貝殻は、夏の宝箱を待ち侘びて

 ――以上が、『古代の民の迷宮』と呼ばれる遺構の調査報告である。
 なお、冒険者部隊の戦闘記録が概略となっているのは、私が彼らに同行させて貰えなかったからである。
 私は本調査において、バルデシオン委員会を通じ、アラグの知識をふまえた適切な判断と補助を依頼されている。
 ゆえに、防衛機構と冒険者の戦闘も見ておく必要があるはずだ。
 そう、絶対に、仕事だから、必要不可欠なのだ。
 いずれ始まるであろう『シルクスの塔』の調査においては、その点に留意して、同行を申し出る予定である!

「グ・ラハ、何してるの?」
「うわッ!!!」

 背後からフィオナに突然声を掛けられたグ・ラハ・ティアは、耳と尻尾を思い切り欹てて素っ頓狂な声を上げた。まるで幽霊か化物でも見たかのような態度に、フィオナは頬を膨らませる。

「なによ、まるでモンスターに出くわしたみたいに……」
「そうじゃねぇ! いきなり声掛けんな! びっくりするだろ!」
「別に気配消したつもりないけど。……随分と精が出てるね?」

 どこか呆れるように肩を竦めて訊ねるフィオナに、当たり前の事を聞くなとばかりにグ・ラハは手元の紙を裏返して、改めて彼女の顔を見遣った。

「ったりめーだろ。シャーレアン本国に提出する報告書だぞ、これ」
「え? 昨日完成させて、あとはもう送るだけじゃなかった? どこか抜けてるところでもあった?」
「その……個人的にちょっと書き足したいところがあったんだよ」
「えー、何?」
「いや、いいだろ別に」

 適当に誤魔化せば、先程まで筆を走らせていた紙を乱暴に畳んで服の中にしまうグ・ラハに、そこまでして見せたくないのかと、フィオナは内容など二の次で彼の態度を不可解に思い、眉間に皺を寄せた。

「どうして隠すわけ? 私だってこれでも一応賢人なんだよ?」
「なっ、怒るほどの事じゃねーだろ!」
「グ・ラハが隠し事するから」
「いや、その……あ、そうだ! シルクスの塔の調査はまだ先の話だし、グリダニアのカーラインカフェでも行くか? お前の好きな――」
「そうやって! いつもいつも食べ物で釣って誤魔化して! もういい!」

 グ・ラハの発言は結果的に火に油を注ぐ事となってしまい、フィオナは怒りを露わにして踵を返せば、どこかへと走り去ってしまった。
 その背中を呆然と見送ったものの、グ・ラハは安堵と後悔が同時に押し寄せ、どっと疲労を感じて思い切り肩を竦めた。

「見せたら絶対『こんな余計な事書くな』って言うだろーが。……いや、あいつもオレと同じ気持ちだろうし、案外反対しなかったかも知れねぇけど……」





 フィオナとて、何も気付いていないわけではない。喧嘩をしたり、偶々虫の居所が悪かったりする時、グ・ラハは決まって甘い食べ物を寄越すのだ。それはシャーレアンに居た頃から続いて来た、一瞬の儀式ですらあった。
 いくら人間の三大欲求のひとつが食欲とはいえ、食べ物に釣られて機嫌を良くするなど単純極まりない。フィオナも己の態度が周囲にどう思われているか、気付かないほど愚かではなかったが、グ・ラハのご機嫌取りを拒否しなかったのにはそれなりの理由があった。

 シャーレアン本国は、とにかくまともな料理が少ない。『賢人パン』がその最たる例で、効率良く必要な栄養素を得られる事を最重要視した結果、なんとも悲しい味なのである。
 当時のシャーレアンで、口にしただけで幸福に満ち溢れ、機嫌が良くなるほどの美味しい食物を探すのはなかなか難しかった。そんな環境で、グ・ラハはフィオナに笑顔になって貰おうと、色々と試行錯誤して甘い果物や菓子、あるいは料理を見つけては、一緒に食べようと誘い、フィオナはしぶしぶ了承しつつも、グ・ラハが見つけたものを口に含めば自然と笑みを零していた。美味しいものを口にしたから、というよりも、『グ・ラハが己のために美味しいものを見つけてくれた』という過程が嬉しかったのだ。

 今はシャーレアンにもそれなりに美味しい料理が増え、賢人パンは完全に極端な例と化したのだが、フィオナが子供の頃は、この世に存在する食物とは『そういうもの』なのだと思い込んでいた。それが魔法大学に入学し、様々な知識を身に付ける過程で、エオルゼアをはじめとする外の世界には実に美味な食べ物が多いと知った。
 無論それだけが理由ではないが、フィオナはそれほど『シャーレアンがこの世界で一番優れている国だ』と驕らないようになった。他国にも素晴らしい文化があり、そして書物だけでは得られない『知』もあるのだと捉えていた。シャーレアンに引き籠っているだけでは一生分からない事も、この世にはたくさんあるのだと。
 だからこそ、グ・ラハが大人になった今でも冒険譚に憧れているのを否定はしなかった。『歴史を記録する』という言い方をすれば大層立派に見えるが、実際のところ、童心を忘れられないだけなのだ。グ・ラハだけでなくフィオナも。

 フィオナはグ・ラハの事を良き友人だと思っているし、とにかく探求心に溢れ、知識が豊富なところも心から尊敬している。とりわけアラグ文明においては、この世界で右に出る者はいないかも知れない。少なくともフィオナはそう思っている。
 だからこそ、隠し事をされたのが許せない――と言うよりも、悲しかったのだ。別に誰にだって打ち明けられない事はあるし、グ・ラハは自分自身の事についてはあまり多くを語らなかった。フィオナとて無理に聞こうとは思わない。グ・ラハは大事な友人で、同僚で、何故だかアラグ帝国の皇族のように紅い瞳を持っている、不思議な人だ。どうして自分の一族にだけアラグの特徴が表れているのか、それを知る為にグ・ラハは何年もシャーレアンで研究を続けている。本人が知らない事もあれば、逆に敢えて打ち明けない事もあるだろう。
 それはフィオナとて分かっている。重々承知している。
 だが、今回は違う。原因が此度のクリスタルタワーの調査における『ノアレポート』にあるからだ。
 ノア調査団は発起人のグ・ラハが代表ではあるが、フィオナとてバルデシオン委員会のメンバーとしてこの調査に参加している。例え助手だろうとこの調査の事に関しては、すべてを知る権利がある筈である。本国には報告出来て、仲間の己には隠すなどどういう事か。どんな理由があろうと、その理由すら言って貰えなければ納得できない。フィオナは大層頭に血が上っていた。それもこれも、結局はグ・ラハの事が大好きだから――それに尽きるのだ。





 冒険者部隊が古代の民の迷宮の踏破を終えた後、ノア調査団は一時解散となり、聖コイナク財団とガーロンド・アイアンワークス、そしてバルデシオン委員会から派遣されたグ・ラハ・ティアとフィオナにて、引き続き調査を行っていた。
 だが、調査はこのクリスタルタワーで一番最初の壁であった『八剣士の前庭』と同様、防衛機構の突破法が掴めず行き詰まっていた。前回見事に仕組みを見抜いて防衛機構を破ってみせたシドでさえも、今回はお手上げであり、グ・ラハもフィオナも色々と模索してはいるものの、手詰まりといっても過言ではなかった。
 そして、『シルクスの塔攻略時に冒険者部隊へ同行する』事を実現するという口実で、鍛錬を積みに冒険に繰り出す――というような、最早本来の目的が疎かになっている日々を送っていた。
 シドは「考えても答えが出ないなら、気分転換に身体を動かして来い」と背中を押してくれていたが、ラムブルースは渋い顔をしており、フィオナもどうしたものかと悩みながらグ・ラハと共にエオルゼアを駆け回っていた。

 ――それもつい先日までの話であり、グ・ラハに怒りをぶつけて単独行動を選んだフィオナは、行く宛もないままテレポでモードゥナを離れた。
 エーテライトで一度交感さえしてしまえば、世界中どこへでも移動出来るのだから便利なものである。エーテライトの仕組みを創り出したのはシャーレアンであり、各国に提供して対価として金銭を得ている。研究するにも資金は必要であり、徴収も止む無しである。だが、それを元に今は『交感しなくてもテレポで移動できる手段』を確立しようと日々研究に励む者がシャーレアンには存在する。まあ、本当に実現するか、そして実現したとしても人体に影響が出ないかはまだ分からないのだが。エーテライトの利用でさえも向き不向きがあり、ひどいエーテル酔いに苛まれて「もう二度と使いたくない」と嘆く者もいるという話だ。ゆえにチョコボに搭乗するといった原始的な移動手段は未だ現役である。グ・ラハの言う『冒険』を味わいたいなら、敢えてチョコボを借りて移動してみるのも手であろう。

「……って、私、またグ・ラハの事考えちゃってるし……」

 フィオナがテレポで到着した都市は、海の都『リムサ・ロミンサ』であった。目的もなくこの地を選んだものの、潮風でも浴びて頭を冷やそうという気持ちが無意識に沸いた可能性も無きにしも非ずである。
 どこまでも続く青い空、何処にいても聞こえる波の音。それだけで気持ちが随分と晴れたフィオナであったが、決してバカンスに来たわけではないのだと首を横に振った。

「だめだめ、シャーレアンの賢人たるもの、こんな浮ついた気持ちじゃ――」
「あら? あなた……」

 自分に話し掛けているのだとフィオナが気付くまでに、そう時間はかからなかった。ふと顔を向けた先に、グ・ラハと同様耳と尻尾を生やした、どこか陰のある女性と目があったからだ。

「あ、あなたは――もしかして、ヤ・シュトラさん!?」
「あら、私の事を知っているなんて、光栄ね」

 フィオナの読みは当たっていた。目の前にいるミコッテ族の女性はヤ・シュトラ――シャーレアンの賢人、そしてバルデシオン委員会に所属するヤ・ミトラの姉であり、かつての『救世詩盟』、そして今の『暁の血盟』の一員である。

「はい! あ、お初にお目に掛かります、私はフィオナと申します」
「ああ、やっぱり。あなたが『あの人』の言っていた子ね」
「あの人?」

 微笑を零すヤ・シュトラにフィオナは首を傾げたが、回答を待つ前に答えに辿り着いた。
『古代の民の迷宮』踏破後、例の手練れの冒険者に「ヤ・シュトラなら自分の事を知っているかもしれない」と伝えていたのだ。尤も、本当に知っていたかどうかは別として。

「ああ、あの方ですね! すみません、あの方に『ヤ・シュトラさんならもしかしたら私の事を知ってるかも』なんて烏滸がましい事を言ってしまって……」
「そんな風に自分を卑下するものじゃないわ。クリスタルタワーの調査に励んでいるのでしょう?」
「……それを言われると胸が痛いです」

 まさか調査に行き詰まるだけならまだしも、同僚と口喧嘩――というより自分が一方的に不貞腐れてふらふらとここに来た、などと言えるわけがない。
 だが、ヤ・シュトラはある程度お見通しであった。

「調査に行き詰まって気分転換をしに来た、というところかしらね」
「あっ……うう、御名答です……」
「アラグ帝国の魔科学を紐解くなんて、そう易々と出来る事ではないわ。焦る気持ちは分かるけれど、こうして気分転換するのは悪い事じゃない。だから、そうやって委縮しない事ね」

 なんて気高い人なのだろう、とフィオナがヤ・シュトラに羨望の感情を抱くのは、当然の流れであった。己もこんな風に強い人でいられたらどんなに良いか。勿論、ヤ・シュトラの自信に満ち溢れる雰囲気、でも決して他者を見下すわけではないその魅力は、彼女が積み重ねた経験によるものであろう。一朝一夕で身に付けられるものではない。
 そんなフィオナの視線に、ヤ・シュトラは興味深そうに口角を上げた。気まぐれと言えばそうなのだが、冒険者が協力しているというクリスタルタワーに興味がないわけではないからだ。全面協力するほどの時間は割けないものの、助言くらいなら出来るかも知れない、と。

「フィオナ。良かったら少し話を聞かせて貰えないかしら? 他者の何気ない言葉で、何らかのヒントが得られる事もあるかも知れないわよ」
「良いんですか!? 是非!」

 尤も、この後クリスタルタワーの調査ではなく、グ・ラハへの愚痴を聞かされる羽目になり、ヤ・シュトラは早々に後悔する事になるのだが。何はともあれ、この出会いはフィオナの未来に多大な影響を与える事となるのだった。

2022/04/08

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