの。色々あって、とっくにやめたけど……」

 リンネの表情を見れば、「色々」の内容を詳しくは聞くのは許されないと、誰もが察した。
 そんな重い空気を消し去ったのは、またもやアヤノであった。

「へえ。今度聴かせてよ、リンネの歌」
「え? この流れだと普通僕が言うよね、そういう言葉」
「ユキヤがリンネに意地悪するから、あたしが言うべきかなって思ったんだけど」
「意地悪じゃないよ。ね、リンネ?」

 アヤノに先を越され、不機嫌そうに訊ねるユキヤに、リンネは苦笑しながら頷いたのだった。ブリタニアの日本侵攻さえなければ、もしかしたらふたりとも音楽の道に進んでいたのかも知れない。そんな有り得ない未来を想像しながら。





 リンネたち四人は、レイラ・マルカルから准尉の階級を与えられ、wZERO部隊の一員として戦場に出る為に、ナイトメアフレーム『アレクサンダ』の操縦訓練を受ける日々を送っていた。
 尤も、未遂とはいえスマイラス将軍の誘拐犯である四人に自由は与えられなかった。私物は没収され、支給された制服を纏い、拠点であるヴァイスボルフ城にて、軍隊というよりも犯罪者として収容されていると言った方が近いかも知れない。
 四人それぞれに個室は与えられているものの、監視カメラが24時間動いている。ひとりで過ごしたところで気が荒むばかりであり、四人は自然とリョウの部屋に集まる事が大半であった。
 そんな日々に不満を露わにするのは、専らアヤノである。

「ねえ、リョウ。いつまでここにいるつもり?」

 アヤノは己たちのリーダーであるリョウに訴えるものの、当の本人は意外にも飄々としていた。以前の血気盛んな姿からは想像もできない様子である。

「ここにいれば三食昼寝付き……見かけはボロ城だが、中はハイテクで清潔だ。だからネズミも出ねえ。なあ、ユキヤ」
「そうだよ。アヤノはネズミ……嫌いだろ?」

 リョウに同調するユキヤに、違和感を抱いたのはアヤノだけでなくリンネも同様であった。だが、ふたりとも明らかに何かを企んでいる事だけは自ずと理解していた。いずれ時が来れば打ち明けてくれるだろう。リンネは良くも悪くも、ユキヤを全面的に信頼していた。
 尤も、アヤノにしてみれば、ふたりの企みよりも現状に耐えられない事のほうが問題であった。

「こんな服着せられて、大人しくしてるなんてらしくないよ!」
「そう熱くなるなよ」
「アヤノは小太刀を奴らに取り上げられたのが、気に入らないんだよね」

 ユキヤの指摘通り、形見の品を奪われた事は、アヤノにとって耐えられない出来事のひとつであった。
 リンネは形見も何もかなぐり捨てて、ユキヤと共にアムステルダムを脱出しただけに、アヤノの気持ちを真に理解する事は出来ないが、自分に置き換えて考える事は出来る。確かにアヤノが憤りを露わにするのは分かるのだが、小太刀が凶器であり、ましてやそれでレイラ・マルカルを襲った前科があるだけに、奪われるのも仕方がない面もある。
 形見の品を取り返す為には、反乱を起こして奪い返すか、あるいは兵士として前線に出て、結果を出し、レイラの信頼を得るかの二者択一である。正直、どちらも可能性はゼロに近い。

「そうだよ! あの女と……あいつ! 日本人のくせにユーロピアの……!!」

 アヤノがレイラと、そしてヒュウガ・アキトという名の兵士を批判しようとした瞬間。
 リョウが突然、不自然に大きな声を上げた。

「ユキヤ! 続きのゲームの準備は出来たか?」
「まあね」

 アヤノは何か知ってる?と言いたげにリンネを見遣ったが、首を横に振られ、再びリョウに顔を向ける。そして、男ふたりで隠し事かと苛立ちながら追及した。

「なんの話? ねえ、リョウ!?」
「アヤノはまだ知らなくていい」
「なんで私を!!」

 監視カメラなどどうでも良いとばかりに声を荒げるアヤノに、ユキヤは口角を上げながら窘めるように告げる。

「アヤノ、僕たちは、ここに満足している。いいね……?」

 怪訝な顔をするアヤノであったが、宥められるようにリンネに髪を撫でられ、仕方なく言葉を引っ込めてその場を後にしたのだった。



「ねえリンネ。本当に何も知らない?」

 個室を与えられてはいるものの、アヤノとリンネは共にどちらかの部屋で一緒に寝る事が多かった。アヤノは正直、何も不満を口にしないリンネにも苛立っていた。一緒に復讐を遂げたいと言った、あの時の少女は何処へ行ったのか、と。
 だが、リンネはアヤノの気持ちを分かったうえで、敢えて首を横に振れば、監視カメラに拾われないよう、耳元で小声で囁いた。

「絶対に何か企んでるのは分かる。でも、私も本当に何も聞いてない」
「はあ……だよね。リンネは嘘吐かないし」
「あはは。リョウもユキヤも嘘吐きってわけじゃないけどね」
「隠し事してるなら同じだよ」

 どうしても納得いかないアヤノに、リンネは微笑を湛えながら、彼女の手を握った。届かない言葉よりも、こうしたほうが、少しはアヤノの怒りも治まるかもしれないと思ったのだ。

「アヤノ。私はユキヤを信じてる。リョウも、私たちの事をちゃんと考えてくれてる」
「それは、分かってるけど……少しは教えてくれたっていいのに」
「いつか分かる時が来る。今はまだ、その時じゃないだけ」

 自分の命を救ってくれたユキヤを全面的に信頼しているからこその発言に、アヤノはひとりで怒っている自分が子供じみているように思えて、肩を落とした。

「リンネは、大人だね……」

 だが、ユキヤが本当は何を考え、何を為そうとしているのか。リンネは彼の心の奥底に触れようとはしなかった。
 相手を信頼し、すべてを委ねるという事は、一種の甘えでもある事を、この時のリンネはまだ気付いていなかった。



 wZERO部隊司令、レイラ・マルカルは、イレヴンで構成された戦闘部隊『ワイヴァン隊』の再建を計画していた。日向アキトを中心に、リョウたち四人を加える方向で、日々訓練を行ってはいるものの、その計画は前途多難であった。
 日向アキトのように、数多の前線を生き延びた優秀なパイロットは、他の部隊の間で取り合いが発生しており、とてもではないがレイラの特務部隊に回す余裕はないのが現状であった。

 そんな中、パリの統合司令本部から作戦命令が届いたものの、それはあまりにも成功率の低い、残酷な命令であった。
 ワイヴァン隊は現有戦力にて、ワルシャワ方面軍の反攻同調し、ベラルーシ方面に降下。空挺だけで強襲作戦を成功させよというものである。味方のいるビャウィストクからの距離は150km。敵中降下せよとの命令であり、要するにイレヴンは捨て石にせよという事である。

 E.U.の司令官は、そうして兵士を動かして来た。戦争に綺麗事など持ち出している余裕はなく、自国の兵士を戦死させる事が国民の反感を買うのなら、属国の人間を兵士として戦場に送る。そんな事が当たり前のように行われている事を、今の今までレイラ・マルカルという若き司令官は見て見ぬ振りをして、その地位まで辿り着いたのだ。

 日向アキトを、そしてあの四人を無駄死にさせない為に、出来る事はただひとつ。
 この無謀な作戦命令を遂行し、全員生還する事。ただそれだけであった。



 リンネたちは、いつものようにシミュレーターの訓練を終え、城内のシステムに監視されながら部屋への帰路を辿っていた。

「シミュレーター飽きたよねー」
「楽でいいじゃない。シートに座って振り回されるやつより」
「あれでアヤノ、吐いたからな」
「私は乗り物酔いしやすいの!」

 アヤノ、ユキヤ、リョウの三人が笑い合う中。リンネは突然ふわふわした『もの』が少し離れた場所で蠢いている事に気が付いて、咄嗟にユキヤの服の袖を引いた。

「え?」

 ユキヤの声に、リョウとアヤノも反応する。よくよく見ると、壁の裂け目から動物の手らしきものが出ていた。
 咄嗟にユキヤは駆け寄って、裂け目の奥を見遣ると、暗闇の中でにゃあという鳴き声がした。

「ネコ?」

 その猫はそのまま暗闇へと消えた。それは、この城内には抜け道があるという事を意味している。

「……なるほどね」

 猫の鳴き声を離れた場所で聞いたリンネは、ユキヤが企んでいる事を漸く理解した。
 ユキヤは間違いなく、この城を脱出しようとしている。
 それはきっと、リョウも同じである。何故己たちに隠しているのかは分からないものの、秘密裏でしっかり脱出計画を練っているのだ。



 そして、リンネたちがヴァイスボルフ城に軟禁されて一ヶ月の時が経った。アヤノは一旦はリンネの言葉に同調し、ここでの生活に順応する振りをしていたが、それも限界が近づいている時の事であった。
 いつもと変わらず四人でリョウの部屋に集まり、雑談に興じる中。ユキヤは突然アヤノに訊ねた。

「アヤノ、今何時」
「え? ……3時2分」
「もう3時か……リョウ、腹減らない?」

 ユキヤの問いに、ベッドに寝転がっていたリョウは起き上がって、扉へと歩を進める。

「しょうがねえなあ。じゃ食堂にでも行ってみるか?」
「あそこのスナックはおいしくないから」
「じゃあ、晩メシまでガマンしてろ」

 傍から見ればごく普通の雑談。だが、リョウは歩きながら自身の身体で監視カメラを塞いだ。
 一瞬の事であった。リョウの行動と同時に、ユキヤは懐から隠し持っていたナイフを取り出せば、壁に設置されている端末のパネルにナイフをねじ込み、蓋をこじ開けた。
 突然の事に、リンネはアヤノとともに、無言で息を呑む。

「そうか。じゃあ夕食までもうちょっとガマンしようかな」

 ユキヤは自然な口調でリョウとの雑談を続けながら、パネル内部のケーブルを引き抜いて、予め用意していたチップを差し込み、ハッキングを開始した。

「それがいいんじゃねえか? またシミュレーターの訓練があるんだ。ヘタに食うと吐いちまうぜ」

 リョウがそう話す間、ユキヤは私物の携帯端末からシステムをハッキングする。そして、ダミーの室内映像が映り続けるよう、プログラムの改竄に成功した。僅か数秒の出来事であった。

「よし、と……もう大丈夫だよ。ごめんねアヤノ、リンネ、黙ってて」
「いい子だユキヤ。さあてと、始めるか!」

 一ヶ月ぶりに見たと言っても過言ではない、ユキヤとリョウの不敵な笑みに、リンネは漸くこの時が来たのだと一気に心を躍らせた。
 咄嗟にすべてを察したリンネとは対照的に、アヤノはまだ何が起こっているのか分かっていない様子である。

「どういうこと……なの?」
「アヤノは顔に出るからさ。変な脳波の機械をつけられて計画を抜かれるのが恐かったから、黙ってたんだ」

 ユキヤはアヤノにそう言うと、リンネの傍に駆け寄って、まるで猫をあやす様に髪を優しく撫でた。

「リンネ、察してたよね? 待ってくれていてありがとう」
「ううん。絶対なにかやってくれるって信じてたから」
「あはは。アヤノほどじゃないけど、リンネも相当堪ってたんだ」

 リンネとしてはユキヤを信頼していただけに、別にこの一ヶ月間を苦痛だと思ってはいなかったのだが、アヤノの手前そういう事にしておこうと、照れ臭そうに笑みを浮かべた。アヤノが吐いた訓練も、リンネは思いの外平気であり、どういうわけか研究員の面々からも褒められる事が多かった為、今までの暮らしに特に不都合はなかったのが本音であった。
 だが、リンネはE.U.の人間が己を褒めるのは、いざ戦場に出る時に怖気づかないよう鼓舞しているのだと理解していたし、世辞を鵜呑みにするほど愚かでもなかった。
 己たちが所属する事になった『ワイヴァン隊』というものが捨て駒のイレヴンの寄せ集めである事を、リンネは研究員たちの雑談から把握していた。そして、これから己たちを敵地に放り込むという作戦が行われる事も。

「今、システムは僕が作ったワームソフトでダウンしてる。今から一時間は、こちらの掌握下さ。監視室は僕が作ったムービーを見て、異常なしと判断してるはずだよ」
「高度化したセキュリティシステムにも穴がある。コンピュータが作り出した仮想現実は、それが高度であればあるほど現実と見分けがつかない」
「偽造IDもね。目の前の人間の顔を確認するコンピュータに疑似信号さえ送り込めば、僕らが歩いていることは問題にならない」
「じゃあ……!」

 得意気に語るユキヤとリョウに、状況を把握したアヤノは漸く満面の笑みを浮かべた。
 リンネの言っていた通り、リョウは己たちの事をちゃんと考えていたし、ユキヤも計画を実行するタイミングをずっと見計らっていたのだ。

「ああ。もう堅苦しい暮らしは終わりだ。ここを出るぞ、アヤノ、リンネ」

 ヴァイスボルフ城脱出計画。だが、それは四人全員ではなく、アヤノとリンネだけを逃がす為の作戦である事を、当のふたりはまだ知る由もないのだった。

2023/09/03
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