萎める花



 今のアサヒは決してルクスの事を過小評価してはおらず、彼女がドマへ派遣された事も全く危険視していなかった。いっそ義姉と対立し、ルクスが現場の権限を奪ってくれたほうがまだマシだと思っていた。皇帝陛下の命令でゼノスがドマの視察に向かった事は、直属の部下であるルクスにとっては有利に働くだろうと思っていて、それは間違いではなかったのだが、まさかこんな予想もしない事態が起こるなど、アサヒは全く頭になかった。
 幕僚の座にいる軍人が、代理総督ヨツユから一方的に暴力を受け、意識を失い生死の境を彷徨うなど、誰も予想出来ないのは無理もない話であった。



 ルクスは現在ドマを離れ、帝都で療養していると聞いたアサヒは、迷わず彼女の元へ向かう事を決めた。決して心配しているわけではなく、寧ろゼノスに直々に幕僚に選ばれた者がそんな体たらくで良いのかと腹立たしいほどであったが、加害者が己の義姉となれば、最低限の謝罪は必要だと判断したのだった。己がヨツユの義弟だと知る者が軍の中にもいるだけに、云わば保身の為といったところである。

 見舞いの花束を携えて、病室の扉を開けたアサヒの目に飛び込んで来たのは、ベッドに横たわりしおらしくしているルクスの姿であった。しおらしく、というのは完全に主観であるが、今のルクスは頭を包帯で巻かれて片目が隠れていて、安静にせざるを得ない状態なのだと察するのは容易かった。

「ルクス殿、その……身体は大丈夫ですか?」

 アサヒが声を掛けて、漸くルクスは来訪者の存在に気付いたらしく、目線だけ向けて両手を左右に大きく振った。「来ないで」とでも言いたいのかとアサヒは苦笑し、病室内を見回して花瓶をひとつ取れば、持参した花束を適当に生けて、ルクスの傍までゆっくりと歩を進めた。

「私の顔なんて見たくもないとは思いますが……姉と違って危害は加えませんので、どうかご安心を」

 ベッドのすぐ近くにある棚に花瓶を置いて、ルクスが見やすいように華やかな花を手前に持って来て適当に調整しながら、アサヒは言葉を続けた。

「まさか、あなたがこんな目に遭うなんて……迂闊でした。こうなると分かっていれば意地でも止めるか、私も強引にでも同行したのですが」

 手を止め、アサヒが振り返ると、ルクスは己のほうへと顔を向け、片目にはうっすらと涙が浮かんでいた。己に会いたくないわけではなかったのかとアサヒは少しだけ安堵しつつ、近くに置いてあった椅子を引き寄せて腰掛け、ルクスと目を合わせた。そして、静かに頭を下げた。

「本当に申し訳ありません」
「……どうして、アサヒ殿が謝られるのですか?」
「あ、喋れたんですね」

 てっきり傷が酷く話すのも辛い状態だとアサヒは思っていたのだが、普通に言葉を紡ぐルクスに、顔を上げつい不躾な態度を取ってしまった。だが、ルクスはそんな些細な事は気にしていなかった。

「私の部下や……誰かに謝るよう言われたのですか?」
「ああ、そう思われてたんですか。大丈夫です、私自身の意志ですから。どちらかというと、保身の為、ですけど」
「保身……?」
「あんな義姉を持って、何の影響もないと思いますか?」

 アサヒはつい本音を零してしまい、ここまで言う必要はなかったかと少しばかり後悔したが、そもそも義姉が彼女に危害を加えた事は紛れもない事実であった。ならば、義姉を悪く言ったところでルクスが不快になる事はないと判断した。
 今回の経緯は、ヨツユ側が全面的に悪いとルクスの部下たちが証言していた。更にルクスは代理総督に一切手は出しておらず、義姉に非がある事は、例え相手側が何を言おうと覆らない事実であった。ルクスがドマで応急処置を受け、ゼノスがアラミゴに経って間もなくルクスたちも帝都へ舞い戻った事も、事実関係を調べればすぐに分かる事であった。
 そう、確実に悪いのはあの義姉なのだから、ルクスへ形だけでも謝罪をする事、そしてルクスは悪くないとはっきり告げる事は己の仕事だと、アサヒは客観的に捉えていた。

「……やっぱり、アサヒ殿もヨツユ殿に良い感情は抱いてなかったのですね」
「ええ、その名前を聞く事すら不快な程度には」
「はあ……馬鹿だな、私、良い人ぶって、歩み寄ろうとして、結局見透かされて……」

 ルクスは顔の向きを変えて、病室の天井を見上げながら、心ここに在らずといった様子でぼんやりと呟いた。
 歩み寄る、とは一体どういう事か。アサヒは怪訝に思い、それとなく探りを入れた。

「本当は何があったんですか? あなたが代理総督の座を乗っ取ろうと、あの女が勝手に勘違いして発狂したと伺いましたが」
「……私の部下ですね、そんな事を言ったのは」

 ルクスは溜息を吐けば、おぼろげになった記憶を整理しながら、どこまで正直に話せば良いかと悩み、病室内に静寂が訪れた。

「……言いにくい事でもあったんですか?」

 アサヒのごく普通の問いに、ルクスはどう答えれば良いものかと悩みつつ、ここは正直に打ち明けようと覚悟を決め、再びアサヒに顔を向けた。

「私とアサヒ殿が恋仲だという噂が、一部で広まっているみたいです」
「…………は?」

 いきなり突拍子もない事を言われ、アサヒは絶句したのち呆けた声を漏らしたが、ルクスは至って真面目であった。

「少し話しただけなのに、何なんでしょうね。もしかしたら今こうして来て頂いた事も、変な見方をされるかも知れません」
「いや、あの、話がよく見えないのですが……」

 一体何の話をしていたのか、アサヒは一瞬混乱したが、ルクスも何も無意味に突然こんな話をしたわけではない筈だと、思考を巡らせた。果たして何の話だったか――そう、実際は義姉と何があったのか、という問いを投げ掛けたのだ。その回答が『これ』はさすがに話が飛び過ぎとは思ったが、その前にアサヒは「ルクスにとって言いにくい話」かも知れないと仮定していた。それが事実だとすると――アサヒはまさか、と思いつつも、恐る恐るルクスに問い掛けた。

「まさか、義姉はその根も葉もない噂を信じて、私とあなたが代理総督の座を奪おうとしていると思ったとでも……?」
「えっ、よく分かりましたね」
「分かりますよ。そんな馬鹿な話信じたくもないですが、事実あなたがこうして重傷を負うという、有り得ない事態が起こっているわけですし」

 アサヒは盛大な溜息を吐いて、頼むから誰かあの義姉を殺してくれと物騒な事を願ってしまった。幕僚がこんな事態に陥るなど、一体何をしていたのかと最初は憤りすら覚えていたが、勝手な噂を流され勝手に発狂されたとなれば、ルクスもわけがわからず混乱して無防備になってしまったのも、なんとなく察する事が出来た。どちらにしても油断し過ぎだという気持ちに変わりはないのだが。

「事情は分かりました。ひとまず、義弟としてあなたに謝罪を――」
「あの! 謝らないで――っ……」
「どうしました?」

 アサヒが再び頭を下げるのを止めようと、ルクスは無理に上体を起こしたものの、眉間に皺を寄せて言葉に詰まってしまった。アサヒはルクスの顔を覗き込んで訊ねたが、殴打された頭が痛んだのだと、その表情を見れば明らかであった。

「ごめんなさい、折角来て頂いたのに……」
「謝らないで欲しいのはこちらのほうですよ。万全な状態で戦場に復帰する為にも、今はしっかり休んでくださいね」
「はい、そうします。打ちどころが悪かったら死んでいたか、こうして雑談なんて出来ない状態になっていたとお医者様に言われました。帝国の医療の力でちゃんと元の状態に戻れそうです」
「そうですか、本当に良かったです」

 アサヒはそう言った瞬間、意外にも自分がそれなりにルクスの事を心配していた事に気付いた。保身の為に彼女の元を訪れたものの、時間が経てばいずれ戦場に復帰出来ると分かった瞬間、純粋に安堵していた。
 ただ、今は無理出来ない状態であれば、もう話は切り上げた方が良さそうだと、アサヒはゆっくりと立ち上がった。

「では、また来ますね」
「あ、あの……!」

 ルクスは咄嗟にアサヒの手を掴んだ。勝手に恋仲だと噂されているのなら、これ以上長居しない方が良いのでは、とアサヒは思ったが、次の瞬間、そんなろくでもない噂などどうでも良くなるほど驚愕した。

「アサヒ殿。……ドマは、間もなく敵の手に落ちます」
「……え?」

 さすがにただ事ではないと、アサヒは再び椅子に腰掛けて、ルクスの手を握り返した。

「……詳しく聞かせて頂けますか?」

 ルクスは頷き、漸く鮮明に思い出せた記憶を、少しずつ紡ぎ始めた。

「こんな目に遭ってもドマに行って良かったと思える程、事態は深刻です。ヨツユ殿の軍団は、海賊衆の襲撃で捕虜を逃しています。更には『暁の血盟』も現在ドマに潜んでいて、現地のドマ人と協力体制にあるようなのです……」
「……あの、ゼノス様も視察に来られたんですよね?」

 アサヒの問いに、ルクスは神妙な面持ちで頷いた。

「ヨツユ殿の軍団が海賊衆ごときに遅れをとっている時点で、『暁の血盟』に介入されれば、最悪の事態が起こる事は想定内です。私は援軍を要請するべきだと訴えましたが、ヨツユ殿は拒否され、ゼノス様も私にアラミゴに戻るよう命令を……」

 ルクスとてれっきとした幕僚なのだと、アサヒは改めて実感した。そして、現状を冷静に把握し、周囲に助けを求める判断を即座に下す行為が、義姉には屈辱で許せなかったのだろう。そういった積み重ねがあって、己とルクスが代理総督の座を狙っているといった被害妄想に陥ったのか。哀れな義姉だ、とアサヒは心の中で嘲笑したが、ゼノスの判断が不思議であった。決して異を唱えるのではなく、単純に憧れの男の行動原理を知りたい、ただそれだけである。

「ゼノス様にも当然お考えがあっての事でしょうが……ドマを蛮族に奪われても良い、という事なのでしょうか?」
「はい、アサヒ殿の推察通りです。ゼノス様はアラミゴで『エオルゼアの英雄』と決着を付けるおつもりです」
「エオルゼアの……英雄……」
「我々第XIV軍団を皆殺しにした蛮族の英雄です……! ゼノス様は小物だと相手にしていなかったのですが、ドマで対峙し、考えが変わったようで」

 ルクスは溜息を吐いて、納得いかないという素振りで目を背けた。

「個人的には、ゼノス様にはドマで奴等を仕留めて頂きたかったのですが……ヨツユ殿の軍団に勝てないようであれば獲物として興味なし、という事なのでしょう。逆に奴らがドマを陥落させ、アラミゴに進軍するのを待ち構えているようです」

 説明しながら、ルクスは正直ゼノスには付いていけない、と内心思ってしまったが、相手が皇太子である以上、進言はまだしも否定する事は出来ない。だが、アサヒはそうは思っていなかった。

「さすがです、ゼノス様……!」
「は?」
「我々凡人には分かり得ない、強者たる価値観をお持ちとは……ルクス殿、教えてくださり本当に有り難うございます!」
「は、はあ……」

 己の手を握るアサヒの手の力が強くなり、ルクスは失笑してしまったが、まあ、アサヒが満足したならそれで良い、と思う事にした。此度の出来事は、ヨツユの義弟というだけで、アサヒが周囲から酷い事を言われ、胸を痛めているかも知れないと思ったからだ。
 きっと考え過ぎだ。ただ、もしアサヒが傷付くような事が起こっていて、本人が己の前ではそれを隠しているのだとしたら。
 そう思うだけで、ルクスは胸が締め付けられそうになった。そんな心境が顔に出ていたのか、アサヒはそれを痛みを耐えているのだと判断し、今度こそ病室を後にしたのだった。





「――貴様、ルクス様に変な事はしていないだろうな?」

 病室を出るや否や、監視していたのか、ルクスの部下らしき兵士が不躾に言って来て、アサヒは笑みを作ってきっぱりと身の潔白を証明した。

「勿論です。あなたが考えているような事は何も。幕僚殿の身体に負担がかかるような事、出来るわけがありません」

 変な噂が立っている、というのだから、『そういう事』を言いたいのだろう。アサヒは内心軽蔑しつつ、愛想の良い笑みを浮かべ続けた。

「フン、貴様の姉のせいでルクス様が戦場に戻れなくなったのだからな。どれだけ我が軍に損失を与えたか、分かっているのか!?」
「ええ……お優しいルクス殿は私を許してくださったのですが、私としても義姉の事は許せません」
「身の程を弁えろ、属州人。ルクス『様』だろ、あの方はゼノス様に選ばれた幕僚なのだぞ」

 挑発には乗らないつもりでいたが、さすがにアサヒもこの発言には不愉快にならざるを得ず、拳を握り締めて押し黙れば、相手を無視してその場を後にした。

 ルクスの嫌な予感は的中していた。アサヒとルクスがただならぬ関係だと、最初に勘ぐったのはルクスの部下であり、それが巡り巡ってヨツユの部下の耳に入り、結果的にこのような事態が起きたのだった。だが、その経緯を知っているのはヨツユの部下のみであり、間もなくドマ城は『暁の血盟』と反乱軍――ヒエンによって制圧され、真実を知る者はこの世から葬られる事となる。

 だが、帝国の失態はこれだけでは済まなかった。
 ルクスが戦場に復帰するよりも先に、アラミゴ王宮にて、皇太子ゼノスがエオルゼアの英雄と死闘を繰り広げ死亡。ドマに続きアラミゴも独立を許す事となり、第XII軍団は混乱を極める事となるのだった。――葬られたはずのゼノスが、帝都に帰還するまでは。

2022/11/23
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