憎しみの記憶から II
 レイラがユーロピア全土の放送をジャックし、国民に真実を訴えていた頃。
『方舟』内部では、ワイヴァン隊は赤いナイトメアから一方的に攻撃を受け、反撃も出来ずにいる状況であった。
 リンネは死角から必死で敵機を観察する。延々と放たれるガトリング砲は、アキトのアレクサンダはおろかこの方舟自体にも被弾しており、最悪己たちを道連れにする気ではないのかと思い始めていた。早く決着を付けなければ、この戦艦が持たなくなる恐れがある。

「アイツ、アキトを!! ユキヤ! リョウ! 援護して!」

 ただ躱す事しか出来ないアキトを守ろうと、アヤノがアレクサンダを走らせた。

「待って、アヤノ!」

 アキトが手出し出来ないのだから、己たちが敵うわけがない。理屈では分かっていても、アヤノはどうしても黙っていられなかったのだろう。その気持ちは分かるが――リンネが引き止めたのも虚しく、アヤノのアレクサンダに砲弾が命中してしまった。

「アヤノ!?」

 ユキヤが叫ぶと同時に、今度はリョウがアヤノの代わりに前に出て銃弾を放った。

「アキト、頼むぜ!」

 アヤノとリョウはあの赤いナイトメアに勝つために、まるで自滅するような行為に出ているのではない。
 アキトが勝つために隙を作ろうとしているのだ。
 リンネも前に出ようと思ったものの、ユキヤを守る必要がある。寧ろ己とユキヤのいる位置まで砲弾が来るようであれば、ワイヴァン隊は絶体絶命である。
 だが、果たして砲弾は無限なのだろうか。ユーロ・ブリタニアにそんな技術はあるのか。
 リンネは通信を用いてユキヤへと訊ねる。

「ユキヤ、あとどのくらい時間稼ぎをすれば、あのガトリング砲が弾切れするか分かる?」
「無茶振りだなあ……でも、良い着眼点だね」
「とどめを刺せるのはきっとアキトだけだから、時間が必要なら私も出ようと思って」
「は? 駄目だよ。リンネはここで僕を守ってよ」

 まさか『守る』ではなく『守って』と言われるとは思ってもいなかったリンネは、気恥ずかしさで一気に頬を紅潮させた。今ここがアレクサンダの中で良かった。皆に見られていたら、どれだけ恥ずかしい思いをしたか。
 リンネは初めて芽生えた感情に戸惑っていた。誰かに頼られる事が、こんなにも嬉しいなんて。例えそれが、ユキヤが気を遣って言っただけであったとしても。



「通常弾はダメか……。これなら……!!」

 これまで、ユキヤ、アヤノ、リョウの攻撃が一切効いていないのを目の当たりにしたアキトが、ライフルの弾丸を変更し反撃に出ようとしたのも束の間。
 リョウのアレクサンダも敵機から攻撃を受け、ガトリング砲によって火花が散った。

「くっ!!」

 赤いナイトメアがリョウのアレクサンダに狙いを定め、止めを刺そうとした瞬間。
 アキトに異変が起こった。
 スロニムでの戦いと同じ、暴走状態に陥ったのだ。

 敵機がリョウを仕留めるより先に、アキトの乗るアレクサンダがライフルを放った。見事に敵機の右腕に炸裂し、ガトリング砲が搭載されているアームが胴体から切り離された。
 残すガトリング砲は左腕のみ。
 勝てる――そう確信したリンネは、赤いナイトメアを注視する。

 そして、ついに反撃のタイミングを掴んだ。
 敵機の砲弾が、突然止まった。
 リンネの読みは正しく、絶好のタイミングでガトリング砲が弾切れを起こしたのだ。

「アキト!!」

 リンネが叫ぶと同時に、アキトの乗るアレクサンダが一気に間合いを詰める。通路が張り巡らされる方舟内を跳躍し、敵機のいる通路まで飛び移れば、一気に銃弾を放った。
 最早ガトリング砲が使い物にならなくなった赤いナイトメアは、苦し紛れに左手でハンドガンを構え、アレクサンダに弾丸を放つ。
 だが、アキトは止まらなかった。撃たれてアレクサンダが倒れるたびに起き上がり、何度でも敵機に向かって突進する。
 アレクサンダの頭部に敵機の弾丸が命中し、一部が破損しても、アキトは止まらなかった。
 被弾を気にせずついに赤いナイトメアに接近したアキトは、ハンドガンを弾き飛ばせば、今度はトンファーで敵機を殴り始めた。

「死ね……」

 やがて、アキトの乗るアレクサンダは赤いナイトメアと取っ組み合いになり、二機とも通路から落下してしまった。

「アキト!」

 咄嗟にアヤノが叫んだが、二機とも船底へ落下した後も戦闘を続けていた。

「死ね……死ね……!」

 そんな中、通信――否、ブレイン・レイド・システムによって、リンネをはじめ、ワイヴァン隊全員がアキトの異変を感じた。
 それぞれ離れた場所にいる四人と、アキトの感覚がリンクする。スロニムの戦いで起こった現象と同様であった。

 リンネたちには、以前スロニムの戦いにて見せられた映像でしか、アキトの過去を知る事は出来ない。
 それでも、これだけは分かる。
 兄、シン・ヒュウガ・シャイングによって、アキトは呪いを与えられたのだ。
『死ね』という言葉は、相手への殺意ではない。自らを死に至らせるための、呪いの言葉。

 スロニムでは、ブレイン・レイド・システムによって全員がアキトの意思に引きずられ、暴走していた。だが、今の四人は違う。何も知らなかったあの頃とは違う。
 己たち五人は、もうれっきとした仲間なのだ。

「だめ……! アキト!!」

 アヤノが悲痛の声を上げるも、暴走している今のアキトには届かなかった。

***

「なぜ傷付け合うのですか? 人間とは、こんなにも悲しいものなのでしょうか?」

 ワイヴァン隊が戦う中、レイラは演説を続けていた。

「悲しみに支配されてはいけません。私たちは何ものからも自由であるべきです。しかし自由には責任が伴うのです。人が人らしくあるために、この世界をより良きものにするために……」

 方舟内部の映像から、wZERO司令室のレイラへと映像が切り替わる。
 ユーロ・ブリタニアと戦う組織だと名乗るこの女性の訴えは、何故こんなにも人の心を惹き付けるのか。ユーロピアの民衆は、この後の言葉で真実を知る事となる。

「それがユーロピアの掲げる自由だと、私の父、ブラドー・フォン・ブライスガウは信じていました」

***

 暴走したアキトは、赤いナイトメアの左腕も吹き飛ばし、最早勝負は付いたも同然であった。だが、それでもアキトは止まらなかった。敵機の首元へと刃を突き刺し、火花を散らせる。敵機も余程アキトに恨みがあるのか、それでもなお起き上がり、アレクサンダに突撃する。
 アキトはそれをあっさりと躱せば、敵機の背中のコックピットを狙った。
 今にも相手をナイトメアごと殺そうとした瞬間。

「駄目、アキト!!」

 アヤノの叫び声に、アキトは一瞬だけ我に返った。その躊躇いによって、敵機のコックピットは破壊されず、天井のみを切り離すに留まった。
 コックピットの破壊により、搭乗者が外へと投げ出される。橙色の髪色をした、まだ若い男であった。
 明らかに戦闘続行は不可能であるにも関わらず、方舟の床に落下した男は痛みを堪えながら必死で起き上がり、そしてアレクサンダを睨み付けて拳銃を向けた。

「ヨハネを……! よくも……ヨハネを!!」

 男は叫びながらアレクサンダに発砲するものの、ただの銃弾がナイトメアフレームを貫通するはずがない。
 もうこれ以上戦う必要はないのだが、アキトはまだ正気に戻ったわけではなかった。アレクサンダを使って男の身体を掴み、虚空へと持ち上げればそのまま捻り潰そうとした。
 男は悲痛の声を上げながらも、まだアレクサンダに向かって銃を構える。

「こ……殺してみろよ!! ヨハネみたいに殺せよ、死神!!」

 アレクサンダは力を弛める事なく、ついに男は吐血し、ただただ呻き声を上げることしか出来なくなった。

「死ね……!」

 アキトが呪いの言葉を吐きながら、更に力を加え、相手を絶命させようとした瞬間。

「ダメだ!! ダメだ、アキト」

 ブレイン・レイド・システムによって、リョウがアキトの精神に干渉する。
 相手を殺そうとレバーに手を掛けるアキトを抱き締め、必死で制止する。

「もうこれ以上殺しちゃダメだよ、アキト! 殺したら、自分を殺すことになっちゃうよ!」

 リョウに続いて、ユキヤもアキトの精神に干渉する。
 ブレイン・レイド・システムの感覚共有によって、アキトの精神から干渉を受けていた四人であったが、今この瞬間、逆にこちらから干渉出来るようになったのだ。

「アキト、私たちは生きて帰るの! 司令が待ってるあの城に!」

 リンネもアキトに呼び掛ける。
 そして、最後にアヤノが必死に叫んだ。

「アキト、生きて! 私たちと一緒に生きて!」

 そうして、暴走していたアキトは漸く我に返った。
 アレクサンダの手が漸く弛み、男はそのまま地面へと落下した。
 男は咳込んで血を吐きながら、力なくアレクサンダを見上げる。先程までの戦いはなんだったのかと思うほど、全く動く気配がなかった。まるで、すべての機能を失ったかのように

***

「私は諦めません……私は逃げません。私の名はレイラ・ブライスガウ……私は皆さんと共にあります」

 ワイヴァン隊の戦闘終了と時を同じくして、レイラの演説も、自らの正体を打ち明ける事で幕を閉じた。
 ユーロピア全土で、レイラの演説を聞いていた民衆が、次々と声を上げる。

「ブライスガウ議員の娘が……」
「ジャンヌ・ダルクの再来だ……」

 暴動を起こしていた民衆たちは武器を下ろし、次々に声を上げる。

「レイラ・ブライスガウ! レイラ・ブライスガウ! レイラ・ブライスガウ!」

 混沌と化していた首都パリは、レイラの演説によって暴動が収まり、徐々に平和が戻り始めていた。

***

 司令室へ映像を送る役目を終えたユキヤのアレクサンダと共に、リンネもアキトの元へ向かった。既にリョウとアヤノもアキトの元――方舟の船底へと辿り着いていた。

 アキトはコックピットから出て、その身のまま、赤いナイトメアに乗っていた男へと歩を進める。

「撃てばいい。お前の仲間を殺したのは、俺だ……」

 アキトの言葉に、男は銃を構えるも、その手は震えていた。『ハンニバルの亡霊』を前にして恐れを為しているのか、あるいは、己の仇をここで殺す事が、本当に仲間――ヨハネの為になるのか、今更ながらに迷いが生じているのか。
 アキトを目の前にし、男は手に力を込め、そして、引き金を引いた。

 発砲の音はせず、空撃ちの音が静かな方舟内に響く。

 男は舌打ちをすれば、拳銃を放り投げてその場に座り込んだ。

「クソッ! 弾切れだぜ。ついてねぇ……なあ、ヨハネ」

 ユキヤと共にアキトの元に辿り着いたリンネは、敵機に乗っていた男が微かに笑みを浮かべている事に気付き、もう戦いの意思はない――というより戦闘の続行は不可能だと判断し、安堵の息を吐いた。

「ふん、まったくよ!」

 呆れるように吐き捨てるリョウを見て、ユキヤも口角を上げる。

「ふうん、ベタな展開だね」
「茶化さないのユキヤ!」
「はいはい……」

 アヤノに窘められてユキヤは肩を竦めたが、漸くこれで帰れるとリンネは喜びに溢れていた。早速この場にいる全員に向かって声を掛ける。

「ねえ皆、早く帰ろう」
「リンネはせっかちだね。とりあえず、まずはこいつをどうするか……」

 ユキヤが苦笑しながら、散々暴れ倒していた敵機の男を捕虜とするか思考を巡らせた瞬間。

 方舟内部で、一気に爆炎が噴き上がる。
 この方舟には予め爆弾が仕掛けられており、時が来たら自爆するようになっていたのだ。
 その事は、リンネたちを苦しめた赤いナイトメアの搭乗者――アシュレイ・アシュラにも知らされていなかった。
 方舟内部はたちまち炎に包まれていった。ワイヴァン隊とアシュレイの六人が、方舟を脱出する余裕もないままに。

2024/05/03
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