自らの意志で沈みゆく



 エオルゼア諸国はグランドカンパニー・エオルゼアを設立し、ガレマール帝国――否、テロフォロイを潰す為、世界はひとつとなりつつあった。共通の敵を作る事で、争いの絶えない国や種族が協力関係を結ぶのは、歴史書やフィクションの物語でもよく見る光景だとルクスは思っていたが、まさか自分自身が世界の敵になるとは、夢にも思っていなかった。
 この魔導城が世界崩壊の鍵である事を、暁の血盟が知るのはそう遠くない話であろう。ファダニエルは数々の失敗を些細な事だと言っているものの、それが虚勢なのか真実なのかはルクスには分からず、探ろうとも思わなかった。ファダニエルの計画が成功しようと失敗しようと、己が死ぬのは確定しており、考えても無駄だと諦めていたからだ。



「要するに、奴等にこの城を落とされなければ良いのでしょう?」

 戦時中に似つかわしくない豪勢な食事を口に含みつつ、ルクスはファダニエルに訊ねた。ファダニエルは気紛れにルクスと食事や快楽を共にしており、その目的は分かりかねるものの、本人の言う「憑依している器の欲求に従っている」という言葉が正しければ、その行動に納得は出来た。尤も、その言葉も本当かどうか疑わしいが、追及したところでどうせすべてが無駄なのだから、ルクスは何も考えずに享受するだけであった。

「ええ。愛するあなたが戦場に出る事のないよう、善処を尽くしますが……」
「御託は結構です。そもそもお前が、私を盾にする為にここに連れて来た事くらい分かっています」

 ファダニエルは目を見開いて大袈裟に驚いてみせたが、ルクスは真っ直ぐな瞳で言葉を続ける。

「この世界を滅ぼす為に、私という存在が必要だとは思えません。せいぜい、奴らがこの城に攻め込む前に私が時間稼ぎをするくらいしか出来ないでしょう。お前が尊厳を奪った、骸の兵士たちと一緒に」

 淡々と告げれば、ルクスは再び目の前の料理に目を移し、機械のようにそれらを咀嚼した。ファダニエルは目を細めて愛おしそうに見つめながら、彼女の言葉を肯定も否定もせず、当たり前の問いを投げ掛ける。

「……ルクス。あなたはたった一人で『暁』に対抗できるとでも?」
「そこまで傲慢ではありません。ただ……」
「ただ?」

 言い淀むルクスに、ファダニエルは即座に訊ねた。
 ここで己の意見を言ってしまえば、きっともう後戻りは出来ない。だが、ファダニエルが誤魔化しのきかない相手である事も、ルクスは重々理解していた。駆け引きで勝てる相手ではないと早々に諦め、ルクスは本音を口にした。

「……私もゼノス様と同じように『超える力』を手に入れれば、多少は使えるかも知れません」

 意を決してそう言うと、ファダニエルはルクスの考えを予想していなかったのか、小首を傾げて黙り込んだ。彼女の言葉はとどのつまり、「お前がなんとかして私に超える力を与えろ」と言っているのと同義だからだ。
 ファダニエルは溜息を吐けば、嫌そうに顔を顰めて目を逸らした。

「……それ、私にやれって言ってますよね?」
「魔導城をこんなわけのわからない状態にして、エオルゼア各地に蛮族を贄にした塔をあちこちに建てて……凡人には理解の出来ない事を成し得ているのですから、超える力の付与くらい容易いのでは?」
「そこまで暇じゃないんですよねぇ……」

 ファダニエルは適当に誤魔化して、ルクスの要望を無視したが、結局その後、『超越技術研究所』にて第XII軍団が進めていた研究を漁る事となった。出来る範囲で彼女の望みを叶えてやろうという感情が無意識に芽生えていたものの、ファダニエルがそれを自覚する事はなかった。どちらにせよ、暁の血盟によって全てを無にされるという最悪の事態を免れる為には、様々な対策が必要であった。ルクス本人が肉体改造を求めるのならば、どんな形であれ応えるのも、対策のひとつであろうと結論付けたのだった。



 数日経ったある日、ルクスはファダニエルに研究所の話を振られ、漸く気が変わって己に超える力を与えてくれるのかと喜んだが、それも束の間の事であった。

「いやはや、あなたのお仲間は随分面白い研究をされていたんですね。私、感心しました」
「面白い?」

 ファダニエルの言い方から、己の望む事ではないとルクスは肩を落として怪訝な顔で訊ねたが、相手は実に愉快そうに口角を上げていた。超える力の付与は彼にとっては興味の対象外という事なのだろう。そして、代わりにろくでもない事をしようとしていると、ルクスは嫌な予感を覚えていた。

「ファダニエル、お前は暇ではないのですよね?」
「失礼な。これは『暁』を魔導城に攻め込ませないよう、攪乱する為の作戦の一環です」
「攪乱……一体どんな研究なのですか?」
「『ブレインジャック』――肉体から魂を分離させる研究です」

 かつての己の仲間たちも、その研究に携わっていたのだろうか。『超える力』の研究という大まかな内容しか把握していないルクスであったが、ゼノスが死の淵から蘇った経緯を思い出し、点と点が線で繋がった感覚を覚えた。

「それって……ゼノス様が他者の肉体に憑依して、ご自身の身体を取り返した事に関連している、という事ですよね?」
「ええ。この研究がなければ、今頃ゼノス殿下はこの世界にはいないかも知れません」

 己の仲間たちの研究が、ゼノスを死なせない為に役立ったのであれば、彼らの死も無駄ではなかった。ルクスは思わず感極まって涙を浮かべそうになったが、ファダニエルは困ったように眉を下げて呟いた。

「ただ、これを成し遂げたアウ……アウルス? なんとか、という研究者は、それこそ『暁』に敗れて死んでしまったんですよね」
「……つまり、あいつらにこの力は無効という事ですか?」
「そう焦らずに。ゆえに、私も少し手を加えてみたのです」

 一体何をしたのかと訊ねようとした瞬間、ルクスの視界は暗転した。食事に眠り薬でも盛られていたのか、あるいはファダニエルが何らかの術を行使したのか。何も分からないまま、ルクスは気を失ったのだった。



 ルクスが目覚めた時、そこはファダニエルと話していた部屋ではなかった。
 徐々に覚醒し、ぼんやりとしていた視界が明確になる。どうやら誰かが上体を支えてくれているらしい。そして、目の前には玉座があり――そこに佇むゼノスが、肘をついてルクスを見下ろしていた。

「ゼノス様……!」

 声を上げたのも束の間、ルクスはすぐに異変に気が付いた。
 己から発された声は、明らかに自分自身のものではない。男の、それも愛する男の声そのものであった。
 何が起こったのか理解出来ないまま、ルクスは自身の喉元に指を這わせた。自分にはない筈の喉仏があり、そして、自身の手を恐る恐る見て、漸く状況を理解した。
 黒い手袋に紫色のローブ。これはファダニエルが普段纏っているものだ。
 つまり、今の己の姿は――。

「ファダニエル、大丈夫ですか?」

 刹那、女の声が聞こえて、ルクスは己のものではない身体を震わせた。
 相手の顔を直視したくない。だが、相手はルクスの意思などおかまいなしに、顔を覗き込んで視線を合わせた。

「……それとも、アサヒ様、とお呼びしましょうか?」

 お前は誰だ。ルクスは真っ先にそう思ったが、今己の目の前にいる女は、紛れもなく、鏡でしか見た事のない己の姿をしていた。

「ふふっ」

 目を細め、意地悪そうな微笑を浮かべるガレアン族の女は、今度はゼノスへと顔を向けた。

「ゼノス様、如何ですか? 『ブレインジャック』を改良して、魂の入れ替えをしてみたのですが、無事成功です!」
「……その証拠は何処にある」
「証拠ですか……ええと、アサヒ様、協力して頂けますか?」

 ルクスは己と同じ姿をした女に問われて、何も言えずに呆然としていた。女は見かねて溜息を吐けば、ファダニエルの姿をしたルクスの腰に手を回し、ゆっくりと抱き起こした。

「はい、あとはもう自分で立ってくださいね」
「……ファダニエル」
「はい?」
「あなたはファダニエルなんでしょう?」

 恐る恐るそう訊ねるルクス、もといファダニエルの姿をした男の様子に、ゼノスは漸くブレインジャックの改良を信じる事にしたらしい。

「茶番はこれで終わりか?」

 気怠そうに呟けば、ゼノスは鎌を手に取り、ルクスの姿をしたファダニエルに向かってそれを容赦なく振りかぶった。

「きゃっ! 酷いですゼノス様!」

 間一髪で鎌を避け、ルクスの姿をしたファダニエルは、逃げるように本物のルクス――ファダニエルの姿をした者の後ろへ駆け込んだ。
 ゼノスの鎌が、今度はファダニエルの姿をしたルクスに向けられる。数センチでもずれれば愛する男の首は刎ねられてしまうであろう状況に、ルクスは怯えた目をしてゼノスを見上げた。

「……貴様は本当にルクスか?」
「はい……」
「怯えているのは、現状が理解出来ぬからか、それとも……余程その『器』に拘りがあるのか……」

 回答を誤れば、ゼノスはいとも簡単にファダニエル――否、アサヒの身体を跡形もないほど切り刻んでしまうだろう。それだけはなんとしても阻止しなくては。ルクスはそう決意し、息を呑んで、言葉を紡いだ。

「両方です。このままゼノス様が私を殺せば、ファダニエルは私の身体を使って計画を遂行するでしょう。ですが、それでは『私』が浮かばれません」

 己が死んでも、ファダニエルにとっては何の問題もない筈である。寧ろ精神汚染を受けず、今も正気を保っている事が奇跡と言って良い。だが、ルクスはこのままで死ねないのだ。第XIV軍団の仲間たちを殺し、そして第XII軍団を滅茶苦茶にした『暁の血盟』――かの英雄に復讐するまでは。
 勝ち負けの問題ではない。どうせ死ぬのなら、最後まで筋を通したい。ただそれだけである。
 そして、ルクスは『今』の己の手へ視線を落とし、呟いた。

「それに……この身体は、例えアシエンに乗っ取られたとしても、私の愛する方の肉体なのです。このまま無駄死にするのは、アサヒ様もきっと本意ではない筈……」

 後者は感情論に過ぎず、ゼノスに理解されるとはルクスとて思ってもいなかった。きっと聞き流すだろう。そう思っていたのだが。

「……っ!」

 ゼノスは鎌を床に捨て、そして、ファダニエルの姿をしたルクスの顎を掴んだ。

「ルクス。単なる器でしかない肉体は、そこまで貴様にとって必要なものか?」
「……はい」
「魂が別人であってもか」
「はい、それでも私は……」

 求めていた答えだとは到底思えないものの、ゼノスはルクスから手を放した。それ以上問うても無駄だと思ったのか、あるいは――。

「……『強さ』とは、魂と肉体、どちらに宿るのか……」

 ぽつりとそう呟いたゼノスの言葉に、ルクスは耳を傾けたが、思考を妨害するかのように、ルクスの姿をしたファダニエルが後ろから抱き付き、フードを捲って首筋に息を吹きかけた。

「やっ、やめ……」
「あのう、そういうリアクションやめて貰えます? アサヒ様はそんな態度取りませんよ?」
「ファダニエル! いい加減にしろ!」

 どうせ自分の身体なのだ、多少痛めつけても問題ない。ルクスはファダニエル、というよりアサヒの身体で殴り掛かろうとしたが、ルクスの姿をしたファダニエルはいとも簡単に避けてみせた。

「ああ、怖い。でも、その方がアサヒ様っぽいですね」

 そう言って意地の悪い笑みを浮かべる女は、果たして本当に己なのか。ルクスは傍から見たら自分はこんな風に見えているのかと、色々な意味でショックを受けてしまっていた。

「それにしても、あなたの身体って随分と恵まれていますね。羽のように軽く、どの位置に攻撃が来るのかも瞬時に把握出来る……ガレアン族って皆こうなんですか?」
「……アサヒ様より、私の身体の方が気に入ったとでも?」

 ルクスの問いに、ファダニエルはルクスの身体で不敵な笑みを浮かべた。それはルクスが、本当に己の身体を奪われてしまうと、無意識に血の気が引くほどに冷たい微笑であった。

「それも良いかなって思いましたけど……残念、時間切れです」

 だが、追及する間もなく、ルクスはまたしても意識を失った。アサヒの身体、そしてルクスの身体も、どちらもその場に膝から倒れ込む。地面に頭をぶつける手前で、アサヒの身体のほうが目を覚まし、抜け殻になったように見えるルクスの身体を抱き留めた。

「やはりこちらのほうがしっくりきますねぇ」

 ブレインジャックには時間制限があり、永久的に魂を入れ替える事は出来なかった。実験は成功し、ゼノスにもお披露目する事が出来、ファダニエルは上機嫌であったが、勝手に実験体にされたルクスにしてみたら堪ったものではない。ルクスは未だ目を覚まさないものの、確実に魂が戻っている。それを確認すれば、ファダニエルはゼノスに顔を向けた。

「この娘はもう少しお借りしますね。『ゼノス様みたいに改造して』という依頼を受けていますので」
「改造? ……『超える力』の事か」
「ええ」

 かつてフォルドラが人工的に超える力を得る事が出来たものの、皆が皆成功するとは限らない。これまで人体実験で多くの人間が犠牲になって来たのだ。ルクスも成功し、超える力を得られるとは限らない。
 とはいえ、ゼノスは反対する気はさらさらなかったが、それでも、ファダニエルに確認しなければならない事があった。

「ファダニエル。改造は必要ないと、貴様なら分かっている筈だが」
「何故です?」

 あくまで恍ける様子のファダニエルに、ゼノスは床に落とした鎌を拾い上げれば、再び刃を相手の首筋へ向けた。

「……この城に棲まう蛮神『アニマ』。俺と貴様を除き、ここにいる人間は全て、アニマのテンパードと化している筈だ」
「…………」
「何故ルクスはテンパードと化さないのか? 最早、考える必要などない」

 ゼノスの言葉に、ファダニエルは口角を上げた。

「……この女は、生まれながらに『超える力』を持っている」

 真実へと辿り着いたゼノスに、ファダニエルは目を細めれば、己の腕であどけない顔をしているルクスを見遣った。
 生まれながらにエーテルを放出する能力が低く、魔法を操る事が出来ないガレアン族。ルクスには種族の証である器官も備わっている。
 だが、これが純粋なガレアン族ではなかったら。つまり、ガレアン族と他種族の間に生まれた子だとしたら。確率は低いが、充分起こり得る現象である。

「ええ、恐らくは。ゆえに、この娘を最後の切り札として生かしておけば、殿下の役にも立ちましょう」

 それは決して己の為ではなく、ファダニエル自身の駒とする為である事を、ゼノスは察していた。だが、ファダニエルに口を出すつもりも初めからなかった。その力を以てどう生きるかは、ルクス本人の意思に委ねられている。真実を知るのが早かろうと遅かろうと、結末は同じなのだから。

2023/09/18
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