原罪を背負う瞳

 アートボルグ砦群での暮らしは、そう長くは続かなかった。アトリ自身、父亡き後はひとつの場所に留まる事はあまりなく、オルシュファンと共に暮らしていた時も、外に働きに出るのが日常だっただけに、何もせず室内に引き籠る日々は、かえってアトリの心を蝕んだ。
 過去にしがみ付いていても、何も解決しない。
 現実を受け入れるのが辛くても、このままではいけないと、アトリも分かっていた。
 分かってはいても、最初の一歩を踏み出す事が出来ずにいた。
 それは、愛する人の死を受け入れる事に他ならないからだ。

「――お越しいただいたところ申し訳ありませんが、今はまだ……」

 ふと、遠くでフランセルの声が聞こえ、アトリは与えられた部屋から出て、声のしたほうへと歩を進めた。もし己がここにいる事で、来客をもてなす事が出来ないのなら、席を外そうと思っての事だった。

「フランセル様、お客様ですか?」
「アトリ……!」

 アトリは何故フランセルが相手に対し断りの言葉を紡いでいたのか、何も考えていなかった。冷静に考えると、ただの来客ならば、別にアトリひとりが居ようとフランセルの仕事には何の支障もない。
 要するに、ただの来客ではないという事だ。

「アトリ殿、どうか無礼を許して欲しい」

 フランセルと対面していたのは、皇都にいるはずのアルトアレールであった。キャンプ・ドラゴンヘッドにアトリが戻っていない事を騎兵たちから聞きつけて、タタルからなんとか居場所を聞き出してやって来たのだ。
 アルトアレールはアトリを見るなり、すぐさま歩を進めれば、彼女の目の前で跪き、そして顔を上げた。その顔はやつれ、心労を重ねているのは一目瞭然であった。

「あなたはフォルタン家の一員だ。屋敷に戻って来てはくれないか」
「そんな! 今更勝手な事を……!」

 真っ向から反論したのは、アトリではなくフランセルであった。オルシュファンが生きている間、そんな言葉が掛けられた事はなかったであろう事は明白だからだ。暁の血盟を匿っていたフォルタン家の屋敷に、アトリがあまり寄り着かず、タタルとは屋敷の外で交流していた事が何よりの証拠である。

「アルトアレール殿。お言葉ですが、アトリの気持ちを第一に考えて頂けませんか。あなたがたは、アトリを保護する事でオルシュファンへの罪滅ぼしがしたいだけなのでは?」
「フランセル様! 言い過ぎです!」

 アトリは思わずフランセルに駆け寄って、それ以上は言わぬよう彼の腕を掴んで牽制した。

「……ごめん、アトリ。君の気持ちを考えろと言っている僕がこれでは……」
「良いのです。お気遣い、感謝します」

 先程のフランセルの言葉は、ずっとアトリの心の奥底にあったどす黒い感情そのものであった。ゆえに、彼を責める気などなかったし、寧ろ気が晴れたくらいである。
 ただ、冒険者やアルフィノたちのように、仇を討つために剣を取る事が出来ない者たちは、結局は慰め合う事しか出来ない。アトリも、フランセルも、そしてフォルタン家の皆も。
 フランセルの言い分は尤もだが、かといってわざわざここまで出向き、己のような存在に頭を下げたアルトアレールを、アトリは拒否する気にはなれなかった。
 アトリはアルトアレールに顔を向ければ、無表情で頷いた。

「……分かりました。フォルタン伯爵邸に伺います」
「アトリ!」

 フランセルは必死で止めようとしたが、アトリは首を横に振った。

「そもそも私がイシュガルドへの立ち入りを許可されているのは、フォルタン伯爵のお心遣いがあっての事です。今後の事を、話し合わなければなりません」
「アトリ殿、まさか……」

 アトリの言葉を『イシュガルドを去る』と捉えたアルトアレールは、一瞬目を見開いたが、彼女の気持ちを尊重したいと考えているのは、彼も同じであった。
 教皇と蒼天騎士団がイシュガルドを離れた今、混乱している皇都において、異邦人であるアトリを追い出す権利は誰にもない。ゆえに、そんな事を話し合う必要はないのだが、アトリが言いたいのは形式上の話ではないだろう。
 オルシュファンがいないのなら、己がこの国にいる必要はない、という事なのだ。

「……私どもは、アトリ殿とは今後も良き関係を築こうと考えている。それだけは、分かって欲しい」

 アルトアレールの言葉にアトリは頷いたが、正直何も聞き入れる気にはならないのが本音であった。ただ、どちらにせよこのままフランセルに甘えているわけにはいかない。アトリはそう決めて、アルトアレールについていく事にした。

「アトリ、良いのかい?」
「はい。私が顔を出す事で、フォルタン伯爵の心労が少しでも軽くなるのなら……」

 結局は良いように使われているのではないか、とフランセルは内心気が気ではなかったが、ここからはフォルタン家の問題である。己が立ち入る問題ではないと、口を出したい気持ちをぐっと堪えた。

「フランセル様。話し合いが終われば、またここに戻って来ても良いですか?」
「ああ、勿論だよ。待ってるよ」

 アトリの言葉にフランセルは少しだけ安堵して、不本意ではあるが、ふたりを見送る事とした。アルトアレール、アトリ、そして最後にフランセルが部屋を後にして、外に出た瞬間。

「おい! ドラゴン族だ……!」

 アインハルト家の騎兵が叫び、アトリたちは顔色を変えた。
 見上げると、灰色の空をドラゴン族が飛行している。
 もう戦争は終わったはずなのに、何があったのだろう。アトリが考えるより先に、騎兵たちがドラゴンに向かって武器を構えた。中には銃を持った者もいて、ドラゴンが攻撃するよりも先に、騎兵たちが先攻する恐れがある。

 イゼルたちが明らかにしてくれた真実を、ここで無にしてはならない。

 アトリは考えるより先に、アインハルト家の騎兵たちの傍まで駆け寄って声を上げた。

「武器を下ろしてください! 戦争はもう終わったのです!」
「異邦人は黙っていろ! 死人が出て責任を取れるのか!?」

 騎兵たちはアトリがフランセルの客人だという事は把握しているが、自分たちが殺されるかも知れない状況で、国外の人間の言葉に耳を傾ける余裕などなかった。

「アトリ、ここは危険だ。いったん部屋に戻ろう!」

 フランセルもアトリの傍に駆け寄り、そしてアルトアレールもドラゴンを見上げて剣を掲げる中。
 ドラゴンが徐々に下降し、その背から何かが落ちて来た。
 否、誰かが降りて来た。
 こんな事が出来るのは、ひとりしかいない。

「イゼル!!」

 アトリがその名を叫ぶと、ドラゴンの背から降り立った女――『氷の巫女』は、周囲が向ける武器など気にも留めず、ただひとりを見つめていた。己の名を呼んでくれた、アウラ族の友人を。

「アトリ、やっと見つけた……」

 まさか己を探していたとは思わず、アトリは咄嗟に言葉を返す事が出来なかった。その隙に、アルトアレールがアトリの前に出て、イゼルに剣を向ける。

「この娘に手を出すな、『氷の巫女』よ!」
「違うのだ、私はこれ以上誰も傷付けるつもりはない……!」

 何も知らないアルトアレールにしてみれば、異端者組織がまた何かを企んでいると思うのは無理もない。現にここにいる全員が同じ認識であろう。
 だが、アトリはイゼルの言葉に嘘はない事を知っていた。

「アルトアレール様、大丈夫です。イゼルは冒険者様やアルフィノ様、エスティニアン様と協力し、ドラゴン族との戦争を終わらせた仲間です」
「だが、冒険者殿の姿がないではないか! 仲間なら共に行動するのが筋であろう」
「今、冒険者様はオルシュファンの仇を討つために行動しているはずです。イゼルもきっと志は同じです。私を訪ねて来たのは、イシュガルドに真の平和をもたらすため……」

 憶測でしかない。だが、イゼルがイシュガルドの現状を良しとしているわけではない事は、アトリとて考えずとも分かっていた。何故ならば――。

「そうですよね? 手段は違っても、イゼルはイシュガルドの平和のために戦って来たのですから」
「アトリ……」

 アトリはイゼルの傍に駆け寄れば、フランセルとアルトアレールに向かって頭を下げた。

「きっと私にも、オルシュファンのために出来る事があるはずです。それを、イゼルと探しに行きます」
「アトリ、危険だ! 異端者がまた暴動を起こすかも分からないのに……!」
「イゼルは私たちの味方です。冒険者様とアルフィノ様が皇都に戻られたら、この事を伝えて頂けますか?」
「そ、それは構わないけれど……」

 困惑するフランセルとは違い、アルトアレールは最後までイゼルへの敵意を露わにしたままであった。

「……『氷の巫女』。アトリ殿は我々にとって家族同然だ。彼女を傷付ける事は、断じて許さぬ」
「承知した。元よりそのつもりはない」

 イゼルはアルトアレールにきっぱりとそう告げれば、アトリに手を差し出した。

「行こう、アトリ。『ドラヴァニア雲海』へ」
「ドラヴァニア……」

 アトリがイゼルの手を取った瞬間、ドラゴンがすぐ傍へと着地する。イゼルはアトリを抱きかかえてドラゴンの背に乗れば、そのまま上昇して、空高く飛び立って行った。

 アートボルグ砦群に静寂が戻り、騎兵たちは呆然と空に消えるドラゴンを見送っている。

「……これで良かったのかな」

 ぽつりと呟くフランセルに、アルトアレールは思いも寄らぬ事を口にした。

「無論だ。アトリ殿の意志を尊重すると言ったのは、フランセル殿、貴殿であろう。……全く、どこまでも破天荒な娘だ」

 最後にそう呟いたアルトアレールは、呆れつつも、どこか優しい笑みを浮かべていた。





 辿り着いた先は、ドラヴァニア雲海の西にある『白亜の宮殿』であった。
 ここはクルザスとは異なり、アバラシア雲海と同様、雪や氷とは無縁であった。だが、決定的に異なるのは、人の営みが感じられない事である。人が生きる世界から切り離された廃墟だらけのこの地は、アトリにとって時が止まっている世界に見えた。

 長い歴史を感じさせる、美しく荘厳な石造りの城を目の当たりにしたアトリは、絶対にイゼルとはぐれないようにしなければ、と気を引き締めた。
 空を見上げれば、数多ものドラゴンが飛び交っている。戦争が終わったという事実を知らなければ、恐ろしい光景である。

 人が存在しないこの地は、まさにドラゴン族の楽園と呼ぶに相応しかった。アトリがもし彼らの反感を買えば、いとも簡単に殺されてしまうだろう。イシュガルドの人間ではなくとも、招かれざる存在に他ならないからだ。

 そんな中、イゼルはアトリを気遣ってか、何気ない雑談を口にした。

「ここより少し離れた場所に、モーグリ族の集落がある」
「モーグリ族!? ドラヴァニアにもいるのですね」
「……という事は、エオルゼアで見た事があるのか?」
「実際に見た事はありませんが、グリダニアの人たちはモーグリ族と共存していると聞きました」

 モーグリ族が蛮神を召喚したという話を耳にした事があるが、基本的には友好的で穏やかな部族だとアトリは聞いていた。蛮神召喚も、本をただせば人間が彼らの安息の地を脅かした事が大半の理由であろう。ガレマール帝国のように、侵略行為を続ける国があるように、各部族も人間に敵対する者と、共存しようと試みる者がいる。
 ドラゴン族も、いずれ人と手を取り合う事が出来るのだろうか。そんな事を考えつつ、アトリはふと、このドラヴァニアではドラゴン族とモーグリ族が共存出来ている事実に気が付いた。

「モーグリ族はドラゴン族と争わずに済んでいるのですね」
「ああ、元よりモーグリ族は争いを好まない。ドラゴン族とて敵対する理由がないからな」
「素敵です。ドラゴンとモーグリが一緒にいるところを想像すると、なんだか和みますね」
「そうだな。なんといってもふわふわで、可愛いからな……」

 まさかイゼルからそんな単語が飛び出すとは思わず、アトリは目を見開いた。

「……む? まさかアトリも、私がこんな事を言うのはおかしいと思うのか……?」
「いえ、イゼルとは好みが合うと思いまして……! モーグリ族をこの目で見た事はありませんが、書物などで外見のイメージは掴めています」

 アトリはそう言うと、人差し指でモーグリの形を虚空に描いて、最後に頭上の丸い玉を描いてみせた。

「そう、そうだ! アトリ、ほぼ合っているぞ」
「わあ、やっぱり書物の絵と同じなんですね! ふふっ、一度会ってみたいです」
「警戒する相手ではないと分かれば、彼らは姿を見せてくれるだろう」

 そんな事を話しながら歩を進めていたものの、イゼルがドラゴン族が屯する廃墟の中へと足を踏み入れ、アトリは思わず足を止めてしまった。

「……イゼル、ここは安全なのですか?」
「ああ。そもそもアトリはイシュガルドの民ではないのだから、恐れる必要はない」
「だと良いのですが……」

 はぐれないよう、イゼルの傍にぴったりと寄りながら、アトリは恐る恐る歩を進めていく。
 そして、イゼルは足を止めた。

「フレースヴェルグ、紹介しよう。遥か東方の地から来た、私の友人だ」

 イゼルの言葉に、アトリは息を呑んだ。
 恐る恐る顔を上げると、目の前には巨大なドラゴンが佇んでいた。
 聖竜フレースヴェルグ――今より千二百年前、シヴァという名の人間と愛し合い、そしてイシュガルドの民の裏切りにより、千年もの間人々を苦しめて来た、七大天竜の一翼である。

2024/04/17

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