歓喜に寄せて
帝都外縁、マグナ・グラキエス――この大雪原で敵襲を阻止しなければ、帝都が陥落するのは時間の問題であった。
ファダニエルの言葉が真実であれば、エオルゼア同盟軍は間もなくこの地に進軍するであろう。ルクスは帝都ガレマルドで蠢く屍の兵士たちを動かす事はせず、帝都の外で、精神汚染から逃れた同胞を探す事に決めた。今の己は『超える力』を人工的に手に入れており、仮に同胞を見つけられないままエオルゼア同盟軍と対峙しても、己が囮となる事で時間稼ぎは充分に出来る筈だと考えたのだ。
ファダニエルはルクスの作戦を否定せず、それがすべての答えだとルクスは信じていた。己は彼にとって、この世界を破壊する為の駒でしかなく、己に情けをかける理由は存在しない。己の身体を求めているのは、ファダニエル本人ではない。彼の中に僅かに残っている、アサヒの記憶の残骸なのだと信じていた。
魔導アーマーに騎乗し、マグナ・グラキエスに降り立ったルクスは、早くも絶望の淵に立たされる事となった。
真っ白な雪原に整列する、多くの人影を見つけた瞬間、ルクスは心の底から喜んだ。目の前の光景が意味するのは、散り散りになった帝国軍が集まり、軍隊として形を成している事に違いなかったからだ。
ルクスはすぐさま彼らの元へ魔導アーマーを走らせ、立ち位置から軍団長と思わしき人物の傍に止まって降り立てば、相手の姿を見遣った。
間違いない、彼女は第III軍団長ウェルギリアその人であった。兵士の多さから、内戦を続けていた第I軍団と第III軍団が共闘の道を選んだのだろう。
「ウェルギリア様。私は第XII軍団幕僚、ルクスと申します。ゼノス様の命であなたがたの援護に――」
そこまで告げて、ルクスは異変に気が付いた。
ウェルギリアの目は虚ろで、己を見ようともしていない。
ルクスはこの感覚を知っていた。これまで何度も魔導城で、同じような者たちを目の当たりにしてきたのだから。
結局、彼らも精神汚染を受けていたのだ。
「……ファダニエル、あいつ……!!」
あの男は人をどこまで愚弄するのか。もしかしたら精神汚染を逃れている者がいるかも知れないなどと、期待させるような事を口にして。ルクスは絶望と怒りに苛まれたが、最早余計な事を考えている余裕などなかった。
ウェルギリアをはじめ、兵士たちが一斉にルクスとは正反対の方角へ身体を向けた。
敵襲である。
ファダニエルとて理由なく帝国の民を心神喪失に追い遣っているわけではない筈である。行動には必ず理由がある。
精神汚染を受けた者たちは、『帝都に攻め込む蛮族を殺せ』という暗示でも受けているのだろう。
ルクスはそう解釈し、そして、ガンブレードを構えた。
「私にはもう、逃げる道なんてない……」
ファダニエルが何を企んでいようと、ルクスにはどうでも良かった。己が仕えるはゼノスただひとりであり、彼が『暁』に復讐せよと言うのなら、そうするまでであった。
ルクスに迷いはなかった。それは、他者に用意された道を歩んでいるだけであり、自分で考え、決断しているわけではないからだ。何も考えず、言われるがままにただ剣を振るうだけ。その行為に正義など存在しない。
最早正しさの在処など、今のルクスにはどうでも良かったのだ。
嫌な予感は的中し、ここマグナ・グラキエスにエオルゼア同盟軍らしき様々な種族が、武器を持って押し寄せていた。迎え撃つは屍の帝国兵――ルクスはこの戦いに勝ち目があるとは思っていなかったが、ファダニエルが魔導城を核として何らかの術を行使するのなら、それが実行されるまで時間稼ぎをすれば良いだけの話である。この時のルクスは、楽観はしていないものの、時間を稼ぐ事なら出来ると思い込んでいた。
だが、戦況は悪化の一途を辿る事となった。
ルクスも剣を振るうなか、突然遠くで爆発音が鳴り響いた。ルクスが音のした方へ顔を向けると、多くの魔導兵器を待機させている補給地のある方角で、炎と煙が上がっている。
考えずとも分かる。これはエオルゼア同盟軍で別行動を行っている者の仕業である。
「……今いる本隊だけで食い止めなくては……」
蛮族の魔法に対抗するには魔導兵器が必要不可欠であり、それが根こそぎ爆破されたとなれば、最早頼りになるのはルクス自身の身体しかなかった。
――捕虜になるくらいなら、ここで死んだほうがマシだ。
ルクスは歯を食いしばり、そして覚悟を決めた。
ウェルギリアには申し訳ないが、ここは己が先頭に立たせて貰う、と。
ルクスは一気に駆け抜けて、敵前に出れば空高く跳躍し、銃弾をエオルゼア同盟軍に向かって撃ち放った。
何人かは手応えがあったが、次の瞬間、炎の矢がルクスを貫かんと向かって来るのを察し、身を翻してそれを避けた。
「――あなた……! 一体どういう事なの……!?」
魔法を放った『暁の血盟』のひとり、ヤ・シュトラが、ルクスを見るなり目を見開いて困惑の表情を浮かべていた。彼女の言葉の真意など、ルクスにはどうでも良く、今はただ目の前の敵を殲滅する事だけを考えていた。
――この身体なら、出来る。
ルクスは慎重な性格であったが、この時は不思議と高揚感に溢れ、絶対にこの戦いに勝てると、無謀な思考に囚われていた。
敵の動き、そして力がすべて可視化され、何もかもが手に取るように把握出来たからだ。魔法が使えないガレアン族にとって、エーテルの流れを把握するなど不可能であり、その感覚さえ理解出来ない――筈だった。
「ヤ・シュトラ、一体何があったのですか?」
異変に気付いたウリエンジェが駆け付け訊ねると、ヤ・シュトラはイルサバード派遣団の皆を横目に見遣り、彼らを巻き込まずにルクスひとりを捕らえる事を決めた。
「ウリエンジェ、私たちであの子を止めるわよ」
「……承知致しました」
ヤ・シュトラがこんな事を言うのは珍しいと、ウリエンジェは怪訝に思いつつも、目の前のルクスという軍人がイレギュラーな力を持っているのだと察し、すぐに頷いた。
そんなふたりの思惑など知る由もないルクスは、再び跳躍すれば、空から数多もの銃弾を撃ち放つ。だが、今度はウリエンジェがバリアを張ってそれを跳ね除け、致命傷を与える事は出来なかった。
銃弾が無理なら、剣で強引にバリアを破るまでだ。ルクスはすぐさまガンブレードを構えれば、バリアを破ってウリエンジェごと葬ろうと振りかぶった。
だが、次の瞬間。
「あら、余所見をして貰っては困るわね」
後ろからヤ・シュトラの放った魔法が襲い掛かる。ルクスは仕方なく方向を変えて、空中で攻撃を避ければ、今度はヤ・シュトラに向かってガンブレードの刃を向けて突進した。
「そう、あなたの相手は私よ。それにしても……」
ヤ・シュトラもまたバリアを張って、ルクスの攻撃を受け止める。
「並の人間の力じゃないわね。まるで、ゼノスと対峙した時のよう――」
そこまで言い掛けて、ヤ・シュトラは息を呑んだ。
今バリアを破らんと剣を向けているルクスが、恍惚の笑みを浮かべていたからだ。
まるで、戦いを愉悦と感じている表情。それは大義も正義もない、ただただ人を殺める事を喜びとする獣のようであった。
「……アルフィノ、話が違うわよ。この子は私たちの同志となる存在ではなくて?」
今この場には居らぬ仲間へ向けて呟けば、ヤ・シュトラは反撃に出ようと、バリアを維持しつつ魔法を行使しようとしたが――。
「――なんてこと……!? ルクス、あなたは……」
ガンブレードだけでバリアを破ろうとしていた筈のルクスが、片手を柄から放して、氷魔法を撃とうとしていたのだ。
ヤ・シュトラとて、ただの軍人に過ぎないひとりの女に負けるほど衰えているつもりはなかった。だが、油断していた。ガレアン族は魔法を使えない種族であり、そして、ルクスという女は何らかの理由でファダニエルに囚われているだけで、話の通じる相手だと思っていたからだ。
それが、『暁の血盟』の共通認識だったのだ。
ルクスが放った魔法がついにバリアを破り、そして間髪入れず、ガンブレードをヤ・シュトラ目掛けて振りかぶる。
仕留めた――ルクスが勝利を確信し、満面の笑みを浮かべた瞬間。
「アルフィノの頼みだ、殺しはせん。だが、少し大人しくして貰うぞ」
その声がルクスの耳に入る事はなかった。
突如、空から降り注ぐ槍の刃。ルクスは咄嗟にそれを避けようとしたが、相手のほうが何倍も上手であった。
一撃目は辛うじて避けたものの、次の攻撃を避けるより先に、相手の槍先がルクスの身体を痛め付けた。反撃に出るより先に相手の攻撃が止めどなく続き、ルクスはわけがわからないまま痛みを味わい、そして気を失ったのだった。
「……ヤ・シュトラが苦戦するような女には思えんが」
ルクスを追い詰めた男――エスティニアンは、雪上に着地し、そして怪訝な顔で呟いた。ヤ・シュトラは雪原に倒れるルクスの傍に歩み寄り、しゃがみ込んで様子を窺えば、エスティニアンに向かってさらりと言い放つ。
「あら、勘違いして貰っては困るわね。探ってたのよ、彼女の力を」
「……余計な横入りをしたみたいだな」
「いえ、良いのだけれど……それより戦況は?」
ヤ・シュトラの問いにエスティニアンが答えるより先に、イルサバード派遣団を守っていたウリエンジェが駆け付けて来た。
「問題ありません。帝国軍は殺さず無力化し、テンパードを解く為の準備も整っています」
「そう、上手くいったわね。ただ、この子は……」
このままでは命を落とす可能性がある。エオルゼア同盟軍――否、『イルサバード派遣団』の目的は、ファダニエルの手によってテンパードと化した帝国軍をはじめとする、ガレマール帝国の民を全員救うというものであった。
その中には、当然ルクスも含まれているのだが。
「魔法を使えるガレアン族なんて、聞いた事がないわ。ファダニエルがそこまでこの子に入れ込んで、力を与えたという事……?」
ルクスの扱いに悩むヤ・シュトラであったが、イルサバード派遣団としての目的を果たすのは変わらないと、ウリエンジェはすぐさま回復魔法をルクスに向かって放った。
「そんな彼女を我々の元に遣わせるなど、恐らくは裏がありましょう。ここは彼女の目覚めを待ち、直接尋問するしか方法は……」
「とてもではないけれど、話が通じるとは思えないわね」
きっぱりとそう言い切るヤ・シュトラに、エスティニアンは話が違うと眉を顰めた。
「アルフィノとアリゼーから聞いた印象とはまるで違うな。この女は、『塔』でフォルドラとアレンヴァルドを助けたんじゃなかったのか」
エスティニアンだけではなく、『暁』は誰もがルクスの事をそう認識していた。
『塔』の調査から戻ったフォルドラの報告では、ルクスはルナイフリートの攻撃からフォルドラとアレンヴァルドを守り、ふたりに逃げるよう促した事になっている。明らかにファダニエルの意志と反しており、単なる操り人形ではない事が窺えた。
だが、実際に対峙したヤ・シュトラは考えを改めていた。それは同じく彼女をその目で捉えたウリエンジェも同様であった。
「……ファダニエルの怒りを買って、彼女もテンパードと化したと考えるのが妥当ですが……そこまで単純な話とも考え難い」
「どういう事だ?」
エスティニアンの問いに、今度はヤ・シュトラが答えた。
「まず大前提として、帝国人は皆テンパードになっている筈よ。あの子は長い間ファダニエルの傍にいて、何故テンパード化を逃れていた……?」
「肉体改造を受けたとか、そんなところじゃないのか」
「ええ、でしょうね。となれば、今の彼女もまたテンパードではなく、自らの意志で私たちと戦った可能性もある」
もしテンパード化していないとしたら。恐らくはフォルドラたちを助けた後に、彼女の信条を揺るがす『何か』があったのだろう。
だが、本当にそうなのか。アルフィノとアリゼー、そして『光の戦士』が、あまりにも人が好過ぎるばかりに、ルクスという女の本性を見誤っているのではないか。
違和感を拭えずにいる三人のうち、エスティニアンが真っ先に声を上げた。
「難しい話は任せた。この女が協力者になるのなら生かしておく。だが、もし相容れないのなら……」
その時は、アルフィノやアリゼー、そして光の戦士の代わりに、自分が彼女に手を下す――エスティニアンの言葉に、ヤ・シュトラとウリエンジェは静かに頷いた。
エスティニアンは物言わぬルクスの身体を持ち上げて、己たちがこれから拠点とする『キャンプ・ブロークングラス』へと歩を進めた。ルクスの命運は、ファダニエルの手から離れ、今は彼女の仇である『暁の血盟』の手に委ねられていた。
2023/10/28