ある兵士に寄せる挽歌



 頭上に広がっていたのは、見た事のない色の空だった。
 幼い頃からずっと見ていた、しんしんと雪が降り注ぐガレマルドの灰色の空でもなければ、陽光降り注ぐエオルゼアの青い空でもない。
 空は赤黒く、ふと周囲を見回せば、世界は熱く燃え盛る炎に包まれている。
 泣き叫ぶ人々。見た事のない異形の化物。瞬く間に蹂躙され、呆気なく殺される、かつて人だったもの。
 それは地獄と称するに相応しく、恐らくはこれがファダニエルが起こそうとしている『終末』。
 夢か幻かも分からぬ光景を、ルクスはただ見ている事しか出来なかった。





 酷い夢を見た。
 目を覚ましたルクスは、つい今しがた見た光景は明らかに夢だと思っていた。やけに現実味のある映像ではあったが、詰めが甘い。見た事もない異形の化物はさすがにやり過ぎだ。あんなモンスターは見た事がないし、この星の生態系では有り得ないと、ルクスはそう決め付けた。
 強いて言うならば、ファダニエルがこの世界を破滅へ導くために起こそうとしている、未来の光景かも知れない。己にそんな想像力はない筈だけれど、とルクスはそこまで考えて、漸く今自分が置かれている状況を把握した。

 ここはイルサバード派遣団が拠点としている集落でもなければ、魔導城でもない。地面の冷たさは、明らかに野外である。
 ルクスはここが何処なのか、すぐに把握する事が出来た。
 生まれ育った帝都ガレマルドの街路。美しかった街並みは、内戦で完全に瓦礫の山と化していた。

 遠くから爆撃音が聞こえる。まさかあの夢が現実になったのか。ルクスは一瞬焦ったものの、咄嗟に空を見上げてそれが杞憂であると安堵した。
 深い深い夜の闇。凍てつく寒さの中、僅かに見える星空は、ルクスが幼い頃に見たそれと何ひとつ変わらなかった。

 何故自分がここにいるのか、ルクスは何も分からなかったが、考えるよりも先にやるべき事があった。
 イルサバード派遣団の拠点に戻るか、魔導城へ帰還するか。それよりも先に、この帝都で精神汚染を受けていない帝国の民を見つけ、救出する事であった。

 起き上がり、歩を進めていくうちに、朦朧としていたルクスの頭は徐々に働き出した。
 帝都は精神汚染を受けた帝国兵がうろついている。魔導城を守るために配置されているのだろう。あちこちに魔導アーマーの残骸があり、一機確認してみたものの、燃料切れで動かなかった。

 途方に暮れていたルクスの耳に、微かな呻き声が聞こえた。
 助けて、と聞こえた気がする。
 ルクスが知る限り、精神汚染された人間がそんな単語を呟いた事はない。きっと汚染から逃れて生き残ったのだ。ルクスは迷わず、声のした方角を捉えて駆け出した。
 倒壊した建物の傍で身を隠すように倒れている兵士の姿がルクスの視界に入るのに、そう時間はかからなかった。
 だが、ルクスが駆け付けた時には、兵士は既に事切れていた。

「しっかりして! お願い、目を覚まして……!」

 ルクスは横たわる兵士を抱き寄せたが、その身体はずっしりと重い。すぐさま脈を確認したが、ルクスの希望は簡単に打ち砕かれた。

「……また、助けられなかった……」

 エオルゼアでも、アラミゴでも、ドマでも、そして、ここ帝都ガレマルドでも。
『超える力』など何の役にも立たないではないか。突然わけもわからぬまま使えるようになった魔法らしき力も、屍に放ったところで何の効果も得られなかった。
 ルクスは今にも泣き出したいのを堪え、空を見上げれば、亡骸を地に置いて、再び歩き出したのだった。



 どれだけ歩いただろう。精神汚染を受けていると思わしき帝国兵に見つからないよう、ルクスは息を潜めて進んで行った。彼らに襲われても戦える力はあるが、『暁の血盟』の手で元に戻す事が出来るのならば、極力傷つけたくなかったからだ。
 そういえば、『暁』はファダニエルによって精神汚染を受けた帝国兵の事を『テンパード』と呼んでいた。本来、テンパードは蛮神に魅入られた者を称する言葉である。

 まさか、ファダニエルは魔導城で『蛮神』を飼っているのか。
 ルクスはあまりにも、知らない事が多過ぎた。逆にこちらが暁から情報を得たいと思うほどに。

 ルクスの疑問は歩を進める度に増していった。もし魔導城に蛮神がいるのなら、何故己はテンパードにならなかったのか。ファダニエルは、ルナバハムート等は正しい形で召喚された蛮神ではない為、テンパードにはならないと言っていた。何処までが本当かは分からないが、ルクスはひとまず信じる事にしていた。

 だが、魔導城に真の蛮神が存在しているのだとしたら。
 何故、ファダニエルから『超える力』を与えられる前の己は、テンパードにならなかったのか。
 あるいは、力を付与された後に、なんらかの術で召喚に成功したのか。

 何かがおかしい。
 ファダニエルの言う精神汚染は、テンパードとは全く別のものだとルクスは思っていた。明らかにテンパードと同じ症状だというのに、どういうわけかそう思い込んでいたのだ。


『ええ、私がやりました。精神汚染とでも思っておいて結構です』


 かつてファダニエルが告げた言葉が、ルクスの脳裏をよぎる。
 魔導城で既にルクスは真実に辿り着いていた筈であった。実の親がテンパードと化している姿を目の当たりにした際、ファダニエルに問い詰めたルクスは、彼がテンパードと言う言葉を肯定せず、『精神汚染』という単語を用いた事で、別のものだと思い込んでしまったのだ。
 結局のところ同じだというのに、些細な言い回しでルクスはすっかり誤魔化されていた。

「……じゃあ、私のこの力は……一体何なの……?」

 まさか、最初に違和感を覚えた時に思い浮かんだ仮定が、真実だったというのか。
 ガレアン族の己が、何故か『超える力』を持っていたという事が。

 刹那、けたたましい爆発音が鳴り、ルクスは身体を震わせた。
 ここから近い。明らかに誰かが戦っているようだ。
 ルクスは一縷の望みを賭けて、一気に走り出した。もう誰も死なせなくない。ルクスの為すべき事は今、完全に確定した。出来る限り多くの同胞を救い、不本意だがイルサバード派遣団の元へ避難するのだ。

 ルクスが駆け付けた先では、魔導アーマーがテンパード化した帝国兵を焼き払っていた。同士討ちなど一番見たくなかった光景だが、致し方ない。ルクスは己を攻撃してくれるなと願いながら、魔導アーマー目掛けて声を上げた。

「搭乗者よ、私の声が聞こえますか!?」

 そう叫ぶと、すぐに魔導アーマーからひとりの兵士が降り立った。仮面を被っていて、顔もどの軍団かも分からないが、ここにいるという事は第I軍団か第III軍団である。恐らくは、各軍団がエオルゼアに降伏した事も知らないだろう。

「私は第XII軍団幕僚、ルクスと申します。今、多くの帝国民がマグナ・グラキエスに避難しています」

 余計な事は言うべきではない。エオルゼアに降伏したと今知れば、絶望して自害する可能性も有り得るのだ。ルクスは慎重に言葉を選び、そして、相手に向かって手を差し伸べた。

「一緒に逃げましょう! ひとりでも多くの同胞を救い出し、ここから脱出するのです!」

 ルクスの訴えに、兵士は無言で頷いた。



 マグナ・グラキエス――正しくはイルサバード派遣団の拠点を目指し、ルクスは名もなき兵士とともに、南に向かって歩を進めた。テンパード化した帝国兵とは戦いたくないと思っているのは相手も同じらしく、ふたりの行動はほぼ一致していた。
 そんな中、すぐ近くで呼声がした。

「そこの軍人さん! 正気なら手を貸してくれ……!」

 ルクスは兵士と顔を見合わせ、どちらともなく頷けば、すぐさま声のした方へ走り出した。何度か振り返ってついて来ているか確認する。もし深い傷を負っていれば止血が先だが、問題なく動けている様子だ。大丈夫だと信じたい。

 駆け付けた先では、武装した民衆が武器を構えてモンスターと戦っていた。同士討ちよりはまだマシだとルクスは安堵し、彼らを守るように間に入れば、ガンブレードを振るった。
 そもそも自分が何故ここにいるのか、ルクスは把握していなかったが、想像はついた。ファダニエルの仕業としか考えられない。あの男の行動原理など考えても分かるわけがない。ならば、ルクスは今自分に出来る事をするしかなかった。

 皆で協力し、あらかたモンスターを倒し終わったと思いきや、今度はけたたましい音がルクスたちを襲う。ルクスが意識を失う前、小屋でアルフィノとウリエンジェと共にいた時に聞いたのと同じ感覚であった。

「この唸り声は……!? や、奴らが来るぞ、武器を構えろッ!

 わけがわからぬまま、ルクスはガンブレードを構え直して周囲を見回すと、その答えを目の当たりにし、絶望に苛まれかけた。
 テンパードと化した帝国兵や魔導アーマーが、こちらに向かって攻撃を放って来たのだ。

「しっかりしろ、ルクス……!」

 先程合流した兵士にそう言われ、ルクスは我に返った。そうだ、泣き言など言っていられない。本来戦う必要のない民衆が武装しているのだ。こうなったのは全てファダニエルのせいで、己もそれに加担した。やるべき事はひとつしかない。
 テンパード化した帝国兵を倒し、民衆を守る事。それが、せめてもの償いであった。

 ルクスは間接的に多くの罪を犯していた。それを帳消しにしようとは思わない。もう、綺麗事だけでは生きていけない。すべての帝国民を救う事は不可能だ。
 テンパード化した帝国兵を生かしたまま行動不能にし、後で暁に救って貰うなど、都合の良い事は出来なさそうだ。
 民衆を守るために帝国兵を殺すか、帝国兵を正気に戻すために民衆を犠牲にするか。共に戦う兵士は必死で剣を振るっており、前者を選択した事は明白であった。
 ルクスは覚悟を決めた。全員救う事など出来ないのなら、本来は戦うべきではなかった民を全力で護る。それが、軍人の役目だ。

 だが、必死で抵抗したのも虚しく、テンパード化した帝国兵が自爆しようとしていた。ルクスたち全員を道連れにする気である。

「奴が爆発するぞ! 魔導アーマーの後ろに隠れるんだッ!」

 武装した民がそう叫び、名もなき兵士とともに全員で、燃料切れか故障で動かない魔導アーマーの後ろに身を隠した。ルクスは爆発に備えて目をきつく閉じ、耳を塞ぐ。

 一瞬の事であった。耳を塞いでも分かるほど大きな爆発音とともに、ルクスは呆気なく吹き飛ばされた。破壊された魔導アーマーは爆発を防ぎ切れず、皆、爆風を受けてしまったのだ。

「……っ、皆は……」

 これも『超える力』の賜物なのか、あるいはファダニエルが強靭な肉体へ改造したのか。どちらにせよ、ルクスはすぐに起き上がれる程度には無事であった。
 咄嗟に周囲を見回したルクスは、その惨状を目の当たりにして、見る見るうちに双眸に涙を浮かべた。

 先程まで一緒に戦っていた民衆が、兵士が、血を流して地面に横たわっていた。中には四肢が切断された者もいる。その光景に、今まで必死に保っていたルクスの心は、完全に折れてしまった。

「もう……嫌だ……こんなの……」

 そして、ルクスはまるで幼い子供のように大声で泣きじゃくった。あやしてくれる者も、抱き締めてくれる者も、今となっては誰もいない。

 否、幼い頃からそうだった。泣いているルクスを両親が抱き締めてくれた事は一度もなかった。誰に似たのかと忌々しく言う母親に、黙り込む父親。軽蔑の眼差しで己を見る兄。私が弱いからいけないのだと、ルクスはずっと見て見ぬ振りをして来た。そうしてルクスは成長し、魔導院という学び舎で自分の居場所を見つけ、やがて軍人となり、かけがえのない仲間たちと生きる道を歩んでいた。

 それが、いとも簡単に失われた。エオルゼアでも、アラミゴでも、ドマでも、そしてこの故郷でも。

「もう嫌だ、皆……皆……私を置いていかないで……!」

 膝を付いて泣いているルクスの足に、何かが触れる。
 びくりと肩を震わせて振り向くと、名もなき兵士が這いずりながら、ルクスの足に必死で手を這わせていた。

「……諦めるな……一緒に……逃げよう……」

 途切れ途切れの声でそう呟く兵士を、ルクスは無我夢中で抱き締めた。
 もう絶対に離さない。せめてこの人だけは、己が救うのだ。

「うん……逃げよう……!」

 ルクスは擦れた声でそう告げれば、涙でぐしゃぐしゃになった顔のまま、相手を背負ってゆっくりと歩き出したのだった。



 兵士はルクスの身体を気遣って、途中で「肩だけ貸してくれれば充分だ」と告げた。ルクスは問題なかったのだが、相手の気持ちを第一に考えようと、己の背から兵士を下ろした。立つのも精一杯の状態の兵士を心配に思いつつも、相手の腕が己の肩に回ったのを確認して、ルクスは再びゆっくりと歩き出した。

 一体どれだけの距離を歩いただろう。漸くイルサバード派遣団の拠点が、ルクスの視界に飛び込んで来た。
 ルクスは少しずつ、意識を失う直前の事を思い出していた。何故か突然帝国兵の皆が錯乱し、目の前にいたユルスを介抱したところまでは覚えている。
 その時、誰かに何かを言われた筈だ。浮気がどうのと、全く場にそぐわない事を。
 考えるまでもなかった。ファダニエル以外有り得ない。

 だとすれば、すべての準備が整って迎えに来たとは思えない仕打ちである。涙で汚れたルクスの顔は、凍てつく寒さで凍り、実にみっともない状態であった。もしあいつがいたら悪態のひとつでもついてやろう――ルクスはこの期に及んで、そんな呑気な事を考えていた。現実逃避なのか、あるいは愛する男を乗っ取った異形の存在へ、知らず知らずのうちに執着しているのか。

 だが、ルクスの思考は一気に霧散した。
 共にいた兵士が、ルクスから突然離れれば、虚空に向かって武器を投げつけたのだ。

「そこまでだ、ゼノス!」

 兵士の声に、ルクスは目を見開いた。
 武器が投げられた先は、虚空ではない。
 その先には、かの『英雄』がいた。投げつけられた武器を避けたらしく、こちらを見て笑みを浮かべている。
 その視線はルクスではなく、傍にいる兵士へ向けられていた。

 ルクスは意味が分からず混乱したが、ばたり、と何かが倒れる音がして、再び我に返った。
 見れば、先程の兵士が力尽きたのか、雪原の上に倒れていた。ルクスはすぐさま駆け寄って、物言わぬ兵士の肩を揺さぶった。

「嘘……ねえ、起きてよ! ねえってば!」
「はい、残念ながら、ブレインジャックは時間切れ。それぞれの身体に戻るお時間です」

 突然の事であった。
 何もない筈の空間から黒い靄が出現するとともに、そこから突如ファダニエルが現れ、呑気な口調でそう告げた。

「どうもこんにちは。遠路はるばる来て頂いたのに、ご挨拶が遅くなって申し訳ありません」

 ファダニエルはルクスに対して言っているのではない。彼の視線の先には、『暁の血盟』の者たちがいた。かの英雄は、どういうわけか地面に倒れている。

「なにせ時間稼ぎがしたかったもので。多勢に無勢のこの状況で、どうしたものかと悩んだんですよ? とりあえずテンパードの兵士たちを配備して……それから、見逃しておいた鼠たちの巣から、青燐水を少々盗んでみたりして」

 今のルクスにはファダニエルの言葉の半分も頭に入って来なかったが、『ブレインジャック』という単語は聞き逃さなかった。
 ファダニエルはつい前に、実験と称して勝手に己と身体を入れ替えた事がある。正確には、『魂』の入れ替えだ。

「いやあ、効果てきめんでしたね! 慈善活動お疲れ様です。お陰でこちらは間に合いそうですよ」

 ファダニエルのすぐ傍では英雄が倒れている。そして、今ルクスの腕にいる名もなき兵士は、英雄に向かって『ゼノス』と叫んでいた。
 ならば、先程まで己と共に行動していたこの兵士の『魂』は――。

「アニマの力で集めたエーテルが、じき必要量に達します。そうすれば、やっと幕開けとなる……。最古で最強の蛮神を祀った、終末の災厄がッ!」

 ルクスは兵士の亡骸を抱え、呆然とファダニエルを見ていた。こんな世界などなくなってしまえば良いと思っていた筈なのに、今のルクスは、確かに迷いを覚えていた。

「おっと、忘れるところでした」

 ファダニエルの顔がルクスのほうへ向く。散々ルクスを翻弄した男は、何事もなかったかのように笑みを浮かべている。

「ルクスも時間稼ぎ、ありがとうございました。さあ、帰りましょう」

 愛する男の姿をした異形の存在が、宙を舞ってルクスの傍へと降り立てば、顔を覗き込んで手を差し出す。
 今までのルクスなら、恐る恐るその手を取ったであろう。
 何も知らないままのルクスなら。
 だが、今は違う。
『暁の血盟』に協力しても、アサヒは生き返らない。けれど、生き残った同胞を救う事は出来る。自分ひとりでは出来ない事が、きっと彼らがいれば、不可能を可能にする事が出来るかも知れない。
 ここでファダニエルに始末されるならそれまでだ。ルクスは同胞の亡骸を抱いて、ファダニエルをまっすぐに見つめ、そしてはっきりと口にした。

「ファダニエル……いいえ、魔科学者アモン。私は、同胞と共に生きます」

2023/11/26
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