アウト・オブ・ノクターン

 暖かな部屋で目を覚ましたアトリは、煌々と燃え盛る暖炉の炎をぼんやりと見遣りながら、ふと既視感を覚えた。つい昨日もこの部屋で目を覚ましたような気がしたのだ。己は黒衣森で道に迷ってクルザスまで来てしまい、そこで気を失って、フランセルの管理する建物の一室で目を覚ましたのだ。そこまで思い出して、その先の出来事は果たして夢だったのか、それとも――一瞬夢と現実の区別が付かなくなったが、己のベッドのすぐ傍で、椅子に凭れ掛かって目を瞑っている男に気付いて、アトリは夢ではなく現実だと漸く理解した。

 己を助けてくれた騎士に礼を告げる為に、キャンプ・ドラゴンヘッドを訪れた事。そして、己がイシュガルドの外から来たというただそれだけの理由で、スパイ容疑を掛けられてしまい、無実を証明する為に神殿騎士と剣を交えた事。そして、亡き父の遺品をスパイではない証拠として預けた事で難を逃れたは良いものの、アトリにはその後の記憶がなかった。つまり、恐らく疲れ果ててその場で倒れてしまい、また彼に――オルシュファンに助けて貰ったのだと察するのは簡単な事であった。

 オルシュファンは椅子に座ったまま転寝しているようで、アトリはもしかしてここは彼の自室ではないかと察した。もし己の為にベッドを譲り渡したのだとしたら、このまま悠長に寝ていてはいけないと、慌てて起き上がり、彼の傍へ歩み寄った。

「オルシュファン様、起きてください……!」

 このままでいるよりは、起こした方がまだ良いアトリは判断し、オルシュファンの肩を揺さぶってみたものの、起きる気配はなく寝息を立てている。
 ならば、彼をベッドへ運ぶしかない。数歩程度の距離なのだから、体格差があっても大丈夫な筈だ、とアトリは思い立ち、オルシュファンの背中に手を回し、抱えようとした――瞬間。
 アトリは突然、頭に生えた角に衝撃を覚えた。と同時に男の呻き声がすぐ頭上で聞こえ、慌てて顔を上げると、視線のすぐ先でオルシュファンが額を押さえて苦悶の表情を浮かべていた。

「申し訳ありません! お怪我は……」

 まさか自身の側頭部にある角が凶器と化すとは夢にも思わず、アトリは狼狽してしまった。クガネで暮らしていた時も他種族と関わる事はあったものの、幸い相手がアトリの角に頭をぶつけるという事態には至らなかった。余程運が悪かったのか、もしくは己が相手に近付き過ぎたのか。どちらにしても相手を傷付けてしまった事に変わりはない。

「……アトリか。おはよう」
「いえ、まだ夜です」

 オルシュファンは寝惚けているらしく、時間も認識出来ていないようであった。アトリは冷静に答えつつも、額を押さえたままでいる彼の手を取って、外傷がないかひとまず目視で確かめた。前髪で隠れているものの、流血はなかった。それでも念の為、とアトリは彼の前髪をもう片方の手で除けて額をまじまじと見遣った。若干赤くなっているものの、腫れてはいないように見える。念の為冷やした方が良いのか悩むアトリに、経緯がさっぱり掴めていないオルシュファンは当然ながら困惑していた。

「アトリ、一体どうしたというのだ……? 随分と積極的だが……ま、まさか、私と」
「椅子でお眠りになられていたオルシュファン様をベッドにお連れしようとしたのですが、運悪く私の角が額に当たってしまったみたいで……本当に申し訳ありません」

 オルシュファンが何かを言い切るより先に、アトリは経緯を説明して、またぶつかる事のないようにと手を離せば数歩下がって距離を置き、頭を下げた。そしてゆっくりと顔を上げると、彼は何故か気まずそうに視線を逸らしていた。

「あの、遮ってしまってすみません。何か言い掛けていませんでしたか?」
「いや、気にするな。そう、出会って数時間しか経っていないというのに、そこまで事が進むなど有り得ん話だ……」

 アトリは気に掛かりつつも、あまりしつこく問い質すのも気が引けてこれ以上は追及しない事にした。それよりも、今は陽が昇るには些か早い時刻であり、このまま起きているのは自分は良くても、彼は明日の執務に支障を来すかも知れない。取り敢えず、適切な環境で睡眠時間を確保する事を最優先に考えなければ。そう決めて、オルシュファンに問い掛けた。

「もしかして、ここはオルシュファン様の自室でしょうか」
「いや、ここは空き部屋だ。遠慮なく寛いでくれ!」
「あ、ありがとうございます。……では、何故オルシュファン様はここで転寝を?」

 自分をこの部屋まで運んでベッドに寝かせてくれた、という流れは分かるものの、うっかり眠ってしまう事なんてあるのだろうかと疑問に思ったアトリは、それとなく訊ねてみた。

「父君の遺品だけでは証拠不十分として、お前が強引に連れ去られるような気がしてな。一人にしておくのは危険だと思ったのだが……護衛のつもりが、私まで寝てしまっては話にならんな」
「ルキア様を信じろと仰られたではないですか、考え過ぎですよ」

 アトリがきっぱりとそう言い切れるのは、ルキアの恩情により結果的に解放されたからであり、何かひとつでも選択を誤っていれば、今頃は裁判所で処刑されていた。ゆえに、オルシュファンの言い分も尤もであった。
 それよりも、どうしてそこまで自分を気遣ってくれるのか、アトリは不思議に思っていた。未だこのイシュガルドという国の事を深く理解してはいないものの、神殿騎士を前にしても己の無罪を信じてくれたのは、並大抵の事ではないと察していた。

「オルシュファン様、本当にありがとうございます。窮地を助けて頂いただけでなく、こうして寝室まで用意してくださって……何度お礼を申し上げても足りない位です。というか私、気を失っていたのですね」
「素人のお前がルキア殿と剣を交えたのだから、心身共に疲弊して倒れるのは無理もあるまい。寧ろ大丈夫なのか? どこか痛めてはいないか?」
「いえ、お陰様で大丈夫です」

 すっかり目も覚めたのか、立ち上がり詰め寄るオルシュファンに、アトリは気圧されそうになったものの、特に身体に痛みも感じない為きっぱりと返した。
 今思い返しても、ルキアは相当手加減をしていたとアトリは感じていた。今回の経緯について色々と知りたい事はあるものの、それは今この夜更けに深く考える事ではない。これ以上彼を引き留める事はせず、お互いに休んだ方が良い。そう決めて、アトリはオルシュファンを見上げた。

「お気遣いありがとうございます。私の事より、オルシュファン様こそご無理をなされては、明日の執務に差支えが出てしまうのではないでしょうか」
「私は問題ないのだが……いや、お前はしっかり疲れを取らねばならんな」

 心配し過ぎてはかえってアトリに負担を掛ける事になる、とオルシュファンは考えを改めれば、名残惜しそうに背を向けた。

「ではな。今晩だけと言わず、暫くの間この部屋を自由に使うといい。スパイ容疑が晴れない限り、下手にクルザスを出れば面倒な事になりかねんからな」
「そうですよね……ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」

 アトリとしても父の形見が手元に戻るまでは、暫くここに滞在するつもりではいたが、まさか自由に出入り可能な寝床まで用意して貰えるとは思っていなかった。咄嗟に謝罪の言葉が口をついたが、受けた厚意に対してはちゃんと対価を払わなければ、とすぐに思考を切り替えた。対価とは金銭だけではなく、相手にとって得となる事全般を指す。尤も、それが何なのかを考えるところから始めなければならないのだが。

「アトリ、お前は何も悪くないのだから謝罪は不要だ。寧ろ、詫びるのはこちらの方だ。我が国の一部の者とはいえ、お前をスパイだとでっち上げるとは……他国の者の侵入を牽制するための見せしめとしか思えん」

 軽く溜息を吐くオルシュファンの後姿を見て、アトリは少しずつこの国を理解し始めた。
 己が育ったひんがしの国も、ガレマール帝国の侵略を阻止するために強固な鎖国体制を取っており、このイシュガルドも似たような状況なのだろう。ひんがしの国では、唯一クガネだけは貿易港として開かれていたものの、それは島国だから出来ることである。既にこのエオルゼアはいくつかの国が帝国に支配されており、だからこそ他国の者に慎重になるのも無理はない。オルシュファンの言葉が推察通りだとしたら、偶々自分が運悪く生贄に選ばれてしまったのも、国を護る為の正義で行われた事なのだ。
 理不尽ではあるものの、それに対して誰かを咎めるのではなく、無実が証明された際に喜ぶに留めたほうが、何より自分がここで生きやすくなる。考えが甘いかも知れないが、アトリはそう結論付けた。

「オルシュファン様が守ってくださっただけで充分です。帝国の侵略を阻止する為には、時として非情にならざるを得ない事もあると、私も承知しています」

 無実の罪を擦り付けられたというのに、まるで怒りもしないアトリに、オルシュファンは思わず振り返った。アトリの言う事も一理あるものの、偶々運良く処刑を免れただけであり、今頃殺されていた可能性もあるのだから、心配するなというのは無理な話であった。

「……お前は人が好過ぎると言われないか?」
「私にしてみれば、見ず知らずの異邦人を救ってくださったオルシュファン様のほうが、余程お人好しだと思いますが……」

 互いに引く様子がなく、二人はどちらともなく笑みを零した。これ以上話を引っ張ったところで、褒め殺しのような事態に陥りかねない。それが悪い事とは言わないが、あいにく今は夜も更け、雑談に興じる時間帯ではなかった。

「さて、これ以上話していては、アトリが眠れなくなってしまうな。では、私はこれで失礼させて貰おう」
「分かりました。おやすみなさい、また明日」

 そもそもアトリはオルシュファンが騎士という事しか知らず、どういった立場なのか、詳しい事はよく分かっていなかった。砕けた挨拶が失礼にあたらないか、口にした後で不安を覚えたが、幸い彼は全く気にしない性格であった。

「ああ。おやすみ、アトリ」

 オルシュファンは優しく微笑んでそう答えれば、背を向けて部屋を後にし、再び静寂が訪れた。本当に、己より彼のほうが人が好過ぎるとアトリは苦笑したが、フランセルが彼の事を信頼しているのも頷けた。
 もっと知りたい、この国の事も、この国に住まう様々な人たちの事を、そして――。アトリもまたベッドへ潜り込めば、安心して眠れる環境に心から感謝しつつ、目を瞑りゆるやかに夢の世界へと落ちていった。

2021/05/05

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