輝くもの天より堕つ
 リンネたちがヴァイスボルフ城へ帰還したのは、ガンマ作戦決行から一ヶ月も経った後の事であった。
 初めは自由がないと思っていたこの城での暮らしも、ワルシャワ駐屯地での生活に比べれば実に快適だと思う程度には、リンネの心境にも変化があった。尤も、一ヶ月間問題を起こさなかったため、漸く城内での自由行動を許されたというのもあるのだが、それだけではない。
 スロニムでの戦い、そしてワルシャワでの共同生活によって、レイラの事を心から信頼出来る存在だと、心から思えるようになったからだ。

 この一ヶ月、wZERO部隊は決してレイラたちワイヴァン隊の帰りを待っていただけではない。戦闘データやレイラの証言を元に、スロニム市で交戦したブリタニア軍の事を調べ上げていた。
 ブリタニアの将校――アキトが兄と呼んだ男が搭乗していた金色のナイトメアは、『ヴェルキンゲトリクス』と呼ばれる特別な代物であり、ミカエル騎士団の司令官の専用機であった。
 そして、ユーロ・ブリタニアもwZERO部隊の奇襲作戦は知るところにあり、ワイヴァン隊の事を『ハンニバルの亡霊』と呼んでいるのだという。

 つまり、敵も自分たちのことを調べ上げ、『ハンニバルの亡霊』を倒すにはどうすれば良いか、対策を練っている可能性が非常に高い。
 大気圏離脱式超長距離輸送機『アポロンの馬車』。ワイヴァン隊の切り札であるこれを狙うであろう事は、クラウスもレイラも想像に容易かった。



「へぇっ、これが新しいのか?」
「色違いなんだ」

 帰還も間もないある日。歓喜の声を上げるリョウとアヤノの横で、リンネも目を輝かせながら『それ』を見上げていた。
 ヴァイスボルフ城地下の実験室に呼ばれた一行は、新しく開発された新型のアレクサンダの御披露目に立ち会っていた。次戦場に出る時は、このアレクサンダに乗るのだ。全員同じ量産型というわけではなく、デザインもそれぞれ異なっている。

「コンポは同じだけどプログラムがバージョンアップしてるのよ」
「運動スピードが30%早くなってるの」

 以前のリンネなら、開発班の技術的な話などまるで理解出来なかったが、ユキヤから色々と教わるうちに、ざっくりとは分かるようになった。全く新しい機体というわけではなく、構成はそのままで改良を重ねたのだ。
 リンネの傍にいるユキヤが、己たちを呼び出した開発班のヒルダとクロエに声を掛ける。

「僕達の戦闘データが活かせたってワケ?」
「さすがユキヤ君。それとね、新しい武器の設計データ、バルセロナの研究所から送られてきたの」

 突然の話題に、四人全員が目を見開いた。リンネは咄嗟にユキヤに顔を向けて小声で訊ねる。

「ユキヤ、武器の話って聞いてた?」
「ううん。聞いてたら真っ先にリンネに教えるし」
「そ、そうだよね……」

 きっぱりとそう言い切られて、リンネは気恥ずかしさで目を逸らしてしまった。そんなリンネの様子は誰も気に留めず、ヒルダとクロエが声を弾ませて説明する。

「武器はあたし達、専門外なんだけど、設計データ通り組み立てるだけだから……」
「今エレメントプリンタでパーツを出力中よ」

 どうやら負荷のかかる作業ではないらしい。あとは、完成までにブリタニア軍との戦いが発生しない事を願うばかりである。

「新しい武器か……」
「楽しみだね」

 リョウとアヤノも期待に胸を膨らませており、リンネも自分がどんな武器を与えられるのか、内心楽しみにしていた。勿論戦場に出る機会がないに越した事はないのだが、アキトが兄と呼んだ敵国の男は、また再び会う事を宣言していた。そう遠くない未来に、再び相見える事になるだろう。
 遅かれ早かれ、いずれ戦いの火蓋は切って落とされる。ならば、次に対峙する時は対等に戦える状態でなければならない。スロニムでは太刀打ち出来ず、相手に見逃されたのだから。

 そんなリンネの覚悟は、速くも試される事となる。
 平和な時間は、そう長くは続かなかった。
 ただ、それはユーロ・ブリタニアの進軍ではなかった。
 ユーロピアの首都パリで、テロが発生したのだ。



 パリ市街地の半分以上が停電し、人々が苛立ちを露わにする中、それは突然起こった。

『ユーロピア共和国の市民へ告げる。我らは世界解放戦線……方舟の船団だ』

 最初はインターネットにアップロードされたテロリストの犯行声明が、一部の人の目に留まる。

『愚かしき為政者の圧政に苦しむ市民たちの、真の解放を我らは目指す』

 やがてテレビの電波もジャックされ、犯行声明は瞬く間にパリ全域に拡散していった。

『我々は、北海の洋上発電所を爆破した……これがその証拠だ……』

 次の瞬間、空に浮かぶ巨大な艦隊から海上発電所に向けて爆弾が投下され、爆発する映像が流される。

『愚かしき文明に浸り、堕落という平穏に暮らす者達に神々の審判が下される。もうすぐ滅びの星がパリを襲う。悔い改めよ! それが君たちが生き延びる為の、ただひとつの手段だ!』

 パリの街は一気に混乱に陥った。
 停電、そして電波をジャックされた事で、人々は正しい情報を把握する事が出来なくなっていた。
 インターネットには瞬く間に真偽が定かではない情報が飛び交う。施設の爆破、バイオテロ、権力者の国外逃亡、ジェノサイド――それを見た人々は、一気に暴徒と化したのだった。



 パリの暴動は、人里離れたヴァイスボルフ城にいるwZERO部隊も知るところとなった。森の中にひっそりと佇む古城を拠点にしているがゆえに、テロに巻き込まれずには済んでいるものの、リンネたちにとっても現状は当然見過ごせぬものであった。

「ジュネーヴやベルリンでもテロが起きてるって……」
「ユーロピア中で起こってるのかな?」
「大都市はパニックで暴動だって……」
「北海の発電所の爆破テロがきっかけだったって……」

 ワイヴァン隊は他のwZERO部隊の面々と共に、インターネットで情報を集めていたが、あまりにも急激に悪化していく状況を知る度に、一同の表情は暗くなっていく。
 そんな重苦しい雰囲気の中でも、ユキヤはいつもと変わらず飄々たる態度で呟いた。

「SNSはデマが多いからね」

 ユキヤはそもそもテロが本当に起こっているのか懐疑的であった。だが、アヤノが納得いかないとばかりに端末の画面を見せ付ける。

「でも、こんなにいっぱい書き込みがあるんだよ?」
「人間は不幸な出来事に強く反応し、事実を確かめもせずその噂を広げる……」

 さらりと告げるユキヤに同調するように、ヒルダも頷く。

「嫌な噂ほど早く広がるものね」
「誰かがわざと悪い噂を広めてるって事か? 誰だよ、そいつは?」

 アヤノと同様に怪訝な表情を浮かべるリョウであったが、ユキヤが突然リンネに顔を向けて笑みを浮かべてみせた。

「リンネ、誰だと思う?」

 いつものリンネなら驚いて委縮してしまうところであるが、正直、思い当たるふしはあった。ずっと気に掛けていた事だ。
 別に仮定の話なのだから、間違っていたとしても咎められる事ではない。リンネはユキヤを見て頷けば、この場にいる全員を見遣って言葉を紡ぐ。

「もしユーロピア全土が混乱に陥って、政府も機能しなくなったら……ブリタニアにとって好機だと思います」
「ブリタニア軍の仕業だってのか?」

 リョウが眉を顰めて問うと、リンネは小首を傾げつつも否定はしなかった。

「断言は出来ないけど、現に私たちは向こうから宣戦布告されてるし……」
「あの金ピカのナイトメアか」

 リョウの問いにリンネは真剣な面持ちで頷けば、言葉を続ける。

「あれからもう一ヶ月も経ってる。wZERO部隊だけじゃなく、向こうも何かしら動いていると考えたほうが無難だと思う」
「ユーロピアを混乱に陥れて、その隙に侵略しようっていうの?」

 今度はアヤノが身を乗り出して来て、まるで何気なく話した憶測が確定事項になってしまっているようで、リンネはちらりとユキヤを見遣った。それをバトンタッチと受け取ったユキヤは、リンネの肩を軽く叩けば代わりに答えた。

「さあね。ただ、司令は今頃作戦を練ってるんじゃないかな。あの人がこの状況を見過ごすとは思えないしね」

 ユキヤの言う通り、翌日ワイヴァン隊をはじめとするwZERO部隊はブリーフィングルームに呼ばれ、レイラと共に作戦会議を行う事となったのだった。



 レイラは情報収集の結果辿り着いた結論について、wZERO部隊の面々へ向かってきっぱりと告げた。

「パリの大停電の原因は、テロリストによる洋上発電所の爆破ではありませんでした。北海の発電所は今も無傷で存在します」

 ユーロピア政府は既にその事実を公表しているものの、実際に送電網が遮断されていた事から、市民はこの事を信用しなかったのだという。
 では、実際に流れた爆発の映像は何なのかと、クラウスがレイラに問う。

「じゃあ、ネットやTVで流れたあの映像は?」
「巧妙に作られた動画です」
「しかしネットじゃあユーロピア中でテロが……」
「すべて真実ではありません。デマや噂でユーロピア市民を恐怖で駆り立て、騒乱を引き起こしているのです」

 発電所の爆破はデマだというのなら、では爆弾を投下したとされる空中艦隊も嘘の映像という事になる。クラウスが続けて訊ねた。

「じゃあ、あの方舟もまやかしだって言うんですか?」
「いいえ、方舟は存在します」

 まさかの返答に、クラウスは言葉を失った。だが、レイラは淡々と言葉を続ける。

「巨大な飛行兵器がもたらす心理的効果は絶大です。しかし、あれは……ブラフです」
「ブラフ? はったりだと!?」
「はい。あれには高性能爆弾など搭載されてはいないし、攻撃用兵器でもないと思われます。人間の不安心理を巧妙についた作戦です」

 あくまで仮定という言い回しではあるが、レイラは既に政府が秘密裏に『方舟』の情報収集を行っている事を押さえていた。
 ただ浮かんでいるだけのハリボテであっても、嘘の映像によってまるで神の兵器のように思わせるトリック――レイラはそれで間違いないと確信していた。

「騒乱を静めるには 方舟の正体を明らかにすることが必要だと思われます」

 そして、レイラが本題を口にする。クラウスは漸く己たちがブリーフィングルームに集められた理由を理解した。

「そのためにワイヴァン隊を?」
「はい。ただ、このような作戦を考えた者が、方舟への強襲作戦を予測しないわけはありません……ですから……」

 つまり、ワイヴァン隊が再び『アポロンの馬車』に乗って方舟を強襲しろという事である。
 方舟に攻撃機能は搭載されていないが、内部にブリタニア軍が待ち構えている可能性は非常に高い。危険な任務であるがゆえに、レイラは意思確認をするつもりでいたが、その前にリョウが身を乗り出して声を上げた。

「俺は行くぜ!! 行くに決まってんだろ、なあ」

 リョウがアヤノ、ユキヤ、そしてリンネに顔を向ける。己たちは一蓮托生だ、問われなくとも答えは決まっていた。

「もちろん」
「いいよ」
「うん、こうなるってなんとなく分かってたし」

 最後にリンネが苦笑交じりにそう答えたのも束の間。

「俺一人で十分だ」

 アキトが冷たい眼差しできっぱりと言い放って、この場の雰囲気は一変した。
 真っ先にリョウが苛立ちを露わにする。

「なんだと……」
「お前達が一緒だと足手まといだ」

 あっさりと突き放すアキトに、リョウの怒りは一気に頂点へと達した。スロニムでの共闘は一体何だったのか。ワルシャワでの一ヶ月は一体何だったのか。己たちは間違いなく信頼関係を築けたと思っていた。そう思っていたのは自分たちだけで、アキトは違ったとでもいうのか。
 リョウは怒りに任せてアキトに殴り掛かり、拳を彼の頬へ思い切り炸裂させた。
 アキトも油断していたのか、甘んじてリョウの拳を受けてしまい、そのまま後ろへと倒れ込む。

「格好つけてんじゃねえ」

 そう吐き捨てるリョウであったが、アキトもこのままでは終わらなかった。起き上がればすぐさまリョウに向かって拳を放ち、同じように殴り倒す。

「……お前達は――」
「てめえの考えなんてお見通しなんだよ!!」

 互いに譲らぬまま殴り合いが始まってしまい、レイラが止めに入ろうと慌てて声を荒げた。

「やっ……やめてください!」

 だが、リョウの性格を一番理解しているであろうアヤノが、レイラに向かってあっさりと言い放つ。

「ほっとけば?」
「え!?」

 驚きで目を見開くレイラに、今度はユキヤが口角を上げて告げる。

「リョウはアキトの事が好きなんだよ」

 意味が分からないとばかりに困惑するレイラに、リンネは補足するように言った。

「日向中尉は、きっと私たちを巻き込みたくないからあんな言い方をしたんだと思います。でも、リョウにしてみれば納得出来ないのは当然です」

 まさかリンネがそんな事を言うとは思わず、レイラは内心驚いていた。彼女が日向アキトの事をそんな風に捉えているなんて思わなかったからだ。
 だが、続く言葉は誰もが納得する意見であった。

「だって私たち、もう仲間じゃないですか」

 そう言って微笑むリンネに、ユキヤとアヤノも頷いてみせた。
 ワルシャワでの一ヶ月に及ぶ共同生活でそう思えるようになったのか、あるいはスロニムでの戦闘がきっかけなのか。ブレイン・レイド・システムによって、アキトが抱えている苦しみを知ったからなのか。いずれにせよ、リンネたち四人は、間違いなく日向アキトの事を仲間だと認識するに至ったのだ。

「若いっていいね〜」

 他のwZERO部隊の面々も、特に止める気はなく雑談に興じている。
 レイラがはらはらと見守る中、アキトもリョウも互いに譲らなかったが、体力の限界が来ているのは明白であった。ふたりとも肩で息をしており、このままでは倒れかねない。

「頑張るねふたりとも……」
「でもそろそろ限界かも……」

 ユキヤとアヤノが呆れがちに呟くと、ついにリョウは本音をぶつける事に決め、アキトに向かって叫んだ。

「心配しなくても……みんなでまたここへ帰ってくるんだ、絶対にな!!」

 リョウもまたアキトの本心などとうに見抜いていた。ブレイン・レイド・システムで覗いた日向アキトの過去。兄にかけられた呪いが、彼を永遠に縛り付ける。仲間を巻き込まないよう、あえて冷たい態度を取って遠ざける――そんな行動原理は、わざわざ聞かずとも分かっていた。
 その言葉に、アキトももう戦う気が失せてしまい、構えを解いてリョウから背を向けた。

「……好きにしろ」



 革命暦228年。スロニムでの戦いから一ヶ月が経過した今、ブリタニアの軍師ジュリアス・キングスレイの奇策によって、ユーロピア全土は騒乱に陥っていた。
 ブリタニアのユーロピア侵攻を阻止するため、リンネたちワイヴァン隊は、『方舟』奇襲作戦を決行するのだった。

2024/04/06
- ナノ -