あなたが好きですが何か


 季節は初夏、眩しい陽射しが窓の外から降り注ぐ。日光浴よりも、今は日焼けを避けなければならないという気持ちのほうが強く、外に出るのを控えてのんびりと過ごしていた。

「西篠さん、具合は大丈夫ですか?」
「うん、平気。東雲は大丈夫?」
「ええ。先程外に出て海風にあたって、心なしかすっきりしましたよ」

 東雲はそう言うと、椅子に腰かけて過ごしていた私の向かいに座り、台本を読み始めた。私も東雲に倣って、読み込んだ台本に目を通す。私の出番はほぼエキストラと言っても差し支えないほど少ないのだけれど、話の内容が面白くてつい読み耽ってしまっていた。

「熱心ですね」
「いや、純粋にストーリーが面白くて。私の出番がないところもつい読んじゃう」
「他の皆さんも同じ事を言っていましたよ」
「やっぱり! ふふっ、撮影前から放送が楽しみだね」

 東雲と互いに笑みを零せば、再び台本に目を通す。
 今、私たちは海の上にいる。315プロのアイドルたちとフェリーで撮影場所まで向かっているのだ。出演するアイドルは総勢12名、有り難くも私も脇役で参加する事になった。
 今回の仕事は、夏休みシーズンに放送予定のスペシャルドラマだ。南の島で起こる、不思議な夏の想い出――ファンタジーものと言っても過言ではない。
 都会から逃げ出して南の島に辿り着いた少年と、謎の海底人との友情物語で、島の住民たちを巻き込んで大騒動へと発展していく。主役は巻緒くん、準主役は『彩』の猫柳キリオくんだ。
 海底人とは何ぞや、と最初に話を聞いた時は思ったけれど、実際に台本を読んでみて、竜宮城に住む人々のようなものだと捉えると納得出来た。この話はおとぎ話を現代版にアレンジしたようなストーリー、というべきか。



「にゃっはーっ! とーちゃくっ、でにゃんすー!」
「へぇ……まさに風光明媚、いい島じゃねぇか」

 南の島に到着し、皆続々とフェリーから降りていく。長旅の疲れなど感じさせない元気な声で喜ぶキリオくんの後に、『神速一魂』の黒野玄武くんが、何やら難しい単語を口にした。

「ふうこう……?」

 思わず声に出てしまった私に、玄武くんは呆れる事もなく、笑みを浮かべながら教えてくれた。

「風光明媚。『風光』は自然の景色、『明媚』は美しい景色……簡単に言うとそんなところだ」
「わあ、素敵な言葉……勉強になります! って、私のほうが年上なのにね」

 玄武くんは高身長なのもあり大人びて見えるけれど、れっきとした高校生だ。大学生の私が教わるのはちょっと恥ずかしいものの、玄武くんは優秀だと聞いている。日常会話で四字熟語がさらりと出て来るあたり、それは紛れもない事実だろう。
 そう思っていた矢先に、東雲が私と玄武くんの間に入って来た。

「そういえば西篠さん、四字熟語苦手でしたね」
「こらー! 東雲! 余計な事言うな〜っ!」

 東雲が悪戯な笑みを浮かべて逃げるように走り出したから、私も咄嗟に追い掛けてしまった。成人した大人の行動ではないけれど、いつもは穏やかな東雲も、南の島に来て何気にテンションが上がっているのだろう。
 呆然としているであろう玄武くんの傍に、咲ちゃんが駆け寄って耳打ちする。

「深雪さんは高校の時、そういちろうに勉強を教えて貰ってたの」
「成程、何が苦手か弱みを握られてるってワケか」

 咲ちゃんの言葉に玄武くんが納得するように頷くと、船から降りて来た『DRAMATIC STARS』の桜庭薫さんが無表情で告げる。

「とはいえ、相手が年下であっても素直に教えを乞うのは好ましい。プロデューサーが彼女を起用するのも納得だな」

 桜庭さんの喜ばしい評価とは裏腹に、この時の私は東雲を捕まえて、余計な事を言うなと嘆いていた。対する東雲もやり過ぎだったと思ったのか、苦笑しながら謝ってくれた。まあ、事実は事実だし別に良いのだけれど。
 そんな私たちを眺めながら、巻緒くんはどこか楽しそうに呟いた。

「深雪さんって俺たちの前ではしっかり者だけど、荘一郎さんの前では『ありのままの自分』って感じだよね」



 この日は早速、皆で手分けして夕飯の準備に取り掛かった。島で生活している人たちが、海で採れた魚や貝、そして畑で採れた野菜を、予め私たちのために用意してくれていたのだ。自分たちで調達しなくて済んで助かったし、恐らくこの島は、ある程度自給自足で賄えるのだろう。離島でも食事に困る事はなさそうだ。

「みんなガンガン食ってくれ! バーニンッ!」
「わあ……! 貝汁たっぷりですごく美味しそう! いただきます!」

『神速一魂』の紅井朱雀くんの合図で、皆で早速バーベキューを堪能する事となった。山に行って自分たちで食材を調達しようという話題が飛び交う中、バーベキューの具材の取り合いが始まる。
 本当に賑やかで、まるで子どもの頃に戻ったような感覚を覚えていた。社会人からアイドルへ転職した『DRAMATIC STARS』の大人組から、まだ幼い『もふもふえん』の子たちと、今回の仕事は出演者の年齢もばらばらで、家族みたいだと錯覚しそうだ。
 そんな事を考えていると、ふと東雲が声を掛けて来た。

「西篠さん、ちゃんと食べてます?」
「うん、そのつもりだけど」
「子どもたちは食べ盛りですからね。西篠さんの事ですから、遠慮しているのではないかと」
「昔ならそうだったかも。でも今は、撮影を乗り切るためにちゃんと食べなきゃって考えてるから大丈夫」

 こんがり焼けた野菜を味わいながらそう言うと、東雲は安心したように微笑んで、今度はつぼ焼きの取り合いをしている子どもたちへ声を掛けた。

「島のみなさんのおもてなしに感謝して、お行儀よくいただきましょうね」

 まるでお母さんのようだ。なんて言ったら怒られるから黙っておこう。
 咲ちゃんはどんどん具材を乗せていって、鍋奉公ならぬバーベキュー奉公になっている。キリオくんと『もふもふえん』の橘志狼くんが走り回っているのを、『彩』の清澄九郎くんが窘める。本当に大家族みたいだ。

「明日から撮影でしょ? かのん、時間があったら海に行きたいな〜」
「海かぁ……いいね。休憩時間に一緒に行こうか!」


『もふもふえん』の姫野かのんくんが可愛げに小首を傾げながら言うと、『DRAMATIC STARS』の柏木翼さんが快く頷いた。そして、柏木さんはスマートフォンで何やら調べる素振りをすれば、同じユニットの桜庭薫さんに声を掛けた。

「薫さん、運が良ければこの島の近くでイルカが見られるみたいですよ」
「ほう……イルカか。もしかしたら仕事の合間に見られるかもしれないな」

 傍から見ると固そうに見える桜庭さんも同意して、これは撮影が順調に進めば実現しそうだ。 

「かおるくんも一緒に海行こう! 約束ね!」

 かのんくんが満面の笑みでそう言うと、桜庭さんも微笑を浮かべて頷いた。
 この日だけでも皆の関係性や、さりげない優しさが見て取れて、早くもこの仕事が舞い込んで来て良かったと実感していた。



 撮影は順調に進んで行った。皆難しい役柄も違和感なく演じ、各自台本をしっかり読み込んでいる事が見て取れた。私の出番がないシーンでも撮影を見学して、皆の演技をじっくりと見遣る。皆が信頼関係を築けているからこそ、息がぴったり合う演技が出来ていると感じる。
 勉強になると思っていたところで、撮影はいったん終わりとなった。この後は日が沈んで夜になってから撮影が再開される。それまでは待機時間だ。

「みんなを誘って遊びに繰り出すでにゃんすよ〜!!」

 キリオくんの明るい声に、この場にいる全員が沸き立った。
 撮影が終わったばかりなのに皆元気だと感心したけれど、忙しいアイドルがこうして皆で南の島で過ごすなんて、なかなか出来る事ではない。限られた時間で想い出を作ろうとするのは自然の流れだ。

「深雪クンも行くでにゃんす!」
「わっ!」

 いつの間にかキリオくんが目の前に現れて、素っ頓狂な声を上げてしまった。とはいえ、お誘い頂けたのは有り難い。当然、断る理由なんてない。

「ありがとう、キリオくん。折角だし皆で楽しもうか!」



 行き先は海か山の二択となり、多数決で海が選ばれた。海水浴やビーチバレーも出来るし、ほぼ皆が海を選んだと言っても過言ではない。
 私は東雲に誘われて、ふたりでスイカを調達しに行った。どうせならそのまま食べるのではなくスイカ割りをしようという話になり、こういう事を思い付いて率先して買いに行くあたり、東雲も心から楽しんでいるのが窺えた。

「東雲もすっかり『お兄ちゃん』だね」
「そうですか? 水嶋さんの兄役が板についているように見えるなら何よりです」

 八百屋さんで大きなスイカをひと玉買い、東雲がそれを片手に持って海への道を辿る。私がスマートフォンで地図を見て、近道を見つけて道案内をしていく。一見役割分担出来ているように思うけれど、東雲ばかりに重労働をさせるのも心苦しくて、交代を試みる事にした。

「東雲、スイカ持つよ」
「いえ、ご無理なさらず。結構重いですよ、これ」
「大丈夫! こう見えても私、力持ちだか――らっ」

 東雲が持っている、スイカの入ったビニール袋の持ち手に指を絡め、そのまま持ち上げた瞬間、自分でも驚くほど低い声が出てしまった。思っていた以上の重量だ。

「手を痛めたら大変です。ロケ先で病院に掛かる羽目になるかもしれませんよ」
「そこまでヤワじゃないから。はい、私の代わりに道案内」

 東雲から強引にスイカの入った袋を奪えば、もう片方の手に持つスマートフォンを差し出した。東雲は溜息を吐いて、仕方ないとでも言いたげに受け取った。

「全く、負けず嫌いも大概にしとき」
「ん?」
「おっと、呆れてついうっかり素が出てしまいました」
「ふふっ、レアな方言聞いちゃった」

 東雲から故郷の方言が出る事は滅多にない。なんだか得した気分になって浮かれてしまったけれど、『呆れて』という言葉はどう考えても誉められたものではない。
 暫く歩いていると、東雲がぽつりと呟いた。

「私の方言、そんなに嬉しいですか?」
「うん。普段滅多に聞けないし」
「それより、手、真っ赤ですよ」

 突然東雲に指摘されて、自分の手を見ると、ビニール袋の持ち手が指に食い込んで赤くなっていた。といっても、こんなの日常での買い物でも荷物が多ければ当たり前に起こる事だし、この程度で音を上げていたら生活が成り立たないではないか。東雲は一体私をなんだと思っているのか。残念ながら私は、か弱い乙女でもなんでもない。

「普通だよこんなの。心配し過ぎ」

 きっぱりそう言ったものの、同時に額から汗が伝う。今日は天気も良いし、この身体は思っていた以上に暑さを感じているみたいだ。
 すると、東雲は有無を言わさず私からスイカを奪い返してしまった。

「ただの荷物持ちでも、直射日光を浴びながらですからね。普段より体力も消耗しますよ」
「大丈夫だって言ってるのに……」

 東雲は私にスマートフォンを返せば、空いた手でハンカチを取り出して私の額を拭ってくれた。本当にどこまでも気遣いに長けている。

「さて、ゴールはもうすぐですよ。西篠さんがスイカを持ってくださったお陰で、私も元気になりました」
「私が持ってた時間なんてほんの少しじゃん」
「それでも充分ですよ。ありがとうございました」

 東雲は「元気になった」と言ってはいるものの、疲れを見せる様子は全くなかった。ポーカーフェイスなのか、あるいは表に出さないようにしているのか。きっと荷物持ちを代わってくれたのは、今の私が明らかに疲れた顔をしていたからだろう。ちょっとだけ、自分が情けない。

「私、あまり役に立たなくて……ごめんね」
「何言ってるんですか、西篠さんに荷物持ちをさせる男なんていないでしょう。私も、少しは良いところを見せたいんですよ」

 東雲は不敵な笑みを浮かべてそう言うと、荷物の重さなど感じさせないほど軽やかな足取りで歩を進めた。
 男――そう言われると、東雲を異性として意識しそうになってしまう。中性的な雰囲気ではあるけれど、こうして背中を見ていると、その逞しさに気付く。この季節だからこそ見える腕も、女性の肉付きとは違う。当たり前の事なのに、一度意識してしまうと、徐々に顔が熱くなる。

「西篠さん、どうしました?」

 私の足が遅い事に気付き、東雲は振り返って訊ねて来た。人の気も知らないで……って、当たり前だけど。

「顔が赤いですよ。まさか、熱中症――」
「東雲がかっこいいから見惚れてたの!」

 心配させてはなるまいと、うっかり本音を口走ってしまった。……ま、まあ、別に本当の事だし、荷物を代わりに持ってくれた相手を好意的に思うなんて、当然の事だ。そう、私は何もおかしな事は言っていない。

「西篠さん、本当に熱中症じゃないですか?」
「あのさぁ……」

 どうやら東雲は冗談だと思ったらしい。確かに、アイドルの東雲荘一郎を「かっこいい」と言った事はこれまで何度かあったけれど、素の東雲に対して言ったのは、これが初めてかも知れない。なんだか告白めいてしまったけれど、東雲が冗談だと思っているなら何よりだ。変に意識するほうが気恥ずかしい。

「ほら、早く皆のところに行こう! 私片方持つからさ」

 初めからこうすれば良かったのだ。ビニール袋の取手の片方を東雲の指から奪って、ふたりで並んで歩きながらスイカを運ぶ。

「……ひとりで持ったほうが楽なんやけどな」
「私も男子に荷物持ちさせるの嫌なの」
「気ィ遣わんでええのに。まあ、西篠さんのそういう素直じゃないとこ、好きやけど」
「ん?」

 東雲は別に恋愛感情で言ったわけじゃない。それ位分かっているのに、つい嬉しくて聞き返してしまった。けれど、東雲はそれ以上は何も言わず歩を進め、結局その真意はあやふやなまま、ゴールに辿り着いた。

「わあ! スイカ買って来てくれたの!? ありがっとー!」

 私たちの到着を待っていたのか、咲ちゃんが真っ先に駆け付けて来た。海の向こうから賑やかな声が聞こえて来る。皆それぞれ海を満喫しているようだ。

「ふふっ、ふたりともカップルみたい」
「おや、そうですか。西篠さんと恋人同士に見えるとは、お兄ちゃんも鼻が高いです」

 咲ちゃんの何気ない言葉に、東雲は役柄になり切ってさらりとそんな事を言ってのけた。
 それを真横で聞かされた私は、一体どんな顔をしろというのか。きっと咲ちゃんには何もかもお見通しだろう。気恥ずかしさと嬉しさで顔が熱いのは、夏の陽射しのせいだけではないはずだ。

2024/04/15

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