臆病風の行方

 父の形見が手元に戻るまでの間、アトリはオルシュファンの厚意に甘え、キャンプ・ドラゴンヘッドで過ごす事となった。
 多くの冒険者がこの地を拠点としている事が幸いし、アトリも彼らの任務に加わる事が出来、慌しい日々を送っていた。それは決して苦ではなく、何もしないまま世話になるという事態だけは避けたかったアトリにとっては、寧ろ有り難い状況であった。



「オルシュファン様、ただいま戻りました!」
「戻ったか、アトリ。さあ、まずは冷えた体を温める為にゆっくりと――」
「では、夕食の準備の手伝いに入ります。一旦失礼いたします」

 任務から帰還し、オルシュファンの元に戻ったは良いものの、アトリは早々に出て行ってしまった。

「……客人なのだから、そこまで気を遣わなくても良いのだが」

 オルシュファンとしては、数奇な巡り会わせでアトリと共に過ごす事になったのだからと、もう少し親交を深めたいと考えていた。だが当のアトリは『世話になる以上は役に立ちたい』という思いで、完全にすれ違ってしまっていた。

 オルシュファンが焦るのには理由があった。アトリの父の形見が戻って来たら、彼女がここに滞在する必要はなくなり、再びこの地に戻ってくる可能性はないに等しいからだ。
 クルザスの地を離れた後、グリダニアを拠点とし冒険者稼業に勤しむか、あるいはウルダハへ戻るにしても、このままエオルゼアに滞在し続けるなら再会出来る機会はある。だが、アトリがある程度の資金を蓄え、かつひんがしの国への航路が復旧すれば、恐らく、もう二度とこの地に戻る事はない。アトリが故郷へ帰った後、父の亡骸が埋葬されているウルダハを遠路遥々訪れる事はあっても、果たして自分をスパイにでっち上げて処刑しようとしたこの国に顔を出そうと思えるだろうか。
 アトリと過ごせるのは今しかなく、極端な話ではあるが明日にでも形見が手元に戻れば、すぐにここを発つだろう。そう考えると、オルシュファンは少しでもアトリと話す時間が欲しいと考えていた。このイシュガルドという国に否定的な感情を抱いたままでいて欲しくないという大義名分、そして、彼自身がアトリの事を好意的に捉えているからに他ならなかった。



 アトリはオルシュファンと共に夕食を取るのが日課となっていた。任務から戻るのが夜更けにならないのは、他の冒険者たちもアトリがまだ駆け出しの身であり、クルザスには一時的に滞在しているだけという事を分かっているゆえに、気を遣っているからであった。アトリもそれを薄々感じており、あまり戦力になれていないのではないかと申し訳なく思っていた。

「アトリ、ここでの暮らしはどうだ? 不都合があれば遠慮なく言ってくれ」
「いえ、不都合な事など決して……! 皆さま親切で、驚いているくらいです」
「驚く、か。どこかで『イシュガルドは排他的』とでも聞いたのだろう?」

 アトリは思わず咽そうになった。
 まさにその通りではあるものの、それをこの国の人の前で言うのは憚られた。ただ、このキャンプ・ドラゴンヘッドが特異的な場所である事は理解している。他国から冒険者を受け容れるという行為は、この国のしきたりを考えれば異質であり、余程の信念がなければ出来ない事である。アトリは改めて目の前の騎士に敬意の念を抱いた。

「お前が黙ってしまうのも無理はない。あんな形で身を以て痛感した以上……」
「私より、オルシュファン様のほうが気苦労が絶えないのではないですか? 外部の冒険者を受け容れるのは、並大抵の覚悟がなければ出来ない事だと思います」
「まあ、何も問題がないと言えば嘘になるが……だが、私はそれ以上に強い者との出会いを求めている! この程度、苦労という程の事ではない!」
「そ、そこまで……」

 強い者を求めるなら、それこそルキアのいる神殿騎士団に入隊すれば良かったのではないか、とアトリは一瞬思ったが、この地の管理を任されているという事は、オルシュファンもそれなりの地位にいるのだろう、と少ない知識で考え直した。
 アトリはオルシュファンの事を何も知らないと言っても過言ではない。かといって根掘り葉掘り聞くのは躊躇われた。アトリはこれまで人付き合いで悩む事はあまりなかったものの、異国の地ともなると文化も宗教も異なり、クガネでは当たり前だった事が他国では無礼に値する事もある。そう考えると、なかなか積極的になれずにいた。

「そのお陰でこうしてお前と出逢えたのだから、苦労も報われるというものだ」

 オルシュファンは迷いのない強い眼差しをアトリに向け、そうきっぱりと言い切ってみせた。
 どうしてこの人は素性もよく分からない女に、ここまで優しく出来るのか。アトリは不思議に思いつつも、その優しさが嘘偽りなどない事も分かるだけに、純粋に嬉しく感じ、何故か胸の高鳴りを覚えていた。
 父の形見が手元に戻れば、ここに滞在する理由はなくなる。それはアトリも理解している事であり、このまま相手の事を何も知らないまま去っては、後悔に苛まれるであろう事も分かっていた。
 オルシュファンなら仮に自分が無礼を働いても、許してくれるのではないか。そう淡い期待を抱いて、アトリは意を決して口を開いた。

「あの、オルシュファン様……!」

 あなたの事をもっと知りたい。そのたった一言が、やはりアトリにはどうしても口にする事が出来ず――

「……この国の事を、もっと知りたいと思っているのですが……」

 今のアトリにはこれが限界であった。ただ、アトリの心境など知る由もないオルシュファンは、その言葉を好意的に受け取った。

「お前の事だ、決して悪い意味ではないだろう。イシュガルドに興味を持って貰えるのは私としても非常に有り難い」
「ええ。文化や宗教の違いもありますし、無礼を働く前に基本的な事は知っておきたいと思いまして」
「お前ほど礼儀正しい者は滅多にいないぞ? アトリが無礼を働くなど考えられんが……ただ、勝手の知らぬ土地で不安を覚えるのも無理はない。さて、どこから話そうか――」



 このクルザスの地では、人を喰らうドラゴン族との戦いが1000年も続いており、ゆえに長らく冒険者を受け容れていなかった事。第六星歴ではエオルゼア都市軍事同盟に参加していたものの、すぐに離脱せざるを得ない情勢であった事。
 また、宗教都市国家であり、イシュガルド正教の教皇が王権を持っている事。ルキアの所属する『神殿騎士団』はイシュガルド教皇庁の配下であり、また教皇直属組織として『蒼天騎士団』が存在する事。
 ざっと説明を聞いただけでも、この国が如何に命の危機に曝されているのかをアトリが理解するには充分であった。

「そんな過酷な環境だとは……私、第七霊災を経験したというのに、まだ心のどこかで平和惚けしていたようです。イシュガルドは霊災以前に、常に戦争状態という事なのですね」
「ふむ、そこまで深刻に受け止める事ではないのだが……ドラゴン族の活動にも周期があるのでな。無論、活動期に入ればアトリの考える戦争状態にはなるが」
「……排他的である理由がよく分かりました。外部の者を受け容れている状況ではないですね」
「私としては、外部のイイ冒険者を受け容れ切磋琢磨する事で、いずれはイシュガルドの戦力もさらに上がると考えているのだがな……」

 以前は冒険者を一切受け容れていなかったと考えれば、このキャンプ・ドラゴンヘッドだけでも拠点に出来る時点で、かなり融通が利いているのではないかとアトリは考えた。
 そして、いつドラゴン族との戦争になるか分からないとなれば、この地を拠点にするのなら、巻き込まれて命を落とす事も覚悟しなければならない。果たして今の自分にその覚悟はあるのか。迷いがあるうちはやはりオルシュファンに甘える事は出来ない――アトリは徐々にそう思い始めていた。

「さて、次はアトリの番だな」
「え?」
「私もお前の故郷の事を知りたいと思っていたのだ」

 オルシュファンの言わんとする事は分かるものの、アトリはどうにも返答に困ってしまった。ひんがしの国は鎖国する事で帝国の侵略を逃れ、唯一クガネは貿易港として開かれているものの、常に他種族と緊張状態にあるわけではない。アトリ自身が知らない事が裏では色々とあるのかも知れないが、何も知らず平和に暮らして来た以上説明しようがない。

「……オルシュファン様、申し訳ありません。私、本当に平凡な暮らしをしていて……既にご存知でいらっしゃる事以外、説明しようがないのです」
「謝る必要などないぞ。戦争のない暮らしこそ、民が欲しているものだ。というか、戦いと縁のない生活をしていた割には、些か筋が良過ぎるように思えるが……いや、お前が駆け出しの冒険者である事を疑っているわけではないのだが」
「一応護身術は学んでいました。父が商人なので、大金を持っていると思われるのか、子供の頃に誘拐されかけた事があり――」
「いや、待て。それは平凡とは言えないのではないか?」

 アトリはごく普通に答えただけだったのだが、オルシュファンはそうは思わなかった。アトリにとっては、イシュガルドにおけるドラゴン族との1000年にも渡る戦争に比べれば微々たる事だという認識でいたが、オルシュファンにしてみれば、誘拐されかける時点で平凡な生活とは言い難い。どちらの言い分も正しく、どちらも間違ってはいない。
 なお、オルシュファンは大前提として『強い者』を求めている。遥か東方の国で護身術を学び、父を喪った後ひとりで生きていく為に冒険者として生きる事を決めた少女は、それだけで興味を引くには十分であった。

「アトリ、もし良ければお前の話を聞かせて貰えないだろうか」
「私の? そんな、それ以外面白い話は特に……」
「そもそもお前は賓客だ。私に気を遣う必要はないのだぞ?」

 ここは寧ろ答えないと無礼にあたる。とはいえ、自分の事といったら身の上話になり、余計オルシュファンに気を遣わせる事態になってしまう。アトリはどうするべきか暫し悩んだものの、黙っていても先に進まない以上、覚悟を決めるしかないと息を呑んだ。

「クガネでは、商人の父に育てられ……海の向こうの世界に行く事を夢見て生きていました」
「『父に』育てられた? いや、伏せたい事ならば勿論無理にとは言わないが……」
「母は幼い頃に事故で命を落としたと……父からそう聞いています」

 そう口にして、アトリは僅かに後悔した。本当の事を正直に告げたは良いものの、相手に更に気を遣わせる事を鑑みれば、違う話の切り出し方も出来た筈だ。
 アトリは気遣われるより先に謝罪の言葉を口にしようとした。だが、当のオルシュファンは驚きを隠せない様子であった。

「あの、オルシュファン様……」
「……いや、こんな偶然があるのかと驚いていてな。私もお前と同じだ」
「同じ……?」
「私も子供の頃、病で母を喪っているのだ。私はまだしも、お前はさぞ大変だった事だろう」
「父が船で行商に出た時は寂しかったですが、でも、親戚や近所の方、それに友達も何かと気を遣ってくれたので、苦労という程の事はなかったと思っています」

 そう答えた瞬間、オルシュファンは寂しそうに目を伏せたように見えて、アトリは何か粗相をしてしまったかと内心狼狽えた。だがそれも一瞬の事で、オルシュファンはすぐにいつもの明るい様子へと戻っていた。

「そうか、イイ仲間たちに恵まれたのだな。いや、仲間というのは語弊があるか」
「ふふっ、似たようなものかも知れません。というか、オルシュファン様も私と同じで、お父様が一人でここまで育てられたのですね」

 アトリはごく当たり前に思った事を言ったつもりだったのだが、どういうわけかオルシュファンは気まずそうに目を逸らした。
 さすがにアトリもこれ以上話すのは憚られた。理由は分からないが、彼の機嫌を損なう事を口にしてしまったのだから無理もない。彼に甘えてはいけないと決めたのだから、これ以上介入してはならない。さすがにアトリも心の底から反省せざるを得なかった。

「……申し訳ありません。口が過ぎました」
「ま、待て! お前は何も悪くないぞ、アトリ!」

 オルシュファンは我に返って、慌ててそう声を上げた。ただ、アトリの言葉に対して真実を口にすれば、それこそ彼女にひどく気を遣わせてしまう事になる。ゆえに、返せる言葉は限られていた。

「私の出自については、機会があれば話そう。しつこいようだが、お前に決して非はないからな。言うなれば……私自身の問題だ」

 決して責める事はしないオルシュファンに、アトリは本当に自分はこれまで何もかも恵まれていたのだと思い知らされた。人とうまくやって来たつもりではいたが、もしかしたらこれまでも無意識に人を傷付けて来たのかも知れない。それに――誰もが必ずしも両親に愛されているというわけではなく、愛し方も人それぞれであり、それを子供がどう捉えるかも当然違う。そんな簡単な事すら分からず、相手も自分と同じだと思い込んでしまったのは、アトリの未熟さゆえであった。
 二人が微妙なすれ違いを起こす中、アトリがクルザスの地を離れる日は刻一刻と迫っていた。

2021/05/22

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