天翔ける蜻蛉

 イシュガルド下層を見て、やり場のない怒りに襲われたのはアトリだけではなかった。アルフィノも同様であり、フォルタン伯爵に皇都の感想を聞かれた際、思わず下層の惨状を口にしてしまったほどであった。
 だが、フォルタン伯爵とて、この国を変えたいと願い、行動を起こしている人物である。下層の現状を良しとしている訳では当然なかった。
 自分たちを匿ってくれる代わりにお礼がしたいと言うアルフィノに、伯爵は提案を投げ掛けた。
 アルフィノには、物資の調達のために仲介役を依頼し、そして冒険者には、アルトアレールとエマネランの任務に協力するよう依頼したのだった。



「アルフィノ様はウリエンジェさんと連絡を取りながら、『暁』の皆様の探索も並行されるそうでっす」
「お二人とも、休む暇もありませんね。……ですが、悩む余裕もないほど忙しいほうが、かえって良いのかも知れません」

 忘れられた騎士亭にて、アトリは再びタタルと落ち合い、カウンター席で今後について話し合っていた。さすがに今回はお酒ではなく、アルコールのない飲料を提供して貰っている。

「タタルさん、私も協力します。『暁』と深い関わりがない私なら、ウルダハやレヴナンツトールで状況を探る事も可能です」
「ありがとうございまっす! ただ、アトリさんがもし私たちに協力していると知られたら、大変な事になりそうなのでっす……」
「そうならないよう善処を尽くします。敢えて仕事に復帰して、ロロリト様と密に連絡を取った方が、監視の目を誤魔化せるかも知れません」

 今のアトリは、祝賀会での事件で父を喪ったトラウマが蘇り、一時的にレヴナンツトールでの仕事を休んで、オルシュファンの元に身を寄せているという事になっている。それは事実で間違いないのだが、恐れていては何も始まらない。冒険者やアルフィノがフォルタン伯爵の下で動いている中、自分だけが何もせずに安全圏にいるのも、役立たずな気がして落ち込むというものだ。
 だが、タタルにしてみれば、アトリが危険を侵してまで自分たちに協力するのは、些かやり過ぎであった。アトリは決して、諜報員や手練れの冒険者というわけではないのだ。

「うう……ですが、万が一アトリさんの身に何かあったら……わ、私は……」

 今にも泣きそうな顔をするタタルに、アトリははっとして慌てて彼女の手を取った。

「大丈夫です! 私が異国の地で霊災を乗り越え生きているのは、多くの人の助けがあってこそです。皆様に助けられた命を粗末にするつもりはありません」
「……約束でっすよ」
「はい。もう誰も喪いたくない気持ちは、私も理解出来ているつもりです」

 タタルの表情に笑みが戻ったのを確認して、アトリは手を放せば、ノンアルコールの飲み物に口を付けた。店主のジブリオンが見守る中、アトリは再び話を戻す。

「それに、私もロロリト様に話さなければならない事があるのです。暁とは関係のない、私事ですが」
「成程でっす。元々用事があるのなら、自然に探りを入れる事も出来そうでっすね」

 とはいえ、暁の血盟と接触している事が知られないと良いのだが、とタタルは内心不安に思いつつ、それとなく用件を訊いてみる事にした。

「あのう、アトリさん……私事って、どんな話なのか聞いても良いでっすか?」
「はい、勿論です。ええと……オルシュファンと結婚する方向で話を進めていまして……」
「本当でっすか!?」

 その小さな身体からは想像出来ないほど大きな声を上げたタタルに、忘れられた騎士亭にいる客全員が顔を向けた。

「タ、タタルさん! 声が大きいです……!」
「だだだって、アトリさんがオルシュファン様と結婚するなんて、びっくりするに決まってるでっす!」

 タタルの声は店内に響き渡り、客として来ている神殿騎士団の者たちが、暫し沈黙したのち、一気に歓声を上げた。

「おおっ、ついに結婚か!」
「東方の商人さん、イシュガルドに来てもう五年位になるもんな。やっとか!」

 オルシュファンとアトリの関係は、噂という形で皇都中に広まってはいた。だが、いざこうして声を掛けられると、アトリもさすがに気恥ずかしさを覚えずにはいられなかった。

「確かに、まずは商会の皆さんにお話する必要があるでっすね。反対されないと良いのでっすが……」
「反対……寧ろイシュガルドで更に仕事を増やす商機だと喜びそうな気がします」
「はあ、アトリさんの幸せより商売が大事なんでっすね」

 タタルはロロリトという男の商魂に少しばかり呆れてしまった。いっそアトリが東アルデナード商会を退職して、暁が復活した際には己たちの仲間になれば良いのに、と思ったが、それをここで口にするのは憚られ、胸の内に秘めておく事とした。
 盟主ミンフィリアがアトリの事を気に掛けていたのは、タタルも知るところである。アトリが仲間になってくれたら、きっとミンフィリアも喜ぶと思っていた。それはもう、二度と叶わない願いだとは知る由もなく。



 キャンプ・ドラゴンヘッドに戻ったアトリは、早速オルシュファンに話を切り出した。反対されるかも知れないと思っていたものの、オルシュファンは意外にも快くアトリの要望を承諾した。

「『暁の血盟に協力している』という一点を除けば、お前は何も嘘など吐いていないからな。ロロリト殿の目を欺く事は問題ないと思っている」

 アルトアレールはアトリの純粋さが仇になると気に掛けていたが、要は暁の話を出さなければ良い。万が一知られたとしても、あくまで暁の三人を保護しているのはフォルタン家であり、キャンプ・ドラゴンヘッドの手からは離れたと言っても過言ではない。勿論、オルシュファンとしてはそんなつもりは到底ないのだが、傍から見ればの話である。

「それに、お前が以前気に掛けていたドマの難民が、どのような状況に置かれているかも心配だ。ユウギリ殿が動いている限り、大丈夫だとは思うが……」
「はい、ユウギリ様に任せきりというのも、申し訳なくて……」
「お前らしいな。レヴナンツトールに行けば、クリスタルブレイブの目を掻い潜ったユウギリ殿と接触出来るかも知れん。イイ選択だと私は思うぞ!」

 オルシュファンは、暁に協力出来ない事を気にしていたアトリが、自らの意志で動き出そうとしている事を喜ばしく思っていた。アトリは策略が蠢く社会より、暁のような正義を全うする組織のほうが似合っている。あの冒険者のように。

「ただ、問題はロロリト殿がお前と私の結婚を認めるかどうかだが……」
「タタルさんにも心配されました。私は全く問題ないと思っているのですが、楽観視し過ぎでしょうか」
「……なにせここはドラゴン族がいつ侵攻するか分からぬ状況だからな。私が知る限り、ロロリト殿はお前をただの部下のひとりとは思っていないように見える」

 オルシュファンは、タタルの見解とはまた違った見方をしていた。本来クガネで働くはずのアトリを敢えてエオルゼアに放ち、その割には毎日定時連絡を行うよう指示するなど、ただの仕事上の関係と捉えるには違和感があった。
 ロロリトのしている事は、まるでアトリという雛を成長させる為、自身の庇護のもとで大事に育てているように見えたのだ。
 何故、ただの部下にそこまでするのか。理由は、彼女の父の存在ではないだろうか。オルシュファンはそう考えていた。

「これは私の憶測だが……ロロリト殿はお前の父上と面識がある、それどころか懇意の仲だったのではないだろうか」
「そうでしょうか……ロロリト様からそんな話を聞いた事はありませんが」
「なに、私が勝手にそう感じただけだ。それならば、ロロリト殿がお前を娘のように気に掛けるのも理解出来る気がしてな」

 アトリはロロリトを過保護だと思った事はなく、己をスカウトしたハンコックなど、他の商人に対しても同じように接していると認識していた。ただ、一方でオルシュファンの言う事にも一理あるとも感じていた。

「もしロロリト様が私を娘のように思っているのだとしたら、尚更オルシュファンとの結婚を喜んで欲しいです」
「ふっ、そう簡単にはいかないのではないか? こんな男には渡せないと仰られる可能性もあるぞ」
「有り得ません。もし反対されたら退職も考えます。ロロリト様にも恩義があるので、そうならない事を願いたいですが……」

 とはいえ、暁の血盟にナナモ陛下暗殺の罪を着せた可能性もあるだけに、アトリはいざとなれば東アルデナード商会から離れる事も覚悟していた。尤も、その前に暁に協力している事を知られて、クリスタルブレイブに始末される可能性もあるのだが。
 慎重に行動しなくては。アトリはオルシュファンとの幸せな夜を過ごし、そして翌朝、覚悟を決めて東アルデナード商会へ向かったのだった。





「なんと、ついに結婚か! オルシュファン卿も漸くお前を生涯守ると決めたのか。いやはや、これはめでたい」

 ロロリトは想像より遥かに上機嫌で、アトリは拍子抜けしてしまった。オルシュファンの言うように、イシュガルドの情勢から反対される事も覚悟していたからだ。

「む? どうした、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして……」
「いえ……イシュガルドも先日ドラゴン族の襲撃を受けたばかりですし、早まるなと言われるかも知れないと思っていたので」
「なに、いざとなれば二人でウルダハに避難すれば良い。事実、イシュガルドを捨ててエオルゼアで暮らすエレゼン族も多くいる」

 アトリはオルシュファンがイシュガルドを捨てる事は有り得ないと思っていただけに、ロロリトの言葉は思いも寄らないものであったが、下手に余計な事を言えば、手のひらを返して反対される可能性もある。ここはロロリトの言葉に従っておこうと決め、アトリは驚いてみせた。

「そうなのですね。グリダニアではエレゼン族の方をよくお見掛けしましたが……確かに、イシュガルドから渡って来たと考えればごく自然な事ですね」
「さよう。ゆえに反対する理由など何処にもない。それに、イシュガルドが鎖国をやめれば、商会の支部を作る事も夢ではなくなるかも知れぬ」
「そうなってくれると、私も嬉しいです」

 さすがにイシュガルド支部を己に任せる事はないとは思うものの、皇都の門戸が開かれ、限定的であった他国との貿易が更に広がれば、下層に住まう民の暮らしも良くなるのではないか。現実は甘くはないと分かってはいるものの、アトリはそう願わずにはいられなかった。

「こんなに話があっさりと纏まるとは思いませんでした。折角なので、もうひとつ話があるのですが……レヴナンツトールでの仕事に復帰したいと考えていまして」
「もう、か? あんな事があった後だ、さすがに急ぎすぎではないか」
「ですが、祝賀会での一件は、私以上にドマの皆様も混乱していると思います。そんな中、私ひとりがイシュガルドでぬくぬくと過ごすのは、どうしても気が引けるのです」

 暁の血盟の事は伏せ、クリスタルブレイブの一員として働くドマ出身の者や、彼らの庇護をうけるドマの子どもたちの事が心配だという点に留めて言うと、ロロリトは心配無用とばかりに首を横に振った。

「ドマの難民はいつも通りに過ごしておる。寧ろ、ナナモ陛下を暗殺した『暁』が去った事で、真の平和が訪れたと言っても良い」
「……そうですか、それなら良いのですが……」

 アトリは暁の血盟の賢人たちの行方について訊ねたい気持ちを抑え、神妙な面持ちで思ってもいない事を口にした。下手に根掘り葉掘り聞いては、確実に疑われる。己はあくまで、祝賀会でパニックに陥った無力な存在であり、『暁の血盟』を恐怖の対象だと捉えている。アトリはそう演じるのだと心の中で言い聞かせていた。

「気になるのならば、レヴナンツトールに顔を出すと良い。仕事の復帰は急がん。寧ろそのせいでオルシュファン卿との生活が台無しになっては元も子もない。イシュガルドのサンシルクで仕事をする事も出来るのだ、ゆっくり考えよ」

 ロロリトはアトリに対してどこまでも優しかった。例え裏があるとしても、やはり祝賀会で彼女を守った事も、紛れもない事実である。
 だが、『暁の血盟』がナナモ陛下を暗殺したのだと主張する行為を、受け入れる事は出来なかった。優柔不断であろうと、アトリにとっては東アルデナード商会も、そして暁の血盟も、どちらも悪とは思えなかったのだ。



 ほんの数日不在にしただけのレヴナンツトールは、一見以前と変わらないように見えるものの、クリスタルブレイブの制服を纏った者たちがあちこちに立っていて、まるで監視されているような状況にも見えた。
 アトリはまず石の家のあるセブンスヘブンへ足を踏み入れると、ララフェル族の男が出迎えた。ユユハセである。

「これはアトリ殿。お休みを頂いていると聞いていますが……」
「ロロリト様に用事があって商会に出向いたのですが、ドマの皆様が心配だと話したら、顔を出してみると良いと勧められまして」
「そうだったのですか。ご覧の通り、いつもと変わらず過ごしていますよ。ご安心を」

 仰々しく両手を広げるユユハセの後ろでは、ドマの人たちが料理や食器洗いに勤しんでいた。いつもと変わらず、酒場として機能している。違うのは、『暁の血盟』がいないという事だけである。

「良かったです。ですが、あんな事がありましたし、皆様不安を感じていると思います……ユユハセ様、どうか皆様を守って頂けると私も嬉しいです」
「勿論です。その為に我々クリスタルブレイブがいるのですから」

 クリスタルブレイブの総帥であるアルフィノが行方不明だというのに、一体どの口が言うのか。やはり東アルデナード商会はナナモ陛下の暗殺に関わっているのかと、アトリは内心恐怖を覚えたが、表には出さずにユユハセに向かって深々と頭を下げた。

 セブンスヘブンを後にしたアトリは、もうこのままキャンプ・ドラゴンヘッドに帰ろうと、エーテライトに向かって歩を進めた。
 いざ移動しようとした時、背後から突然声を掛けられた。

「あの、アトリさん……!」

 アトリが振り返ると、ドマの難民である女性が遠慮がちにこちらを見ていた。ここで仕事をしていた時、ドマの人たちとも交流していた為、彼女は知らない相手ではない。
 挨拶しようと口を開いた瞬間、相手は周囲にクリスタルブレイブの隊員がいないのを確認すれば、アトリのすぐ傍まで近付いて、小さな声で囁いた。

「話はユウギリ様から伺いました。ご協力に感謝致します」
「……!」

 その言葉で、アトリは全てを察した。ユウギリは暁の血盟と協力関係にあり、きっと今この瞬間も暗躍している筈だ。つまり目の前の女性は、ユウギリと同じ志を持っていると考えて良い。
 アトリはクリスタルブレイブの隊員がこちらに近付いてきた事に気付き、わざと大きな声で言葉を紡いだ。

「お久し振りです……! 祝賀会であんな事があって、私、怖くてイシュガルドに身を寄せていたのですが……お会い出来てほっとしました」
「私もです、アトリさん。どうか私たちの事はお気になさらず、ゆっくり静養なさってください」

 クリスタルブレイブの隊員は、アトリたちが雑談に興じていると判断し、一礼すれば別の場所へと移動した。
 小声で話せば届かないであろう距離まで離れたのを見計らって、アトリは女性の手を取って、真っ直ぐな瞳で告げた。

「私は今、イシュガルドでアルフィノ様たちと協力し、行方不明になった暁の皆様の行方を探しています。必ず見つけてみせます。どうかそれまで、耐えて頂けますか……?」

 女性は神妙な面持ちでこくりと頷けば、同じように小声で囁いた。

「ありがとうございます。今のところクリスタルブレイブは我々に危害を加える様子はありません。アトリさんも、どうかお気を付けて」

 それは、決してクリスタルブレイブに動きを察知される事のないように、という忠告であった。アトリは真剣な眼差しで頷けば、相手から手を放し、エーテライトを通じてテレポでその場から姿を消した。
 アトリの言葉は、その女性、ひいては『暁の血盟』を信じていたドマの民を勇気付けた。盟主ミンフィリアがこの世界から消え、元の暁に完全に戻る事は叶わないとしても、アトリもまた『灯』を消さない為の力となっていたのだった。

2023/11/04

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