ああ、我を見捨てずに



 暁の血盟一行は、蛮神アニマを越えて先へ進んでいき、ルクスもアリゼーに手を取られ、呆然としながら走っていた。この先が恐らくは、ファダニエルが行動を起こすであろう場所。蛮神アニマと対峙する直前に、ルクスはそう判断していた。
 予想は的中し、最後の扉を開けた先の行き止まりの一室では、ゼノスが佇んでおり、ファダニエルは背を向けて、ルクスが見た事もない端末を必死で触っていた。
 二人を視界に捉えた瞬間、真っ先にアリゼーが叫ぶ。

「ゼノス! ファダニエルッ!」
「うるさいですねぇ……今いいとこなんですよ……!」

 ファダニエルはそう答えるものの、未だ背を向けている。ここで彼らを止める事が出来れば、きっと世界は救われるのだろう。恐らくは、今のファダニエルにとっては一刻の猶予もない。
 ルクスは迷いを抱きつつ、アリゼーの手を払って駆け出した。

「ルクス……!」

 心配するアリゼーを背に、ルクスがファダニエルの元へ向かおうとした瞬間。
 ゼノスの鎌がルクスに襲い掛かる。
 ルクスが反射的に立ち止まると、鎌の刃は今にも首に触れそうな距離で止められた。避ける事も出来ないまま、ルクスは真っ直ぐにゼノスを見つめる。

「ルクス、何故貴様はここにいる」
「…………」
「返答によってはこの場で殺す事も厭わぬが」
「あ! ゼノス殿下、それはちょっと待ってください!」

 答えたのはルクスではなくファダニエルであった。浮かぶ数多もの端末を操作しながらも必死で答える姿は、明らかにルクスを生かしておきたいという意思が明らかである。
 ルクスの後ろで、英雄はアリゼーと顔を見合わせ頷いた。やはり確実に、ファダニエルはルクスを使って何かをしようとしている――それが『暁』の見解であった。

 ファダニエルの言葉にゼノスは肩を竦めれば、改めてルクスを見遣る。
 今更上官の機嫌を取る必要もない。ルクスは一旦深呼吸すれば、ゼノスを見上げて告げた。

「私自身が何者なのかを知る為です」

 その答えは、暁の血盟の想いとは異なっていた。
 同胞を救うためにお前たちを討つ――そう答えるのが筋だからだ。ルクスではなく『暁の血盟』にとっては。
 ルクスの返答に、ゼノスは軽く笑みを浮かべてみせた。そしてすぐさま鎌を下ろせば歩を進め、空いた手でルクスの首を掴んで軽々と持ち上げた。

「ぐっ……」
「獲物を連れて来たのかと思いきや、未だ雑念に囚われているとは……」

 呆れて見捨てるかと思いきや、ゼノスは口角を上げた。

「ルクス、貴様は俺と同類だ……。迷いは捨てよ。ただ『力』を振るう事だけを考えろ」

 そう言い放てば、ゼノスはルクスをファダニエルの傍へ投げ捨てた。
 それは暁の血盟から見れば、ルクスをテロフォロイの一員として手元に置くという事に他ならなかった。
 咄嗟に、エスティニアンが槍を掲げて跳躍する。

「させるかよ……!」

 だが、防御システムが発動し、エスティニアンの攻撃は弾かれてしまった。
 それと同時に、突然高笑いを放つファダニエルの声でルクスは我に返り、上体を起こした。恐らくは、もうすべての準備が整ったのだ。

「さあ塔よ、月から引きずり下ろせ! 眠れる『ゾディアーク』をッ!」

 ファダニエルがそう叫んだ瞬間、エオルゼア各地に存在する『塔』から、月に向かって光が放たれた。塔に吸い上げられたエーテルが、まるで月を破壊するかのように穿たれる。その光景は、ルクスの理解を超えていた。
 月はどうなってしまうのか、ルクスがその目で捉えるより先に、ウリエンジェが声を上げた。

「あれは……何かが阻んでいる……!?」

 どうやらファダニエルの計画通りにはいかないらしい。息を呑む中、ひとりのララフェル族の女が覚束ない足取りでこの場に突然現れた。

「クルルさん!? どうしてここに……!」

 アルフィノの声にルクスも顔を上げると、クルル・バルデシオン――『超える力』を得る為に、かつて第XII軍団が捕えていた人物がそこにいた。

「防衛機構を作動させました……。そう簡単に……やらせはしません……!」

 研究所に配属されず、クルルと面識のないルクスには、それが彼女本人から放たれている言葉なのか判断する術はない。だが、ファダニエルははっきりと、別の名を口にした。

「チッ、ハイデリンか……! 死にぞこないめ!」

 聞き間違えるはずがない。ルクスは目を見開いてファダニエルへ顔を向けたが、当の本人はそれどころではないらしい。ひたすら端末を叩き、そして今度は禍々しい紅い光が月に放たれる。
 だがそれも束の間、光は突然消えてしまった。今まで各地の塔により異質な色と化していた空は、何事もなかったかのように星が輝く夜空へと変わる。
 それは、ファダニエルが造り上げた塔が消え去ったという事に他ならなかった。

「エーテル切れ……。だが、あとひとつなら……!」

 ファダニエルにはどうやらまだ奥の手があるらしく、すぐにゼノスに向かって言い放った。

「殿下、お付き合い頂きますよ。直接月に渡って、封印を破壊します!」
「……好きにするがいい」

 あっさりと同意するゼノスであったが、これ以上好きにはさせないと、英雄がルクスの元へ走り出した。だが、辿り着くよりも先に突然地鳴りが起こり、そして爆発音がし始めた。

「なんだ、爆発……!?」

 混乱するグ・ラハ・ティアに、ゼノスは悠々たる態度で告げる。

「アニマはテンパードどもに、ある命令を下している。それが遂行されはじめたのだろう。皇帝が崩御せしときは、世のことごとくを巻き込んで殉じよ……と」

 要するに、自爆行為を行えという事だ。テンパードにされた兵士や民間人の意思などお構い無しに。

「我が父ならば、決して下さぬ命であろうが……あれは所詮、父の肉に宿った紛い物。扇動するのも容易い」

 あまりにも命を軽く扱う行為に、英雄より先にアリゼーが怒りの声を上げる。

「どこまでも……人を何だと思ってるのよ!」
「何だっていいんですよ。間もなく皆、死に絶えるんですから!」

 ファダニエルは端末を操作しながらそう答えれば、端末を操作する手を止めた。瞬間、ルクスたちの周りが光に包まれる。

「ファダニエル、これは……?」

 ルクスは漸く立ち上がって訊ねたが、答えは聞かずとも分かっていた。ファダニエルが先程ゼノスに言った通り、ここから月へ転移するのだ。ルクスの知り得る技術では不可能でも、アラグ帝国の魔科学ならば、それを可能にしてしまうのだろう。
 ファダニエルは無言でルクスを抱き締めると、英雄に向かって笑みを浮かべて吐き捨てた。

「では、さようなら。追い掛けて来てくれてもいいですよ? 憐れなテンパードと、お仲間たちを見捨ててね」

 ルクスは何も考えられなかった。愛する男の腕の感触に、初めからこうなる事が己の宿命だったのだと、全てを諦めつつあった。
 お前は共犯者だ。絶対にお前を楽にはさせない。誰もそんな事を口にしてはいないのに、ルクスはそう言われているような感覚を覚えていた。その相手はファダニエルなのか、もうこの世にはいないアサヒなのか、それすらも分からずに。





 物心が付いた時から、当たり前のように夜空に浮かんでいた月。
 月の傍には、いつも赤い星が煌々と輝いていた。
 それが星ではなく、衛星ダラガブと知ったのは、ルクスがある程度成長した後の事であった。

 衛星ダラガブは第七霊災の際に消滅し、今は見る影もない。破壊されたダラガブの破片が、エオルゼアの各地に降り注いだのは、ルクスもよく知っている。当時帝国兵としてエオルゼア同盟軍と戦ったわけではないが、霊災後に第XIV軍団に配属され、帝国を離れてエオルゼアで暮らすようになってから、様々な事を知り、その一貫で得た情報の一部に過ぎない。

 ルクスは、エオルゼアで様々な事を知った。
 ガレマール帝国以外の国では、宗教が存在する事。衛星ダラガブは元はといえばアラグ帝国の技術だというのに、それを基に神話まで誕生している事。
 そんな帝国以外の国の人々を蛮族と見做し、ルクスは心の奥底では見下していた。そうやって存在しない神を崇め立てるから、蛮神召喚などというこの星の寿命を縮める行為を行うのだと。
 帝国はこの星を救うため、世界統一を国是としている。魔導技術さえあれば神に縋る必要などない。魔法を行使する他種族から迫害されて来た歴史を持つガレアン族が、自分たちの力で生み出した技術。それがあれば人々は豊かに暮らす事が出来、神に頼る必要もなければ、蛮神を召喚する必要もない。

 いつだって、自分たちは、帝国は正しかった。
 そのはずだったのに。



「しかし、ルクスは本当に面白い子ですね」

 音のない静かな世界に、愛する男の声が響く。
 ルクスが歩いているここは、いつも見上げていた夜空に浮かぶ月の上であった。水も草木も存在しない、むき出しになった白い地面の上を、ファダニエルとゼノスと共に、ゆっくりと歩いている。
 どうやらファダニエルが言っていた『封印』は、ここから離れた場所にあるらしい。

「面白いって……それ、褒めてないですよね。ついでに言うと、『子』という年齢でもありませんが」
「私にしてみれば、あなたは幼い子どもに過ぎませんよ」
「子ども相手にあんな事を?」

 悪びれもせず言うファダニエルに、ルクスはつい突っ掛かってしまった。だが、『あんな事』が具体的に何を意味するのか問い質すほど、今のファダニエルは無粋ではなかった。

「気になるなら訂正しましょうか。ですが、五千年も生きていると……あなたが抱いている感覚すら、もう忘れてしまったんですよね」

 五千年。アラグ帝国が繁栄を極めていた第三星暦。
 やはり暁の血盟の言う通り、アシエン・ファダニエルなる男は、アモンという名の魔科学者で間違いないのだろう。
 元は人間だった男が、何故アシエンになり、五千年の刻を生きているのか。それを知ったところでルクスには何の得もなく、ゆえに知ろうとする気もなかった。
 確かなのは、アモンという名の男は、五千年生き続けた結果、この世界を破壊しようという結論に至ったという事だ。そして、それは間もなく現実となる。

「……正直、あなたは『暁の血盟』に絆されてしまったと思っていました」

 ファダニエルがぽつりとそう呟き、ルクスは思わず彼のほうへ顔を向けた。目が合うと、ファダニエルはどこか優しい笑みを浮かべている――ように見えた。

「あなたが『暁』に寝返った……そう思う度、私は怒りに苛まれ、いっそあなたをこの手で殺してやりたいとすら思いました」
「……ファダニエルが? 何故?」
「いえ、その感情は紛れもなく、この『器』によるものです」

 そう言い切るファダニエルに、ルクスは怪訝な表情を浮かべた。暁の血盟は、ファダニエルが嘘を吐いていると言っていたし、アシエンが憑依した人間の感情に引きずられる事もないと断言していた。仮定ではなく、断定である。
 そんな疑念を感じ取ったのか、ファダニエルはわざとらしく肩を竦めれば、ルクスに向かって優しく告げた。

「信じられないならそれで結構ですよ。あなたが私の傍にいる、それだけで充分です」

 その言葉の意図は、ルクスには分からなかったし、無理に理解するつもりもなかった。ファダニエルはあくまでアサヒという男を演じ切り、己に寄り添うつもりなのだろう。それが嘘であっても、ここまで来ればどうでも良かった。ファダニエルの手によって、この世界は――否、あの青く美しい星は終焉を迎えるのだ。

「ええ、あなたは我々を討ちに来たのだと思っていたのです。それが、『己が何者であるかを知りたい』とは……暁の連中も、さぞ面食らった顔をしていたでしょうね」

 話しながら上機嫌で歩を進めるファダニエルに、ルクスは今このタイミングしかないと、本題を切り出す事に決めた。
 人生には知らない方が幸せな事もある。だが、何も知らないまま死ぬよりも、すべてを知って苦しんだほうが諦めも付く。諦めというよりも、この世界への未練と言うべきか。

「ファダニエル。あなたが私に与えたのは『超える力』ではないのですよね?」
「…………」
「一体何をしたのですか?」

 ルクスは怒っているわけでも、咎めたいわけでもなかった。ただ純粋に知りたかったのだ。
 ゼノスやフォルドラのように、何らかの手段を使って人工的に『超える力』を付与したと言うのなら、それを信じるしかない。魔導城に軟禁されている間、テンパードにならなかった事に矛盾が生じるが、今のルクスにとっては些細な事である。
 だが、暁の血盟が言うように、もし自分が元から『超える力』を持っていたのだとしたら。
 それは、ルクスにとっては耐え難い現実であった。

「大した事はしていません。『暁』相手にそれなりに対抗できるよう、少しばかり強靭にしてみただけです。尤もその分、心臓に負荷は掛かりますが……どうせ近いうちに死ぬんです、些細な事ではないでしょう」

 以前のルクスなら、ファダニエルの言葉に怒り狂っていた。
 だが、今のルクスは違う。怒る事も嘆く事もせず、淡々と現実を受け止めていた。

「……おや? ルクス、怒らないんですね」
「つまり、私は元々『超える力』を持っていたと……」
「そういう事になりますね。あ、隠してたわけではないんですよ? 私もゼノス様も想定外でしたから」

 ルクスは思わずゼノスへと顔を向けた。何も言わず淡々と歩を進めているものの、どこか嬉しそうなその姿は、まるで獲物の到着を待ちわびているようにも見える。

「寧ろ私が聞きたいです。ルクス、あなた魔法使えたんですね」

 ファダニエルの言葉に、ルクスは再び彼のほうへ顔を向けて、小首を傾げてみせた。

「突然使えるようになりました。自分でもよく分かりませんが……てっきりファダニエルが力を与えてくれたものだとばかり」
「それが違うんですよねえ。……まあ、今までは魔法を使う必要もない環境だったが故に、運良く発動しなかったと考えるのが妥当ですが……」

 あくまで仮定に過ぎないが、辻褄は合う。ファダニエルの言葉が事実だとすれば、暁の血盟の憶測とも一致する。
 つまり、ルクスにとって耐え難い現実が訪れてしまったという事だ。
 突然立ち止まったルクスに、ファダニエルはすぐに気づいて振り返れば、彼女の傍に駆け寄った。

「どうしました? 何か、引っ掛かる事でも?」

 別にファダニエルが気に掛ける事ではない。これはルクス自身の問題である。
 だが、問われて答えないわけにはいかない。聞くまでもない、どうでも良い話だと判断するのはファダニエル自身である。ルクスは仕方なく、口を開いた。

「どういうわけか、元から『超える力』を持ち、魔法まで使える……つまり、私は純粋なガレアン族ではないという事になる」
「……よくある話ですよ。残念ながら」

 ファダニエルは詳しくは問わなかった。聞かなくても察しが付くのだろう。五千年も生きていれば、多くの人間の生き方を、嫌でも目の当たりにする。特別にルクスが不幸だというわけではない。彼の言う通り、よくある話なのだ。

「私は両親どちらかの不貞で生まれた子……。養子の可能性もありますが、我が一族がわざわざ養子を取る理由がありません」

 アサヒやヨツユのように、養子であっても帝国軍に入隊する事は可能である。ブルトゥス家が何故属州出身の養子を取ったのかは定かではないが、恐らくは忠実な軍人が欲しかったのかも知れない。
 だが、少なくともルクスの一族は養子を取って軍に送り込む理由などなかった。ルクスは衣食住を問題なく与えられ、魔導院卒業まで面倒を見て貰えたのだ。何の理由もなく養子を取り、そこまで育て上げるとは考えにくい。
 ゆえに、不貞で出来た子を、仕方なく引き取って育てたのだろう。

「どうして気付かなかったんでしょう。幼い頃から兄だけが可愛がられ、私は愛されていなかった。兄が跡継ぎで、私はいずれ他所の家に嫁ぐ子だからと思っていましたが……」

 ハーフガレアン。暁が仮定として挙げていた事が、まさに現実だったのだ。
 ルクスは、暁の一員であるアレンヴァルドの事を、スパイ活動を行っていた頃に調べ上げていた。帝国軍人とアラミゴ人の間に生まれた、『超える力』を持つ存在。
 まさか、己も同じだったとは。なんという因果なのか。

「……分かってしまえば、意外と受け入れられるものですね。ファダニエルの言う通り、どうせ死ぬのだから、最早どうでも良いのかも知れません」

 笑いながらそう言うと、ルクスは再び歩き出した。とはいえ、どの方向へ進めば良いのか分からない。ゼノスも同じらしく、立ち止まって虚空を見つめている。
 あの英雄は必ず、己たちを追ってくるだろう。悠長にしてはいられないと、ルクスは振り返ってファダニエルを見遣れば、さも当然のように問い掛けた。

「ファダニエル、これから封印の破壊とやらをするのでしょう? 急ぎましょう」
「……ルクス、どうしてそんなに乗り気なんですか?」

 今までならば有り得ないルクスの態度に、ファダニエルは正直面食らっていた。確かにファダニエルは、あの星に災厄をもたらすつもりで動いている。だが、ルクスは完全に巻き込まれた形であり、ファダニエルにすべてを委ねる事や、ゼノスの指示を仰ぐ事はあっても、ここまで協力の意思を見せる事はなかったはずであった。
 ファダニエルの問いに、ルクスは笑みを浮かべて答えてみせた。

「私は見たのです。災厄が降り注ぎ、人々が嬲り殺される、地獄に相応しい光景を」

 その言葉に、ファダニエルだけでなくゼノスも目を見開いた。
 決してルクスが世迷言を言っているわけではないと、二人には分かっていた。
『超える力』の能力は、過去視だけではない。稀に、近い未来が視える者も存在するのだ。

「ファダニエル、あなたの願いは叶います」

2024/01/03
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