「人には道草食うなって言っておいて……」
黒衣森、ウルズの恵みにて。『清水の霊砂』はホッグの縄張りにあるとの情報を得たグ・ラハ・ティアとフィオナは、戦闘と探索の果てに霊砂の原石を手に入れる事に成功した――と言葉にすれば簡単ではあるものの、そこに辿り着くまでかなり遠回りをし、数日を要していた。
グ・ラハの冒険欲がここに来て発動してしまった為である。冒頭のフィオナの愚痴はそれゆえに零れたものであった。
「何か文句あんのかよ」
「グ・ラハが寄り道しなかったら、もっと早く回収出来てたよね?」
「早けりゃいいってもんじゃねーだろ。例の冒険者とやらに先を越されたわけでもあるまいし」
「とか言って、ラムブルースさんも痺れを切らして冒険者にも依頼してたりして――」
フィオナが冗談めかしてグ・ラハにそう言い掛けた瞬間。
人の気配を感じ、フィオナは咄嗟に口を噤んだ。
この『ウルズの恵み』を訪れる者は滅多にいないとパルセモントレから事前に聞いており、だからこそグ・ラハもフィオナも、誰にも邪魔されずゆっくりと探索に時間を充てる事が出来たのだ。だからこそ、この場に己たち以外の人間が現れるなど、本来有り得ない事であった。
ふたりは互いに顔を見合わせれば、グ・ラハは木の上へ飛び乗り、フィオナは死角になりそうな草の茂みへと隠れ、息を潜めた。
つい先ほどまでフィオナたちがいた場所に現れた冒険者と思わしき者は、既に事切れたホッグの死骸を見遣っていた。
フィオナはこの冒険者が、ラムブルースが言っていた『手練れの冒険者』で間違いないと察した。それはグ・ラハも同じであろう事も。
一先ずここは冒険者が去るのを待ち、早いうちに北部森林へと向かい『薫風の霊砂』を手に入れる。フィオナは当然のようにそう思い込んでいたのだが。
「一足遅かったな、冒険者。そいつの縄張りを調べに来たんだろうが、無駄足だぜ?」
上空から放たれたグ・ラハの声に、フィオナは唖然として開いた口が塞がらなかった。
このまま冒険者が諦めるのを待てば良いだけの話だというのに、よりによって干渉するなど自分の首を絞めるようなものではないか。
そう言い放ちたい気持ちを抑え、フィオナは改めてグ・ラハの行動原理を甘く見ていたと反省した。
己たちはあくまで歴史を記録する者であり、今回はクリスタルタワーの調査のためにエオルゼアに来ている。だが、それ以前にグ・ラハ・ティアという男は、冒険譚がたまらなく好きだった。シャーレアンの賢人として立ち回りながらも、心の奥底では冒険をしたくて堪らなかったのだ。
今グ・ラハの眼前にいる『手練れの冒険者』が興味の対象になるのは、自ずと分かる事である。
「あー、無理無理。そっからじゃオレは見えねーよ。今は大人しく話を聞くこった」
グ・ラハは辺りを見回す冒険者に向かってそう忠告すると、フィオナが卒倒しそうな事をあっさりと言ってのけた。
「代わりに『薫風の霊砂』のヒントをやるよ。……あれはイクサル族の手の内だ。連中は霊砂を使ってクリスタルを清めるつもりらしい」
フィオナは本当に倒れそうになった。
自分たちが冒険者より力不足な事にあれだけ憤慨していたというのに、あっさりとヒントを渡すなど、己たちの手柄を受け渡すようなものである。一体どういうつもりなのかと、さすがにフィオナも堪忍袋の緒が切れて声を上げそうになったものの、既に手遅れであった。
「取る気があるなら早くしろよ? ぐずぐずしてたら、そっちもオレが戴いていく。早い話が……競争だ!」
この出会いは、まさにグ・ラハにとって『自分がずっとしたいと思っていた冒険』の一部なのだろう。冒険者が断ってくれれば良いが、ラムブルースの依頼ならばそうもいかないのは明白である。
「北部森林にあるイクサル軍伐採所で『薫風の霊砂』を探せ。どんな奮闘を見せてくれるか、楽しみにしてるぜ!」
グ・ラハの声はそこで途切れた。気配も感じず、もう北部森林へと向かっているのだろう。
フィオナは唖然を通り越して、最早怒りさえ沸いて来ていた。
霊砂をめぐる勝負については、ラムブルースにしてみればどちらが手に入れようが何の問題もないだろう。せいぜい己たちが『物資調達も出来ない』という烙印を押されるくらいである。尤も、お使いをさせられる為にシャーレアンから遥々エオルゼアまで来たわけではない為、フィオナが気に留める理由はない。現状、クリスタルタワーの調査においては何も問題は起こっていないのだ。
それでも、フィオナは酷く腹を立てていた。
「――もう!! いつもいつも勝手ばかり! 私に何の相談もしないで!」
耐えきれず、思わず草むらから顔を出して声を上げるフィオナに、当然冒険者が気付かないわけがない。
一体どういう事かと駆け寄る冒険者に、フィオナは声を荒げて相手の腕を掴んだ。
「あなた、ラムブルースさんから依頼を受けた冒険者ですよね!? 行きましょう!」
呆気に取られる冒険者の手を引いて、フィオナは北部森林の方向へ歩を進めた。ラムブルースの名前が出て来た事から、取り敢えず警戒する必要はないと冒険者は判断し、フィオナについていく事にした。
そして、冒険者にとっては誰か分からない声の主に、このフィオナが振り回されている事は想像に容易く、彼女の背中を視界に入れながら苦笑を零したのだった。
こうなってしまっては仕方ない。ここは最後まで勝負を見届けるしかないと、フィオナは冒険者を連れて意気揚々とイクサル軍伐採所へ駆け付けたは良いものの、万が一蛮神召喚が起こったら……という一抹の不安がよぎり、一瞬足が竦んでしまった。
それを冒険者は『戦いに不慣れである』と感じたのか、ここで待っていろとフィオナに促した。
「えっ? い、いえ、私も戦えます!」
慌てて武器を構えるフィオナに、冒険者は「こちら側の肩を持っていいのか」と問い掛けた。謎の声の主とフィオナは仲間同士だと仮定すると、彼女が己と共闘するのは『競争』である以上フェアではない。お前の力を見くびっているわけではない、というフォローも含まれていた。
短い言葉でその意図を察し、フィオナは恥ずかしそうに俯いて武器を下ろした。
「……そうですね。この茶番に私も乗ってしまっているのが悔しいところですが……ここは見守らせて頂きます。ただ、万が一あなたに危険が迫れば助けに入りますね」
冒険者は頷けば、フィオナに背を向けて奥へと進んで行った。
その背中は頼もしく、恐らくは己の手助けなど不要であろうと察し、フィオナは大人しく安全な場所で待つ事とした。
尤も、競争と言い出したグ・ラハもここに辿り着いている筈だ。何かあればふたりで協力して戦うなり逃げるなり出来る。
そこまで考えて、フィオナはどういう訳か胸の奥がすっきりしない、どこかもやもやする感情を覚えていた。
グ・ラハの隣で共に戦い、喜びを分かち合う事が出来るのは、自分ではなくあの冒険者なのだと、この段階で気付き始めていたからだ。
敵地から戻って来た冒険者は、フィオナの傍まで駆け寄って何かを差し出した。
フィオナが情報を仕入れた段階から、自分たちだけで入手出来るか若干の不安を抱いていた『薫風の霊砂』であった。
「これって……つまり、あなたが勝ったという事ですね?」
フィオナは純粋に驚いて、冒険者に尊敬の眼差しを送ったが、同時にグ・ラハが競争に負けた事を意味する為、拠点に戻った後もしかしたらいじけているのではないかと思案した。自分で勝負を吹っかけた以上、結果は素直に受け止めて欲しいところではあるが。失敗は成功の母とはよく言ったものである。シャーレアンの賢人もはじめから完璧なわけではなく、多くの失敗や挫折を乗り越えて来た筈だ。無論、初めから完璧な人間もいるにはいるのだが。
などとフィオナが考えていると、冒険者は思いも寄らない事を口にした。
謎の声の主は、「プラウドクリークに土産を置いておくから持っていけ」と言って、再び姿を消したのだという。
フィオナは嫌な予感を覚え、暫くして、すべてを諦めた。
競争に負けたグ・ラハが、いっそ『清水の霊砂』も渡してしまえと暴挙に出たのではないか。フィオナは、最早グ・ラハが何をしてもおかしくはないとさえ思い始めていた。
脱力するフィオナの姿に、冒険者は苦笑いを浮かべつつ、声の主の元へ帰ったらどうかと提案した。
「……そうします。お小言は山のようにありますし……結果的にあなたを振り回してしまい、申し訳ありません。私が代わりに謝ります」
遠い目をし、疲れ切った様子のフィオナに、冒険者は「慣れてるから大丈夫だ」と返した。その短い言葉と、疲れひとつ見せない相手の様子に、フィオナはやはり『手練れの冒険者』は只者ではないと痛感したのだった。
イクサル族が蛮神召喚を行う可能性がある事は、エオルゼアの冒険者も知っている筈だ。危険を承知で躊躇わず乗り込んで、見事霊砂をしっかり確保しただけでも重労働なのに、嫌な顔ひとつせず淡々としている冒険者の姿を見て、フィオナが敬意の念を抱くのは自然な流れであった。
そして、それはグ・ラハ・ティアも同じであり、寧ろ冒険者の戦いを間近に見た事で、その想いはフィオナよりも更に強いものであった。
「――グ・ラハ!!」
拠点のキャンプ地に戻るや否や、フィオナは聖コイナク財団の者全員の耳をつくほど大声で叫んだ。
「いるんでしょ!? 今回はさすがに怒るからね! どうせ『清水の霊砂』もあの冒険者にあげちゃったんでしょ!?」
クリスタルに覆われたキャンプ内を大股で歩きながら、何処にいるかも分からないグ・ラハに向かって怒るフィオナに、一体何事かと周囲は騒ぎ始めたが、大事になる前に怒りの元である男が姿を現した。
「おかえり、フィオナ。早かったな。てっきりあの冒険者に最後まで付き合うもんだと思ってたが」
「グ・ラハに散々振り回された私を気遣って帰してくれたの!」
「? 何怒ってんだお前」
フィオナの怒りなど探る気もないというより、『それどころではない』というのがこの時のグ・ラハの率直な心境であった。
「それより、あの冒険者本当にすげぇんだ! 何の躊躇いもなくイクサル族の塒に乗り込んで、颯爽と霊砂を確保するあの勇姿……フィオナも見に来れば良かったのに、勿体ないことしたな?」
「それはね、あの冒険者さんがグ・ラハに振り回された私を憐れんで、安全なところで待ってろって言ってくれたから」
怒り狂ってもどうしようもないと、フィオナは厭味ったらしく言ってみせたが、グ・ラハにはまるで通じていなかった。
「大人しく言う事聞くなんて、らしくねーな。やっぱりフィオナもあの冒険者が只者じゃないって感じたって事か」
「それは、まあ……そうだけど」
「だよな!? もうオレ感動しちまって、『清水の霊砂』もあいつに譲る事にした!」
なんとなく想像はしていたが、どうか外れて欲しかった予感が見事に的中してしまい、フィオナは最早怒る気力も失せてしまった。
「そう落ち込むなって。結果的にラムブルースの手に渡れば、クリスタルタワーの調査には何の問題もないだろ?」
グ・ラハに背中を叩かれ、心ここに在らずだったフィオナはふらついてしまったが、お陰で少しずつ正気を取り戻しつつあった。
確かにグ・ラハの言う事は間違っていない。だが、己たちの霊砂探索があまりにも遅かったゆえに、あの冒険者が駆り出されたのもまた事実である。折角ひとつの霊砂を手に入れて、もうひとつの霊砂もあと少しだったというのに、自らそれを手放すなんて。グ・ラハは満足でも私はそうじゃない。フィオナの胸に再び怒りの炎が灯るのに、そう時間はかからなかった。
「――グ・ラハ!! どうしていっつも! 私に何も言わないで! 勝手な事ばかりっ!!」
「いや、だからなんで怒ってんだ?」
フィオナの複雑な感情はさておき、冒険者の協力によってクリスタルタワーの調査は大きく前進する事となった。このアラグ帝国の遺産が世界の命運を握っている事など知る由もないまま、彼らは漸く入口に立ったのだった。
2022/01/23