運命論を信じてる


 私が正式に事務所に所属し、女優の道を歩む事となったきっかけは、Café Paradeのメンバーと同級生だったから――ただそれだけだった。私の事務所とCafé Paradeの事務所『315プロダクション』は良好な関係にあり、先日も私がエキストラとして出演した舞台で、云わば前座という形でCafé Paradeが一曲披露したのだけれど、神谷くんが私の事を彼らのプロデューサーへ話し、それが315プロの社長の耳に入り、その話が私の事務所の社長へ渡り……どんどん話が大きくなっていき、最終的に将来性を見出して私を本格的に雇う事になったという事らしい。将来性というより、単純に『面白そうだから』という気がしないでもない。

 就職活動を一切しないわけではないけれど、一先ず与えられた仕事をひとつひとつ、着実にこなして、がむしゃらに頑張ってみようと決めた。早速、喫茶店『Café Parade』に誘われた際にメンバーの皆と連絡先を交換していた私は、神谷くんにお礼を言う事にした。

『神谷くん、西篠です。先日はお誘いありがとうございました!
神谷くんの淹れた紅茶も、東雲のケーキも本当に美味しくて、幸せな時間が過ごせました。
また機会があれば、今度はアスランさんが作った料理も食べてみたいです』

 送信して、いや、お礼ってその事じゃないじゃん!と脳内でツッコミを入れ、自室のベッドの上でのたうち回ってしまった。馬鹿だ。
 ほどなくして、返信が届いた事を知らせる通知音が鳴る。

『こちらこそ、来てくれてありがとう。
今後も仕事で一緒になる機会があるかもしれないし、改めてよろしく頼むよ。アスランの料理を口にする機会もあるだろう』

 仕事で一緒になる機会があるかも――って、それはつまり、神谷くんたちが私の話を事務所の人にしてくれたお陰だ。そのお礼を言わないと。このタイミングを逃したらずるずる先延ばしになりそうだ。神谷くんも暇じゃないのだし。

『ていうか、神谷くんが315プロの人に私の話をしたんだよね?
それがきっかけで、私、正式に事務所に採用される事になったんだ。
上手く行かないか分からないけど、きっかけをくれてありがとう』

 早速弱音が出てしまった。「そんな事ないよ」と言われるのを待っているみたいで嫌だな……と思ったものの、神谷くんはさすがというか、きっとユニットのメンバーにも同じ事を言っているんだろうなと思わせる言葉を返してくれた。

『演劇の道はきっと平坦ではないけれど、挑戦してから将来を決めるのも、決して遅くはないと思う。
西篠にとって実りのある経験となる事を祈ってるよ』

 神谷くん、アイドルやカフェ経営はおろか、それこそプロデューサー業も出来るんじゃないだろうか。本来は芸能畑に進む事のなかったであろう神谷くんをスカウトするなんて、315プロダクションのプロデューサーは先見の明がありすぎる。

『本当にありがとう。神谷くんも頑張ってね! 陰ながら応援してます』
『陰とは言わず、堂々と応援してくれても良いんだが……なんてな』
『いや、ないとは思うけど、神谷くんと私が付き合ってるなんて噂が立ったらまずいし、ここはひっそり応援させて』

 返信を打っていて、そういえば高校最後の年も、神谷くんの親衛隊から勘違いされた事を思い出した。あの出来事がきっかけで、東雲が気紛れで勉強を見てくれるようになって、そのお陰で受験も無事合格出来たのだ。
 まさか神谷くんを支点として、私の人生が変わっていっているのではないか……なんて、ちょっとオカルトじみた事を考えてしまった。



 そんなある日、突然東雲から連絡が来た。

『西篠さん、今週末予定は空いてますか?』

 リアルで「は?」と声が出てしまったし、目を疑った。どう見てもこれはデートのお誘いの文言ではないのか。ちょうど演技の勉強とばかりに、恋愛映画や小説、漫画をインプットしていた私は、そんな有り得ない仮定に囚われてしまった。

『ちょうど仕事もオフで空いてるけど、何?』

 なんて色気のない返信だと我ながら思ったけれど、相手はアイドルなのだ。恋愛に発展するなど断じてあってはならない。別にアイドルは恋愛してはいけないというわけではないけれど、Café Paradeはまだ下積みのユニットだ。恋愛スキャンダルで出世街道が崩れ落ちるなどあってはならないのだ。
 けれど、次の返信で私は盛大なる勘違いをしていたと分かった。

『Café Paradeがチャリティーイベントに出演する事になりました。
もし良ければ、遊びに来ませんか?』

 ――当たり前だ。あの東雲が私に恋愛感情を持つわけもないし、自らの立場を鑑みずスキャンダルに発展するような行動を取るわけがない。
 自分の馬鹿さ加減に最早乾いた笑いを浮かべるしかない。これが対面でなく、スマートフォンを通しての遣り取りで助かった。
 私は何事もなかったかのように、東雲の誘いを承諾した。

『分かった、行く。ちゃんと東雲たちのステージを見てみたいと思ってたし。
前はお客様じゃなくて共演者の立場だったしね』

 業種が異なるとはいえ、アイドルのステージを見るのも演技の勉強に繋がりそうだし、それに返信の内容どおり、東雲たちのパフォーマンスをお客様の立場として見てみたいという純粋な好奇心もあった。

『それは有難いです。至らない点があれば、冷静な意見をお願いします』
『きっと褒め言葉しか出て来ないから、それは期待しないで』

 東雲が勉強を教えてくれていた頃も、差し入れのお菓子の数々に感想を求められたけれど、ダメ出しなんて全く思い付かなかった。私の味覚が雑なのかも知れないし、プロが味見すれば改善点を挙げる事も出来ただろう。

 今思えば、何故東雲はそこまでして私に構ったのだろう。当時は東雲の説明に納得したけれど、やはり彼にとってメリットのある行動ではなかっただけに、今更ながら不思議に思った。
 まあ、単純に暇だったのかも知れない。ものづくりも一人でコツコツやるのも良いけれど、誰かにあげたり、感想を貰う事が励みにもなる筈だ。
 恐らくは神谷くんにも同じ事をしていただろうし、単に私が話し掛けやすかった……というより、東雲にとって扱いやすい存在だったというオチだろう。





 チャリティーイベント当日。事前に調べたところ野外ステージで実施するらしく、幸い天候に恵まれてまずは一安心だ。
 今回はコンサートというよりも、多くの店が出店しているイベントに、Café Paradeがゲストでライブ出演する形式で、私がエキストラで出演した舞台で彼らが一曲披露したのと同じような感じだろう。
 結成して日の浅いCafé Paradeは、まだ単独でのコンサートは叶っていない。今は下積みの時期といったところだ。315プロダクションだけでも多くのアイドルユニットを手掛けているだけに、険しい道のりかも知れないが、頑張って欲しい……なんて思ったけれど、正直人の事を言っている場合ではない。私こそ頑張らないと。
 きっと、今日のステージを見て、私もやる気を貰える筈だ。皆の成功を祈ろう。そう願いつつ、会場へと足を踏み入れた。



 Café Paradeのステージが始まるまでまだ時間に余裕がある。出店を一通り回っていると、美味しそうな匂いにつられて徐々にお腹が空いて来た。チャリティーイベントだしここは積極的にお金を落とそう。そう決めて、取り敢えず主食をお腹に入れようと、ビーフシチューの濃厚な香りが漂うお店へと入った。



「――美味しい……」

 一人で来ているのにうっかり口に出してしまう程、言葉通り美味そのものだった。正直、あまり期待していなかったのだけれど、この味をこの値段で味わえるなら、出店ではなくちゃんとお店に通って常連になりたい位だ。
 スマートフォンのメモ機能でお店の名前を控えつつ、ふと周囲を見回した。大繁盛だ。スタッフも大忙しで、感想を伝える事もままならなさそうな程に。

「ん?」

 ふと、動き回るスタッフの中に見覚えのあるツインテールの女の子がいて、目を見開いた。……いや、どう見ても水嶋咲ちゃんだ。あんなに目を引く可愛い子を見間違う筈がない。
 もしかして、ライブが始まるまで宣伝がてら出店の手伝いをしているのだろうか。だとしたら、邪魔してはいけない。外には並んで待っているお客様もいるし、長居するより早々に退散して回転率を上げた方がいい。名残惜しかったけれど、咲ちゃんに声を掛けずにその場を後にした。



 腹ごしらえしたは良いけれど、喉が渇いて来た。確かコーヒーショップがあった筈だ。思い出して早速歩を進めたは良いものの、ケーキを扱っているお店が視界に入った。
 ――甘い物は別腹だ、仕方ない。自制心のない私は、そのまま誘われるようにお店へと足を踏み入れてしまった。

「いらっしゃいませ! おひとり様ですね――って、西篠さん!?」
「あ、巻緒くんもお手伝い? お疲れ様」

 ウェイターとして来た少年が卯月巻緒くんだと分かっても、前のお店で咲ちゃんを見掛けた時点で驚きはなかった。学生の二人が手伝いに出ている時点で、神谷くんや東雲、アスランさんも同じように何処かのお店で手伝いをしているのだと察した。

「巻緒くん『も』って事は、Café Paradeの誰かに会ったんですか?」
「うん、咲ちゃんが頑張ってウェイトレスやってるのを見掛けて、きっと皆でお手伝いしてるんだろうなと思った」

 だから驚かなかったのか、と巻緒くんは納得したように頷けば、すぐに営業スマイル――というよりアイドルの天性の笑顔を私へ向けた。

「では……ご注文はお決まりですか?」
「うーん、迷うなあ……」
「ふふっ、分かります。ショートケーキもミルフィーユも、モンブランも全部美味しそうですよね……!」

 途端、巻緒くんの王子様のような笑顔が大好物を前に瞳を輝かせる子どものように変わって、つい笑みを零してしまった。咲ちゃんも巻緒くんも、アイドルとしてのオーラがあるが、普段は年相応の高校生なのだろう。

「とはいえ、決めないと巻緒くんが困っちゃうよね。じゃあ……モンブラン! それとコーヒーも頂こうかな」
「かしこまりました! 上に乗ってるマロングラッセ、美味しそうですよね……」

 巻緒くんの事をあまり知らなくても、ケーキが大好物なのだと嫌でも分かる。お持ち帰りでも購入して、Café Paradeの皆にお土産として渡そうかと思ったけれど、パティシエの東雲にそれをするのは失礼だろうか。悩みどころだ。

 注文の品が運ばれるまでに時間がかかっている。急いでないから良いのだけれど、周囲を見回すと、巻緒くんひとりで走り回っている事に気が付いた。お店に来た時は他にもスタッフがいた筈だけれど。ライブを控えているのに、ここで無理して倒れてしまったら元も子もない。手伝おうと席を立ち、声を掛けようとした瞬間。

「やっほー! 休憩もらったから来てみたよ!」

 明るい声と共に咲ちゃんが店内に入って来て、私の出番はなさそうだと着席した。というか私は関係者ではないし、勝手に手伝ったら駄目だろう。何も出来ないのも心苦しいけど……と思っていたら、咲ちゃんと目が合った。

「あ! あの、深雪さん!? いらっしゃいませ!」
「咲ちゃん、お疲れ様。あちこち行ったり来たりで大変だね」
「へっ?」

 きょとんとする咲ちゃんに、巻緒くんが笑顔で説明する。

「西篠さん、別のお店で咲ちゃんが頑張ってるところを見てたんだって」
「え、ええっ!?」

 どういうわけか、咲ちゃんは頬を染めて慌てふためいていた。見られてまずい事はなかったと思うけれど。不思議に思いつつも、二人が可愛くてついお節介を焼いてしまった。

「ふふっ。頑張ってる二人に、お姉さんがケーキを買ってあげよう」
「あ……ありがとうございますっ!!」

 巻緒くんと咲ちゃん、二人揃って頭を下げる。息ぴったりで、普段から仲が良い事を窺わせる。

「折角ですし、俺たちも一段落したら、アスランさんたちの分のケーキを買って戻りましょうか」
「うん! 皆きっと喜ぶよ〜」

 そんな二人の会話に、別に東雲に気を遣う必要はなかったか、と心の中で失笑してしまった。東雲の事だから、自分以外の人が作ったケーキを研究材料にするだろう。私より、Café Paradeの皆のほうが余程東雲の事を分かっている。当たり前だけれど。



 モンブランとコーヒーを堪能した後、二人分のケーキを購入して、後で食べてとそのまま二人に渡して退席したものの、Café Paradeのライブの時間まではまだ余裕がある。さすがにもうお腹も苦しいけれど、どうせなら自分自身へのお土産を買おう。確か、すぐ傍にスイーツショップがあった筈だ。



「いらっしゃいませ――おや、西篠さん。来てくださったんですね」

 当然と言えば当然かも知れない。Café Paradeの誰かがスイーツショップの手伝いをするとなれば、この人が適任だ。
 いつもと変わらぬ笑みを浮かべる東雲に、私は片手を上げて挨拶した。

「うん。ていうかCafé Parade総出で手伝いしてるんだね」
「ああ、どなたかに会いましたか。私たちのライブの宣伝にもなると思いまして」
「成程。でも無理しないでね、晴れたは良いけど暑いし……」
「そうですね。そろそろ切り上げるところです」

 雑談もほどほどに、色とりどりのスイーツを物色した。この暑さだし、テイクアウトなら暑さで駄目にならないものの方が良いだろう。そう決めて、マカロンに指を差して東雲を見つめた。

「えーっと……マカロン6個、お持ち帰りで」
「かしこまりました」

 なんとなく、Café Paradeの5人と自分の分、と無意識に思って6個も頼んでしまったけれど、これひとりで食べるのか、なんて思われたら恥ずかし過ぎる。可愛らしい巻緒くんがケーキ大好きなのとは、ちょっと訳が違うだろう。失敗したかも……と思っていたのも束の間、思い掛けない声が背後から掛けられた。

「おっ、西篠じゃないか。俺たちのステージを観に来てくれるとは」
「うん。仕事も講義もちょうど休みだし、良い機会だからね」

 神谷くんの声に振り向いて答えれば、これで5人中4人に会った事になるのか……と気付いて、ちょっと悔しくなってしまった。

「アスランさんともお会い出来たらコンプリートだったのに……」
「おお、という事は咲と巻緒にも会ったんだね」
「偶然ね。ていうかCafé Parade総出でお店の手伝いしてたら、ばったり会ってもおかしくないか」

 東雲はもう切り上げると言っていたし、アスランさんを拝むのはステージ上まで楽しみにしておく事にしよう。まさか先程堪能したビーフシチューがアスランさんお手製とは夢にも思わないまま、Café Parade全員に会うという今思い付いたミッションは微妙に未達成で終了したのだった。

「西篠さん、お待たせ致しました」

 マカロンの入った手提げ袋を渡され、お代を払ったは良いものの、神谷くんにまでひとりで食べると思われたらどうしよう。いや、まあ、私が実家暮らしを続けていると察しているかも知れないし、家族皆で食べると思ってくれていると良いのだけれど。
 取り敢えず駄目元で誤魔化そうと、私は東雲に売物について訊ねた。

「このマカロン、東雲が作ったの?」
「いえ、さすがにそこまでは。ただ、僭越ながらアドバイスはさせて頂きました」
「さすが。咲ちゃんと巻緒くんもてきぱきしてたし、お店をやっている人たちは違うね」

 自分が出過ぎた真似をしなくて良かったと内心ほっとしつつ、改めてCafé Paradeの皆は凄いと思わざるを得なかった。アスランさんはもしかしたら、別のお店で主食の料理を作っていたかも知れない。
 もしかして、私が食べた美味しすぎるビーフシチューって……。

「西篠、良かったらコーヒーショップにも寄らないか?」
「え? ……成程、神谷くんはそこで手伝いをしていると」
「押し売りするわけではないが、ご家族がコーヒーを嗜んでいるなら、是非お勧めしたいと思ってね」
「あ、飲む飲む。折角だし何か買って行くよ」

 今の遣り取りで、どうやら神谷くんはこのマカロンを私ひとりで食すとは思っていないと分かり、ほっとした。まあ、冷静になって考えれば、どう思われても支障はないのだけれど。

「全く……西篠さん、神谷に乗せられたら駄目ですよ」

 呆れるようにそう告げる東雲に、私は気にするなと首を横に振った。

「嫌だったらきっぱり断るから」
「そうですか? 西篠さん、流されてしまうタイプに見えますが……」
「あはは……でも、家族がコーヒー好きなのは本当だから、お土産に買って行くよ」
「それなら結構です」

 東雲は安心したように笑みを浮かべた。やっぱり高校時代の私と変わっていないように見えるのか。ただ、流されるタイプなのは変わっていないかも知れない。事務所に正式に採用された時も、断れなかったし。
 ただ、やってみたいと思ったから受け容れたのであって、本当に無理だと思ったら、やっぱり断ったような気がする。

 そのうち東雲も、私も少しは成長しているのだと分かってくれる日が来るかも知れない。って、別に分からなくても良いか。ただの元クラスメイトで、高校の頃、密かに片想いしていただけの相手なのだから。

「東雲、この後のライブ頑張ってね! ちゃんと見てるから」

 そう言って背を向けて、私は神谷くんと一緒にコーヒーショップへと歩を進めた。そんな私を見て、東雲が私の事を変わったと思っていたと知るのは、もっともっと先の話だ。

2023/04/09

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