孤独に身を委ねる者は



 ファダニエルとの一夜は一時の気の迷いだと片付ける事が出来るほど、ルクスが置かれている状況は単純ではなかった。

 ガレマール帝国民は最早骸の集団と化し、『人』がいなければ国を存続する事は出来ないと、ルクスは自らが知り得る歴史で理解していた。
 この国はもう保たない。
 テロフォロイを潰す為、エオルゼア諸国が帝都ガレマルドに進軍するのは時間の問題である。ゼノスが己に、骸と化した軍人を好きに使って良いと告げたのは、足掻くなら足掻いてみせよと言いたいのか、それとも、この地にしがみ付いて死に絶えろという事か。
 どちらにせよ、ゼノスとファダニエルは各々に目的があり、利害が一致して手を組んでいる。だが、目的など持ち合わせていないルクスにしてみれば、惨めではない死に方を考えるのが精一杯であった。
 どうせ世界は滅びるのだとしても、無駄死にはしたくない。どうせなら一矢報いたい。だが、愛する男に手を掛けた者も既にこの世にいないのなら、一体誰に矛先を向ければ良いのか。



「ルクス、貴様の力はその程度ではない筈だが」

 崩壊しつつある帝都の一角にて。精神汚染で正気を失った帝国民を、退屈しのぎとばかりに斬っているゼノスは、自身の背後で心ここに在らずといった様子の部下に声を掛けた。
 ゼノスとて、ルクスがなんらかの理由で強引にファダニエルの手で連行された事は理解している。単なる性欲処理として魔導城に軟禁されているわけがなく、他に利用価値があって、敢えて傍に置いているであろう事も。

「……ゼノス様はなんでもお見通しなのですね」
「今の貴様が、ドマやアラミゴで剣を振るっていたあの頃より腑抜けている事など、誰が見ても一目瞭然だ」

 ゼノスの言う『あの頃』とは、ドマの反乱を制圧した時、そしてラールガーズリーチで光の戦士たちと戦った時の事である。ルクスとしては、当時の自分が軍人として秀でていたとはまるで思わなかったのだが、確かにあの頃は生き残る為に必死で、迷いはなかった。
 そして今と明らかに違うのは、共に肩を並べて戦う仲間がいた事だ。
 苦楽を共にして来た元第XIV軍団の仲間たちは皆アラミゴで命を落とし、幕僚となって己の部下となった軍人たちも、果たして生きているのかも定かではない。精神汚染を逃れる事が出来たのであれば、何処かで生き延びている可能性はあるが、こうして同じ国の人間を容赦なく殺している男の後ろで何も出来ずにいる己が、彼らに会う資格などないだろう。

「ゼノス様、今の私には剣を振るう理由がないのです。例え死ぬとしても、無駄死にはしたくない。ただそれだけしか……」

 力なく呟くルクスに、ゼノスはゆっくりと振り向けば、新たな得物として手に入れた鎌を容赦なく彼女の首筋に向けた。
 ほんの僅かでもずれていれば、今頃ルクスの首から鮮血が噴出していたであろう。
 ルクスを役立たずだと判断すれば、ゼノスは何時でも始末する事が出来る。以前のルクスならば、殺されてなるものかと必死で足掻いたものだが、今の彼女には抵抗する気力すら残っていなかった。
 そんなルクスに、ゼノスは意外な言葉を掛けた。

「剣を振るう理由……貴様の敵もまた、俺と同じではなかったのか?」

 ゼノスの言う通りであった。ガイウス、リウィア、ネロ、リットアティン、そして散っていった第XIV軍団の仲間たち。彼らの仇を討つ為に、敗残兵として処刑されてはならないと、ルクスは第XII軍団で必死で生き延びて来たのだ。
 何故その復讐心が失われたのか。それは、アサヒというひとりの軍人と出会い、彼を愛してしまったからに他ならなかった。

「かの英雄に復讐したところで、私の愛する人が生き返る事はありません」

 ルクスの返答に、ゼノスはその相手がファダニエルが憑依する器の事を言っているのであろうと察した。だが、幕僚に抜擢した際のルクスは、こんなくだらぬ事を宣う女ではなかった。ゼノスはこれが最後の問いとばかりに、得物を握る手に力を込めて訊ねた。

「貴様が真に愛する者は、一人だけではない筈……第XIV軍団の死は、時間が解決したとでも?」

 その言葉に、ルクスはまるで雷に打たれたかのような感覚を覚え、目を見開いてゼノスを見遣った。
 第XIV軍団の死は時間が解決した。それを認めてしまっては、アサヒの死もいずれは時間が解決する事になる。この憤りも、怒りも、嘆きも、すべてがなかった事になってしまう。
 そんな事は、あってはならない。
 険しい顔付きへ変わったルクスを見れば、最早答えを待つのは不要だと判断し、ゼノスは鎌をルクスから放した。

「……漸く目が覚めたようだな」
「ゼノス様、私とした事が、初心を忘れておりました。貴方様の御眼鏡に適ったのも、全ては私が『暁の血盟』への復讐心を抱いているからこそ……」

 ルクスははじめ、何故己が幕僚に抜擢されたのか理解しておらず、仲間たちが上手くやってくれたのだろうと思っていた。無論、第XIV軍団が『超える力』の研究をしていた事が評価されたのもあるのだが、ゼノスが今でもこうして己を試すような態度を取るのは、そういう事なのだろう、という結論に至ったのだ。
 ルクスは何故ヨツユがドマの代理総督に選ばれたのか、結局のところは理解出来ずにいたのだが、まさか皮肉にも己と同じ理由だとは知る由もなかった。



「いやはや、エオルゼアの連中も意外とやるもんですねぇ」

 突然、ルクスとゼノス以外の声が響く。周辺にはゼノスが切り伏せた帝国民の死体しかなく、他にこの地に現れる者といえば、ファダニエルただ一人しかいない。

「あいにくと、結節点の破壊には失敗。今後も地脈の流れはカルテノーに集まり、『杭』へのエーテル供給は相応のモノになるでしょう」

 ルクスはファダニエルが何をしているのか詳しくは分からないものの、恐らくは暁の血盟にしてやられたのであろうと察した。予想外、それも帝国にとって悪い事が起こるのは、大体奴等が関与している事を、ルクスはこれまでの経験でうんざりするほど味わっているのだから。

「残念ですが、その分こちらの出力を上げればいいだけの事。少しばかり『アレ』の見る夢が深くなりますが……問題ありませんよね?」
「……構わん。アレにとっては、むしろ本望だろう」

 二人の会話から、ファダニエルの計画に支障はない事が分かり、ルクスは内心安堵していた。言葉の意味は理解出来なくとも、ゼノスにとって些細な事であれば、自分が気に留める必要はないと判断したのだった。

「では、急いで調達いたしましょう。『神の門』はこうして完成しているのです……あとはエネルギーさえかき集めれば、念願の獲物に手が届く!」

 ファダニエルの言う『神の門』とは何なのか。ルクスはふとゼノスを見遣ると、彼の視線が魔導城へ向いている事に気が付いた。ファダニエルが悪趣味に改造していたあの城が、この世界を滅亡させる為の鍵になるのだろう。ルクスはアシエンの考える事などまるで見当が付かなかったし、きっと己では理解出来ないだろうと思考を放棄していたが、この時ファダニエルがゼノスとは違い、空に浮かぶ月を見ていた事には気付いていなかった。





 自室――と呼ぶべきか否か、城内の宛がわれた部屋に戻ったルクスは、一息吐く暇も与えられなかった。いつの間にかファダニエルが己の背後にいて、拘束するように抱き締められてしまったからだ。

「……何の用ですか?」
「『何の用』!? 酷いです、つい前はあんなに熱く愛し合ったというのに……!」
「つい前……そう、あの時大事な事を聞きそびれていました」

 ルクスは今のところはまだ冷静を保つ事が出来ており、先日の遣り取りも明確に思い出す事が出来る程度には、落ち着きを取り戻していた。過ぎた事をなかった事にするわけではなく、ファダニエルが本当にアサヒの意思を尊重しているのかも定かではないが、彼に逆らったところで自分が損をするだけである。ゼノスとファダニエルが協力関係にある限り。

「ファダニエル。私は何故、ルナバハムートと共にいても、テンパードにならなかったのですか? あれは蛮神なのですよね?」

 そう問うても、明確な答えが得られるとは思ってはいなかったルクスであったが、ファダニエルは彼女を抱き締めながら、予想もしなかった事をあっさりと口にした。

「ああ、あれは『疑似蛮神』ですので、テンパード化は起こりません」
「……は?」

 話が違うと、ルクスは己を拘束する手を強引に解けば、振り返ってファダニエルに掴み掛かった。

「お前!! 騙したな!?」
「えっ? 私、ルクスを騙すような事を言いました?」
「とぼけるな! 『テンパードにならないよう気を付けろ』と言っただろ!」
「……えーっと……ああ、そんな事もありましたっけ……」

 ルクスはしっかりと覚えていた。ルナバハムートに乗せられ、アラミゴの王宮へ連れて行かれた日の事を。
 暁の血盟に宣戦布告したあの時、ファダニエルはルクスにテンパードになる危険性を間違いなく告げていた。
 散々悩んでいたこれまでの時間は何だったのかと、ルクスは怒りのあまり泣きそうになっていたが、ファダニエルは素知らぬ顔で口角を上げてみせた。

「あの時はまだよく分かっていなかったんですよ、私も。やはりクリスタルと人々の祈りをもとに召喚される蛮神と、強制的にエーテルを吸い上げて生み出した紛い物の蛮神では、どうやら勝手が異なるようで……」
「よく分からないなど、嘘を吐くな!」
「嘘だったとして、あなたに何の不利益があるんです?」

 微笑を浮かべるファダニエルにあっさりと返されて、ルクスは何も言えなくなってしまった。その隙に、ファダニエルは自身の胸元を掴むルクスの手首に指を絡ませ、そして力尽くで引き剥がした。

「ルクス、まさかあなた……テンパード化しない自分は『超える力』を持っている、なんて事を思ったんですか?」
「そんな訳がない! 私は魔法の力を持たないガレアン族……そんな異能の力がある訳がない! だから、何故なのかずっと悩んでいたのに……」
「そんな事で?」

 まるで小馬鹿にするように目を細めて笑うファダニエルに、ルクスの怒りは頂点に達し、ファダニエルを殴ろうと右手を振り被った――ものの、その手は空振りに終わり、ルクスは体勢を崩して転びかけてしまった。ファダニエルが突然姿を消した為である。

「クソッ……馬鹿にしやがって……!」

 普段絶対口にしないようなルクスの言葉遣いに、どこからともなく笑みが零れる。

「そんな口の利き方をしたら、愛するアサヒ様に嫌われてしまいますよ……?」
「ファダニエル! 何処だ、姿を現せ!」

 寧ろ目の前から居なくなってくれた方が精神的に落ち着くというのに、この時のルクスは感情的になって、ついそう口走ってしまった。

「はい、ここに」

 ルクスの言葉に応じるように、ファダニエルは再び彼女の背後に現れれば、その背中を押し、そして腕を掴んで強引に部屋に備え付けられているベッドに押し倒した。

「ファダニエル、何を……」
「お仕置きです。暴言を吐いた罰、そして私のいない隙にゼノス殿下と逢引した罰です」
「逢引など……! 私はただ、ゼノス様の命で付き添いを……」

 ゼノスが新しい得物の切れ味を試したいと、突然ルクスを誘って魔導城を出て、帝都の街に繰り出したのが事の顛末であった。尤も、帝都は精神汚染を受けた民衆しか居らず、ゼノスは躊躇いもなくかつて人だったものを斬り伏せていた。それをルクスは複雑な心境で見ていた――ただそれだけの話である。

「ルクス、あなた気付いてませんよね? ゼノス殿下と逢引してから、随分と嬉しそうな顔をしています。ああっ、想像するだけで胸の奥が焼けるように熱い……!」
「落ち着いてください。何も起こっていません」

 ファダニエルに圧し掛かられ、ルクスは若干呆れてしまったが、彼がアサヒの意思を共有しているというのなら、敬愛するゼノスが己に気を掛ける事に嫉妬するのはなんとなく分かる気もしていた。ファダニエルの言う事をすべて信用するわけではないが、その言い分に納得できる部分もあるだけに、アサヒの意思ならば拒否出来ないと思ってしまうのも事実であった。

「ゼノス様はただ、腑抜けた私に喝を入れてくださっただけです。『暁の血盟』に復讐するという、初めて出会った時の事を忘れるな、と……」

 ルクスは正直に告げると、ファダニエルは上体を起こし、苦虫を噛み潰したような表情で彼女を見下ろした。

「ファダニエル、どうかしましたか?」
「いえ。殿下に先を越されたのが癪なだけです」
「……アサヒ様なら、そんな風には思わないのでは?」

 ルクスの鋭い指摘に、ファダニエルは誤魔化すように口角を上げた。本当にアサヒの意思を尊重しているのか、判断するのは早過ぎたとルクスは後悔し、安易に身体を委ねた事を情けないと思ってしまったが、ファダニエルはそれを掻き消すように、彼女の手と自身の手を絡ませる。

「ルクス。殿下への愛とあなたへの愛は別ですよ。例え敬愛するゼノス様でも、愛するあなたを奪われたとなれば腸が煮えくり返ります」
「……アサヒ様は本当にそう思われているのですか?」
「ええ。今この瞬間も憤りを感じています」

 嘘か真か問うたところで、真実が分かる訳ではないのだが、ルクスはそれ以上追及するのは止めにした。もう抵抗の意思がない事を察したファダニエルは、ルクスの首筋に口づけをしながら言葉を紡ぐ。

「ですが、あなたが『暁の血盟』への怒りを思い出したのならば結構。あのフォルドラとかいう女を庇った時は、私もつい感情的になってしまいましたが……」

 ルクスはあの時咄嗟にフォルドラを庇い、そして記憶を失い――目が覚めた時にはこの魔導城の一室に横たわっていた。果たして、ファダニエルが己を見殺しにしなかった事を幸いだと思うべきなのだろうか。
 その後はフォルドラが暁の血盟と共に行動している現実に打ちひしがれていたが、冷静になった今となっては、もう彼女が帝国に戻る事はないと諦めるべきだと理解しつつあった。

「フォルドラは……彼女と一緒にいた男は、アレンヴァルド・レンティヌス――暁の血盟の一員です。最早暁に協力している事は、疑いの余地もない……」
「ええ、ええ。彼女もまたあなたの敵……ルクス、あなたはゼノス様と、そしてこの『俺』と共に在れば良いのです」

 過去に戻る事が出来ないのならば、現実を受け容れて、未来へ進むしかない。アシエンが創り出したこのガレマール帝国という国を終わらせるのなら、例えゼノスとファダニエルを裏切ったとしても、己に生きる道はない。エオルゼアに混沌をもたらした凶悪犯として処刑されるのは、目に見えて分かっている。

「それがアサヒ様の望みならば……ファダニエル、私はあなたに従います」

 果たしてそれはゼノスへの忠義の為なのか、単なる自己保身の為なのか、それとも、偽りの愛に溺れているだけの、哀れな行為に過ぎないのか。彼らと共に在る事が、ファダニエルによって人としての生を奪われた帝国の民衆への裏切りだとしても、最早ルクスに逃げる選択肢は存在しなかった。
 ルクスはゼノスの言葉で悟ったのだった。ゼノスとファダニエルの目的の為、命を賭して暁の血盟と戦い、そして散る事が、己が果たすべき使命なのだと。

2023/08/20
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