弔いの幻想



「……は?」

 ルクスに突然拒否されたファダニエルは、呆然とした顔で差し出した手を力なく落とした。だが、それも一瞬の事で、間髪入れずに今度は侮蔑の表情を浮かべながら小首を傾げてみせた。

「あのう、今、何と?」
「……私はもう、あなたと一緒にはいられない……」

 勇気を振り絞るように告げるルクスの手は、微かに震えていた。ファダニエルはわざとらしく肩を落とすと、何を思ったのかすぐさまルクスの目の前まで歩を進める。そして彼女の頬を優しく撫でれば、優しい笑みを浮かべてみせた。

「連中に何を吹き込まれたか知りませんが。あなたが仕えるべきは、ゼノス殿下ただひとり……。そして、終末が訪れるその瞬間まで、『俺』と愛し合うのがあなたの望みでは?」

 ルクスの目の前にいる男は、かつて愛した存在に違いなかった。その顔も、声も、仕草も、何もかも。
 だが、この世界の崩壊を望んでいるのはアサヒではない。アシエン・ファダニエル――かつて第三星暦を生きた、魔科学者アモンという男。ルクスが愛した男ではなく、全くの別人なのだ。

「あなたは、アサヒ様じゃない……」

 頬を包む手を振り払って、弱々しい口調で呟くルクスに、ファダニエルは今度は責め立てるように声を上げた。

「今更何を言ってるんですか!? あなたがそう望むから、私は理想の恋人を演じていたんですよ? いつも傍に寄り添って、抱き締めて、必要とあらば――」
「そんな事、望んでない……!」
「ああ、もう『アサヒ様』には飽きちゃったんですか? あんなにだらしない顔で喘いで、よがって、恍惚の表情を浮かべて、身体の相性は良いと思っていたんですけど……もしかして、この短期間で他の男でも見つけちゃいました?」

 さすがに夜の情事まで言葉にされて、ルクスは羞恥のあまり顔を真っ赤に染めて泣きそうになってしまった。今の感情は怒りよりも情けなさのほうが勝っていた。
 赤の他人を愛する男だと思い込んで、快楽に溺れた哀れな女など、一体誰が庇おうか。ルクスはそう思っていたものの、

「あんた、最ッ低!!」

 アリゼーの怒号と同時に、ファダニエルに向かって炎の矢がいくつも放たれた。当然あっさり躱されたものの、その隙にアリゼーはルクスの傍に駆け寄って、庇うようにファダニエルの前に立ちはだかった。更には、ヤ・シュトラも攻撃せんと杖を向けている。

「それ以上彼女の名誉を傷つけるようなら、容赦しないわ」

 呆然とするルクスをよそに、今度は別の方向からファダニエルに向かって剣が振るわれる。ファダニエルは咄嗟に宙に浮いて避け、その剣は空振りに終わったが、誰がそんな事をしたのか視界に捉えたルクスはさすがに驚愕した。
 散々信用できないと主張していたサンクレッドが、ガンブレードを手にファダニエルに攻撃したのだから。
 無論己を庇うつもりではなく、単に倒すべき敵が目の前にいるからそうしただけだろう。ルクスはそう思っていたのだが、サンクレッドはファダニエルに向かって言い放った。

「悪いが、ルクスはもう俺たちの仲間だ」
「……はい?」
「彼女の目的は変わった。お前に従うのではなく、帝国の民を一人でも多く救う……要するに俺たち『暁の血盟』と利害は一致したわけだ。そうだな? ルクス」

 突然問われたルクスは何も言えなかったが、サンクレッドはそれを否定とは思わなかったようだ。再びファダニエルに斬りかかろうとしたものの、残念ながらあっさりと避けられてしまった。

「ああ……なんて不愉快なッ! 私を捨てて、よりによって『暁』を選ぶなんて、ルクス……あなたを心底見損ないましたよ……!」

 ファダニエルは軽蔑の視線をルクスに向けたが、それも束の間、今度はわざとらしい笑みを浮かべて呟いた。

「なーんて、戯れはここまでにしておきましょうか」

 そして、アリゼーを無視してルクスの背後に瞬間移動すれば、耳元で優しく囁いた。

「でも、ルクス。私は戻って来てくれると、信じていますよ……」

 この期に及んでまだアサヒのふりをするのかと、傍にいたアリゼーが、堪らず攻撃しようと剣を構えた。

「あんた、いい加減にしなさいよ……!」

 だが、アリゼーが魔法を放つより先に、ファダニエルは姿を消していた。アシエンなる存在は自由自在に移動できる。単刀直入に言えば、アリゼーたちは遊ばれているに過ぎなかった。

「あいつ! 次会ったら絶対叩きのめしてやるんだから!」

 怒りを露わにするアリゼーの隣で、ルクスは未だ呆然としていた。ファダニエルの事ではない。何故『暁の血盟』が揃いも揃って己を気に掛けているように見えるのか、まるで見当も付かなかったからだ。
 アルフィノとグ・ラハ・ティアは倒れた英雄を介抱しており、エスティニアンは黙って様子を見ている。そんな中、『暁』の最後のひとり、ウリエンジェがゆっくりとサンクレッドの傍まで歩を進め、そして独り言のように呟いた。

「『星の代弁者』となったかの人ならば、我々が彼女に手を差し伸べる事を望む筈……そう思ったのではないですか? サンクレッド」

 ルクスには理解出来ない言葉であったが、サンクレッドはウリエンジェの言葉を否定するように、首を横に振る。

「差し伸べるというよりも、先天的に『超える力』を持っているなら、その力を星の為に使って貰う。それだけだ」
「素直ではありませんね……」

 彼らの会話は聞こえてはいるものの、今のルクスにその言葉の意味を受け止める事は出来なかった。

 ルクスの腕には、つい先程まで共に行動していた同胞の亡骸があった。
 絶対に、共に生きて帰ろうと願ったのに。
 私は、なんて無力なのか。
 亡骸をただただ見つめ、ルクスの双眸から自然と涙が零れる。

「ルクス……」

 掛ける言葉が思い浮かばず、ただ様子を窺う事しか出来ないアリゼーであったが、人の気配を感じて振り返ると、一気に表情を明るくさせた。

「目が覚めたのね!? もう大丈夫なの?」

 先程まで気を失っていた英雄が、グ・ラハ・ティアとアルフィノと共に現れた。英雄はアリゼーに頷いてみせた後、視線をルクスへと向ける。だが、彼女はただ亡骸に寄り添い肩を震わせるばかりであった。
 最初に行動を起こしたのは、アルフィノであった。歩み寄り、ルクスの肩にそっと手を置けば、叱咤するように呟いた。

「……ルクス、こんな事は許されてはならない。ファダニエルは人の尊厳を踏み躙り、弄んでいる。今それを一番理解しているのは、他ならぬ君だろう」

 続いて、英雄も歩を進める。ルクスの傍でしゃがみ込めば、亡骸の腕に手を触れた。英雄が一体何を言わんとしているのか、ルクスももう理解していた。
 乱暴に涙を拭えば、顔を上げて英雄をまっすぐに見つめる。
 その瞳に、もう迷いはなかった。

「……私と共に戦っていた兵士は、あなただったのですね」

 ルクスの言葉に英雄が頷くと、先に事情を聞いていたグ・ラハ・ティアが、アリゼーに向けて補足するように説明する。

「『ブレインジャック』……帝国がアラミゴで研究していた技術らしいな。ファダニエルは時間稼ぎの為にふたりを利用したのか」

 グ・ラハ・ティアの言葉に英雄とアルフィノは頷いたが、アリゼーは未だ解せない様子である。

「ええと、それってつまり……ゼノスの魂があなたの身体に、あなたの魂がこの兵士の身体に入っていたって事よね」

 アリゼーの問いに英雄は頷いたが、それでもまだ彼女の疑問は晴れなかった。というより、新たな疑問が湧いたと言った方が正しい。

「ルクスは自分の意思でここを離れたわけじゃないわよね? ブレインジャックも受けてない。なんだか、あなたと一緒に行動するよう、ファダニエルに仕向けられた感じだけれど……」

 その答えは、恐らくはファダニエルしか持ち合わせていないだろう。憶測ではあるが、英雄は「まるでルクスを弄んでいるか、試しているように思える」と呟いた。

 共に戦場を駆け抜けた事で、英雄は気付いた事があった。
 民間人の死を目の当たりにしたルクスは、まるで子どものように泣きじゃくっていた。
 これまで敵として対峙して来た彼女は、軍人そのものであったし、幕僚という地位も決して実力に見合っていないわけではない筈である。
 だが、それでも。ルクスという人は、帝国軍人には向いていないのではないか。彼女の力はもっと正しい事――人を救う為にに使われるべきである。
 そこまで考えて、英雄は漸く、彼女が何故あの力を備えているのかを悟った。
 ルクスもまた『光の戦士』に相応しい存在――それがハイデリンの意思なのだ、と。

 考え込む英雄の傍で、アルフィノは同調するように頷いた。

「試す……確かに有り得そうだ。ファダニエルはいつでもルクスを連れ去る事が出来る。敢えて彼女をこうして我々の元に置いているのも、罠なのかも知れないが……」
「要するに、攫われなければ良いというわけか」

 突然明後日の方向から声が聞こえ、一同は思わず顔を上げた。
 ずっと傍観していたエスティニアンがちょうど駆け付けて、アルフィノの話を耳にしたところであった。

「簡単に言うけど、実際いつの間にか攫われちゃってたじゃない」
「帝国の連中がテンパードになって混乱していた隙にだろう。奴の言い方では、二度目はなさそうだが」

 苦言を呈するアリゼーに、エスティニアンはさらりと返せば、今度はルクスに顔を向けた。相変わらず優しい顔ひとつ浮かべないものの、対立の意思はないように見える。対話が可能なら――そう思い立ったルクスは、エスティニアンを見上げて訊ねた。

「テンパード……あの、軍団の皆様は無事なのですか?」
「ああ、安心しろ。皆イルサバード派遣団の治療を受けている。俺達がいなければ全滅だったな」
「……良かった……」

 心からの安堵の表情を浮かべるルクスを見ても、エスティニアンは顔色ひとつ変えなかったが、多少なりとも考えは改めたようである。ルクスにとって、思いも寄らない事を口にした。

「その兵士は、イルサバード派遣団が責任を持って弔う」

 エスティニアンは、ルクスの腕の中にいる動かない遺体を見遣ってそう告げた。気遣っているわけではない。事務的ではあるが、それでも敵国の軍人の亡骸を弔うなど、今までならば有り得ない事であった。

「……よろしいのですか?」
「『死体を放置した結果、アシエンに乗っ取られてこんな事態が起きている』と言ったのは、他でもないお前だろう」
「…………」

 まさか自分の発言を今更持ち出されるとは思わず、ルクスは気まずそうに目を逸らした。
 それ以前に、そもそもルクスは暁の血盟に協力するとは一言も言っていないのだが、サンクレッドがファダニエルにああ言ってしまった以上、流れに任せるしかない状況である。

 未だ心の奥底では煮え切らないルクスであったが、時は一刻を争っていた。
 ヤ・シュトラも駆け付ければ、ルクスを労わる事はせずぴしゃりと言い放った。

「ルクス、悪いけど時間がないの。『バブイルの塔』へ乗り込むわよ」
「バブイルの塔?」
「私たちは、かつて魔導城『だったもの』をそう呼んでいるわ。あれはもうあなたの知る城ではないと、充分理解しているのではなくて?」

 改めてそう言われ、ルクスは今まで自分は現実から目を背け続けて来たのだと思わざるを得なかった。
 ファダニエルによって改造された魔導城。テンパードと化した帝国の民。皇帝になる気などさらさらなく、ただ英雄との戦いを望んでいるゼノス。
 何もかもが、ルクスの思い描いていたガレマール帝国とは違う。
 どうせファダニエルの手によって世界が崩壊するのなら、どうなっても構わない。ルクスはずっとそう思っていたが、いざ外の世界に出てみれば、エオルゼアの連中だけではなく、帝国の民も必死で抗っていたのだ。それを知った今、ルクスは目を背けるわけにはいかなかった。
 神妙な面持ちで頷くルクスに、ウリエンジェが諭すように告げる。

「ファダニエルの言葉は、最早疑う必要はないでしょう。蛮神『アニマ』によって、帝国の民衆がテンパードと化しているのは紛れもない事実。『終末』が引き起こされる前に、なんとしても蛮神を倒す必要がある……」
「まさか蛮神がいたなんて、私、気付きませんでした」
「『超える力』の加護を持ち、かつその自覚がなかったのなら、無理もない話です」

 ウリエンジェは気にするなとばかりに微笑を湛えていた。ルクスは、そういえば彼は話があると己に言っていた事を思い出した。アルフィノの話を優先したため、ウリエンジェの話は流れてしまったのだが、恐らくはこの『超える力』についてだろうか。
 ルクスは気になって問い質そうとしたものの、今度はサンクレッドが横槍を入れて来た。

「ルクス、お前もだてに囚われのお姫様をやっていたわけじゃないんだろ?」
「は?」
「スパイ経験もある幕僚様だ。魔導城の内部構造くらいは把握しているんじゃないのか?」

 どうやら、彼らにとってルクスはもう仲間――とまでは言わずとも、協力関係を結ぶ存在というのが共通認識と化してしまったようである。
 己に拒否権はないとは思いつつも、ルクスは眉を顰めて肩を竦めてみせた。

「要するに、私に道案内をしろという事ですか」
「ああ。未だお前に未練があるらしいファダニエルの言葉が気掛かりだが……俺達としてもお前を守りながら監視する事が出来る。ここで黙って待っていても、良い事はないんじゃないか?」

 確かに、テンパード化を解くのは魔法の心得がなければ出来ないだろう。ルクスは自然と魔法の力に目覚めたとはいえ、人を癒す為に正しく使えているとは到底言えない。それに、もしルクスがキャンプ・ブロークングラスに残れば、いとも簡単にファダニエルに連れ去られてしまうに違いなかった。
 あんな形で拒否してしまった以上、ルクスは次ファダニエルと対峙した時、当然無傷ではいられないと覚悟していた。ファダニエルが本当は何を企んでいるのか、己を使って何をしようとしているのか、それが分からない以上、ルクスとしても『暁』に頼らずどう行動すれば良いか分からなくなっているのも事実であった。

 だが、そんなルクスの心境を知ってか知らずか、ヤ・シュトラが不敵な笑みを浮かべて言い放った。

「ファダニエルへの復讐、力を貸してあげても良くってよ」
「復讐……」
「いい? 『あれ』はもうあなたの愛する人じゃないわ。憑依した事で得た記憶を元に、そう演じているだけ。『本物』の彼は、エーテルとなり星海へと還っている……もうこの世界にはいないのよ」

 ルクスにはヤ・シュトラの言っている事の半分も理解出来なかったが、それでも、アサヒは確実にもうこの世界には居らず、どう足掻いても生き返る事はないのだと、改めて残酷な現実を知る事となった。ゼノスのように『超える力』を得て他者の肉体に憑依し、自らの肉体を取り戻す事も出来ないのだから、当然の事である。ルクスとてそれを分かっていた筈だというのに、ファダニエルに唆されて、アサヒの意思が少しでも残っているのだと信じてしまった。
 ――否、ルクスがそう思いたかっただけで、ファダニエルはただ単に、ルクスの願望を肯定しただけであった。
 例えそれが、仕組まれた事であっても。

「……ヤ・シュトラ。ファダニエルを討つ事が、アサヒ様への償いになりますか?」

 ルクスの問いは個人的な感情に過ぎず、ヤ・シュトラはその答えを持ち合わせていなかった。そもそもアサヒはもうこの世界にはいないのだから、誰も彼の想いを汲み取る事など出来ない。
 だから、仮定で答えるしかない。その役目はアリゼーが引き継いだ。

「ねえルクス。もしアサヒがこの現状を知ったら、ファダニエルの事は絶対に許せないんじゃないかしら。だから、少なくともファダニエルを討つのは間違いではないわ」

 そう言って口角を上げるアリゼーに、ルクスは恐る恐る頷いた。まさか己よりもずっと年下の少女に諭されるとは思いもしなかったが、今となっては彼女の優しさが有り難かった。

 そうして、一同はバブイルの塔へ向かう事となった。
 だがそんな中、ルクスに聞こえない位置で、エスティニアンが英雄に耳打ちする。

「ファダニエルは恐らくあの女に『何か』を仕掛けている。いざとなれば……」

 自分がルクスを討つ。エスティニアンがそう告げるより先に、英雄は首を横に振った。
 恐らく、ファダニエルはルクスを使って、アニマとは異なる蛮神を召喚させようとしているのではないか。かつてアサヒが、ヨツユに蛮神ツクヨミを召喚させたように。
 それに、『超える力』を持つルクスならば、神器がなくともクリスタルさえあれば、蛮神を召喚する事が出来る。それは、過去に蛮神シヴァを召喚したイゼルが証明している。

 ルクスがファダニエルに利用される事を、なんとしても阻止しなくては。帝都で民衆の死を目の当たりにし、子どものように泣いていたルクスというひとりの人間を知った英雄は、心の中で密かにそう誓ったのだった。

2023/12/01
- ナノ -