彼の旗は雷雨を突いてゆく



 ガレマール帝国属州ドマ。かの地の反乱制圧が、ルクスが第XII軍団の軍人として初めて戦場に立ち、功績を挙げた戦いであった。
 ルクスたちは第XIV軍団に所属していた頃は目立った戦果を挙げておらず、戦力外だと誰もが思っていた。それは本人たちも分かり切っていたのだが、どういう訳かゼノスはルクスたちの同行を許可したのだった。
 元々第XII軍団にいた兵士たちは、ルクスたちの処遇を不可解に思っていた。というのも、本来敗残兵は処刑されるのが常だからである。軍団長や幕僚長等が幹部が揃いも揃って戦死、あるいは行方不明になり、軍団が機能しなくなった為、他の軍団へ『吸収』されたと言えば聞こえは良いが、結局のところそれは詭弁に過ぎない。処遇が甘過ぎるというのが皆の本音であった。
 ゆえに、この戦いでルクスたちの今後が決まると言っても過言ではなかった。本来は処刑される者たちに同行を許可したのは、結果を出しさえすれば、第XII軍団の一員として迎え入れ、出せなければ例外なく処刑する――ゼノスは彼らを見極めようとしていたのだ。
 その是非は兎も角、皇族の命令は絶対である。ルクスたちの処遇に不平不満があろうと、苦言を呈するのは許されない行為であった。
 尤も、彼女たちが戦果を挙げる事が出来なければ、例外なく処刑されるのは誰もが分かっていた。ゼノスは情けを掛けるような人間ではないと、誰もが知っていたからだ。





「武器を下ろし、降伏してください! そうすればあなた達の命は保証します!」
「そんな言葉、誰が信じられるか!」

 ルクスは異国の地の戦場で混乱していた。
 魔導院を卒業し、帝国軍に入隊し第XIV軍団へ配属されてからというもの、ずっと誰かの背中を追い掛け、剣を振るう事に何ひとつ疑問など抱かなかった。その筈が、今この時ばかりは、『本当に自分は正しいのか』と疑問が湧いてしまったのだ。
 それは、戦争の正当性の判断を、他人に委ね続けて来たゆえの綻びであった。

 これまでルクスはガイウスの主張する『是正』に一切疑問を抱かず、信じ続けて来た。ガレマール帝国が世界を統一する事が『正義』であり、世界平和への近道である。帝国に仇を為す者たちは、この世界を蝕む『蛮神』を降臨させる悪しき行為を行っている。ゆえに、帝国が他国へ侵攻するのは正しい行為である。占領した国を属州と化すのは、属州民を保護する為でもある。魔導院でもそう教育され、それが常識だと思っていた。

 ドマが属州となったのは今から二十五年前。属州と化した国では帝国式の教育が行われ、当時子どもだった属州人は、皆帝国が正しいのだと教えられている。その筈だ。
 それが何故、ドマの民は皆、若者までもが剣を取り、己たちに刃を向けているのか。
 ルクスは属州と化した地で、実際はどんな差別が行われているのか知らなかった。軍に入隊してからは第XIV軍団としてエオルゼアに派遣されていたのだから、無理もない話なのだが、属州に派遣されるにはあまりにも『現実』を知らな過ぎたのだ。

「どうして分かってくれないんですか! 帝国に従えば、これ以上血が流れる事はありません!」
「うるせえ! お前たちが一方的にドマを支配しなけりゃ、血が流れる事もなかった! 誰も死なずに済んだんだ!」

 ドマの民はルクスの説得に耳を傾けようとはせず、皆声を上げて一斉に襲い掛かる。

「どうして……!」
「ルクス、もういい! 俺たちは反乱を鎮圧しに来た、それを忘れるな!」
「でも、この人たちは民間人じゃ……」
「こんな所で死んだら、ガイウス様に顔向け出来んだろうが!」

 仲間はルクスに向かって怒鳴り、襲い掛かるドマの民の刀を弾き、ガンブレードで反撃した。当然、ここまで来れば相手の息の根を止めるしかない。
 ルクスはもう何が正しいのか分からないまま、散っていったかつての上官であるガイウス、ネロ、リウィア、リットアティン、そして多くの仲間たちの事を想いながら、ドマの民へと剣を振るった。
 この戦いは本当に正しいのか。ガイウスならこんな時どうしただろうか。答えを得る事も出来ないまま。

 ガイウスは、属州と化した国の民もまた等しく帝国人であると主張していた。ゆえに、属州民も守るべき存在なのだと。
 この地で反乱が起こったという事は、属州民にとって帝国の支配が到底受け容れられないものだったのか。少なくとも、ガイウスが管轄していた頃はこんな反乱はなかったと断言出来た。
 ならば、ガイウスの死後に一気に治安が悪化したのか、あるいは元から目の届かないところで差別等が横行し、ついに民衆が耐えられなくなり決起したのか。
 帝国は、己たちは、本当に『正義』なのか。
 ルクスが自らに問うたところで、答えは出る筈もない。これまで他人にすべてを委ねていた彼女に、自ら答えを出す意志などなかったのだから。



「――フン、随分と手こずっているようだが……先日の勢いはどうした?」

 ふと、場の雰囲気が一気に凍り付く。殺気と称するべきか、血気盛んだったドマの民ですら動きを止めるほどの恐ろしさであった。

「ゼノス様!?」

 これまで別の地点で剣を振るっていたゼノスが突然現れるや否や、何の感情も持ち合わせていないかの如く、ドマの民衆を一振りで薙ぎ払い、一瞬にして絶命させた。
 一体何が起こったのか瞬時に理解出来ず、呆然とするルクスたちであったが、今度はゼノスの剣先がルクスへと向けられる。

「生かす価値もなかったか。貴様たちは本来処刑される身分だと分かっていて、それでこの体たらくか?」

 面と向かってはっきりと言われ、ルクスたちは己たちの命がゼノスに委ねられているのだと理解せざるを得なかった。尤も、ルクス以外の仲間たちは薄々分かっており、だからこそこの戦で結果を出す必要があると分かっていた。分かっていなかったのはルクスだけ――というより、彼女にとって力もない民に剣を振るう行為は、自身の『正義』に反していた。

 この人ならば、己の求めている答えを持っているだろうか。
 完全に気が動転していたルクスは、今まさに己の命が相手に握られているなど考えもせず、無謀にも思っていた事を口にした。

「ゼノス様、この戦いは本当に『正義』なのでしょうか?」

 この不躾な質問に、ルクスの仲間たちは一瞬して顔面蒼白と化した。ゼノスの機嫌を損ねたら最後、処刑を待たずしてこの場で始末されてしまうに違いない。お前はなんて事をやらかしたのだ、仲間のひとりがそう叫ぼうとする前に、ゼノスは顔色ひとつ変えずルクスへと冷たく言い放った。

「下らん。雑念に囚われている暇があれば、戦果のひとつでも挙げてみせよ」
「雑念ではありません! ガイウス様は、属州民もまた帝国人だと言っていました。同じ帝国人同士で殺し合うなど、間違っていると思うのです」
「おいルクス! いい加減にしろ! ガイウス様は死んだんだ!」

 無礼にも程があると、仲間が後ろから強引にルクスの口を両手で塞いで怒声を浴びせた。仲間の意見は尤もである。今の己たちが仕える相手はもうこの世にはいない。第XII軍団に配属されたのだから、生き延びたいのならその軍団のルールに従うべきなのである。ましてや処刑が掛かっている立場である以上、大義名分に囚われている場合ではないのだ。

 だが、ゼノスは意外にも機嫌を損ねる事はなく、ルクスの意見に淡々と言い返してみせた。

「ルクスと言ったか。降伏しろというお前の訴えを、この属州民どもは聞き入れたか?」

 ゼノスは血を流し横たわるドマの民衆にちらりと顔を向ければ、再びルクスへと向き直った。己と彼らのやり取りをゼノスは見ていたのだと分かり、ルクスは口を塞がれた状態のまま首を横に振った。
 その反応に、ゼノスはどこか満足気に頷いた。

「今反乱を起こしている民衆は、最早我々が守るべき民ではない。恐らく、ガイウスはそう言うであろうな」

 まさかゼノスの口からかつての己の上官の名が紡がれるとは思わず、ルクスは思わず目を大きく見開いた。他の仲間たちも息を呑み、彼女の口を塞いでいた仲間も自然と手を緩め、皆ゼノスを見つめていた。
 恐らく、これから彼が己たちの道標になるだろう。いちいち言葉にせずとも、誰もがそう感じていた。

「ゼノス様! 私、目が覚めました! その、もう一度チャンスを頂けないでしょうか」

 漸く冷静になったルクスは、己の無礼を恥じつつ、恐る恐るゼノスに問い掛けた。

「……同行を許可する。強さとは何か、その目に焼き付けよ」

 ゼノスはそう告げて、新たな獲物を探しに歩を進めた。ルクスたちは次々に感謝の言葉を口にしながら、まるで親鳥の後を追い掛ける雛のように、ゼノスの後を追ったのだった。





 ゼノスの戦いぶりは、一言で言うと『圧倒的な強さ』であった。
 ルクスはその目を以て、ゼノスが「雑念に囚われるな」と言った理由を理解した。彼は恐らく何も考えず、目の前に存在する敵を、何の情も持たず狩り尽くしている。あまりにも強過ぎるがゆえに、まるで機械のように見えてしまうほどであった。

「すごいです、ゼノス様……」
「おい、ゼノス様に見惚れている暇があったらお前もちゃんと戦え!」
「わ、分かってますっ!」

 と言っても、ゼノスがほぼほぼ敵を薙ぎ払ってしまう為、ルクスたちの負担は軽いのだが、だからこそ目の前の戦いだけに囚われず、周囲を注意深く見る事が出来た。
 ふとルクスが顔を向けると、遠くで戦闘が起こっている様子が見て取れた。暫し目を凝らしていると、ドマの民衆らしき者たちは倒れる様子がなく、恐らくあの場にいる帝国軍が苦戦しているのだと察した。

「ゼノス様! あちらで戦闘が……!」

 ルクスは声を上げたが、ゼノスはまるで興味がないらしく、それどころか仮面の奥で退屈そうに溜息すら吐いていた。
 下手な事を言えば、それこそ剣の錆にされてしまう――誰もがそう思う筈なのだが、ルクスはゼノスが動かないのを察して、考えなしに言い放った。

「私、助けに行って来ます!」
「ルクス! 勝手な行動を取るな! 俺たちはゼノス様の恩情で――」
「第XII軍団も私たちの仲間です! これ以上目の前で仲間が死ぬのは嫌ですっ!」

 ルクスはそう叫べば、ゼノスたちに背を向けて、戦闘が起こっている地点へと駆け出した。
 確かに勝手な行動で、ゼノスの機嫌が悪ければ、最悪ルクスの仲間たちが始末されてしまうかも知れない。だが、わざわざ己たちを戦場に連れ出してくれたゼノスが、その時の気分であっさりと手を下すようには思えなかったのだ。己たちには利用価値があると思っているから、敢えて処刑せずにチャンスをくれている。だから、きっとゼノスは己の仲間たちを連れて様子を見に来てくれるだろう。そんな予感がしていたのだ。



 ルクスが先程戦闘が起こっていた場所へ駆け付けた時には、既にもぬけの殻となっていた。遺体がないという事は、どちらかが逃げ、それを相手が追い掛けているという構図であろう。そう遠くには行っていない筈だとルクスが目を凝らし、耳を澄ましながら周囲を入念に見回していると、再び殺気を感じた。再び――つい先程も感じた同じ圧である。
 振り向くと、そこにはゼノスと己の仲間たちがこちらへと歩を進めていた。

「ゼノス様! みんな、来てくれたんですね……!」

 思わずその場で飛び跳ねたルクスであったが、仲間のひとりが即座に駆け寄れば、溜息を吐いて軽く頭を小突いた。

「痛っ」
「全く、フォローする俺たちの身にもなれよな。ゼノス様がお前の我儘を聞き入れてくださったから良かったものの……」
「え?」

 我儘など言ったつもりはない、とルクスは言い返そうとしたが、ゼノスも己の傍に辿り着いた為慌てて口を噤んだ。

「……して、獲物は何処に……?」
「場所を変えたようですが、まだ遠くには行っていない筈です。ええと……」

 ルクスは地面を見遣り、比較的新しい足跡、それも複数地面に付いている事に気が付いた。ここが石造りの街ではない事が救いであった。

「案内します! こちらです!」

 そう言って走り出すルクスに、仲間たちは呆れつつも、その後を追い掛けた。勿論、ゼノスも同様である。
 仲間のひとりが、ルクスをフォローするようにゼノスに向かって告げる。

「我々より先にここで戦っている帝国軍は、恐らく元々ドマに駐在していた軍団でしょう。彼らなら、この反乱の長が誰で、何処に潜んでいるのか知っている筈です」

 ゼノスはルクスの『仲間を救いたい』という気持ちを汲んだのではなく、今彼女の仲間が告げた事――この反乱の長、即ち『狩りに相応しい獲物』を仕留める為に動いたのだった。





「クッ……野蛮人どもめ……! ここで我らを制したとて、独立など出来るものか!」

 反乱の最中、ドマに駐在していた帝国軍――そのうちの一人、アサヒという青年は、反乱軍を睨み付けながら忌々しく言い放つ。

「いずれ本国から援軍が来るのだ! 帝国に従う事こそが、唯一正しい道だというのに……!」
「ドマ人の誇りを失った犬畜生が、正道を説くとは! これで終わりにしてやる……!」

 逃げていたのはアサヒたち帝国軍で、ドマの反乱軍が彼らを追い詰めた構図である。消耗戦を強いられ、反撃する力も失いつつあるアサヒに向かって、反乱軍が容赦なく斬り付けようとした。
 その瞬間、何処からともなく剣戟が振るわれ、反乱軍たちはいとも簡単に吹き飛ばされた。

「な、何奴!?」

 反乱軍のひとりが起き上がり顔を上げると、そこには仮面を被った帝国軍人と思わしき人間が立っていた。
 その後ろで、部下と思わしき数人の軍人が息を切らして駆け付ける。そのうち、ひとりの女がアサヒたちに向かって声を上げた。

「ご無事ですか!?」
「は、はい……」
「良かった、間に合って……!」

 ここに駐在していた帝国軍ではない、即ち援軍だと分かり、アサヒは一先ず一命を取り留めた事に胸を撫で下ろした。だが、それにしてはあまりにも人数が少なすぎる。他にも援軍は来ており、その一部だとは思うが、果たして彼らで目の前の敵を片付ける事が出来るのか、この時のアサヒには判断が付かなかった。

「援軍……!? だが、ひとりで何が出来よう! 囲んで叩き斬れ!」

 アサヒの心配は杞憂であった。
 仮面の男に向かって、反乱軍の者たちは其々刀を向け、迷う事なく斬り付けようとしたが、男はいとも簡単に一振りで相手を叩きのめし、反乱軍は瞬く間に地面に突っ伏した。息があれば奇跡であろう。

 一体何が起こったのか。あまりにも一瞬の出来事に呆然としつつも、アサヒは仮面の男に向かって恐る恐る礼を述べた。

「た、助かりました……」
「これが侍の刀というものか……悪くない……」

 対する仮面の男は、先程まで戦闘していた事など忘却の彼方で、自身の武器を放り投げれば、先程まで反乱軍が手に取っていた刀を手に取り興味深そうに眺めていた。
 そして、漸くアサヒに向かって声を掛ける。

「他に抵抗を続ける者は……?」
「えっ……あ、はい……対岸の町人地にカイエン率いる反逆者の主力部隊が……」
「その頭目は、強いのか……?」
「ハッ……ドマの元国主にして、剣豪と名高い人物です……」
「狩りに相応しい獲物であれば良いが……」

 聞きたい事だけ聞き終えれば、男は以降アサヒたちには見向きもせず、町人地へと向かって歩き出した。部下と思わしき者たちもその後を付いて行き、唯一、アサヒたちの無事を喜んでいた女だけは、何度もこちらを振り返っていた。
 だが、アサヒには仮面の男だけしか目に入っていなかった。己の命を救った男――ゼノス・イェー・ガルヴァスは、この後間もなくドマ国主カイエンの命を奪い、ドマの独立は失敗に終わる事となる。今はその過程に過ぎず、ゼノスにとっては記憶する必要もない些細な事であったが、アサヒにとってはこの出会いが、何物にも代えがたい出来事となったのだった。何物にも代えがたい――それが例え、自身の命であっても。

2022/06/26
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