沈みゆく太陽に



 退屈な播種は漸く終わり、草木が芽吹きはじめた今。収穫にはまだ早いものの、焦る必要など何もない。ゆっくりと、確実に、この国を、そしてこの世界すべてを蝕んでいく――これらは来るべき『終末』を起こす為の準備に過ぎない。せいぜい人類は残された時間に無意味な悪足掻きをすれば良い。
 アシエン・ファダニエルは、己が憑依する器が愛していた女の肢体を撫でながら、誰に問い掛けるでもなくひとり呟いた。

「ああ、明日が楽しみですねぇ。漸くゼノス殿下との面会が叶うんですから……残念ながら、生憎あなたが思い描いているような未来にはなりませんが」

 ルクスはファダニエルの隣で寝息を立て、目を覚ます様子は見受けられなかった。これから何が起こるかなど知る由もないあどけない寝顔を、ファダニエルは愛おしそうに眺めていた。それは決して愛情の意思ではなく、この先壊れゆくであろう彼女の姿を想像し、悦に浸っているだけである。
 愛する男に心を、身体を、すべてを捧げ、一緒に重荷を背負うと申し出たはずが、実はその男はとうに死んでいて、縁もゆかりもない異形の存在が男の肉体を乗っ取っているのだと知った時、彼女はどれほど狂うだろうか。
 無論、ファダニエルとてそんな一時的な快楽の為にルクスに近付いたわけではなく、この先も彼女を利用する気でいた。彼女の意思など関係なく、命を落とすその時まで、散々使い尽くすつもりでいた。
 それを実現するには、ゼノス・イェー・ガルヴァス――彼女が敬愛する上官であり、ガレマール帝国の皇太子でもある彼の存在がまさに切り札であった。

「ルクス、あなたの事を数日かけて探ってみましたが……殿下への忠誠心は見事なものです。ええ、私とした事が嫉妬してしまう程に。それほどまでにご執心なら、殿下と協力関係を結ぶこのファダニエルの事も、当然無下には出来ませんよね?」

 真実を知ったルクスが、仮にゼノスに刃向かおうと、ファダニエルが手を下すまでもなくゼノス本人によって処分されるだろう事は明白であった。それならそれで止む無しではあるが、ファダニエルはその可能性は低いと考えていた。
 最早彼女に帰る場所はない。ゼノスと共に行動する以外の選択肢は与えない。そうなるように仕向けるのだ。明日、ファダニエル自身の手によって。

「果たして、あなたがこの先どんな行動を取るのか……残り僅かな人生、せいぜい私を楽しませてくださいね」





 翌日、ルクスはあたたかなベッドの中で目を覚ますはずだった。隣では愛する男が眠っているか、あるいは己より先に起きているか。どちらにせよ、身体を重ねて愛し合った今、もう不安に思う事など何もなく、幸せな未来が待っているとルクスは思い込んでいた。
 目を覚ましたルクスは、己が横たわっていたのはベッドではなくごつごつとした固い何かの上である事に気付き、夢と現実の区別が付かないまま上体を起こした。
 これは夢だ。真っ先にルクスはそう思った。
 吹き付ける風に、どうやらここは屋外のようだと察し、ルクスは周囲を見回した。艦隊や飛空艇から見える景色と同じ――つまり己は今空を飛んでいる。次いで、己の身体に視線を落とすと、一応服は身に纏っていた。確か己はアサヒの部屋で就寝したはずであり、服を着て外にいるというのはおかしい。ゆえに夢だと判断したのだが、今己が横たわる『これ』が何なのか気付くよりも先に、少し離れた位置から聞き慣れた声がルクスの耳をついた。

「ああ、やっと目を覚ましましたか。良い夢は見られましたか?」
「え……?」

 ルクスが声のした方へ顔を向けると、アサヒ――ファダニエルが呪術師のようなローブを身に纏って空を飛んでいた。どう考えても夢でしかない、とルクスは夢現のままファダニエルを見つめた。

「あ、そこから動かないでくださいね? この高さから落ちたら死んでしまいますから。万が一の事があっても、『まだ』あなたを助けるつもりではいますが……」

 ルクスは己が空を飛んでいるという事は把握していた。だが、己が乗っている『これ』は何なのか。改めて見回すと、左右で大きな翼が羽搏いている。異国、イシュガルドの竜詩戦争で有名なドラゴン族のようであった。
 ドラゴンの背中に乗って、横では愛する男が空を飛んでいるなど、随分とおかしな夢を見ているものだとルクスは失笑してしまった。今この瞬間こそ現実であると気付かぬまま、彼女を乗せたドラゴンは目的地へと向かっていく。
 見覚えのある王宮が徐々に近づいていき、そこに降下するのだとルクスは悟った。
 アルデナード小大陸にある『アラミゴ』の王宮――かつてガレマール帝国が支配していた属州であったが、反乱、そして独立を許してしまった因縁の国であった。

「アサヒ様、どうしてアラミゴに……?」
「すみません、私が『彼ら』に用があるもので。ルクスはそこでゆっくり見ていてくださいね。くれぐれも勝手な行動は取らないように」

 ファダニエルの言葉に、ルクスは訳が分からぬまま頷いた。ドラゴンの背の感触といい、吹き付ける風といい、夢にしてはやけに生々しいと思いつつも、ルクスはまだこれが現実だと認識していなかった。普通の人間が生身で空を飛ぶなど有り得ないからだ。
 だが、アシエンは『普通の人間』ではない。
 ファダニエルは哀れな子だと笑みを浮かべつつ、アラミゴ王宮のすぐ傍まで辿り着くと、黒い闇に包まれて姿を消した。

「アサヒ様!?」

 ファダニエルが消えた瞬間、ルクスは一気に不安に襲われた。ふと真下へ目を向けると、王宮には数多もの人間が駆け付け、こちらを見上げていた。目を凝らすと、見慣れた姿が何人かいる事に気が付いた。
『暁の血盟』――帝国の敵であり、一部はルクスも面識のある者たちであった。
 一体何が起こっているのか、これから何が起こるのか。ただただ混乱していたルクスであったが、次の瞬間息を呑んだ。
 彼らの前に黒い闇が現れれば、そこからアサヒ――ファダニエルが再び姿を現したからだ。

「これはこれは……光栄ですねぇ。エオルゼア諸国のお歴々にご挨拶をと思って来てみれば、英雄殿にまでお会いできるとは!」

 ファダニエルは暁の血盟と対面出来るとは思っていなかったらしく、そんな事を宣ったが、真っ先にエレゼン族の双子の兄妹が声を上げた。

「お前は……アサヒ!?」
「実は生きてたなんて言わせないわよ。随分趣味の悪い身体を『使った』ものね……!」

 双子の妹――アリゼー・ルヴェユールが放った言葉の意味が理解出来ず、ルクスは思わず身を乗り出した。アサヒは紛れもなく生きているというのに、『生きていたなんて言わせない』とはどういう事なのか。
 ルクスが困惑している事などお構いなしに、ファダニエルは彼らに向かって言葉を紡いだ。

「おやまぁ、からかい甲斐のない……よっぽどアシエンの相手に慣れていらっしゃるんですねぇ」

 そう言うと、ファダニエルは最早演じる必要はないと、初めて公の場で自身の名を口にした。

「お初にお目にかかります。我が名は、アシエン・ファダニエル。以後、お見知りおきを」



 これは夢だ。悪い夢だ。ルクスは心の中で何度も自分に言い聞かせた。『アシエン』が何なのか、ルクスとて基礎知識は持ち合わせている。
 実態を持たぬ不死の存在であり、人間に憑依する事でこの世界に干渉する事が出来る。そうして彼らは暗躍し、この世界を操ろうとしているのだと。

 呆然とするルクスに代わるように、ファダニエルと対峙する光の戦士が問いを投げ掛ける。

「何を企んでいる? あの塔はなんだ?」

 その問いに、ルクスは改めて周囲を見回した。上空を飛んでいた時とは高度が変わり、今はエオルゼアの景色を見渡す事が出来る。光の戦士の言う『塔』が何なのか、ルクスは漸くその目で確認した。
 禍々しい光を放ちながら、空に向かってどこまでも伸びている建物らしきもの。まさに『塔』と称するのが正しいだろう。

「随分と不躾な質問ですねぇ……ま、いいでしょう。私は、かつてこの世界に訪れた『終末』を再現したいんです。各地にニョキッと生やした塔は、その計画の一環……過激なスペクタクルを生み出してくれる予定の装置です!」

 きっぱりとそう言い放つファダニエルに、アサヒは一体何を言っているのかと、ルクスは最早考える事すら放棄してしまうほど愕然としていた。
 これは夢だ。だとしてもこんな支離滅裂な夢があって良いものか。早く覚めて欲しいと願いながら、ルクスはただただ呆然と王宮を見下ろしていた。

「終末を再現……!? そもそも古き人たちや……アシエンだって、その破滅を回避するために行動してきたはずだ!!」
「大正解……! そこまで知ってるということは、オリジナルを葬ったのも、あなたたちで間違いないようですねぇ」

 暁の血盟の双子の兄、アルフィノ・ルヴェユールの主張に、ファダニエルはあっさりと返せば、両手を掲げて演技がかった振る舞いで饒舌に語り出す。

「確かに、アシエンの悲願はあなたの言う通りです。でも私個人としては、これっぽっちも興味がなくて……なにせ、所詮は代替品の転生組ですし? お陰でエリディブスにはよく睨まれたものですが、あなたたちのお陰で小言を言われることもなくなりました! ああすっきり!」

 そして、漸く目的を口にする。何故ファダニエルが『塔』なるものをエオルゼア各地に作り上げ、何をしようとしているのかを。

「という事で……私はアシエンとしての力を、自分自身の欲望の為に使う事にしたんです! 壊れかけのこの世界を、完全に、徹底的に、その痕跡すら残さずに壊したい……!」

 当然、暁の血盟が黙っているわけがなく、アリゼーが真っ先に苛立ちを露わにした。

「何よそれ……それが何になるって言うの……!? どうしてそんな事望むのよ……!」
「そんな無意味な問いを発する存在に死んで欲しいからです! あなたも、あなたも、あなたにも、是非死んで頂きたい!!」

 暁の血盟の面々、そして現在帝国から独立したアラミゴの総司令官を勤めているラウバーン達に向けて言い放ち、ファダニエルは更に声を荒げる。

「私はねぇ、死にたいんです! 周りを盛大に巻き込んで、傷付けて、苦しませて! だから根本的に違うんですよ。生きたいと願っている、あなたたちや古代人とは……」

 あまりにも身勝手かつ横暴な物言いに、皆怒りを露わにしていたが、ファダニエルは至って気にする事もなく、それどころか開き直ってみせた。

「ああ、反論とか説得とかはしなくて結構ですよ。私自身も、自分の主張に正義があるだなんて思っていないので。ただの我儘で世界を壊すだけですから、そちらも精々、面白おかしく抗ってください」

 一部始終を呆然と見ていたルクスであったが、どうやらこの悪い夢はまだ覚める様子がなく、自らが動かなくては駄目だと判断した。アサヒは「勝手な行動を取るな」と言っていたが、仮に今己の真下にいる男がアサヒではないのなら、その言付けを守る必要はないのだから。

 ルクスはアサヒの傍目掛けて、ドラゴンの背から飛び降りた。これが現実なら己は命を落とすが、夢なのだから死ぬ筈がない。寧ろここで死ぬと同時に夢から覚める事が出来るかも知れない。そう思っての行動だったのだが――

「……はあ、どうして言う事を聞いてくれないんですか? 全くどうして出来の悪い……」

 ルクスが地に叩き付けられるより先に、ファダニエルがすぐさま宙を舞って彼女の身体を抱きかかえた。その感触も、そして見上げた先にある顔も、アサヒ本人に相違なく、ルクスは混乱しながら声を荒げた。

「アサヒ様! 一体これはどういう事なんですか……!?」

 その問いに答えたのはファダニエルではなく、暁の血盟の面々であった。

「ルクス! あなた、どうしてここに!?」
「ルクス、そいつはアサヒじゃない! アサヒの死体に憑依したアシエンだ!」

 ルヴェユールの双子がルクスに向かって叫ぶ。当然、敵だと認識している暁の血盟の言う事など信じられるわけがなく、ルクスは恐る恐る愛する男の名を紡いだ。

「アサヒ様……」
「ルクス、今は余計な事は考えなくて結構です。あなたはただ大人しく、私とゼノス殿下の言う事を聞いていれば良いんです」

 先程のファダニエルの狂った主張とはまるで違う態度に、ルクスは一瞬絆され掛けたものの、これは夢ではないと現実を叩き付けるような声が投げつけられた。

「ルクス! お願い、目を覚まして! あなたの事は皆から聞いてるわ。あなたはアラミゴとドマの平和を願っていた筈……その想いが本当なら、ファダニエルの言う事は、あなたの意志に反してる!」

 暁の血盟のリセ・ヘクストが、ルクスを説得しようと必死で声を上げる。だが、ルクスはどうしても今この瞬間が現実だとは思えず、ファダニエルを突き放せずにいた。

「あなた方は随分と誤解をされているようですが、この子の求める『平和な世界』は、アサヒ・サス・ブルトゥスが生存していなければ成立しません。ゆえに、何を言っても無駄ですよ」
「ルクス、お願いだ、分かってくれ! 君はアシエンに騙されてる!!」

 ファダニエルの言葉を無視してアルフィノが訴えるも、ルクスが何かを考え、思考を口にするよりも先に、彼女が先程まで乗っていたドラゴンから紫色の禍々しい炎が放たれた。ファダニエルは間一髪でルクスを抱えたまま炎から逃れ、空へと舞い上がれば、この場にいる全員へと言い放つ。

「それでは皆々様、これより我ら『テロフォロイ』が、この星を蹂躙させて頂きます! 新生せし終末の幕開け、存分にお楽しみください……!」

 そして、ドラゴンの元へ舞い戻って再びルクスをその背に乗せると、ファダニエルは微笑を湛えながら恐ろしい事を宣った。

「ちなみにそれ、蛮神ですので。テンパードにならないよう気を付けてくださいね? まあ、気を付けるも何も抵抗しようがないとは思いますが……」
「蛮神……? あ、あの、アサヒ様……一体何が……」
「詳しい事はゼノス殿下と合流してからゆっくりと。寄り道させてしまって申し訳ありませんが……まあ、あなたも『テロフォロイ』の一員だと印象付ける事が出来ましたので、殿下もお喜びになられる事でしょう」
「テロフォロイ……?」

 初めて聞く単語に困惑するルクスを余所に、ファダニエルは再び黒い闇に包まれて姿を消してしまった。ルクスがドラゴン――蛮神『ルナバハムート』の背から地上を見下ろすと、王宮は禍々しい炎に包まれ、皆必死に消火活動に当たっているのが見て取れた。暁の血盟の面々はこちらを見上げているようで、ルクスは漸くこれは夢ではなく現実なのだと思い始めた。認めたくはないが、今この手に触れる感触も、先程の炎による熱風も、あまりに生々しく、夢と捉えるには寧ろ無理があり過ぎるのだ。

「ゼノス様……」

 昨日は漸くゼノスに会えると嬉しさに包まれていたというのに、今起こっている現実は一体何なのか。ルクスは未だファダニエルの事をアサヒだと思っており、ゼノスに直接会えばすべての謎が解けるであろうと確信していた。己と一緒に行動している男は紛れもなくアサヒ本人で、アシエンではないのだと証明してくれる筈だと信じていた。そう信じたかった。

 暫くして、再び黒い闇がルクスの前に現れ、そこから這い出るようにファダニエルが姿を現した。

「お待たせしました。ちょっと『英雄殿』に宣戦布告して来ましたので、これで私の仕事は終わりです。後はもうゼノス殿下の元に向かうだけですよ」
「あの、アサヒ様……」

 疑いたくはなかったが、さすがにこの状況下で舞い上がれる程ルクスも現実逃避したいわけではなかった。この男は明らかに、昨日までアサヒという男を演じていた。いくら取り繕おうと襤褸が出ているのだ。否、きっともう演じる必要もないと判断しての事だろう。

「……あなたは、誰……?」

 ゼノスに会えば全てが分かる。そう思ってはいつつも、ルクスは本人を前にして訊ねずにはいられなかった。暁の血盟の言っている事は嘘だと取り繕ってくれたら、まだ救われたのか。それとも最早本人に隠す気がない以上、現実を受け容れるしかないのか。
 一縷の望みに懸けたルクスに、当の本人から残酷な真実が紡がれる。今までと変わらぬ微笑を湛えたまま、今までと変わらぬ優しい声で。

「さっき言ったじゃないですか。我が名はアシエン・ファダニエル、と」

2022/04/23
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