兄弟よ、涙は熱く燃えて



 ルクスは一先ず代理総督ヨツユと一時的に協力関係を結び、彼女が置かれている状況を把握した。帝国軍からはドマの王たり得る者の身柄を確保するよう命じられており、先日、ヒエンの家臣ゴウセツを捕らえたものの、海賊衆の襲撃に遭い逃げられてしまったのだという。

「せめて、我々がもう少し早くドマに来ていれば……」

 まさかここまで窮地に陥っているとは思わず、ドマ城の玉座の間でヨツユから事情を聞いたルクスは肩を落とした。ルクスとて、ゼノスが決して気まぐれで己に代理総督を始末するよう命じたわけではなく、それなりの事情があるとは思っていたが、まさか本当にここまで状況が悪いとは想定外であり、溜息を吐かずにはいられなかった。

「ヨツユ殿。その海賊衆とやらの討伐を、我々に任せては頂けませんか?」
「血気盛んな娘だねぇ……そう簡単に済む話じゃないのさ。軍の御偉方は『ヒエン様』の身柄が欲しいのさ」

 ヨツユはそう言って煙管を燻らせ、煙はルクスの鼻腔まで辿り着く。ルクスは苦手な臭いに思わず眉を顰めさせたが、軽く咳払いして気持ちを切り替え、ヨツユの意図を察した。

「つまり、何処かで身を潜めているであろうヒエンを引き摺り出す為に、海賊衆は敢えて泳がせる……と?」
「そういう事さ。ゴウセツを逃した失態をチャラに出来る『物』は用意したけれど、二度と失敗は許されない……」

 明確に弱音を吐くわけではないものの、眉を顰めるヨツユの表情からは焦りと憤りが感じ取れて、ルクスはどうにかならないものかと首を傾げた。ドマ国主の子息ヒエンは、属州でなければ父亡き後に国主となる存在である。カイエンを仕留められたのはゼノスの力あってこそだとルクスは捉えており、ゆえにヨツユが置かれている状況が不可解であった。これではまるで、軍が無理難題を吹っ掛けて失脚を待ち望んでいるかのような――。

 刹那、ルクスが携えている通信機が鳴り、巡らせていた思考は強制的に終了された。相手が誰か確認する必要は最早なかった。

『俺だ』
「ゼ、ゼノス様!?」

 たった一言だけで、ルクスは己に連絡を取って来たのが上官、そして軍団長だと瞬時に分かり、人目も憚らず声を上げてしまった。ルクスの声に、ヨツユをはじめとするその場にいる全員が身体を強張らせる。

『気が乗らぬが……急遽そちらへ視察に向かう事となった』
「ゼノス様直々に? 何故でしょう、こちらとしては助かりますが……」
『皇帝陛下の命令だ。それより、助かるとはどういう意味だ?』
「それが、思っていた以上に『まずい』事になっていまして――」

 ルクスがうっかり口を滑らせた瞬間。
 乾いた音がドマ城の玉座に響いた。
 ルクスは何が起こったのか理解出来なかったが、手に持っていた通信機が床へ落ち、頬がじわじわと痛みはじめて、漸く己はヨツユに叩かれたのだと気付いた。
 ヨツユは顔色ひとつ変えず、ゆっくりと通信機を拾い上げ、ゼノスに向かって呟いた。

「ゼノス様、御心配には及ばず――」
『……その声、ヨツユか? 俺はルクスと話している』
「も、申し訳ございません……!」
『まあ良い。詳細は後で聞かせて貰おう』

 ゼノスの声はそこで途絶えた。静まり返る中、ルクスは恐る恐るヨツユの手から通信機をひょいと取り上げた。
 そして、相手が気に障るであろう事を覚悟して進言した。

「ヨツユ殿。今は失態を隠すよりも、正直に現状を伝えて、正式に援軍を要請するべきです」
「……あんた、やっぱり代理総督の座を乗っ取りに来たんだね?」
「へ?」

 まるで会話が噛み合わず、ルクスは呆けた声を零してしまったが、ヨツユは至って真剣であった。一時的に協力関係を結ぶとは言ったものの、ヨツユにしてみればルクスの事を信用出来るわけがなかった。ゼノスは己に代理総督を任せたというのに、わざわざ自身の子飼いである幕僚の女を寄越し、挙句の果てにその女の口から己の失態を公言させるなど、最早挑発行為に他ならないと思っていた。
 こんな女を寄越した時点で、ゼノスはまるで、己とこの女、どちらが代理総督に相応しいか争えとでも言っているようではないか――思い込みに過ぎないが、そう思わざるを得ないほど、ヨツユは精神的に追い詰められていた。

「本当は今すぐにでもドマから追い出したい位だが、ゼノス様はあんたを可愛がっているようだからねぇ……仕方ない、今だけは滞在を許可してやろう」
「あのう、ヨツユ殿……」
「あんたに発言権はないよ。代理総督はこのあたしだ」

 冷たく言い放つヨツユに、ルクスはそれ以上何も言えなくなってしまい、仕方なく玉座の間を後にした。ルクスにしてみれば、ヨツユの言動は自滅行為にしか思えなかった。海賊衆の襲撃であっさりと捕虜を奪われている現状は、どう考えても戦力不足である。失敗が許されないのなら、援軍を要請するのが筋だ。ヒエンをおびき寄せて捕えるのなら秘密裏にそうするべきだと、ルクスは信じて疑わなかった。帝国軍がこのドマという属州を本当はどうしたいのか、そこまでは想像が追い付いていなかったからだ。



 ゼノスが到着するまでの間、ルクスは可能な限りヤンサの集落を回った。己は帝国軍人だがヨツユの仲間ではない事、圧政を止めたい事を説明し、住民を懐柔してより多くの情報を得ようとしたが、彼らの口は固かった。分かった事は、ヒエンの臣下、ゴウセツを見つけ次第捕らえ、帝国軍に差し出せという命令が出されている事であった。
 そして、これはルクスがヨツユの部下のひとりから聞いた話であったが、今後二度と反乱を起こさないよう見せしめとして、民衆を徴兵しているのだという。
 強引に徴兵したところで、帝国に忠誠を誓うわけがないというのに、一体今の軍はどうなっているのかとルクスは溜息を吐いたが、それほど先日の大反乱は帝国としても大打撃だったという事だ。アラミゴも情勢が不安定であり、圧政を行わなければならない状況なのだと、ルクスは徐々に理解し始めていた。

「それでも……属州であろうと同じ帝国人です。それを踏まえれば徴兵は理に適っていますが、訓練もしていない民が戦力になると思えますか? この現状はあってはならない事です」
「ルクス殿、それ以上は……」

 ぽつりと愚痴を漏らしたルクスに、部下はそれ以上の発言は反逆罪になりかねないと制止した。だが、やはりルクスにとってはガイウスの教えが忘れられず、例え帝国の方針が圧政であったとしても、どうしても納得出来ずにいた。

「なに、奴等も反乱を起こさず大人しくしていれば、いずれルクス殿の思い描く属州になるでしょう」

 部下の言葉にルクスは頷いたが、果たしてそれは何年後、何十年後の話になるのかと思うと、憂いの表情を浮かべずにはいられなかった。

 ゼノスを乗せた飛空戦艦がドマ城に到着したのは、ルクス宛に連絡があってから僅か数日後の事であった。





「ではゼノス殿下、こちらへ……。最寄りの村までご案内いたします」

 ヨツユの失態は、コウジン族から奪った『妖刀』をゼノスに捧げた事で、一先ず処罰は逃れられる事となった。ゼノスがわざわざアラミゴを留守にしてまでドマに来た理由は、皇帝陛下の命で間違いないらしく、本当に単なる視察で終わるようであった。ルクスは居心地の悪さを感じつつも、どこかのタイミングでゼノスにドマへの長期滞在と援軍要請を願い出るつもりでいた。

「この静けさ……いかにも墓場だ……もはや狩るべき獲物もなく、枯れ果てて……陛下の命でもなければ、視察などせぬものを……」
「ハッ……! ご、ご足労いただき、申し訳ございませんッ!」

 ゼノスを筆頭に、ヨツユと彼女の部下たち、そしてルクスも、緩慢な足取りで夜のヤンサの地を歩いていく。仮に今が日中であっても、ゼノスが抱いた感想に変わりはないだろう。それだけ民は疲弊し、帝国軍に怯えているのだから。

 そんな中、ふと、ゼノスの足が止まる。

「先の戦で、あれほど腸を千切ってやったのだ。憎悪なり、恐怖なり、獣ごときでも覚えよう……」

 まるで独り言のように紡がれた言葉に、ルクスは即座に神経を集中させた。
 これは決して意味のない発言ではない。先の戦――ドマで起こった大反乱。恐らく今この瞬間、反乱軍がゼノスの命を狙っている。そう察するのは容易かった。

「それで化物にでも変じていれば面白味もあるが、さて……。必死に息を殺している者を暴くだけの狩りは、到底、楽しみとは呼べぬからな……」

 再び歩を進めるゼノスの後ろを、ルクスも追い掛けるように付いていく。
 うっすらとだが、ルクスも敵の気配は感じていた。ガレアン族の空間把握能力を以てしても捉えにくいという事は、暗殺に長けた者であろう。この東方では『忍びの者』なる存在がいるという話である。やはり反乱軍が今か今かと待ち構えていたのだ。ルクスは戦闘に備えて、腰に構えるガンブレードに静かに触れた。

 瞬間、ルクスたちの後ろでヨツユの部下たちが何人も地に伏していき、そして――。

「敵襲!!」

 ルクスが叫ぶと同時に、ゼノスに襲い掛かった敵の刃が金属音を立てて、ゼノスの刀とぶつかり合った。だが、相手はあっさりとゼノスに押され、いとも簡単に弾かれる。

「忍びの者かい……! チッ、木偶の坊も連れてくるんだったか」

 ルクスは動揺するヨツユの前に立ち、彼女を守るようにガンブレードを構えた。敵を仕留めるのはゼノスに任せ、自身は代理総督を守る事に専念しようと決めたのだ。ヨツユの反感を買ってしまったものの、己に敵意はないのだと、実際にこの場で見せる事が大事だと思ったからだ。

「お前も、軽いな……。憎悪を溜めても、この程度か……」
「まだまだ……ッ! カイエン様の仇、ドマの怨讐は、この程度ではないッ!」

 ゼノスと忍びの女が対峙する中、更に駆け付ける足音が聞こえ、ルクスは音のした方へ顔を向けた瞬間、目を疑った。
 あの忌まわしき英雄が、忍びの女の元に駆け付けたのだ。

「あいつ……ッ!!」

 ルクスはガンブレードを持つ手に力を込めたが、背後からヨツユに窘められる。

「あれはあんた一人で勝てる相手かい!?」
「くっ……」

 ヨツユとしては、単に己の盾に居なくなられると困るからこそ咄嗟に出た発言なのだが、この時だけはヨツユとルクスの間に間違いなく協力関係が生まれていた。
 ゼノスはその身ひとつで、忍びの女とエオルゼアの英雄ふたりに対し刀を振るっていたが、目の前の英雄がルクスの仇だとはまだ気付いていなかった。

 そして、戦場の空気が一気に淀む。
 ゼノスが今まで使っていた刀を捨て、妖刀を手に取ったのだ。
 何が起こっているのか分からないものの、ルクスは本能でこれは己たちも巻き添えを喰らうと判断した。

「ヨツユ殿、こちらへ!」

 ルクスはヨツユの手を取って全速力で走り、出来る限りゼノスから距離を取った。そして振り返って彼女を庇うように前に立ち、両腕で顔を覆って身構えた。
 刹那、凄まじい衝撃が立て続けにルクスたちを襲う。距離を取ったお陰でその場で耐え切る事が出来たが、果たして直撃を喰らったであろうエオルゼアの英雄は、到底無事では済まない筈だ。
 その筈だったのだが。

 地に伏せる忍びの女の傍で、エオルゼアの英雄は、片膝を付いて持ち堪えていた。

「そうか、思い出した……。貴様、アラミゴでまみえた、蛮族どもの英雄か……」

 漸く、ゼノスは未だ倒れず己へ刃を向ける者が、ルクスが言っていたエオルゼアの英雄だと察した。そして――。

「日出ずる地にて生まれし 紅き輝き 烈火となりて――日沈む地にて生まれし 蒼き輝きを喰らわん――」

 ゼノスが妖刀を振り被った瞬間。
 何処からか、ごく小さな刃が妖刀に向かって飛んでいき、弾かれた。
 その刃は、今にも倒れそうなエオルゼアの英雄が投げたものであった。

「……ハ。なるほど、生かしたのも無意味ではなかったと」

 ゼノスは仮面を外し、エオルゼアの英雄の前でその素顔を晒せば、一方的に言い放った。

「よいぞ、ならば俺のため、万策を尽くし、この窮地から生きながらえてみろ。この血を沸し、この血を躍らせるため、生きるのだ。もろくたやすい、倦怠極まる世界において、俺もまた、それを狩る悦楽にのみ生きよう……!」

 ルクスはまたとどめを刺さないのかと、内心苛立ちを露わにしたが、ゼノスへ訴えるよりも先に邪魔が入った。
 隠れていた民衆たちが駆け付け、エオルゼアの英雄に加勢して矢を投げて来たのだ。

「まずい、ここで反撃しては……」

 相手は明らかに反乱軍ではない、単に武装しただけの力なき民である。ルクスが混乱する中、更に暁の血盟と思わしき者たちも駆け付け、次の瞬間、周囲は一気に煙に包まれた。
 目と喉に煙が入り、咽るルクスの後ろで、ヨツユは苛立ちを露わにしながら、未だ戦える部下たちへ叫んだ。

「こんな煙幕ごとき……ッ! 誰でもいい、すぐに奴らを追いな!」

 だが、当のゼノスは暁の血盟――否、エオルゼアの英雄を追うつもりはなく、ただその場に佇んでいた。何を考えているのか分からない様子に、ヨツユだけでなく、ルクスもある種の恐怖を覚えたのだった。





「ほう……そこまでの状態とは……。さすがは、蛮神『バハムート』を捕えし者だ……」

 翌日。ドマ城へ帰還し一夜を明け、ルクスはヨツユとともに玉座の間でゼノスの様子を窺っていた。

「すぐに飛空戦艦の準備を。責務は果たしたのだ、陛下もとやかく言うまい……。アラミゴに帰還し、捕えた獲物を見物するとしよう」

 アラミゴに駐在する軍人と話す内容から、どうやら本当にドマを離れてしまうようだ。ルクスはヨツユから、ゼノスが去ったらお前も出て行けと言われているだけに、結局何も出来なかったと肩を落とした。ゼノスの命令を忘れたわけではないが、万が一何かを言われたら、ヨツユを始末するのは時期尚早だとルクスは答えるつもりでいた。尤も、何の恨みもない、帝国に従順な『属州出身の帝国人』に手を掛けるのは、ルクスの信念に反している。

「……して、ルクス。貴様はこの地で何をするつもりだ?」
「はっ! ドマに『暁の血盟』が潜伏している事が確実である以上、本国から援軍を――」
「ならぬ」

 ゼノスにきっぱりと拒否され、ルクスは覚悟してはいたものの、がくりと肩を落とした。
 だが、ゼノスの追及は終わらなかった。

「貴様の口振りでは、現代理総督ではドマを守れない――という事だな?」
「いえ! そのような事は……」
「海賊衆如きに捕虜を奪われる醜態を知ったからこそ、増援だなんだと訴えているのではないか」
「それは……仰る通りですが……」

 この時のルクスには、ゼノスに納得して貰える言葉が思い付かなかった。ゆえに、ヨツユの逆鱗に触れるのは当然の流れであった。
 ヨツユはルクスを睨み付けたが、瞬間、ゼノスはヨツユの長い黒髪を乱暴に掴んだ。
 さすがにヨツユの部下たちや、そしてルクスたちも生きた心地がしなかった。誰もが恐る恐る、息を止めてゼノスを見つめる。

「単なる情報筋でしかなかった貴様の願いを聞き入れ、代理総督の座につけてやったのは、なぜか……。ほかの属州への見せしめとして、ドマをいたぶり続けろと、命じられたからだ……その退屈な命令には、貴様のちっぽけな怨念こそふさわしい」

 その言葉をルクスは瞬時に理解できず、とにかくヨツユが殺されてはならないと、勇気を振り絞ってゼノスの傍に駆け寄り、腕を掴んで止めようとした。だが、ゼノスはルクスの存在など気付いていないかのように言葉を続ける。

「己の役目を、ひたすらに果たし続けよ。もし、この地の主導権を反乱軍に渡すようなことがあれば、二度はこの顔を拝めぬぞ……」

 あまりにも無謀である。まるでヨツユに死ねと言っているようなものではないか。ルクスは何度もゼノスに声を掛けるも、まるで届いていなかった。

「疾く、遂げよ……。できぬのならば、ドマもろとも散れ」

 ゼノスはそう言って、漸くヨツユから手を放した。床に倒れ込むヨツユを、部下たちが介抱する。
 果たしてこの状況で、ドマに滞在してヨツユに協力したいと申し出るのは正解なのか。ルクス自身は良くても、問題は己の部下たちである。協力関係を結べそうにない、勝ち目のない戦地に部下を駐在させる事は、上官として正しいのか。
 だが、ルクスの苦悩はゼノスの一言で一蹴された。

「ルクス、貴様はアラミゴに戻れ」
「はっ! ……は? あの、よろしいのですか?」
「気が変わった。蛮族どもの英雄は、俺の獲物とさせて貰おう……」
「そうですか……って、それなら尚更ゼノス様はドマに滞在するべきでは?」
「……ならぬ。狩るにはまだ早熟過ぎる」

 ルクスはあまり考えたくなかったが、このゼノスの言い分では、まるでヨツユがエオルゼアの英雄に負ける事を望んでいるように感じてしまった。いくらなんでもこのままヨツユを置いてアラミゴに戻るのは気が引ける――ルクスはついそう思ってしまった。その甘さが、この後の運命を大きく狂わせる事になるとも知らず。



 ゼノスが先に玉座の間を去り、この場にはヨツユとルクス、そして彼女たちの部下が残された。

「ヨツユ殿。援軍を派遣できるよう、私のほうでも裏で動き――」

 例え相手に受け容れられなくても、出来る事はする。ルクスはそう思ったのだが、ヨツユはもう端からルクスを信じていなかった。
 ヨツユはルクスの目の前まで歩み寄れば、彼女の顎を掴んで、見下すような笑みを浮かべてみせた。

「あんたが裏でコソコソ嗅ぎまわっている間、あたしもあんたの事を探らせて貰ったよ」

 ルクスは別に疚しい事などないと思っていた為、堂々たる態度でヨツユを見つめていた。『役立たずなら始末せよ』という命令も、どうせヨツユなら分かり切っているのだろう。己はその命令に従わなかったのだから、何を言われても動揺する事はない。そう思い込んでいた。

「ルクス。あんた、アサヒの女?」

 その質問の意図が理解出来ず、ルクスは呆然としてしまった。「いいえ」と即座に答えれば良い話なのだが、そもそも何故そんな質問をぶつけられるかが分からず、困惑してしまったのだ。
 ヨツユは、それを『肯定』と解釈した。

「ふうん。それで、ふたりであたしを貶めようとしたのかい?」
「え? あ、あの……」
「しらばっくれようったって無駄さ。あんたの部下が吐いてくれたからね」
「そ、そんな! 誤解です!」

 一体誰がそんな根も葉もない事を言ったのか。いや、今は犯人探しではなく、ヨツユの誤解を解かなくては。この姉弟がどんな関係なのかは知らないが、ルクスはともかくアサヒの名誉に関わる事だ。ただでさえ属州出身というだけで偏見の目で見られているのだ。万が一既に心に決めた相手がいるとしたら、こんな噂は早く払拭しなければならない。
 そう思い、ルクスが弁解しようとした瞬間。

「あたしの可愛い弟にどれだけ抱かれてるのか知らないけれど……代理総督の座は絶対に渡さない。あんたにも、アサヒにも」

 勝手に噂をでっち上げられた挙句、身体の関係まであると決め付けられ、ルクスは一気に血が上った。
 己も、そしてアラミゴで戦うフォルドラも、女というだけで身体を使ってのし上がったと罵られている。今もフォルドラはどれだけ辛い思いをしているだろうか。ルクスは言いがかりだと分かっていつつも、悔しさで怒りを露わにした。
 だが、ここで挑発に乗ったら相手の思う壺だ。ヨツユは己の手助けを断り、自暴自棄になってこんな下世話な事を言っているのだから。

 私はお前とは違う。
 この時、ルクスは無意識に、ヨツユへ軽蔑の眼差しを向けていた。

「……その目……あんたも……あいつも同じ……」

 相手の挑発には乗らない。そう思っていたものの、ルクスは完全に頭に血が上っていて、ヨツユが己に危害を食わせる可能性が脳内から抜けていた。
 ヨツユが放った独り言を耳にしたのを最後に、ルクスの意識は、鈍器で頭を殴打されると同時に失われた。

「そうやって……あんたたちは、いつもあたしをそういう目で……」

 己の手から放れ、頭から血を流して床に倒れるルクスを見遣りながら、ヨツユは恐ろしいほどの淀んだ瞳で、誰に語るでもなく静かにひとり呟いたのだった。

2022/11/05
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