憎しみの記憶から I
 超長距離輸送機『アポロンの馬車』に、アレクサンダが次々と搭載されていく。『方舟』強襲作戦を実行に移すため、ワイヴァン隊は決死の作戦に挑む事となった。
 二回目ともなれば、リンネの心も比較的落ち着いていた。前回の作戦ではただレイラを信じるしかなかったが、今回は彼女は司令室に残る。それでもこの作戦は遂行できるとリンネは信じていた。以前と違い、己たちと日向アキトの間に、紛れもなく信頼関係が築かれていると思えるからだ。

 ヴァイスボルフ城の発射場から、アポロンの馬車が上空へと飛び立ち、使用済みとなったパーツがパージされながら宇宙へと飛び立つ。前回は、この輸送ロケットから見る宇宙の景色を「死ぬ前に見る光景にしては良い」とユキヤは言っていたけれど、今はもうそんな風には思っていないだろう。
 絶対に、全員生きて帰るのだ。リンネだけでなく、誰もがそう思っていた。無論、日向アキトもだ。

 だが、空へ打ち上がるアポロンの馬車を見守っていたのは、wZERO部隊だけではなかった。

「あれがアポロンの馬車……美しい」

 そう呟いたのは、シン・ヒュウガ・シャイング――彼は黄金色のKMF『ヴェルキンゲトリクス』に搭乗し、上空を飛行していた。
 シンの行く先は、ヴァイスボルフ城。
 レイラとクラウスの予想通り、ユーロ・ブリタニアがついに動き出したのだ。



 シン・ヒュウガ・シャイング率いるユーロ・ブリタニア軍が、ヴァイスボルフ城に攻め込もうとしている事など知る由もないまま、ワイヴァン隊を乗せたアポロンの馬車は、再び大気圏に再突入する。
 目的地の『方舟』は、今のところ護衛の艦隊はなく、ただ北海上空を飛行している。恐らくは方舟内部にブリタニア軍がいるはずだ。リンネたちはそう想定していたが、皆の予想は思いもしない形で覆される事となる。

 大気圏への再突入に成功し、格納されていたアレクサンダ五機は空へと飛び出した。アキト以外の機体はwZERO部隊の開発陣によって強化された『アレクサンダ・ヴァリアント』であった。アキトの機体だけは新型のテストが間に合わず、バージョンアップだけに留まっている。尤も、アキトにしてみればどうという事はないのだが。
 そして、『方舟』の位置座標をモニタに捉えたアキトは、目的地に向かって一気に降下する。リンネたちも追随し、ついに方舟を目の当たりにした。あまりにも巨大なそれは、戦艦というよりも空に浮く軍事基地のようでもあった。
 砲撃が一切来ない事に違和感を覚えつつも、ワイヴァン隊はアキトを先頭に、方舟の内部へと突入した。

 アレクサンダ五機は滑走路に着陸したものの、辺りは驚くほど静かだった。当然ブリタニア軍は自分たちの襲撃を予め察していて、兵士を配備していると思っていただけに、リンネは拍子抜けしたが、これはきっと罠だと思い直した。アレクサンダを操作して武器を構える。

 その頃、ヴァイスボルフ城――wZERO部隊の司令室でも、ワイヴァン隊の位置を捕捉していた。だが、アンナ・クレマンが真っ先に違和感を覚えて呟いた。

「データの解析は出来たけど……でもおかしいわね」
「どこがですか?」

 真っ先に問うたレイラに、アンナは端的に説明する。

「容積に対して質量が小さすぎるの。これじゃあまるで……ハリボテの船だわ……」

 次の瞬間、別のオペレーターが叫ぶ。

「ワイヴァン隊、火器使用確認!」
「アレクサンダのパワー戦闘出力!」
「敵と交戦中と思われます」

 やはりと言うべきか、方舟内部にブリタニア軍が待ち構えていたのだ。レイラはオペレーターたちに指示を出しながら、ただ五人の無事を祈る事しか出来なかった。

***

「散開!」

 アキトが叫ぶと同時に、どこからともなく砲撃がリンネたちを襲った。KMF『サザーランド』が次々と現れ、一斉にアサルトライフルを発射する。

「やっぱいやがったか!!」

 リョウの叫びと同時に、リンネはアレクサンダを軽やかに翻して砲撃を交わす。目の前のモニタを見れば、敵機の出現を知らせるアラートが大量に発生していた。

「思った以上にいるな」

 そう呟いたアキトにとっても、やや想定外の状況であった。リンネは銃撃がいったん止んだのを見計らって、サザーランドに攻撃を放つ。相手は避ける事もなくあっさりと爆破されたものの、次々に増援がやって来る。
 外からの砲弾がなかったから油断していたが、まさか方舟内部にここまでいるとは。リンネは長期戦になる事を覚悟し、皆と共に生き延びる事を改めて決意したのだった。

***

 司令室でワイヴァン隊の戦闘をモニタで見守る中、突然彼らではない誰から通信が届いた。

「司令! 統合本部から緊急通信です!」
「統合本部? 誰からですか?」
「スマイラス将軍から直接回線です!」
「……メインスクリーンへ」

 レイラが通信を繋ぐようオペレーターのサラに命じると、スクリーンにスマイラスの顔が映る。レイラはパリの暴動の中、彼が無事だった事にひとまず安堵した。

「ご無事でしたか、スマイラス将軍……」
「私はな……しかし、政府も軍も機能していない……パリの街は騒乱状態だ。だが私は逃げもしない」

 スマイラスは真実を知らないのだと察し、レイラは己たちが掴んだ情報を簡潔に述べた。

「将軍、今回の騒乱の原因となった『方舟の船団』は、ユーロ・ブリタニア軍が仕組んだ謀略です」
「証拠はあるのか?」
「今、飛行中の『方舟』へ、ワイヴァン隊が突入作戦を実行中です。ブリタニア軍ナイトメア隊の迎撃も確認しています。この事をユーロピアの市民に伝えれば……!」

 だが、スマイラスは首を横に振り、レイラの訴えを退けた。

「今更事実を伝えても……レイラ。人は常に不満を吐き出すきっかけを持っている。それが人の性だ」
「でも、きっと可能性はまだ残されているはずです」

 意志の強い瞳できっぱりと言い放つレイラに、スマイラスは暫しの間を置いた後、意を決するように真剣を眼差しを向けた。

「君なら……可能かもしれない」
「え?」
「人々に届く言葉を、君なら持っているはずだ。君はあの、ブラドー・フォン・ブライスガウの娘だからだ」

 ブラドー・フォン・ブライスガウ――神聖ブリタニア帝国の貴族であったが、E.U.に亡命し政治家として生きた男である。彼は十二年前に爆弾テロに巻き込まれ、妻と共に死亡。唯一生き残った娘のレイラは、マルカル家の養女として迎えられたのだった。
 スマイラスが己に何をさせようとしているのか、レイラにとっては考えるまでもなかった。

***

「ナイトメアがあるってことは、やっぱりブリタニア!」

 苛立ちを露わにするアヤノにサザーランドが襲いかかり、咄嗟にリョウが銃弾を放つ。アヤノを助ける事は出来たものの、サザーランドにはあっさりと逃げられてしまった。

「チッ! 逃げ足は速ぇな!!」

 刹那、今度は別のサザーランドがリョウを襲う。それを今度はアキトが近距離から攻撃を放って仕留めた。

 その頃、リンネも複数のサザーランドを相手に善戦していた。ヴァイスボルフ城に戻ってからというもの、リンネも何もしていなかったわけではない。戦力になるために、とりわけ日向アキトに少しは認めて貰えるようにと、日々アレクサンダの操縦訓練に励んでいたのだ。
 その成果が、この場で発揮される事となった。
 少し離れた場所でリンネを見守りながら、敵機を仕留めていくユキヤが堪らず通信で声を掛ける。

「リンネ、飛ばし過ぎ」
「大丈夫だよ、思っていた以上に手応えないし」
「燃料切れにならないよう考えながら動いてよ。まあ、いざとなったら僕が助けるからいいけど」

 ユキヤはいつも己を助けると言ってくれるけれど、戦場では皆対等でありたいとリンネは思っていた。ユキヤの足手纏いにはならない事を第一に考えたものの、ふと『燃料切れ』という言葉に引っ掛かりを覚えた。

「ユキヤ、敵はこれだけじゃないって思ってる?」
「え、反応するのそっち?」
「そっちって何?」
「いや、別にいいけどね……」

 想いを伝えたというのに、相変わらず飄々としているリンネにユキヤは溜息を吐いた。ワルシャワからヴァイスボルフ城に戻ってからというもの、リンネはひたすら訓練に勤しんでおり、ふたりで愛を育む以前の話であった。
 あの夜の出来事はリンネの中でなかった事になっているのではないかと、ユキヤが疑った瞬間。

「ユキヤに守って貰ってばかりじゃ、ワイヴァン隊の一員とは言えないよ」
「……聞いてたんじゃん」
「だから、燃料切れにならないよう気を付ける。それで、ユキヤは敵の親玉が潜んでると思う?」

 もう少し可愛げのある反応をしてくれてもいいのにとユキヤは思いつつも、リンネの質問に肯定してみせた。尤も、戦闘中に照れたりのろけている余裕など、リンネにはないと今更ながら思い直したのだ。

「リンネが強くなったのは分かってるけどね。でも、僕もこのサザーランドはあまりに弱すぎると思う。これは僕等を油断させる罠だと考えたほうが自然だ」
「やっぱり」

 ユキヤは仮定を口にすれば、今度はアキトを含む全員へと通信を繋いだ。

「皆、リンネが楽勝すぎるって言ってるけど、どう思う?」
「言ってない!! ユキヤでしょ!? 弱すぎるって言ったの!」

 リンネも慌てて通信を繋ぐと、リョウとアヤノが「お前ら……」と共に呆れた声を零したが、アキトはユキヤの意図に気付いていた。
 自らの手によって破壊したサザーランドを探ったところ、本来搭乗者がいるはずのコクピットが空だったのだ。

「こいつは……」
「あれはドローンだ」

 アキトの呟きに、ユキヤが簡潔に答える。スロニムでドローンを用いたレイラの戦法が、あっさり敵に盗まれたという事だ。

「ふん、俺たちも舐められたもんだな!!」
「いっぱいいるよ! ねえ! 聞こえてる!?」

 リョウが憤り、アヤノが混乱に陥る中。ユキヤはアレクサンダからケーブルを伸ばし、今己たちがいる『方舟』の中枢に接続させた。彼が得意とするハッキングである。
 この『方舟』で行われている、ユーロピアへのネットワーク干渉を停止させる。そして、今起こっているwZERO部隊とユーロ・ブリタニア軍の戦闘の映像を、ヴァイスボルフ城の司令室へと送る。
 方舟を制圧し、ユーロピアに真実を知らしめる。それこそが今回の作戦の要であった。

 きっとレイラが上手くやってくれるはずだ。リンネがそう思ったのも束の間。
 敵の親玉は、想像よりも早く、思い掛けない形で現れた。

 突然の事であった。轟音とともに、ガトリング砲がアキト目掛けて降り注ぐ。
 味方機であるはずのサザーランドにも弾丸が炸裂し、次々と爆発していく。
 攻撃はリンネの元までは届かなかったものの、敵の弾丸が止む様子はない。

「日向中尉!!」

 リンネは思わず叫んだが、アキトの乗るアレクサンダは間一髪で敵の攻撃を回避した。とはいえ、これでは反撃に出るどころか防戦一方である。

「アキトでいい」
「え?」
「リンネ、お前はユキヤを守れ。なんとしてもハッキングを中断させるな」
「わ、分かった!」

 まさかこの状況下で命令されるなど思っていなかったリンネであったが、迅速な行動をとるために、遜った言葉は不要という事だろう。リンネはアキトをサポートしたい気持ちを抑えつつ、ユキヤのすぐ近くまで移動した。

「アキト……!!」

 真っ先にリョウがアキトの助けに入ろうとしたものの、ガトリング砲の数が更に増え、近付く事すら出来ない。それどころか、今度はリョウにも弾丸が放たれる。

「リョウ!」

 アヤノも助けに入ろうとしたが、絶え間なく放たれるガトリング砲の威力に、前に進む事すら出来ずにいた。



 ユキヤを守れと言われている以上、リンネはアキトを助けに行く事が出来ずにいた。尤も、何が出来るというのか、という話ではあるのだが、出来る出来ないよりも気持ちの問題である。それに、今物陰に隠れてハッキングを続けているユキヤの身に危険が迫るという事は、アキト、リョウ、アヤノの三人が戦闘不能に陥った事を意味する。
 そんな事は、あってはならない。

「どうしよう……何か手段は……」
「落ち着いて、リンネ。まずは敵を観察するところからだよ」

 不安を露わにするリンネに、ユキヤがまるであやすように優しい声で囁いた。ハッキングと並行して、アレクサンダ・ヴァリアントに実装された高性能のカメラで敵機を観察する。

「ん!? あれは……赤いナイトメア!? まさか……」

 ユキヤはそう呟くと、アレクサンダを動かして武器を構えた。

「リンネ、試したい事があるんだ。少し離れてて」
「分かった」

 ユキヤが敵機を遠距離攻撃すると察し、リンネは安全圏まで離れたものの、相手に己たちの場所が知られてしまうのではないかと内心不安を覚えていた。もし敵の攻撃がこちらに向かったら、己だけでユキヤを守り切る事が出来るのか――リンネの思惑は、ユキヤのアレクサンダから放たれたリニアレールカノンの爆音で吹き飛んだ。
 見事に敵機へ命中したものの、火花が散っただけで損傷は見られなかった。

 リンネはユキヤの言う通り、敵機をじっくりと観察する。
 スロニムでアキトと戦った赤いナイトメアとは異なるが、恐らく搭乗者は同じだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
 敵機がアキトだけを執拗に狙っているように見えるのは、きっと気のせいではない。あの赤いナイトメアに搭乗する軍人にとって、アキトは因縁の相手なのだ。

***

 リンネたちが『方舟』内部で苦戦している中、パリの街に突如として声が響いた。

「ユーロピアの市民の方々にお伝えしたい事があります。ブリタニアの情報操作に乗って、騒乱を行う事の愚かしさに気付いてください」

 その声、姿は、レイラ・マルカル本人であった。ヴァイスボルフ城から放送をジャックしたのだ。

「私たちは秘密裏にユーロ・ブリタニアと戦っている部隊です」

 そして、映像がwZERO部隊司令室から、『方舟』内部のワイヴァン隊へと切り替わる。

「しかもその兵士として最善戦で戦っているのは、私たちがイレヴンと呼び、収容所で隔離している日本人たちなのです」

 放送はパリだけに留まらず、wZERO部隊のオペレーターによって徐々に拡大していき、ついにはユーロピア全土に接続した。

「彼らは勇敢で誠実な人々です。私たちはブリタニアに対する恐怖から、日本人の自由を奪っているのです」

 一般市民にはひた隠しにされて来た真実。特攻部隊として日本人を最前線へ送って来た事が、映像を以てユーロピア全土に示される。
 暴動を起こしていた市民たちは、やがて武器を捨て、誰もがレイラの演説に耳を傾けていく。

「ブリタニアの飛行兵器は存在しません。ユーロピアの市民を恐怖で支配し混乱させた後に軍事進攻、占領しようとしているのです!」

 今、レイラが為すべき事は、ユーロピアの民を導く事であった。ユーロピアの自由を願った、亡き父ブラドー・フォン・ブライスガウの娘として。
 レイラとてアキトたちの命が危ない事は分かっていた。けれど、今は己の私情を市民に見せてはいけない。レイラは固く心に誓っていた。己もワイヴァン隊の皆と共に、この世界と戦うのだと。

2024/04/22
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