亡霊の呼びかけ



 事態は一刻を争っていた。ファダニエルの手によってラザハン領内に築かれた終末の塔が、いとも簡単に『暁』の連中に侵入され、挙句の果てに消滅させられてしまったのだ。
 とはいえ、ファダニエルの計画に狂いはなかった。これは終末までの余興に過ぎず、この魔導城さえ落とされなければ問題はなかった。全ての準備が整うまで、時間稼ぎが出来れば充分であった。
 だが、時間に余裕があるに越した事はない。精神汚染によって操り人形と化した帝国兵でも事足りるものの、どうせならここで『彼女』の望みを叶えてやるのも手であろう。ファダニエルはあまり乗り気ではなかったルクスの肉体改造に、漸く取り組む事にしたのだった。

「とはいえ、時間が惜しい。あなたの望む姿にはなれないかも知れませんが……」

 ファダニエルは眠りに付くルクスの裸体を眺めながら、演技がかった動作で首を傾げた。そもそも彼女が本当に『超える力』を持っているのなら、その力が使えると認識していないと考えられる。超える力を再付与する形で強引に覚醒させる事も出来なくはないものの、『元』となる存在が必要であった。
 かつての超越技術研究所は、クルルという超える力を持つ女を捕らえ、それを媒体として人体実験を繰り返していた。成功したのはゼノスとフォルドラふたりだけと見て良いだろう。
 ゆえに、ルクスの望みを叶えるならば、超える力を持つ存在の協力が必要となる。ゼノスがそんな事に協力するとは思えず――というより、ファダニエルは端からこんな茶番の為に、ゼノスに頭を下げるつもりなどなかった。

「ここは私の好きにさせて頂きましょう。初めから『超える力』を持っているのなら、その力を使いこなすのは彼女次第なのですから」

 ルクスはあまりにもファダニエルを信頼し過ぎてしまっていた。上手い具合に口車に乗せられるがままこの日まで来て、ファダニエルという男の本質を見誤っていたのだった。




「さて、私にここまでさせたのですから、結果を出して頂かなくては困りますよ」

 見た目は変わらないものの、ルクスはファダニエルの手によって、紛れもなく『普通』ではない身体にされていた。今の時代では禁忌とされている魔科学によるものであったが、そもそもこのガレマール帝国では、アラグ帝国の魔科学を紐解き、クローン技術に手を出していたのだ。細胞を弄り回して強靭な身体にするくらい、些細な事である。『暁の血盟』相手に時間稼ぎをするのなら、普通の肉体では無理がある。ただそれだけの話であった。

「ああ、時間があれば蛮族の一部分を移植してみたかったのですが。跳躍できる足に付け替えたり、羽根を生やして飛行できるようにしたり……」

 かつて自身がアシエンではなかった頃。魔科学者として生きていた頃の己を思い出しながら、ファダニエルは恍惚の表情でルクスの頬を撫でた。
 五千年の時を経て、この世界に絶望し、全てを無に還すと決めていた筈なのに。ルクスを実験体とする事で過去の自身を思い出し、ファダニエルはいつになく心を躍らせていた。こんな感覚を味わったのは、一体何年ぶりだろうか。何十年、何百年――。

 ファダニエルの両手が、ルクスの頭を撫でる。指でゆっくりと髪を梳きながら、ファダニエルはふと思いついた。彼女のこめかみに、翼を生やしてみてはどうだろうかと。彼女は空を舞い、どこまでも高く飛んでゆくのだ。雲を抜け、やがてこの星を離れて宇宙へと。
 さすがにそこまで行っては飛躍し過ぎだと、ファダニエルは心の中で自嘲したが、次の瞬間、この考えは己のものではない事に気付いて、顔色を変えた。

 頭に翼を生やした青い髪の幼い少女が、空へと舞い上がり、宇宙へ飛び立ってゆく姿。
 それは己が夢想したものではない。
 この魂の祖である、一万二千年前の人間が実行した事であった。

「……馬鹿げてる。そんな事をして、何になるっていうんですか……」

 今から五千年前、アラグ帝国の魔科学者であった男。そして、アシエン・エメトセルクの誘いで、ファダニエルの座に就き、数多もの時を生きて来た男。それらはどちらも、このアシエン・ファダニエルに違いなかった。
 だが、彼の中には明らかに異なる記憶が存在していた。
 本来はあるはずのない、己がこの世界に生まれる前、遥か昔に同じ魂を有していた男の記憶が。
 その男の名はヘルメスという。十四人委員会にて『ファダニエル』の座に選ばれ、災厄から世界を救う為に、死に至るまで自身の責務を全うした男であった。

 尤も、その男の行いが原因で一万二千年前のこの星に終末が訪れ、世界が分かたれたなど、今はまだ、誰も知る由のない出来事であった。





 目を覚ましたルクスは、そこが己がいつも就寝している部屋でもなければ、心地の良いベッドの上でもない事に気が付いた。いつもなら快適な空間が、今日はどういうわけか寒気を感じる。それもその筈で、ルクスは己が今何も身に纏っておらず、シーツすら被っていない状態であった。
 こんな事態に陥っている原因は、ひとつしか考えられなかった。

「ファダニエル! お前、今度は一体何を企んでいる!?」

 ルクスは怒りの形相で叫んだが、人の気配はまるでなかった。己を揶揄っているのか、または席を外しているのか。どちらにせよ、せめて何か身に纏えるものを探さなくては。そう決めて、ルクスは起き上がり、冷たい床に足を付けた。

 ここは己がいつも過ごしている客人用の寝室でもなければ、この魔導城で見掛けたルゲイエという男がいる研究室でもなかった。ゼノスが佇んでいる場所に近い、巨大生物の内臓にも見える禍々しい壁。そして更には、檻に囚われているモンスターが何匹も置かれていた。

「一体ここは……私は、何を……」

 とにかく、ファダニエルが己に何かをしたという事だけは、何も分からずとも本能で理解していた。だが、具体的に何をしたのか。まさか、己をモンスターのように改造したのか。
 血の気が引いたルクスは、恐る恐る自身の手と足を見遣り、そして頬に手を当てたが、目で見える範囲では何も変わったところはない。だが、鏡で見なくては本当に大丈夫とは言い切れない。顔だけ異形の姿に変えられているとも限らないからだ。

「おはようございます。良い朝ですね、ルクス」

 何の前触れもなく、突然背後で愛する男の声が聞こえ、ルクスは即座に振り向けば相手の首を掴んで声を荒げた。

「ファダニエル! 私に何をした!」
「ええっ、怒られる事なんて何もしていませんが……」
「嘘、なんで私、こんな……」
「おや、もう実感しましたか? 『超える力』を」

 ファダニエルは平然とそんな嘘を言ってのけたが、何も知らないルクスは、その言葉を聞いた瞬間、手に込めた力が瞬く間に抜けていき、そして呆けた顔を浮かべた。

「……ファダニエル、私に『超える力』を与えてくれたのですか?」
「はい。そう望んだのはあなたでは?」
「そ、そうですが……でも、前もってやるとは一言も……」
「少々急ぐ必要がありまして。説明は省かせて頂きました」

 だからといって、寝ている己を勝手に扱うなど有り得ない。ルクスは再び怒りを露わにしてファダニエルを睨み付けたが、当の本人はいたって平然としており、感情的になっても無駄だと、仕方なく諦める事にした。
 冷静になって、それよりも肝心な事があると気付いたルクスは、ファダニエルに向かって恐る恐る訊ねた。

「あの、『急ぐ必要』とは、一体何があったのですか?」
「ああ……言い難いのですが、連中にしてやられました。『塔』のひとつが消滅してしまいまして……他の塔が消えるのも時間の問題でしょう」

 ファダニエルはそう言いつつも、その表情には余裕が現れていた。それは、彼の計画に支障がないというよりも、恐らくは彼の想定よりも前倒しで己に『超える力』を与えた事で、己を使って時間稼ぎが出来るようになったからであろう。ルクスはそう結論付けた。

「つまり、『暁』の連中は全ての塔を消滅させた後、この魔導城に侵攻する……という事ですか」
「連中だけならまだしも、エオルゼア総出で侵攻するっぽいんですよねぇ……」

 随分とお気楽な言い回しだが、かなり状況は深刻なのではないか。ルクスとて、さすがに自分ひとりで大量の敵襲を相手にする自信はなかった。骸の兵士に一体何が出来ようか。暁の連中とて、相手が話の通じない存在と見做せば、正義の名のもとにあっさりと殺すだろう。

「……ファダニエルは、私ひとりで奴らの相手が出来ると?」
「おや、弱気ですね。まあ、ガレマルドから離れれば、精神汚染を受けていないお仲間もいらっしゃるかも知れませんし……彼らと合流するのも手だと思いますよ?」
「そうなのですか?」

 魔導城の外で起こっている正確な情報を一切把握出来ていないルクスは、ファダニエルの言葉に目を輝かせた。例えそれが偽りの言葉であっても、話の通じる人間がゼノスとファダニエル以外にも存在するという可能性は、ルクスにとっては捨てがたい希望であった。

「ええ。帝都が機能しなくなった今、各軍団は各々の軍団長の指示に従って動いているようです。ここからならば、内戦を続けている第I軍団か第III軍団……どちらかと合流すれば、帝都の死守は不可能ではありません」

 ルクスはファダニエルの言葉に乗せられ掛けたが、すべてを信用してはならないと息を呑んだ。あまりにも話が上手く進み過ぎている。
 そもそもファダニエルの目的は、この世界ごと崩壊させる事である。すべての人間を精神汚染してしまえば良い筈なのに、何故それを逃れている人間がいるのか。無論、これはルクス自身も含めてである。

 ファダニエルの真の目的は何なのか。あるいは目的は変わらないものの、単なる偶然で、なんらかの理由で精神汚染を逃れている人たちがいるだけなのか。
 どちらにせよ、ルクスはこのまま話に乗って良いのか判断出来ず、浮かない表情をしていた。そんな様子に、ファダニエルはルクスに向かって顔を近付ければ、珍しく真剣な面持ちを浮かべて囁いた。

「ルクス、一体何が不安ですか? 私とて、本当はあなたを戦場に出したくはないんですよ。あなたの願いを叶える為に、色々と策を練っているのですが……」

 この男が何を考えているのか理解出来ない。己に死んで欲しくないというのも嘘だろう。
 ルクスは一旦思考をリセットして、考えを巡らせた。己が今為すべき事。それは、ファダニエルに従う事ではない。己が仕えるべき存在は、ゼノスしかいないのだ。
 その結論に辿り着き、ルクスは溜息を吐けば、真っ直ぐな瞳でファダニエルを見つめ返した。

「余計な事は考えないようにします。私は復讐の為、剣を振るう。私を残して散っていった仲間たちの事を考えれば、恐れてなどいられません」
「復讐……それって、ゼノス殿下に言われた言葉ですよね」
「それが何か?」

 面白くない、と言わんばかりに、ファダニエルは頬を引き攣らせれば、ルクスに強引に口づけをしようと更に顔を近付けた。

「っ……やめ……」

 後ずさって間一髪で逃れたルクスを、ファダニエルは抱き締めてそのまま押し倒そうとした、瞬間。

「……ファダニエル、そんな事をしている暇はあるのか?」

 緩慢な足取りで現れるや否や、どこか呆れるようにそう訊ねるゼノスに、ファダニエルは慌ててルクスから離れれば、愛想の良い笑みを浮かべてみせた。

「いえ! 『改造』が上手くいったか確認を……」
「ゼノス様――……」

 ルクスは良いところに来てくれたと安心したのも束の間、今己が何も身に纏っていない事に今更ながら気付き、咄嗟にしゃがんで両手で自身の身体を抱き締めた。
 尤も、ゼノスはその点に関してはまるで気にしておらず、ファダニエルに顔を向ける。

「改造……『超える力』の付与の事か」
「ええ! あとはルクス本人が力を使いこなせるかに尽きますが……おまけで戦闘能力の向上も図ってみましたので、きっと殿下のお役に立つ筈です!」

 ルクスはファダニエルの言葉を聞き逃さなかった。どう考えても余計な事を行っている。ルクスは最早恥じらいなど捨てており、裸のまま立ち上がってファダニエルに掴み掛かった。

「おい! お前、私に一体何をした! 超える力の付与だけじゃなかったのか!」
「ああ、いけませんね。そんな乱暴な言葉遣いは……アサヒ様に嫌われてしまいますよ?」

 わざとらしく胸に手を当ててそう告げるファダニエルに、ルクスは舌打ちしたものの、後ろから布が飛んで来て、自身の肩に掛かったそれを振り返って受け止めた。ゼノスが身に付けているマントである。ルクスはこんな事に気を遣わせてしまい申し訳ないと思いつつ、早くこの茶番を終わらせようと、マントで身を隠しつつゼノスに頭を下げた。

「お気遣いありがとうございます、今すぐ着替えて参ります。出陣する前にお返し致しますね」

 ルクスはそう言うと、ファダニエルには見向きもせずに駆け足でその場を後にした。



「……ファダニエル、随分とあの女を気に入っているようだが……易々と死なせるつもりか?」
「いえ、心配には及ばず。いざとなれば私が直接回収致します。最後の切り札として生かしておく必要がありますので」

 そう言って目を細めて笑うファダニエルを、ゼノスは随分と楽しそうにしていると思いながら眺めていた。
 アシエンが憑依した肉体の持ち主の『感情』に引きずられる事はない。ならば、何故この男はここまでルクスに固執しているのか。とはいえ、その疑問をファダニエル本人に投げ掛けたところでまともな答えが返って来るとは思えず、その些細な疑問は『どうでも良い事』として、ゼノスの脳内から霧消したのだった。

2023/10/09
- ナノ -