今こそ用心せよ
晴れて自由の身となったルクスであったが、周囲の目を盗んで魔導城に戻る気はなかった。というより、何もしないまま戻れる筈がない。己がどんな選択肢を取ろうと、今はこの場に留まるしかない状況であった。
ただ、このまま『暁の血盟』と協力関係を結ぶにはわだかまりがあり、上手くいくとは思っていなかった。ルクスの気持ちの問題というよりも、『暁』側にルクスを受け容れられない者が何人かいるからだ。
ルクスが過去第XIV軍団に所属していたとルキアから聞くや否や、皆顔を強張らせ、特にサンクレッドとヤ・シュトラは、あからさまにルクスに敵意を露わにするような視線を向けたのだった。
「……『砂の家』襲撃……ああ、そういえばそんな事もありましたね」
ルクスは実行犯ではなく、あくまで『暁』の盟主ミンフィリアや賢人たちが捕らえられた後に、仲間からの情報共有で話を聞いたり、監視や警備で姿を見る程度の関わりしかなかった。それゆえに口に出てしまった、その行為を軽んじる発言が仇となってしまったのだ。例えミンフィリアや賢人たちは無事でも、襲撃によって多くの『暁』の関係者が犠牲になった為、モードゥナに拠点を移した経緯があるのだから。
「貴様……よくもぬけぬけと……!」
思わず感情的になったサンクレッドに首許を掴まれたものの、ルクスは乱暴にそれを払い除けた。いくら相手が武器を持っていないからと無意識に油断していたとはいえ、サンクレッドとて女性にあっさり払われるほど呆けていたわけではなかった。怒りとはまた別の感情が湧き、サンクレッドはルクスを訝しむように見つめる。
対するルクスは相手の心境などお構いなしに、あっさりと言い放った。
「お互い様では? 我が第XIV軍団は僅かに生き延びた末端の兵士以外は、皆あなた方の手によって殺されたのです。『勝者』であるあなた方に、責められる謂れはありません」
さすがにこれでは共にテロフォロイを討伐するなど不可能だと、ヤ・シュトラは呆れた顔でルクスに問うた。
「あなた、本当に私たちと協力する気があって?」
「協力するとは一言も言っていませんが」
「じゃあ、どうして戦いも逃げもせず、こうして私たちの助けを享受しているのかしら?」
ルクスは先程、再び振る舞われたアラミゴの料理を食べ終えたところであった。『暁』に言わせてみれば、テンパードと化していた第III軍団をはじめとする帝国の民や、降伏した第I軍団は保護対象だが、敵か味方も分からぬルクスに施しをする必要はない。
「ルキア様が私も保護対象だと仰られたからです。疑わしいのなら、私の拘束を解いたア・ルン・センナ様を責めるべきでは?」
「この子……もう一度拘束して反省して貰った方が良いんじゃないかしら」
ヤ・シュトラの軽蔑の眼差しを物ともせず、ルクスは周囲を見回した。視線は自然と、ユルスたちのほうへ向く。
「……『暁』に協力するとは言っていませんが、同胞を助けたい気持ちに嘘はありません」
ガレマルドの凍てつく寒さを少しでも軽減するようにと用意された焚き木から、火が燃え盛り、夜の闇の中で煌々と輝いている。ルクスが第XIV軍団として生きていた頃、仲間たちと野宿した時に見た光景と同じで、どこか懐かしい匂い。
今でも当時の事を思い出す度に、ルクスは胸が苦しくなる。仇を討ちたい。何も出来ずに散っていった仲間たちの為に、せめてもの報いを。だが、その想いと今ルクスが置かれている状況は、真逆である。
「……帝国の民はほぼ全員、ファダニエルに洗脳されて、意思疎通も出来ない状態だと思っていました。それが、まさかこんなにも洗脳から逃れられた同胞がいるなんて……」
ルクスはまだ、第I軍団の者たちに声を掛けられずにいた。自分もテロフォロイの一員と見做されている以上、合わせる顔がないからだ。例え直接危害を加えていなくとも、ルクスはブルトゥス家の資金を第I軍団に横流しした事がある。ファダニエルの口車に乗せられたとはいえ、内戦に加担していた事実がある以上、テロフォロイの協力者と言っても過言ではない。
「出来れば彼らと共に在りたいと思っています。ですが、彼らが私を受け入れるとは限りません」
「そうね……だからまずは、ガイウスに会いに行くのよね?」
思い悩むルクスにまるで道標を示すように言ったのは、アリゼーであった。
「ガイウスも、かつては私たちの敵だった。でも、今はアシエンを倒すという目的で手を取り合っている。私ね、ルクスともいつか手を取り合える日が絶対に来ると思ってる」
穢れを知らない、どこまでも真っ直ぐな瞳。そんなアリゼーの姿が今のルクスには眩しく、そして、絶対に相容れないとも感じられた。
『暁』と共に歩むには、ルクスはあまりにも悪に手を染め過ぎていた。例えそれが、直接手を下したわけではなくとも。
自身が捕らえられていた小屋へ自主的に戻ったルクスは、一度頭の中を整理した。ファダニエルは当然、改造した魔導城を用いてこの世界を破壊するつもりでいる。ルクスもアサヒのいない世界などどうでも良く、ファダニエルが乗っ取った身体を通じてアサヒの意思がそれを良しとしているのなら、従うまでだと思っていた。ゼノスは端からガレマール帝国の皇帝になる事など興味がなく、ただ英雄と戦う事だけを望んでいる。
だが、今のルクスは迷い始めていた。
まさかガイウスが生きているとは思わなかったからだ。ルキアが嘘を吐く必要もない。ガイウスが育ての親ならば尚更である。
世界が崩壊する前に、一度、ガイウスに会いたい。
どうして帝国に戻らずに、ひとりでアシエンを倒す道を選んだのか。
ガイウスほどの力があれば、敗残兵として処分される事などない筈である。
ガイウスさえいれば、生き残った第XIV軍団の皆は、第XII軍団に編入される事もなければ、アラミゴでルクスの仲間たちが死ぬ事もなかった。
でも、第XII軍団に入らなければ、ルクスはアサヒと出逢う事もなかった。
「アサヒ様……」
愛する男の名を呟いたところで、彼が生き返るわけでもなければ、彼の身体を乗っ取った男が姿を現すわけでもない。
暁の血盟は、ガイウスに会うならば先にテロフォロイを倒してからだと言っている。彼らにしてみれば実に道理に適っている。
だが、ルクスはファダニエルが絶対にこの世界を破滅へ導くと信じていた。もう、ガイウスに会うのは諦めたほうが良いのだろうか。溜息を吐いた瞬間。
外から扉を叩く音がした。今の己に人権はないのだから勝手に入れば良いのにと、ルクスは怪訝に思いつつも、歩を進めて扉を開けた。
扉の向こう側にいるのが誰か分かって、ルクスはこの丁寧な行動に納得した。
アルフィノ・ルヴェユールと、ウリエンジェ・オギュレ。己に敵意を向けず、冷静な話し合いが可能であろう人選だったからだ。
「……説得に来たのですか? それとも、監視でも?」
ルクスの問いに、ふたりは首を横に振った。そして先にウリエンジェが口を開く。
「あなたと対話をする為です。尋問と捉えられないよう、留意致します」
「……それって、結局は尋問なのでは?」
聞かれても答えられる事など何もないのに、とルクスは何度目かの溜息を吐いたが、続くアルフィノの言葉は思いも寄らないものであった。
「私は君に何かを問う事はしない。マキシマ殿の代わりに真実を伝えたいと思ってね」
そう告げるアルフィノは柔和な表情ではあるものの、意思の強い瞳は真っ直ぐにルクスを捉えている。
マキシマの代わり――つまり、アサヒ絡みの事を話したいのだろう。
ルクスは知りたいと思いつつも、アサヒを見殺しにした連中の言葉など信用してはならないとも思い、考えが纏まらず黙り込んでしまった。
アルフィノはそれを同意と見做し、ルクスのすぐ傍まで歩み寄った。
「まず、アリゼーから念を押されたのだが……君がアサヒを想う気持ちを否定する事はしないよう努めるよ。アサヒを見殺しにした結果が、ファダニエルに肉体を利用され、ブルトゥス家の資産を以て内戦が引き起こされてしまった。それが我々の落ち度だという君の言い分は尤もだしね」
あの男、余計な事を――ルクスは内心舌打ちしたいのを堪えつつ、この場にはいないマキシマを恨んだ。
「……ルクス、君がドマに和平交渉に来ていた時、ゼノスの身体がアシエンに乗っ取られていた事は知っているかい?」
アルフィノの問いに、ルクスは頷いた。結局尋問ではないかと思ったが、ファダニエルの計画を破綻させるような情報など、ルクスは持ち合わせていない。別に嘘を吐く必要性もなかった。
「それは自分で気付いたのか? 捕虜交換の時に君がドマに来なかったのは、その為か?」
「いえ……ゼノス様が直接教えてくださいました」
「……エリディブスが消滅したのは、我々が原初世界に戻る前。つまり、君が真実を知ったのは、魔導城に軟禁された時か」
ルクスが頷くと、アルフィノは暫し考え込んだ後、神妙な面持ちを浮かべた。
「では、ドマでの和平交渉の一環は、全てはアシエン・エリディブスの罠で、アサヒも君も、使い捨ての駒として奴に騙されていたという事は、『今』の君は理解している――その認識で正しいだろうか」
「…………」
使い捨ての駒。帝国軍とはそういうもので、階級が上がろうとその認識は変わらない。死ねば代わりはいくらでもいる。替えの利かない存在は、それこそゼノスたち皇族だけであろう。あれだけ帝国の為に尽力したガイウスでさえも、軍団長の座はあっさりとゼノスに引き継がれたのだ。
それでも、改めてそう聞かされると、ルクスは呆然とせざるを得なかった。
全権大使に任命されたアサヒを祝福したあの日も、ドマで過ごした日々も、帝都でアサヒを見送った最後の日も、何もかもが偽りだった。そういう事に他ならないからだ。
「……成程、肝心な事は聞かされていないようだね。と言っても、『本物』のゼノスが把握しているかは分からない……ファダニエルもアサヒの記憶を持っているとはいえ、君を利用するのに経緯を話す必要はないという事か」
アルフィノはひとり納得するように頷けば、再びルクスに向かって言葉を紡いだ。
「そもそも、エリディブスは初めからアサヒを見殺しにするつもりだったと私は見ている」
「……そ、それは……どういう事ですか……?」
聞きたくない。だが、真実を知らなければならない。葛藤しながらも恐る恐る問うルクスに、アルフィノはやや怒りを露わにするような顔つきで言った。
「捕虜交換の際、アサヒがヨツユに殺され……マキシマ殿が全権大使の代理となり、和平交渉を進めたいと我々に言ったのだ。ゆえに、『暁』から私が代表として、共にガレマルドへ向かう事となった。……そこまでは、覚えているかい?」
ルクスは弱々しく頷いた。思い出したくもない、マキシマがルクスに連絡を取って来たあの時の事である。
「その後、まるで待っていたかのように、我々の乗る飛空艇に向かって、帝国軍の攻撃が始まった。辛うじて不時着したものの、我々は絶体絶命だった。そんな時、『アシエンを狩る者』として生きていたガイウス殿が、我々を助けてくれたのだ」
――自分もドマに行けば良かった。
アサヒの言う事を聞かずに、あの時強引に飛空艇に飛び乗れば良かったのだ。
「ガイウス殿の話は、本人に会って直接聞くと良いだろう。それよりも、私が言いたいのは……例えアサヒが生き延びたとしても、任務に失敗すれば間違いなく始末されていたという事だ」
――あの時、自分もドマに行っていれば。
こんな事にはならなかった。
少なくとも、アサヒだけが死んで、何も知らない自分がのうのうと生き続ける事態は起こらなかったのだ。
「君たち帝国の民は、アシエンによって尊厳を奪われて来たと言っても過言ではない。今こそ手を取り合い、真の仇であるアシエンを討つ……君にとっても、それが最善ではないかな」
アルフィノの言葉は、今のルクスには届かなかった。
瞬く間に目が潤み、大粒の涙を零すルクスに、ウリエンジェはどこか見守るような優しい笑みを浮かべて言った。
「今の彼女は夢から覚め、耐え難い現実と向き合う時……私の話はまたの機会にしましょう」
「申し訳ない事をしてしまったね、ウリエンジェ。君の話も重要ではないのか?」
「いえ。今無理をせずとも、時が来れば何れ――」
ウリエンジェが言い掛けた瞬間。
突然地響きのような音が鳴り響き、何かの鳴き声にも聞こえるけたたましい音が、この地にいる全員を襲った。
「今のは……?」
ルクスは涙を引っ込めて呆けた顔をしたが、アルフィノもウリエンジェも険しい顔付きをしている。まさか、ファダニエルが何か『仕掛けた』のだろうか。ルクスは不謹慎にも胸が高鳴り、即座に駆け足で小屋を飛び出した。
「ルクス、駄目だ! これは――」
アルフィノの制止も聞かず、ルクスは外に出た。敵襲かと思ったものの、夜闇の中で目を凝らしてもそれらしき存在はない。
だが、明らかにおかしい。
何人もの人たちが、頭を抱えて蹲っていたのだ。
ルクスはすぐ近くで蹲って震えている男に駆け寄った。地面に器が転がり、零れたスープの跡が白い雪の上を汚している。あの美味しいアラミゴのスープを飲んでいる最中だったのだろう。
「大丈夫ですか!? 一体何が……」
ルクスは咄嗟に男を抱き締めて、様子を窺った。顔を見て、その男がユルス・ピル・ノルバヌスと名乗っていた第I軍団の兵士だと把握したルクスは、彼の頬を触って必死で呼び掛ける。
「ユルス殿! 私を見て……!」
ルクスの訴えも虚しく、ユルスは虚空を見上げて苦しそうに叫び声を上げた。明らかに錯乱している。
ふとルクスが周囲を見回すと、同じように苦しんでいる人々の姿が目に入った。
だが、おかしい。イルサバード派遣団の面々は呆然としているだけで、苦しんでいる様子はない。今のたうち回っているのは――帝国の民だけ。
その事実に気付く前に、ルクスの手を何者かが掴んだ。
暁の血盟の誰かかと思い、顔を向けたルクスの目に飛び込んで来たのは。
「ルクス、『俺』のいない隙に浮気ですか?」
男は一見、グリダニアの『双蛇党』の制服を纏っている、イルサバード派遣団の一員に見えた。
だが、例え夜の闇の中でも、ルクスは愛する男の顔を見紛うはずがなかった。
「お仕置きが必要ですね。少しばかり痛い目を見て、反省してくださいね……」
ファダニエルの名を口にしようとした瞬間、ルクスの意識はそこで途切れた。
ルクスが双蛇党の男とともに何処かへ消える瞬間を、捉えた者は誰もいなかった。
2023/11/24