振り払った残像、そして

 アトリはグリダニアの宿屋『とまり木』の一室で、何も考えられないいまま、ただ茫然と天井を見上げていた。祝賀会で起こった悪夢のような大惨事は、本当に夢だったのではないか。本気でそう思ってしまうほど、あまりにも現実離れした出来事であった。
 ――そんな訳がない。夢だと考えるのは単なる現実逃避だ。
 人々の悲鳴。怒号。血の臭い。すべて現実で、護衛であるはずの己をずっと庇ってくれていたロロリトのあたたかな腕の感触も、何もかもが現実であった。

 ロロリトの護衛として参加したというのに、現実は逆に守られていた。彼が『暁の血盟』に関わらないよう己に言っていたのは、こうなる事を見越しての事だったのか。役立たずな己をずっと守り続けてくれていた、そんな主に巡り会える事は、もう二度とないかも知れない。

 けれど、何かがおかしい。

 アトリは少しずつ冷静になり始めた。一先ず喉の渇きを潤そうと、ベッドから起き上がり、室内に用意されていた水の入ったピッチャーに手を掛けて、コップに注ぐ。
 ナナモ陛下があのような死に方をしただけに、この水にも毒が含まれているのではないか、とアトリは一瞬血の気が引いたが、己を殺したところで誰も何も得などしない。その油断が異端者に囚われる原因となったのは分かっているものの、結局のところイゼルも異端者も己に危害は加えなかっただけに、やはりアトリは己に価値はないと思い直していた。

 当たり前の話だが、ナナモ陛下は己とはまるで違う。あの御方が居なくなれば、ウルダハという国は共和派が支配する事になる。共和派は、それを虎視眈々と狙っていたのだ。

 全てがおかしい。

 ナナモ陛下を暗殺したのはかの冒険者だという事も、暁の血盟が関わっていたという事も、イシュガルドとの和平も企みがあったという事も。
 何もかも、間違っている。
 これは共和派が仕組んだ罠であり、暁の血盟の皆は嵌められてしまったのだ。

 アトリは水を一気に飲んで喉を潤して、しっかりしなければと己の両頬を手のひらで叩いた。
 己はこの後どうすれば良いのか。こんな恐ろしい計画を知り、今まで通りロロリトの下で働き続けるなど出来そうにない。
 だが、それでも。己を守ってくれたロロリトの姿に、嘘偽りはなかったとも思っていた。

 何の解決にもならないが、取り敢えず夜風を浴びよう。そう思い、アトリは飲み干して空になったコップを机上に置けば、窓のほうへ歩を進め、何気なく外を見遣った。

 窓が閉ざされていても分かる。外ではクリスタルブレイブの隊員が何人も見回りをしていて、いつも静かであたたかな森の都は、今までかつてないほど騒然としていた。
 アトリはこの宿に来るまでの事を思い返した。恐怖のあまり泣きじゃくる己を、ロロリトの命によってクリスタルブレイブの隊員が、ここまで連れて来てくれたのだった。
 恐らくは、それすらも『初めから決まっていた』事なのだろう。

 ガラス越しに外を眺めていると、突然、コツンと乾いた音がした。まるで小石が当たったような音である。
 鳥か、あるいはモンスターか。今までこの宿屋でそんな経験はなかったのだが。アトリは怪訝に思いつつ、一体何なのか確認しようと窓を開けた。

 刹那、何かがアトリに覆い被さり、そのまま部屋の中へと押し戻された。
 その感覚は鳥でもモンスターでもない、紛れもなく人間である。

「アトリ殿、突然すまない」

 その声を聞いた瞬間、アトリは相手は敵ではなく、信頼に値する人間だと分かり、心の底から安堵した。自分でも驚くほどに。

「ユウギリ様……!」

 窓から突如現れた、同じアウラ族の女性ユウギリは、アトリから少し距離を置けば、即座に彼女の両肩を掴んだ。逃げられないよう話を聞いて貰う為だったのだが、アトリに抵抗する気はまるでなかった。寧ろ、ユウギリとの対面を待ち望んでいたかのように、涙を浮かべながら目を合わせている。

「冒険者殿から聞いていたのだ。何かあれば協力を仰げ、夜はこの宿屋にいると」
「冒険者様が……!」

 まさか何気なく言った言葉が、巡り巡って役に立つ時が来るとは。否、まだ役に立てると決まったわけではないのだが。それでも、冒険者の事を聞いた瞬間、アトリは安心感から頬を緩ませ、双眸から涙が零れ始めた。

「ユウギリ様……大変な事が起こってしまったのです……。暁の血盟の皆様が、ナナモ様を殺害した犯人に仕立て上げられて……」
「その口振り……やはりあなたは信頼できる人間のようだ」

 ユウギリはそこで初めて口角を上げ、アトリの両肩から手を放した。そして後ろ手に窓を閉めれば、被っていた頭巾を脱いで、その顔を露わにした。アトリにとっては二度目の顔合わせである。

「時間が惜しい、単刀直入に言おう。クリスタルブレイブから逃れられる、安全な場所はあるだろうか。出来れば、戦いの心得がない者でも休める場所が……」

 きっとこれは、神が定めた運命なのだ。今ここでユウギリを助ける事で、暁の血盟に恩を返すのだ。アトリが生まれ育った国の宗教で言うならば、八百万の神々がそう告げている。アトリは信仰深い性質ではなかったが、それでも、今この時こそ、正しい行いをすべきだと決意した。
 愛するあの人のように、困っている人に手を差し伸べられる存在になりたい。
 それもまた、己の目指すべき道なのだから。

 アトリにもう迷いはなかった。急いで部屋の隅まで歩を進めれば、そこに置いていた鞄から使い古した地図を取り出し、そしてユウギリの元に戻ってそれを広げた。

「ここより北部森林へ向かい、西のフォールゴウドを越えた先は、イシュガルドの領土です。雪原地帯に入りましたら、北北東へ向かい、石造りの集落を目指してください」

 アトリは地図を指差しながら説明し、そしてユウギリに手渡した。

「キャンプ・ドラゴンヘッド――冒険者様とも信頼関係にある、私の恋人が管轄している場所です。そこで落ち合いましょう」

 ユウギリはアトリから地図を受け取り、頷いた。だが、まるでアトリも協力するような言い方である。巻き込むつもりはなかっただけに、ユウギリは念の為確認を取った。

「アトリ殿、あなたはここに居なくて良いのか?」

 その問いに、アトリは即座に頷いた。エーテライトさえあれば、キャンプ・ドラゴンヘッドにはいつでも行ける。クリスタルブレイブの隊員に止められたとしても、一人では恐ろしいから恋人の元に行くと言えば良い。なにせ、ロロリトはそれを禁じてはいないのだ。

「冒険者様は以前こう仰りました。後悔はして欲しくない、と……。ここでユウギリ様に協力しなければ、私はきっと、一生後悔します」

 アトリの言葉に、ユウギリは安堵したように微笑むと、頭巾を被り直し、受け取った地図を懐にしまい込んだ。

「かたじけない。アトリ殿、この御恩は、必ずお返ししよう」

 一瞬の事であった。ユウギリは音も立てずアトリから離れ、そして窓を僅かに開けたと同時に、一切気配がなくなっていた。まるで、会話したのが夢だったかのように、部屋に静寂が訪れる。
 だが、アトリの鞄の中にはクルザスの地図は入っていなかった。五年前にフランセルから譲り受けたものであり、様々な思い出が詰まっていた。
 それでも、後悔はない。あの日オルシュファンが助けてくれて、フランセルとラニエットが優しく介抱してくれたように、己も誰かを助けたい。
 例えそれが主のロロリトを裏切る行為であろうとも、アトリはもう、迷わなかった。



「おや。アトリ殿、外は危険ですよ」

 宿屋『とまり木』で受付に退室の意を告げて、外に出たアトリを出迎えたのは、クリスタルブレイブの隊員であった。きっと、己を監視するようロロリトに命じられているのだろう。
 アトリは手荷物の鞄を両手できゅっと握り締めて、上目遣いで相手を見れば、不安そうに言葉を紡いだ。

「ひとりは、怖いのです……祝賀会の事を思い出すだけで……」
「なんと! それは仕方のない事です、ここはロロリト様に連絡を取り、商会で休みましょう」
「いえ、それには及びません」

 気遣う隊員に、アトリは首を横に降った。

「イシュガルドに居る恋人の元で過ごそうと思います。ロロリト様には、到着次第リンクパールにて連絡致します」
「イシュガルドこそ危険です! ドラゴン族の襲撃があったばかりだというのに……」
「それでも……今だけは、愛する人の傍にいたいのです。お心遣い、ありがとうございます」

 アトリはそう告げて、エーテライトに向かって駆け出した。
 そんな彼女の後姿を見送り、クリスタルブレイブの隊員は肩を竦めた。

「まあ、あんな様子では『暁の血盟』の為に動いているわけでもなさそうだ。さて、ロロリト様に報告を……」





 いつもと同じようにエーテライトを使って移動しただけだというのに、アトリの心は何処か高揚していた。愛する人に久々に会えるから、というよりも、漸く己が暁の血盟に協力出来た事に対する嬉しさである。尤も、最悪の事態になる前に何か出来る事があったのではないかと、後悔は尽きぬのだが。

 漆黒の空から白い雪が舞い落ちる中、アトリは白い息を吐きながら、オルシュファンの元へと走り出した。久々に現れたアウラ族の女を目にした騎兵たちが、次々に驚きの声を上げる。

「おお、アトリ殿がお戻りになったぞ!」
「これで隊長も元気を取り戻すだろうな」
「やはり、お二人は喧嘩でもされていたのか……?」

 本当は一人一人に挨拶したいところなのだが、今のアトリに多くの時間は残されていなかった。何度も訪れた場所に着き、息を切らしながら扉を開けると、あたたかな空気がアトリの頬を優しく包み込むと同時に、多くの視線が向いた。
 フォルタン家の騎兵たちの驚きの眼差し。そして、執務机で書面を睨み付けていたオルシュファンが物音に顔を上げ、突然現れた恋人の姿をその目に捉える。

「……私は夢でも見ているのか?」
「オルシュファン! 大変な事が起こったのです、どうか力を貸してください……!」

 その姿、その声。初めて会った時よりも随分と大人になった顔付き。意志の強い眼差し。これは夢などではない、紛れもない現実である。オルシュファンは気を取り直し、立ち上がってすぐさまアトリの傍へ駆け寄った。
 互いにぶつかりそうになったものの、オルシュファンはすかさずアトリの身体を抱き締めて、彼女の願いに応えるようはっきりと告げた。

「聞くまでもない。お前が困っているのなら、いくらでも手を貸そう」

 愛する男の声。力強い腕。その感覚、感触に、アトリは一気に胸の奥が熱くなり、瞬く間に双眸から涙が溢れ出した。

「オルシュファン……私……今まで、本当にごめんなさい……」
「何を謝る必要があるか!すべてを打ち明ける時が来た、ただそれだけの話なのだろう?」

 オルシュファンは涙声で訴えるアトリの髪を優しく撫でれば、今度は彼女の身体を軽々と持ち上げてみせた。

「きゃっ! オ、オルシュファン……! その、話を……」
「ずっと会えずにいたのだ、これくらいさせてくれ。とはいえ、急を要するようだな」

 オルシュファンはすぐさま部下に飲み物の用意を命じれば、そのままアトリを抱きかかえたまま、ふたりきりで話せる部屋へと歩を進めた。

「あの、下ろしてください! 歩けますからっ!」
「そう言うな、久々の逢瀬に胸が滾って仕方がないのだからな……!」
「理由になってませんよ……」

 嬉しさより気恥ずかしさが上回り、アトリは今までかつてないほど頬を紅潮させたのだが、そんな様子を騎兵たちや使用人は、呆れるような微笑ましいような、なんとも言い難い表情で見遣っていたのだった。



「共和派の罠で、暁の血盟がナナモ女王の暗殺犯に仕立て上げられた、か……。恐らくはクリスタルブレイブも、知らず知らずのうちに内部崩壊が始まっていたのだろうな」
「クリスタルブレイブは、あまりにも上手く行き過ぎていました。それをおかしいと思う事が出来れば、こんな事には……」

 暖炉で充分に暖まった一室にて。用意されたジンジャーティーを口にしながら、アトリは自責の念を零した。とはいえ、違和感に気付けたからといって、この事態を止める事は不可能であろう。それは祝賀会の場にいなかったオルシュファンとしても、分かり切った事であった。

「こればかりは、後悔しても仕方あるまい。寧ろ、私は驚いているぞ」
「驚く?」

 いなくなるのも現れるのも突然で、自分勝手極まりないと言われても仕方のないアトリを、オルシュファンは実に愛おしそうに見つめていた。

「商会と暁の血盟を天秤に掛け、後者を選ぶなど、以前のお前なら有り得なかった事だ」
「それは……」

 かの冒険者が、いつも己を助けてくれたから。
 ムーンブリダという才能溢れたシャーレアンの賢人が、恩を返す事も出来ないまま命を落としたから。
 ミンフィリアが、暁に入る気のない己をいつも気遣ってくれていたから。
 サンクレッドが、父を喪った己に手を差し伸べ、冒険者の道を進めてくれたから。
 ヤ・シュトラも、イダも、パパリモも、まだ会った事のないウリエンジェという人も、きっと親交を深めれば深めるほど、己に影響を与えたに違いない。

 そして、十六歳という若さでシャーレアンから遥々エオルゼアに降り立ち、祖父ルイゾワの意思を継いでこの世界を変えようとした、双子の少年少女。
 アルフィノという少年の危うさに気付いていながら、己は何も出来なかった。

 今更動いても、もう遅い。
 暁の血盟は皆無事なのか。きっと大丈夫だ、逃げ出している筈だ。そう思いたいものの、暁の血盟の一員ではないはずのユウギリが己に接触した事自体が、暁の賢人たちが動けない理由に他ならない。囚われているだけならまだ良い。もし、命を落としたとしたら。

 その責任は、己にもある。アトリはそう思っていた。

 険しい顔付きをするアトリであったが、オルシュファンは再度彼女の傍に歩み寄れば、未だ涙で潤む瞼を優しく指で拭い、鱗に覆われている頬をなぞった。

「アトリが気に病むのは無理もない。だが、このままではいけないと、勇気ある行動を起こしたお前を、私は誇りに思う! アトリ、お前の為なら私は何でもするぞ!」
「オルシュファン……」

 真っ直ぐな瞳に見つめられ、アトリは困ったように微笑んだ。私が勇気ある行動を起こす事が出来たのは、紛れもなくあなたのお陰だ。あなたに相応しい人になりたいからこそ、ずっと変わりたいと望んでいたのだ。
 だが、ここまで取り返しのつかない事態が起こる前に、変わるべきであった。アトリはこの先、ずっと後悔する事になると予感していた。

 とはいえ、落ち込んでばかりはいられない。ユウギリと合流する約束をしているのだ。『戦いの心得がない者でも休める場所』を探していただけに、恐らくは誰かを連れてここに逃げ込むのだろう。時間はかかると思っていたほうが良い。とはいえ、このまま暖かな場所で待ち続けているのは気が引けた。

「本当に、オルシュファンにはいつも背中を押されてばかりです。私もあなたのような、強く優しい人でありたい……その為には、今こそ前向きでいないといけませんね」
「そうだ、その意気だ! 確か、お前と同じアウラ族の女性がここに来る手筈となっているのだったな?」
「はい! ユウギリ様は私と違って、道に迷うような事はないと思いますが……心配なので、外で待っていても?」

 身体はすっかり暖炉の熱とジンジャーティーで暖まっている。多少外で待つくらいなら平気だ。そんなアトリの胸中を見抜き、これは止めても言う事は聞かないだろうと、オルシュファンは苦笑しつつ頷いた。

「構わんが、私も一緒に待たせて貰うぞ」
「駄目です! オルシュファンは日々の仕事もありますし、風邪を引かれては一溜まりもありません!」
「何を言っている。私はお前より遥かに寒さに強いのだぞ?」

 そう言って不敵に笑みを浮かべるオルシュファンに、アトリは何も言い返せず、ため息交じりに頷くしかなかった。オルシュファンに迷惑を掛けない程度に待たせて貰う事にしよう。そう決めて、アトリは彼と共に部屋を後にして、雪の舞い降る外へと舞い戻った。



「おや、隊長とアトリ殿。お二人で夜のデートですか?」
「残念ながら、デートはお預けだ」

 外で見回りをしている騎兵に訊ねられ、オルシュファンは首を横に振ったが、アトリと仲睦まじく手を繋ぐ姿は、誰から見ても逢瀬そのものであった。
 本人がそうではないと言っているのなら、下手な気遣いは不要であると判断し、騎兵はふたりをそっと見守る事にした。


 冷たい夜の風を頬に感じつつ、アトリはオルシュファンに問い掛けた。あまりにもこのキャンプ・ドラゴンヘッドが平和過ぎて、祝賀会での出来事が嘘のように思えたからだ。無論それは、暁の血盟とは別の話である。

「オルシュファン、ドラゴン族が再び皇都に襲撃したと伺いましたが、本当なのですか?」

 その問いに、オルシュファンは迷う事なく頷いた。

「うむ。先日の襲撃で皇都の魔法障壁が破られてしまってな。侵入を許してしまったのだが、幸い神殿騎士団によって大きな被害は免れたそうだ」
「真実だったのですね。もう、何が嘘で何が本当なのか……」

 オルシュファンは絶対に嘘は言っていない。アトリもそれは分かってはいたが、あの場で違和感を覚えたのも事実であった。そして、ルキアが己に告げた事を思い出した。『何かあればイシュガルドへ避難を』という言葉――彼らは途中退室したが、祝賀会のおかしさに気付いていたのだ。

「アイメリク様もルキア様も、ウルダハの共和派の企みを察しているように見えました。何も見抜けなかった自分が恥ずかしいです」
「なに、どこの国も『色々と』あるのだ。特にアイメリク卿は、嫌という程見て来たであろうな……」

 オルシュファンは決してアトリを咎めなかった。
 イシュガルドを避難先に選んだ己の選択に間違いはない。アトリはオルシュファンと手を絡めながら、改めてそう思ったのだった。


「む? あれは……」

 ふと、オルシュファンが門の向こう側を見て呟いた。アトリも同じように顔を向けて目を凝らすと、間違いなくこちらに向かって来ている人影が確認出来た。
 こんな夜更けにこの地を訪れる冒険者は早々いない。間違いなくユウギリであろう。

「さて、客人を出迎えるとしよう」
「はい! 行きましょう、オルシュファン!」

 絡めた手を一旦放して、ふたりはどちらともなく走り出した。例え手を放しても、己の隣には愛する人が傍にいる。こんな心強い事はない。アトリは嬉しさを隠せないまま、オルシュファンと共にユウギリの元へ駆け付けた。ただ、他に連れ立った人影はないように見えた。

「ユウギリ様! 良かった、お会い出来て……!」

 頭巾を被ったその人の元に辿り着き、息を切らしながらそう告げたアトリは、彼女の腕の中に子どもらしき者がいる事に気が付いた。
 否、子どもではない。アトリも面識のある、ララフェル族の女性である。
 彼女こそが、ユウギリの言う『戦いの心得のない者』――暁の血盟の受付、タタルであった。

「タタルさん! 私です、アトリです!」

 言った後、果たして名前だけで分かるだろうかとアトリは思ったが、それも束の間、ユウギリの腕の中にいたタタルが、アトリの方へ顔を向ける。目が合うや否や、タタルは瞬く間に、その大きな双眸から涙を溢れさせた。

「アトリさん……! 助けてくださいでっす……『石の家』が……皆が……!」

 そう言って泣きじゃくるタタルを、ユウギリがあやすように抱き締める。その言葉だけで、事態はアトリが思っているよりも遥かに深刻であると察するのは容易かった。

「まさか……暁の血盟の拠点にまで、共和派が……!?」

 クリスタルブレイブが共和派に乗っ取られたと考えれば、すべての辻褄は合う。
 呆然とするアトリであったが、その横でオルシュファンが、喝を入れるかの如く言い放った。

「詳しい話は、部屋に入ってからとしよう。それに、私は信じているぞ! あの冒険者はここで倒れるような者ではないとな!」

 その言葉は、アトリを奮い立たせるには充分であった。そう、己が初めてあの冒険者に会った時も、暁の血盟はガレマール帝国の襲撃で散り散りになっていたのだ。
 だから、今回も大丈夫だ。根拠はない、けれどかの冒険者の存在が、そう思わせてくれるのだ。

「ユウギリ様、タタルさん。私もオルシュファンの言葉を信じます。暁の血盟の皆様は、絶対に無事です! 皆様と合流出来るまで、一緒に頑張りましょう」

 アトリはそう言って、ユウギリと目を合わせて微笑を浮かべれば、彼女の胸で涙を流すタタルの頭を、帽子越しに優しく撫でた。

「私はこれまで、『暁』の皆様にたくさん助けて頂きました。今更手助けしたってもう遅い、なんて思いたくありません。今度こそ、皆様の力になりたいのです」

 はらはらと雪が舞い落ちる、凍てつく寒さの静かな夜に、アトリの透き通る声が響く。そんな彼女を、オルシュファンは何処までも優しい瞳で見つめていた。



 多くの犠牲を払いながら、ウルダハを脱出した冒険者とアルフィノがこの地に辿り着くのは、そう遠くない先の事である。
 冒険者たちにとって長い旅が、間もなく始まろうとしていた。それはイシュガルドという国を大きく揺るがすだけでなく、アトリとオルシュファンも過酷な運命に巻き込まれ、残酷な結末が待ち受けているなど、この時は誰ひとりとして知る由もないのだった。

2023/07/30

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