翼竜は舞い降りた I
 犯罪組織が集う、パリ郊外のアンダーグラウンド。その一角はかつてリンネが求めた安息の地であり、今となっては失われた楽園であった。
 そんな危険な世界でも、いわゆる中立地帯と呼ばれるエリアは存在していた。その一部、忘れられた地下鉄駅にて。ふたつのグループが顔を合わせ、これから『取引』が行われようとしていた。

「うちの若いのが85人死に、37人が未だ病院のICUにいる」

 サングラスを掛けたマフィアの男が、部下を周囲に侍らせて椅子に腰掛けながら、自分たちの仲間を殺した子どもたちを見据える。

「お前たちの仲間も20人、天国へ旅立った……」
「18人だ。間違うな」

 男の言葉に噛み付いたのは、もう一方のグループのリーダー、佐山リョウであった。だが、男は気にする素振りもなく言葉を続ける。

「アンダーグラウンドでこれほど大きな戦争は初めてだ」

 リョウの背後に控えるアヤノとユキヤは、そもそも先に仕掛けたのはお前たちのほうだろう、と言いたいのを堪えながら、冷たい笑みを作っていた。対するリンネは、この場に置かれている巨大な人型兵器の状態を確認している。

「リョウ・サヤマ、お互い多くの犠牲を払った。もう終わりにしよう。だからだ、お前たちへの贈り物も用意した」

 その言葉に、リョウはリンネが確認している兵器を見遣った。
 4メートル以上ある人型兵器――己たちの故郷である日本を蹂躙した、旧型のナイトメアフレーム『グラスゴー』。ロシアに展開しているブリタニア軍が訓練用に使用していた機体を、マフィアが横流しで入手したのだという。稼働時間は100時間ほど。リンネから見てもこのグラスゴーはほぼ新品状態であった。
 そんな中、ひとり手持ちの端末を操作していたユキヤがリョウに声を掛けた。

「リョウ。パイロットIDの書き換え、終わったよ」
「いい子だ、ユキヤ」

 無線を通じてグラスゴーのメインシステムに介入し、自分たちが搭乗出来るようにシステムを弄ったのだ。
 傍から見れば単純な作業をしているように見えるものの、実際はパイロットIDの書き換えにはブリタニア軍のセキュリティ突破が必要となり、安易に、それも短時間で出来るものではなかった。ゆえに相手側もリョウたちに、停戦のための取引材料として譲渡する事にしたのだった。

 それと同時に、ユキヤのハッキングによって相手の口座に巨額の金額が振り込まれ、男もまた自身の端末で入金を確認した。

「今、口座に入金があった」
「そうかい。じゃあ金払ったわけだから、こいつはあんたからのプレゼントじゃねえな」
「ネットバンクから巻き上げた金で、偉そうなこと言うんじゃない。こそ泥どもが……」

 リョウの軽口に、男の顔から笑みが消える。犯罪組織のボスに相応しい、殺意を隠さない残忍な表情を浮かべていたが、ユキヤが挑発するように言い放つ。

「じゃああんたたちも、やればいいんじゃない? 出来ればの話だけど」
「イレヴン風情が調子づきやがって……!!」

 男の部下が、ユキヤたち4人の子どもに向かって銃口を向ける。だが、子どもたちは誰ひとりとして怯える表情は見せなかった。

「おいおい、そう熱くなるな」

 男が嗜めるように手を広げて制すると、部下は銃を下ろした。そしてこの場の支配者は己だとばかりに、男はリョウに向かって言い放つ。

「リョウ・サヤマ。お前たち若者も、年長者に対する敬意は払わないといけないな」
「けっ! 悪党がよく言うぜ……なあユキヤ!」
「いいんじゃない。年寄りは説教したがるものなんだよね」

 リョウとユキヤは余裕綽々に相手を挑発していたが、アヤノは己たちの家族を殺した相手を前に平常心を保てなくなり、ついにリョウの傍に駆け寄って耳打ちした。

「リョウ……マリコやシンジたちの仇を……」
「焦るな、アヤノ……」

 リョウはそう言って、落ち着かせるようにアヤノに触れる。アヤノはなんとかこれ以上感情的にならずに済んだが、それで怒りが収まったわけでは勿論ない。

「15……14……13……」

 だが、背後から日本語でカウントダウンを始めたユキヤの声が聞こえ、アヤノは復讐の時は近い、と漸く冷静になった。

 相変わらずリンネは、非力な少女のふりをしてグラスゴーを撫でていた。相手側から小馬鹿にするような、あるいは捕食者のような目で見られようと、まるで気に留めていない。
 ユキヤの計画は必ず達成されると、信じて疑わなかったからだ。

「どうだ、リョウ。俺たちの組織に入らないか? お前の才能を買っているんだよ、俺は……」

 男はリョウたちの能力を買っていた。リョウの戦闘能力、ユキヤのハッキング能力、そして、アヤノとリンネは女として下衆な事に利用しようとしているのだ。
 だが、リョウはきっぱりと否定した。

「遠慮しとくよ。あんたの手下なんか……ヘドが出る」
「なんだと……!?」

 リョウには、己たち4人には為すべき事があるからだ。殺された家族の復讐。そして――。

「4……3……リョウ!!」

 カウントダウンを終えたユキヤはリョウの名を叫ぶと、リンネの細い手首を掴んで鉄骨の陰に飛び込み、守るように彼女の身体を抱き締めた。
 続けて、リョウもアヤノの腕を掴んで、グラスゴーの足下に飛び込む。
 子どもたち4人以外のすべての大人たちが、事態を把握するよりも先に、けたたましい音を立てて爆発が起こった。

「うわああああ!!」

 あらかじめ用意していた爆薬が、ユキヤの手によって次々と発動したのだ。





「うわー……バラバラになってるよ」

 地下鉄駅に静寂が戻る。人肉が焼ける臭いが漂い、リンネは思わず吐きそうになったが、ユキヤは平然としてかつて人だったものを眺めていた。
 尤も、己たちの家族を殺した相手である。可哀想などといった感情は誰も持ち合わせていなかった。そもそも犯罪組織である彼らは、もっと残忍な方法で多くの人を嬲り、殺して来たのだから。

「ひでーな、これ……掃除が大変だな。ユキヤ! こいつは『次の』には使えないぞ」
「分かってるよ」

 ありとあらゆるものが爆発と人間の肉片で滅茶苦茶になっており、死角に隠れていた自分たち4人を除けば、唯一無事に残っているのはグラスゴーだけであった。
 恐ろしいほど美しい。かつて己たちの故郷を蹂躙したこの兵器が、今の己たちを救う、云わば神の兵器となるのだと思うほどに。

「人間って脆いよね……」

 グラスゴーを撫でながら呟くアヤノに、リンネは復讐が叶って良かったと安堵し、漸く吐き気を忘れる事が出来た。アヤノの片手に触れて、指を絡ませると、アヤノも応じる様にリンネの手を握り返した。

「だ……誰か……医者を……医者を呼んでくれ……」

 ふと、己たちではない誰かの声が聞こえた。リョウが声の主の元へ歩み寄ると、そこには己たちの家族を殺した組織のリーダーであった男が、右足を失い大量の血を流しながら、這いずって助けを求めていた。

「なんだ、まだ生きてたか」
「た、すけてくれ……」
「助けてやってもいいけど……いくら払う?」

 当然、リョウに男を救う気などあるわけがない。狡猾な笑みを浮かべながら訊ねると、男は呆然として言葉を失っていた。

「自分の命はいくらだって訊いてんだよ。ぷっ、ふはは……ふははは……ふははははは!」

 耐え切れず笑い出すリョウに、男は最早威厳などない、途切れ途切れの擦れた声で訊ね返した。

「お前ら……テロリストの仲間か?」
「は?」
「イレヴンには、黒の騎士団とかいう……」

 リョウは男がこの期に及んで、地面に転がっていた銃を密かに拾おうとしている事に気が付いた。

「ちげーよ。俺たちの望みは――」

 撃たれるよりも早く。リョウは元々持っていた銃を男の額に向け、迷いなく引き金を引いた。

「――世界の平和」

 銃弾は男の額を貫き、ひとりの人間の命があっさりと奪われた。

 復讐をしても、喪った人間は帰って来ない。だからそんな真似は止めろーーなどと綺麗事を宣う人間は、現実でも架空のフィクションでも多く存在する。
 無論、リンネたちも復讐だけが目的であれば、達成感の後にとてつもない虚無感に襲われたかもしれない。
 けれど、4人の目的は復讐だけではない。その先の未来を見据えていた。

「ユキヤ、アヤノ、リンネ。本番はこれからだ」
「分かってるさ。くくく……楽しくなるね、これから……」

 リョウの言葉に同調するように、不敵な笑みを零すユキヤを見て、リンネは絶対に作戦を成功させようと心に誓った。例え己の命を犠牲にしてでも。
 そんな胸中を見透かされたのか、アヤノがリンネの身体を抱き締めた。

「アヤノ、どうしたの? 人恋しい?」
「ううん。リンネが無理してるように見えたからさ」
「そう? 駄目だね、私のほうがお姉さんなのに」
「いや、一歳しか違わないでしょ」

 呆れがちに笑うアヤノであったが、一番の年下である彼女を支えなくてどうするのかと、リンネは自責の念を抱いた。
 己よりも長く、ずっと家族と一緒にいたアヤノのほうが、負っている心の傷は大きいはずだ。復讐を果たしても、傷が癒えることはない。
 ならば、生かされた己が、この命が尽きるまで生き残った皆に寄り添おう。己の命を皆の為に使うのだ。アヤノ、リョウ、そして――己を監獄から連れ出して、自由を与えてくれたユキヤの為に。
 改めてそう決意して、リンネはアヤノの背中に手を回して抱き返したのだった。

2023/07/10
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