最初の喪失



 帝都ガレマルドの裕福な家庭で生まれ育ったルクスという少女は、何の不自由もなく暮らしていた。そう思っていたのは彼女本人だけで、実のところは家計も苦しく、見栄を張っているだけの一家であった。
 ルクスには兄がおり、そこまで仲が良いわけではなかったものの、決して蔑み合う関係ではなかった。そう思っていたのは彼女本人だけで、実のところは兄からは小馬鹿にされていた。家を継ぐのは兄であり、妹は家の資産を食い潰す厄介者でしかないのだと。

 何も知らないルクスは、魔導院へと進学し、それなりの成績をおさめ、見事ガレマール帝国軍への入隊が叶う事となった。後方支援や技術者ではなく、前線に立つ軍人としてである。帝国軍として決して能力のない人間を軍人として採用するわけではなく、ルクスに才能を見出しての事であった。
 何も知らないルクスは、家族に祝福されながら入隊し、訓練と戦闘に明け暮れる日々を送る事となった。普通に考えれば両親が可愛い娘が戦地で暮らすなど、余程の事がない限りは反対するものである。つまり――世間知らずなルクスは、厄介払いが出来たと家族に思われていたなど知る由もなく、自分は親孝行が出来たと思い込んでいたのだった。



 ルクスが配属されたのは、帝国軍第XIV軍団。軍団長ガイウス・ヴァン・バエサル率いる、エオルゼアの属領統治下を目指す軍団であった。
 この第XIV軍団に配属された事で、軍人としてのルクスの人格形成に多大なる影響を与えたと言っても過言ではなかった。

 とりわけルクスは、己と同じ女性で分権隊長を務めるリウィア・サス・ユニウスに憧れ、『ダルマスカの魔女』と恐れられた彼女のように強くなりたいと願った。リウィアのようになれなくとも、少しでも彼女のような強く美しい女性に近づけるように、と。
 尤も、ガイウスに只ならぬ愛情を抱いていたリウィアにとって、ルクスはどうでも良い存在であり、寧ろガイウスに近付こうものなら徹底的に痛めつけてやるとすら思っていた。だがそれも最初だけで、ルクスがガイウスではなくリウィアに憧れの眼差しを向けていると人伝に把握するや否や、態度が軟化したのは軍団内で専らの噂であった。
 ガイウスは数々の国を属州化した実績を持っていたが、決して属州民を差別する事はなかった。属州民もまた、ガレマール帝国人である事に変わりはないのだという価値観を持ち、民衆への虐殺は一切行わなかったのだ。彼の下に就く陣営隊長のリットアティン・サス・アルヴィナも同様で、彼が属州民にも分け隔てなく親しく接する光景をルクスはよく目にしていた。
 また、さほど交流はなかったが、幕僚長のネロ・トル・スカエウァもその地位に相応しい、間違いなく実力者である事もルクスは理解していた。尤も、彼に対しては『怖い』という印象がどうしても拭えず、「よくあのリウィアを手懐けたな」なんて本人の耳に入ったら大変な事になりそうな冗談を、ネロに笑いながら言われた時は、血の気が引いたものであった。

 何にせよ、間違いなくこの第XIV軍団は最強だ。なんて素晴らしい軍団に配属されたのだろう。それがルクスの第XIV軍団への嘘偽りない印象であった。
 訓練は決して生半可なものではなく、戦場では人を殺める事もある。だが、これは是正である。神に縋り、蛮神をこの地に降ろし、世界を破滅へと導こうとする――そんな蛮族を是正する為に、我ら帝国軍は戦っているのだ。これは聖戦であり、世界を正しい道へ導くのは己たちガレマール帝国である。帝国で生まれ育ち、当たり前のように帝国式の教育を受けたルクスは、己たちが正義なのだと信じ込んでいた。

 そんな充実した日々は、一気に情勢が傾いた事でいとも簡単に砕け散った。

『マーチ・オブ・アルコンズ』――エオルゼア同盟軍がガレマール帝国に反旗を翻し、エオルゼア各地に存在する帝国軍の拠点を各個撃破し、第XIV軍団の最終兵器『アルテマウェポン』を破壊し、軍団ごと壊滅させた、忌まわしき死闘。
 リウィアとリットアティンは戦死、軍団長ガイウスとネロは行方不明。多くの軍人が犠牲になり、第XIV軍団は事実上消滅した。
 運良く命を落とさずに済んだルクスは、エオルゼア同盟軍の追手を恐れながら、僅かに生き残った仲間たちと支え合い、命からがら属州のアラミゴへと向かった。敗残兵として処刑される可能性などこの時には頭になく、ただただエオルゼア同盟軍の――否、あの『暁の血盟』の恐ろしさを軍に伝えなければ。そんな思いだけを胸にアラミゴへ辿り着き、『敗残兵』という扱いで本国への帰国が叶ったのだった。





 ルクスたちは幸い直ちに処刑される事はなかった。第XIV軍団の消滅に伴い組織改編が迅速に行われる事となり、一先ず第XII軍団へ配属される運びとなった。命を落とさずに済み、かつ別の場所へ逃げて生き延びた仲間たちは、恐らく己たちと同じように別の軍団に拾われたのだろうとルクスたちは思う事にした。
 離れ離れになった仲間とは、もしかしたらもう二度と会えないかも知れない。ルクスはそう気付いた瞬間、自分は大切な居場所を失ってしまったのだと涙した。素晴らしい上官であったガイウスも、あの怖かったネロも、憧れのリウィアも優しいリットアティンも、皆もう二度と戻っては来ないのだと、今更ながら現実を受け止めて空虚感に苛まれたのだった。
 あんなに強く、輝いていた人たちが、蛮族のおかしな力によっていとも簡単に命を奪われてしまった。なんて恐ろしい力なのだ。皆の仇を討つ為には、もっと強くならなければ。もっと強く、もっと強い力を、力が欲しい――

「力が欲しいか?」

 突然聞こえた声に、ルクスは我に返った。
 第XII軍団に配属されたルクスは、新たな環境に一日でも早く慣れる為、また一から訓練に励もうとしていたところであった。どうやら己の心の声がそのまま口から洩れてしまっていたらしい。その事実に気付いたルクスは気恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じつつ、ろくに働かない頭で敬礼した。

「戯言を口にしてしまい、申し訳ございません」
「質問に答えよ」

 感情ひとつ表れないような、淡々とした声。ここで下手な事を言えば暴力のひとつでも振るわれてしまうかもしれない、とルクスは気を引き締めた。もう己は第XIV軍団の兵士ではない。ガイウスもネロも、リウィアもリットアティンももう居ないのだ。この第XII軍団に配属されてルクスが真っ先に感じたのは、皆『ぴりぴりしている』という印象であった。ゆえに、相手を苛立たせてはならない。ルクスは相手の問いに真っ直ぐな眼差しを向けて答えた。

「はい! 力が欲しいです。エオルゼア同盟軍を……『暁の血盟』を倒す力が」

 ルクスの目の前にいる男――仮面を被っており素顔は見えないが、声色から確実に男だと分かるその相手は、彼女の答えに対し鼻で笑った。

「……ハ、奴等はそれほどまでに強いのか?」
「はい。自分がかつて所属していた第XIV軍団は、決して弱いわけではありません。なんでも『暁の血盟』は、魔法だけでなく異能の力を持っているという話も聞いています。そんな奴等に対抗するには、圧倒的な力が必要です」

 ルクスが話しているうちに、どういうわけか周囲に人が集まり始め、元々第XIV軍団に所属していた仲間も含む兵士たちが、遠巻きに様子を窺っていた。

「……面白い。『暁の血盟』とやらは間違いなく、俺を愉しませてくれるのだろうな?」
「は?」

 つい呆けた声を出してしまったルクスであったが、次の瞬間、予想もしなかった事が起こった。
 目の前の男が、突然腰元に携えていたガンブレードを掲げ、ルクスに向かって躊躇なくその剣先を振り下ろしたのだ。

「え?」

 ルクスは何が起こったか全く理解出来ず、半歩後退る事すら出来なかった。
 切先が、ルクスの鼻先に僅かに触れそうな距離で止まる。
 一ミリずれていれば、間違いなくその鼻に直撃し、流血だけでは済まなかった事を、彼女以外の誰もが瞬時に理解した。

「力が欲しいと言ったな? ならば、次に顔を合わせた時は反撃のひとつでもしてみせよ」
「は、はい!」

 何も考えずに反射的にそう答えたルクスに、この場にいる兵士全員が息を呑んだ。大半が「この女は馬鹿か」と内心思っていたが、元第XIV軍団の者たちだけは、ルクスが今この場で殺されずに済んだ事に安堵していた。とはいえ、それは『今この場』だけであり、男が言うように次の機会で反撃が出来なければ、無能の烙印を押されその場で始末される可能性も無きにしも非ずである。果たしてこの娘はそれを理解しているのか。否、していないから易々と頷いたのだ。

 男はガンブレードを下ろせば、それ以上何も言う事はなく、踵を返してこの場を後にした。
 静まり返る中、元第XIV軍団の兵士たちがルクスの元へ駆け寄った。

「おい、ルクス! お前何やってんだよ!」
「何って、何もしてないのにいきなり殺され掛けたんですが……」

 未だ何が起こったのか理解出来ていないルクスに、他の仲間が必死で声を荒げる。

「相手は『あの』ゼノス様だぞ!?」

 さすがにその名前を聞いて、仲間が何を言いたいのか理解出来ないほどルクスも呆けてはいなかった。暫しの間を置いて、ルクスは一気に顔面蒼白と化した。

「……ゼ、ゼノス様が? どうして?」
「いや、だから俺たちも分からないから聞いてるんだよ! 一体何やらかしたんだよお前は……!」
「え、え? 何もしてない……本当に……」

 ガレマール帝国皇帝、ソル・ゾス・ガルヴァスの曾孫にして、第XII軍団に所属する皇族。
 そして、行方不明のガイウスに代わり、いずれ属州の新たな統治者となる者であった。

 ゼノスはれっきとした皇族であり、当然皇位継承権もある。ゆくゆくは皇帝になる可能性もある。それほどまでに身分の高い、同じ軍団でも直接会話をする機会などないであろう相手である。
 それが一体何の目的があって、ルクスのような名もなき兵士に声を掛けたのか。それはゼノス本人でなければ分からなかった。尤も、実際のところは単なる暇潰しであった為、ルクスをはじめとする兵士たちが混乱する羽目になっているのだが。

 云わば新参者であるルクスたちに、元々第XII軍団に所属していた兵士たちが失笑しながら声を掛ける。

「新人、次にゼノス様の機嫌を損ねたら、間違いなく殺されるぞ」
「えっ、えええ!? わ、わわ、私、どうすれば……」
「ゼノス様の仰る通り、反撃のひとつでもするしかなかろう」

 無理に決まっている。そう思ったのはルクスだけではなく、この場にいる全員であった。名もなき兵士などいとも簡単に殺されてしまうであろう事、そして、皇族に刃を向け、万が一傷付けるような事があれば、反逆罪と思われても仕方がないという事。何をどうしてもルクスは死ぬ運命にあった。

「精々残された時間で、ゼノス様に気に入られる方法を考えて生き延びる事だな」

 下劣な笑みを浮かべながらひとりの兵士はそう言い放ったが、ルクスはその言葉の真意に気付かず、どうしたものかと眉間に皺を寄せて考え始めた。いくら考えたところで結論は出ず、数日経っても何も解決しないまま、ついに運命の日を迎えたのだった。





 マーチ・オブ・アルコンズという忌まわしき反乱が起こった事で、属州ドマも反乱の兆しが見え始めているという情報が帝国に流れ始めたある日のこと。
 第XII軍団は一部の幹部と兵士を本国に残し、ゼノスや他の兵士たちはドマの反乱を鎮圧する為、東方へ向かう事となった。

 そんな状況下でも、ゼノスはルクスの事を忘れてはいなかった。幹部たちがどの部隊をドマへ派遣するか検討している間に、ゼノスは元第XIV軍団の兵士たちの元へ向かい、いとも簡単にルクスを見つけ出した。
 もう己は何をどうしてもゼノスに殺される運命なのだ。だが、彼は一体何を望んでいるのか。「力が欲しい」と言った己に、反撃のひとつでもしてみせろと言い放った。ただの兵士が自分に傷を付けるなど不可能だと思っているからこそ、あっさりとそう言ってみせたのだ。きっと、刃を向けたところで皇族への反逆とは思わないだろう。ルクスはそう信じ、覚悟を決めた。

「さて……そこの女。俺の言葉は覚えているな?」
「……っ、承知しました! ゼノス様、お手柔らかにお願いします……!」

 一体何を言っているのかと、ルクスは自分自身に呆れてしまったが、どうか殺さないで欲しい――そう願いながら、支給されたガンブレードを構えた。

「戦う前から命乞いをするような兵士が力を得ようとは……浅薄と言うべきか、あるいは傲慢か――」

 ゼノスは以前と同じようにルクスに向かって刃を振り下ろす。今度は間違いなく殺す気だ、とルクスは迷わず後退すれば、ゼノスの刃が虚空を斬ると同時に、跳び上がってガンブレードを振り被った。さすがに脳天を直撃する事はなく薙ぎ払われるであろう事は分かっていた。それでも、「反撃のひとつはしろ」という条件は、何が何でも達成しなければならない。例えその後、ゼノスに容赦なく殺されるとしても。

「その勇敢さは買おう。だが……」

 当然、ゼノスはガンブレードを構え直して頭上へ掲げ、ルクスの刃をいとも簡単に薙ぎ払った。

「俺に傷を付ける事を端から諦め、己の身を守る事を優先したか。つまらんな」

 ゼノスの反撃による衝撃でルクスは弧を書くように空中を浮遊し、そして、地面へと叩き付けられた。

「ルクス!!」
「生きてるか! おい!」

 元第XIV軍団の仲間たちが慌ててルクスの元へ駆け付ける。幸い、装備のお陰で目立った外傷はないように見受けられたが、打撲は当然しており、寧ろ打撲だけで済んでいれば御の字である。
 彼らが駆け付けた事は、ゼノスの戯れの邪魔をしたという事でもある。ゼノスの機嫌が悪ければ、危うくその場で全員始末されていたところであったが、不幸中の幸いか、この日の彼は機嫌が良いらしい。仮面を被っているゆえにその表情は把握出来ないが、恐らくこれからドマへ赴き、反乱を鎮圧するために戦う事が嬉しいのだろう。第XIV軍団の面々も何も知らないまま過ごしていたわけではなく、この限られた日数で、この軍団の在り方をある程度理解しつつあった。
 ゼノスは俗にいう『戦闘狂』であり、この軍団は戦果を挙げる事がまず第一である、と。
 ゆえに、これから行われるドマの反乱鎮圧は、第XII軍団にとって非常に重要な遠征であり、ゼノスにとってもまたとない『狩り』となるのだ。ルクスたちの無礼を以てしても、ゼノスの機嫌を損ねる事はなかったのだ。

 息はあり、ただ『のびている』状態のルクスを遠目で見つつ、ゼノスは彼らに向かって言い放った。

「貴様等、ドマへの同行を許可する」
「はっ……! あ、ありがとうございます! 光栄であります!」

 ルクスを介抱していた仲間たちは、一斉にゼノスに向かって敬礼した。
 そして、来るべきドマの反乱鎮圧の際、ルクスは運命の出会いを果たすのだった。己の人生が狂う切欠となる男に。

2022/05/11
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