祖国の歌



 フォルム・パーテンズからエンセラダス魔導工廠へは、集団ではなく別行動で向かう事となった。当然ルクスを単独行動させるわけにはいかず、誰が彼女に付き添うかで話し合っていた。そんな中、アウラ族の男が手を挙げる。

「帝国の女よ、余輩のナーマに相応しいかこの目で確かめさせて貰おう」
「は?」

 初めて聞く単語に困惑するルクスであったが、同じアウラ族の女が男に向かって声を荒げた。

「こんな所に来てまでそれかよ! ったく、テメェに任せたら目的地に辿り着けるかも怪しいぜ」

 そう言って溜息を吐く女の横で、もうひとりのアウラ族の女が恐る恐る手を挙げた。

「あの、ここは『暁の血盟』の方が一緒のほうが良いかと思います……! 逃亡の可能性がないとは言い切れません」

 外見は可愛らしい少女だが、意思の強い瞳を持ったシリナという名のアウラ族は、キャンプ・ブロークングラスでルクスの様子を見守っていたうちのひとりであった。
 シリナの言葉に、アリゼーは神妙な面持ちで頷いた。

「そうね……今はもうルクスが逃げる事はないとは思っているけれど、ファダニエルがちょっかいを出しに来る可能性も高いし」

 ここから魔導工廠までの距離はそう遠くない。暁の血盟ならば、監視役は誰でも構わない。アリゼーが立候補しようとしたものの、先に英雄が手を挙げた。

「……いいの?」

 アリゼーの問いに、英雄は頷いた。ルクスが『超える力』を持っているかは定かではないとはいえ、ファダニエルが何かを仕掛けているのは確実である。英雄が付き添うのが一番良い人選であり、反対する者はいなかった。

「じゃあ決まりね。ふたりとも、大丈夫だとは思うけど……気を付けて」

 そうして、各々は少人数で魔導工廠へ向かう事となった。



 魔導工廠が近づくにつれて、どこまでも広がる雪原には、初めから生息しているモンスターに代わり、テンパードと化した帝国兵が各所で蠢いていた。彼らの監視の目を避けながら慎重に進む英雄に、ルクスは何気なく訊ねた。

「……どうして、あなたもアリゼーも、私の事をそんなに気に掛けるのですか?」

 正確にはアルフィノもグ・ラハ・ティアも、初めから敵意を露わにしてはいないように見えたが、彼らはいざとなれば優しさは捨てるだろうとルクスは捉えていた。だが、アリゼーはどこまでも御人好しで、目の前にいる英雄も同じように見えたのだ。
 ルクスの問いに、英雄はこう返した。ドマでヨツユの圧政を止めようとしていたルクスも、フォルドラを助けようとしたルクスも、決して演技だとは思えない。本心ではルクスは争いを望んでいるわけではなく、だからこそハイデリンもお前を『光の戦士』になり得ると見出したのではないか、と。

「私が『光の戦士』? あの、さすがに飛躍し過ぎでは? 大体、私に元から『超える力』が備わっていたと確定したわけではないですよね……?」

 ルクスの認識ではファダニエルが『超える力』を与えてくれた、という事になっている。だが、どうやら『暁』にとっては違うらしい。魔導城――これから乗り込むバブイルの塔に囚われていたにも関わらず、テンパード化していないのがその証拠だというのだ。だが、ガレアン族がそんな力を持つなど有り得ない話である。即ち、己の出自を疑う必要が出て来る。
 それはルクスにとって、言うならばパンドラの箱であった。もし彼らの推察が事実ならば、自らのアイデンティティが失われる事になる。

「……どちらにしても、ファダニエルを問い質さなければ、真実は分かりませんね」

 英雄の言葉を待たずにそう結論付けて、溜息を吐くルクスに、英雄は険しい顔をして告げた。「ファダニエルを信じるな。蛮神『アニマ』は、ヴァリスの亡骸を用いて召喚されたものだ。あいつは、人を人と思ってはいない」と。
 その言葉に、ルクスは糸が切れたように足を止めた。

「皇帝陛下の、亡骸……?」

 英雄も足を止め、振り返った。初耳とばかりに呆然としているルクスを見て、ファダニエルにとって不都合な内容は全て彼女に隠していたのかと、英雄は憤りを覚えた。
 ヴァリス帝がゼノスに殺されたのは事実であり、魔導城に潜入したエスティニアンとガイウスがその瞬間を目の当たりにしている事。
 信仰心を持たないガレマール帝国民が蛮神を召喚する事は本来不可能だが、民衆の皇帝陛下への忠誠心を利用して、『アニマ』を召喚する事に成功した事。
 帝国民が所持していたラジオを通じて皇帝陛下の演説を流し、罪のない民衆をテンパードにした事。
 そして、各地の『塔』には、ヴァリス帝の亡骸の一部が其々埋められている事。
 それらは憶測ではなく、『暁の血盟』は既に証拠を得ており、紛れもない事実である事。
 ルクスが本当にこの国を、帝国の民を救いたいと思っているのなら、ゼノスとファダニエルは倒さなければならない――英雄はきっぱりとそう告げた。

「ゼノス様を……私がこの手で……」

 明らかに困惑しているルクスに、英雄は手を差し出した。「ゼノスとファダニエルは『暁』が討つ。ファダニエルがルクスに何をしたのか、分からないまま終わるかも知れないが、その時は出来る限り助力する」――そう言い切る英雄に、ルクスは何も言えないまま、差し出された手を取った。

「……そうですね。きっとあなたがたなら、私の身体がどうなっているのか、私が一体何者なのか……すぐに調べ上げてしまうのでしょうね」

 その言葉の真意を、英雄は見抜く事が出来なかった。ゼノスとファダニエルを倒した後、ルクスはガイウスに会いに行き、その後どう生きるかを決めるだろう。ユルス達と帝国で生きる事を選ぶか、またはガイウスと共に贖罪の道を選ぶか、あるいはフォルドラと――ルクスにはいくらでも選択肢があり、前向きに生きて行く事が出来ると、英雄は思い込んでいた。



 ルクスが英雄とともにエンセラダス魔導工廠に到着した頃には、既にイルサバード派遣団の者たちが待機していた。魔導城の改造に伴い、この工場から物資が送られており、地下にある魔導列車が活用されている。それに乗って潜入するという段取りだが、よくぞここまで調べ上げているものだとルクスは複雑な思いを抱いた。
 ルクスの心境など誰も知る由もなく、ララフェル族の剣士、ピピンが英雄たちの到着を確認した。

「よし、全員揃っているな」

 その矢先、シリナが通信を受け取ったらしく声を上げる。

「陽動班が、行動を開始したそうです……!」
「では、我々も次の魔導列車に乗り込み、バブイルの塔への突入を試みよう」

 ピピンがそう言うと、イルサバード派遣団の面々は頷いた。続いて、アルフィノも言葉を紡ぐ。

「私たちの最終目標は、テロフォロイを打ち倒すこと……。同時に、道中で蛮神『アニマ』に遭遇した場合は、どうにかそれを討滅したいんだ。世界各地の塔が、かの神の端末であるのなら、本体とともに消滅させられる可能性は高い」

 ルクスはあまりにも知らない事が多過ぎた。だが、アルフィノの言う『かの神』なるものが、この世界を終末へ導くのだと察する事は出来た。この城に棲む蛮神――かつて皇帝陛下だったものを倒せば、ファダニエルの願いは叶わず、恐らく世界は救われる。
 それは帝国の民の望みでもある。だが、ルクスは本当にこのまま彼らに流されて良いのかと、迷いを覚え始めていた。

「それに……帝国民の誇りや信念、ヴァリス帝の身体は、テロフォロイの野望のために利用されていいものじゃない。私はこの地でそれを知った、だから……!」
「大丈夫だよ、アルフィノ。みんな、あの夜を知ってる……彼らとともに過ごした夜を……」

 アルフィノを勇気づけるようにリセがそう告げて、そして絶対に大丈夫だとばかりに笑みを浮かべた。

「だから、やり遂げよう! 何があっても『暁』を前に送るから、願った結末まで、全力で駆け抜けてよね!」
「ああ、必ず……!」

 世界はテロフォロイを倒す事を目的に、互いに手を取り合っている。帝国が国是として挙げていた世界統一を、まさかこんな歪な形で見せつけられるとは、皮肉なものだ――ルクスは浮かない顔をしていたが、その様子に気付いたサンクレッドが声を掛ける。

「大丈夫か」

 それは決してルクスを気遣っての言葉ではない。ここに来て裏切られたら堪ったものではないという疑念。云わば単なる確認に過ぎない。ルクスはそう捉え、恐る恐るサンクレッドを見遣った。

「……はい。テロフォロイを討つ事が、同胞の求める事ならば……」
「当然だ。今この瞬間も苦しんでいる人がいる。帝国民を救いたいと本気で願っているのなら、それ以外に方法はない」

 その言葉に、ルクスは頷くしかなかった。例え本心ではないとしても、ここまで来たらそうするしかないのだ。何を迷う必要があるのかと、ルクスは心の中で自身に言い聞かせたが、それでも気は晴れなかった。
 だが、現実は待ってくれるはずもなく、否応なしに進んでいく。

「では、各員、突入前の最終確認を! 列車が到着し次第、バブイルの塔への突入作戦を開始する!」



 早速、イルサバード派遣団は列車が到着すると同時に乗り込んで、テンパードと化した帝国兵や魔導兵器を攻撃し、制圧していく。
 ルクスが手を出す必要もなく、車両は派遣団の手に落ちた。元々魔導列車は自動運転で、目的地が近づくと停車するようになっている。

「車両が減速している……! どうやら終着点が見えてきたようだ!」

 列車が徐々に速度を落とす中、ピピンが皆に向かって声を上げた。間もなくして、ルクスたちを乗せた魔導列車は停車した。資材の搬入先――バブイルの塔への入口に着いた事を意味している。
 派遣団の皆が列車から飛び降りて先に進む途中、先頭を切っていたリセが叫んだ。

「見て、捕まってる人たちが! 助け出さないと……!」

 後を追うルクスの目にも、何人もの民が檻に入れられている姿が飛び込んで来た。その様子を見て、何も感じないわけがない。迷いなど捨てなければ。寧ろ何を迷うというのか。

「捕虜の救助は、私たちにお任せください!」

 真っ先にシリナがそう言って、『暁の血盟』の面々は先に進む事にした。彼らの後を追い掛けるルクスであったが、突然振り返ったサンクレッドに何かを投げつけられた。
 咄嗟に受け取ったそれは、自身が愛用していた帝国式のガンブレードであった。

「……良いのですか?」
「捕虜にされた民を目の当たりにして、テロフォロイに情けを掛けるなんて無粋な真似はするなよ?」

 サンクレッドの問いに、ルクスは首を縦に振るしかなかった。



 魔導城――バブイルの塔に侵入してからは、ルクスと英雄を先頭に進んでいった。ルクスが過去に探索した時と比べ、だいぶ構造は変わっているものの、それでも道順はある程度把握出来た。
 明らかに意思を失い、敵か味方かも分からず攻撃を放つ帝国兵相手に、ルクスはガンブレードを振るいながら、時には魔法を繰り出した。

「ルクス、危ない!」

 何処かから飛んで来たアルフィノの声を認識するよりも先に、ルクスは背後から襲い来る魔導兵器の攻撃を跳躍して避け、すぐさま攻撃魔法を放った。
 同胞を救うため、同胞に手を掛けるとは――矛盾するこの現状は、本当に正しい行いなのか。本当にこれで帝国は救われるのか。何もかもが元通りになるのか。
 ――元通りになど、なるわけがないというのに。
 ルクスは闇雲に戦いながらも、どうしても自身の行いが正しいとは思えずにいた。
 いつからこんなに弱くなったのか。寧ろ、何の迷いもなく戦えていた頃の己は一体何だったのか。
 私は、一体何者なのか。

 奥へ、上へと進んでいくうちに、魔導技術によって洗練された造りの城内は、やがてファダニエルの造り上げた奇妙な世界へと変わっていく。まるで生物の内臓のようにも見えるそれは、この世界を破壊するための化物の根城と呼ぶに相応しかった。

「……恐らくは、この先が……」

 ゼノスとファダニエルがまだこの城内にいるとしたら、恐らくはこの先であろう。ルクスは英雄を見遣って頷いたが、一歩が踏み出せずにいた。気付けば、ルクスの手は微かに震えていた。
 英雄は「後は任せろ」と告げて、労うようにルクスの肩を軽く叩けば、先頭を切って歩を進めた。
 その先に待っていたのは、ルクスにとっては今まで一度も見た事のない、異形の化物。
 蛮神『アニマ』――ヴァリス帝の亡骸を使って召喚された、帝国が国是として挙げている、討滅すべき存在であった。

「……この悪夢を終わらせよう、ルクス」

 険しい顔付きをするグ・ラハ・ティアにそう言われ、ルクスは震える手を押さえ、静かに頷いたのだった。



 ルクスにとって、蛮神と戦うのは初めての事であった。『帝国に栄光あれ』――繰り返しアニマから放たれるその言葉に、ルクスは気が狂いそうになりながらも、必死で攻撃を放った。
 時にはアルフィノやウリエンジェに回復魔法をかけられ、ルクスは本当に自分が『暁の血盟』の一員になったかのような錯覚を覚えていた。
 これが本当に正しい行いなのか。
 フォルドラもこうして、『暁』に飲み込まれたのか。
 彼らが全て正しくて、帝国の行いは何もかも間違いだったのか。
 己の祖先が故郷を追い出され、遥か北の寒冷の地へ追い遣られた後、必死で生き延びて来た歴史も。
 ガレアン族を迫害した他民族がすべて正しくて、己たちは、己は何もかも間違っているのか。
 ルクスには、何もかも分からなかった。

『テイコク、ニ――帝国ニ、栄光、ア、レ――』

 暁の血盟に同調する事。それは、ガレマール帝国を、ガレアン族を、ルクスの事を、何もかもが間違っていたと肯定する事ではないのか。

 暁の血盟によって倒された、蛮神アニマの動かなくなった姿を見て、ルクスはどういうわけか、感極まって泣き崩れてしまった。
 そんなルクスを、アリゼーが優しく抱き締める。

「頑張ったわね、ルクス。もう、こんな辛い事は終わらせましょう……!」

 アリゼーの声は、ルクスの心には響かなかった。
 この場には、ルクスの葛藤を知る者は誰もいない。真の意味でルクスに寄り添える存在は、蛮神アニマの亡骸を超えた先で待っているのだから。

2024/01/01
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