アンダーワールドへようこそ


 315プロダクションのアイドルたちは、歌とパフォーマンス、あるいはバラエティの仕事だけをこなせば良いだけではない。芝居の仕事も多く、アイドルだからと軽視される事のないよう、彼らは演技にも力を入れているのは、駆け出しの私から見てもよく分かるほどだった。
 Café Paradeも何度か舞台やドラマの仕事を経験しているのだけれど、今回彼らに舞い込んで来た仕事は、想定外のスケールのものだった。


「海外で映画の撮影するんだ! 凄いね、東雲がどんどん遠い存在になってく気がするよ」
『凄いのは私ではなくプロデューサーさんですね。今回はS.E.Mの皆様とアスランさんも出演するので』
「それでも凄い事だよ。海外が舞台って、どんな話なの?」

 東雲から電話で近況報告を受けた私は、純粋に喜びつつもどんな内容なのか気になって仕方がなかった。ただ、守秘義務があるから下手に話せない事に、言った後に気が付いた。まあ東雲もそこは分かっているに違いないし、言えない事は流すだろう。

『一言で言うと、カジノを舞台にした裏社会の話です』
「へぇ、カジノかぁ……――え、待って」
『どうかしましたか?』

 以前私もまさに、似たような内容の映画のオーディションを受けたのだ。ロケ先はマカオで、日本からそこまで遠くはない。撮影期間も短かったから、大学の単位取得にも影響は出ないと判断し、今は結果を待っている状態だ。

「私もそういう話のオーディション受けたんだよね。同じだったりして」

 私は冗談めかしてそう言ったのだけど、東雲は突然黙り込んだ。電波が悪いのかなと思って様子を見ていたら、少ししてやっと声が聞こえた。

『そうかもしれません。ご一緒出来るのを、楽しみにしていますね』
「あはは、本当に一緒なら良いんだけど」

 東雲の言っている事は冗談、というか社交辞令の一環だと思っていたのだけれど、この時既に真実を知っていたのだろう。
 翌朝、マネージャーからオーディション合格の連絡が来て、私は漸く通話中に無言の時間が発生した理由を察したのだった。



「知ってたなら言ってよ! あの時に!」
「いえ、それこそ守秘義務にあたるのではと思った次第です」
「もう……そうだけど! 東雲の言ってる事は正しいけどさぁ……!」

 後日、マネージャーに連れられて315プロダクションの事務所を訪れた私は、ちょうどその場にいた東雲と顔を合わせるや否や、つい怒ってしまった。とはいえ、オーディションの合否を、結果連絡の前に関係者から漏らしてはいけないのは当然の事だ。東雲は何も悪くない。

「おお、闇の眷属よ! 暗黒騎士ソーイチローと我と共にこの世界を蹂躙せん!」
「けんぞく? ええと、私の事ですか?」

 私の怒声が響いてしまったのか、別室にいたらしいアスランさんが姿を現した。気恥ずかしさと言葉の意味を理解するのに一瞬混乱したけれど、とりあえず、一緒に頑張ろうという意味だろう。

「こら、アスランさん。西篠さんを勝手に眷属とやらにしてはいけませんよ」
「否! この娘が現れると、周囲の魔力が更に増し――」
「アスランさん」
「……すみません……」

 東雲はノリにノッているアスランさんを嗜めたけれど、別に悪い意味ではないのなら気にしない。多分、Café Paradeのメンバーはアスランさんの中では闇のナントカなのだろうし。

「東雲、別に気にしてないよ。闇とか魔力とかなんか面白そうだし」
「はあ……西篠さんも楽しんでいらっしゃるのなら、構いませんが」

 私の傍にいたマネージャーは「相変わらず面白い子たちだ」と笑みを零していて、確かに初めての海外撮影も、この面子なら楽しく出来そうだと少しだけ安堵した。正直、東雲の顔を見るまで不安もあったからだ。
 少しして315プロのプロデューサーさんが現れて、私のマネージャーと挨拶を交わせば、二人でこの場を離れた。315プロと打ち合わせがあると聞いていたけれど、私を連れて来たのは、共演するメンバーと事前に顔合わせを済ませる意味もあるのだろう。

 東雲に空き部屋へと案内された私は、出された紅茶とお菓子をお供に、三人で台本を黙読していた。事務所だというのに、まるでカフェにいるみたいだ。このお菓子も、きっと東雲が作ったものだろう。

「そういえば、S.E.Mも出演って言ってたよね。元教師の人たちがいると、心強いね」
「ふふっ、なんだか修学旅行みたいですよね」
「相変わらず肝が座ってる……」

 私の何気ない言葉に東雲はそんな事を言ってみせて、思わず感心した。不安などないのか、あるいは、不安があっても表に出さないのか。どちらにせよ私よりずっと精神的に大人だ。

「ふむ……アスランさんは伝説的イカサマ勝負師、私は狡猾なマフィア幹部……西篠さんは私の補佐の女マフィア役……」
「まあ、私はアスランさんや東雲ほど大きな役じゃないけどね」
「うむ……この試練、共に乗り越え……の、のりこえん……」

 アスランさんの様子がおかしい。お菓子を喉に詰まらせたわけではないだろう。歯切れの悪い様子に、東雲が真っ先に声を掛けた。

「おや、どうしたんです? 顔色が悪いようですが」
「むむ、実は……異国の使者曰く、此度、サタンの出演は赦されないとの事だ」

 アスランさんの肩に乗っている、ピンク色の可愛いぬいぐるみの事だ。確かに、マフィアの話にぬいぐるみが出てくるのはミスマッチだ。

「悲劇を避けんと主と共に掛け合ってみたものの……願いは叶わなかった」
「なるほど。遠い異国で、サタンさんなしで演技が出来るのか不安なのですね」

 S.E.MとCafé Paradeの共演とはいえ、ストーリーの内容からアスランさんが主役と言っても過言ではない。更に、海外で撮影ともなれば、プレッシャーは相当のものだろう。最初は皆がいるから大丈夫だと思っていても、ふとした瞬間に不安に襲われる事も多々ある。
 サタンというぬいぐるみが、アスランさんにとって自信と安心を与える唯一の存在ならば、それを封じられたらいつものポテンシャルを出せないのは想像が付く。芸能人ではない普通の人でも、例えば神社で買ったお守りを普段から持ち歩く事で、災いから身を守ってくれていると感じ、安心するのと同じ事だ。

「……だが……これは、主が我が力の増幅を望み、賜りし試練……この茨を切り拓き……必ずや、やり遂げてみせん!」
「頼もしいですね。では、これからサタンさんなしの特訓をしてみましょうか」
「えっ!?」

 なんとか頑張ろうとするアスランさんに、東雲は突然無茶振りした。アスランさんの代わりと言ってはなんだけど、私が驚愕の声を上げてしまった。

「西篠さん。アスランさんへのお気遣いは分かりますが、出国後に何かあってからでは遅いです」
「うーん……まあ、そうだね。不安要素は潰しておいた方が安心だね」

 東雲の言っている事は分かる。決して意地悪をしたいのではなく、アスランさんの為を思ってやっている。ただ、これがかえってアスランさんを追い詰める事にならなければ良いのだけれど。

「では、試しにサタンさんをアスランさんから離してみましょうか。少し、お借りしますね」
「……うう……しばしさらばだ、サタン……」

 東雲の手によって無慈悲に奪われたサタンは、アスランさんの視界に入らないよう、離れた椅子の上にちょこんと座らされた。出国の日までにサタンがいなくても演技出来るようになる為、少しずつ慣らしていく作戦のようだ。

「では台本を読んでみてください」
「はい……『ふふ……お、おれのことを……よくみやぶ……ましたね……』」

 とてもではないけれど、映画の主役が出来る演技ではない。

「……東雲、やっぱりサタンさんがいないと無理があるんじゃ……」
「これは……芳しくないですね。一体どうしたものか……」

 サタンと共演は出来ないと先方から言われている以上、いつものように肩に乗せて撮影するのは不可能だ。とはいえ、折角回って来たチャンスを棒に振るのは、アスランさんだってしたくない筈だ。何か良い方法はないものか。
 そう思っているのは東雲も同じ、というより私よりずっと強く思っているだろう。暫し考えて、アスランさんに提案を投げ掛ける。

「荒療治になりますが、暫くサタンさんと離れて生活してみるのは……」
「……は、はなれる……?」
「地獄の底に落とされたような顔ですね……心が痛くなりました。今の案は忘れてください。何か、別の方法を探しましょう」

 三人で考えてみて、東雲がサタンを服の中に忍ばせる方法を思い付いたのだけれど、アスランさんの役柄は身体のシルエットがしっかり出るスーツだそうで、これも現実的ではなかった。私としては名案だと思ったけれど、衣装の指定がある以上どうにもならない。

「では、これはどうですか」

 突然、東雲が私にサタンを差し出した。なんとなく、やりたい事が分かった気がして、私は可愛いぬいぐるみことサタンを受け取った。

「サタンさんをアスランさんの前に……こうやって、視界に入るようにするんです」

 しっかり見えるよう、サタンを胸元で掲げてみせたものの、アスランさんの顔色は優れない。

「……触れる事が叶わないとは……や、やはり……不安です……」
「ですが、ほら……見てください。サタンさんの瞳を。力強いまなざしで、アスランさんの事を見守ってくれていますよ」

 力強い? 愛らしいの間違いでは? そう思ったものの、東雲の巧みな話術に、アスランさんの表情に明るさが戻り始めて来た。これはいけるかもしれない。

「ああ、サタン……! そうだ……肩におらずとも、サタンはいつも、我のすぐそばに……!」
「先程より顔色がいいですね……この状態で、台本を読んで貰えますか?」
「……『ふふ……お、俺の事をよく見破ったな……』。ど、どうですか……?」

 多少噛んではいるものの、さっきよりは遥かに良くなった。サタンを手に持っていなければ拍手したところだ。この調子なら大丈夫そうだ。

「アスランさん、ほぼばっちりですよ!」
「いえ、まだまだですが……確実に進歩はしています。あとは練習を重ねればきっと……この調子で頑張りましょう、アスランさん」

 恐らくは出国の日まで、東雲とアスランさんでサタンと離れていても演技が出来るよう特訓をするのだろう。
 この子も一緒にマカオに連れて行くなら、きっと乗り越えられる。私もなんだか愛着が沸いて来て、思わずサタンに話し掛けてしまった。

「ふふっ、きみは不思議な力を持ってるんだね」
「サタンの魔力を察知するとは、さすがは暗黒騎士と契約を交わしただけある……!」
「契約?」

 一体何の事かと首を傾げると、東雲が苦笑交じりに教えてくれた。

「高校時代、私が西篠さんに勉強を教えた事でしょうね」
「まあ、確かに間違ってはいない、か……」

 東雲と私の関係は、どうやらアスランさんには『契約』なんていう仰々しいものだと思われているようだ。言われて悪い気はしないのは、私が東雲の事を好いているからだろう。東雲も変に思っていなければ良いのだけれど。

 私もしっかり台本を読み込んで練習して、良いコンディションで本番に挑まないと。マカオに行くのは初めてで不安はあるけれど、S.E.Mの三人やアスランさん、それに東雲もいる。さすがに東雲が言うような修学旅行気分ではいられないものの、その冗談で、私の気持ちはかなり楽になったのだった。

2023/09/17

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