能動的な夢の続きを
オルシュファンの突然の告白――否、漸く言葉に出来た本心を受け止めたアトリは、暫く経っても心ここに在らずといった様子で、彼の胸に身を預けていた。まさかこんな日が訪れるとは思ってもいなかったのだから、呆然とするのも致し方ない話ではあるのだが、オルシュファンとしては気が気ではなかった。
「……アトリ、すまない。かえってお前を困らせてしまったか……」
「い、いえ! そんな事は決して!」
ぽつりと呟いたオルシュファンに、アトリは漸く我に返って顔を上げた。さすがにここで声を上げなければ、また元の関係に戻ってしまうと本能で察したのだ。勿論、今までの関係も心地良いものではあったが、かつてエスティニアンに言われたように、他の女性がオルシュファンと添い遂げるとしたら――考えるだけで、アトリは胸が張り裂けそうになった。愛する人の幸せを祝福するのもひとつの愛の形ではあるが、アトリはそのような心境にはなれなかった。商人として、そして冒険者として自立して生きてはいるものの、心のどこかで、オルシュファンからの返事を無意識に待っていたのだ。
「……嬉し過ぎて、上手く言葉に表せないのです。私こそ困らせてしまって、申し訳ありません」
「いや、お前が謝る必要はないぞ! これも、私がずっと煮え切らない態度を取ってしまったせいだ」
「オルシュファンこそ、もう自分自身を責めないでください」
押し問答のような状態になってしまい、オルシュファンとアトリは互いに見つめ合えば、どちらともなく苦笑を零した。
「このままでは埒が明かんな。というか、私は少し外に出て頭を冷やした方が良いかも知れん」
「では、私もご一緒します」
「いや、お前はここで寛いでいて良いのだぞ?」
「私も同じく、ぼうっとして頭が働いていないので……」
そう言って照れ臭そうに微笑むアトリに、オルシュファンもまた笑みを零せば、共に緩慢な足取りで暖かな部屋を後にした。もしも結ばれる時が来たとしたら、一緒にしたい事が山のようにある。互いにそう思いを巡らせていたものの、いざその願いが叶ったとなると、最初に何をしたら良いのか分からないという有様であった。
陽が落ちるにはまだ早い時間帯。日光が白い雪に反射して、眩しさ一瞬目を細めたアトリを、オルシュファンはどこか微笑ましそうに見ていた。行き先も決めないままキャンプ・ドラゴンヘッドを後にしようとしていたふたりの元に、オルシュファンの部下が駆け寄って来た。
「隊長、これからアトリ殿と狩りでも?」
「狩り?」
ただ頭を冷やす為に外に出たと馬鹿正直に言えば、部下とて困惑するだろう。オルシュファンがどう返答するか悩んでいる隙に、アトリが代わりに口を開いた。
「はい! オルシュファン様に槍捌きを見て頂こうと……」
「流石です、アトリ殿。異邦人にも関わらず、竜騎士としてイシュガルドの為に戦われるなど、我々も頭の下がる思いです」
「待て、まだアトリをドラゴン族と戦わせると決めたわけではないぞ」
行く宛もないまま咄嗟に乗ってしまったアトリであったが、オルシュファンが部下を制するように窘めた。
「無論、『その時』が来ればアトリだけでなく、この地に集うイイ冒険者たちに協力を願う事もあるやも知れんが……今はまだ、イシュガルドの問題に他国の者を巻き込むわけにはいくまい」
そう言って首を横に振るオルシュファンに、部下は「では二人は何処に行くのか」と素朴な疑問が湧いた後、ひとつの結論に辿り着いた。
「――隊長! も、申し訳ありません! 『逢瀬』を狩りと称するなど、失礼極まりない発言を……!」
堂々とそんな発言をされてしまった時点で、オルシュファンもアトリもこれから甘い雰囲気で過ごす気など吹き飛んでしまい、互いに顔を見合わせれば軽く笑みを零した。
「いや、気にするな。『狩り』は何もドラゴン族に限るわけではあるまい。そうだろう、アトリ?」
「はい! 先程も言いましたが、冒険者として成長した私を、オルシュファン様に見て頂きたいのです」
その言葉に、部下が『やはり逢瀬のようなものではないか』と内心思ってしまったなど、当の二人は知る由もないのだった。
ドラゴンヘッドを出て、ふたりはどこまでも続く雪原を緩慢な足取りで進んで行く。
雲ひとつない青空、真っ白な雪。アトリにとって、それは決して殺風景ではなかった。過酷な環境でも根を張り逞しく育つ木々や植物、そしてこの地に住まう人々が行き来する事で出来た雪原の道。それらは異邦人であるアトリを突き放すのではなく、寧ろ温かく迎えてくれるような感覚すら覚えていた。
アトリの故郷はおろか、エオルゼア三国では見られないこれらの風景は、彼女にとっていつ訪れても新鮮であった。
「――さて、頭を冷やすどころか、狩りに行く羽目になってしまった訳だが……」
「私は構いません、オルシュファンと一緒なら何処へでも」
オルシュファンとしては本当に狩りに繰り出すつもりではなく、冗談のつもりで話を切り出したのだが、アトリはこの恋人らしくもない状況を寧ろ楽しんでいた。
「それに、狩りもちょっとした『冒険』だと思いませんか?」
「冒険……」
「はい! 普通の冒険者のように様々な国を渡る事は難しくても、このクルザスの地であれば、ふたりで一緒になんでも出来てしまいそうです」
そう言って瞳を輝かせるアトリを見て、オルシュファンは漸く本来の調子を取り戻し始めた。想いを口にした事で、これからは友ではなく恋人として接し方を変えるべきなのか、無意識に戸惑っていたのだが、杞憂であった。
ふたり一緒なら、なんでも出来る。
たったそれだけの言葉が、オルシュファンの心に火を灯した。胸が熱くなり、この先いかなる困難が待ち受けていようと絶対に乗り越えられると、根拠のない自信が沸くほどに。
「ああ……そうだな。そんなお前だからこそ、共に未来を歩みたいと思ったのだ」
立ち止まり、ぽつりと呟くオルシュファンに、アトリは慌てて足を止めて振り返った。どこまでも真っ直ぐな瞳で己を見つめる彼と目が合い、アトリは改めて先程の告白を思い返して頬を赤く染めた。
「先程、私の部下に『槍捌きを見て貰う』と言ったのは、単なるその場凌ぎではなく、本心だと思って良いのだろう?」
続いた言葉は、決して甘い愛の囁きではない。けれど、無邪気な笑みを浮かべてそう訊ねる彼の姿は、アトリが恋をした相手に違いなかった。
アトリは暫しの間を置けば、笑みを零して頷いた。
「はい! 勿論です! 成長した私の姿、見ていてくださいね」
この地に生きる民を脅かすのは、ドラゴン族に限った事ではない。様々なモンスターが蔓延っているのは、エオルゼア三国と同様である。ただ、冒険者稼業の盛んなエオルゼアとは異なり、イシュガルドは主に騎士団や各四大名家の傭兵が対応している。キャンプ・ドラゴンヘッドのように、他国の冒険者を受け容れようと考える者が増えれば更に安全になるのだが、未だイシュガルドの門は固く閉ざされており、フォルタン家の願う未来が実現するのはまだ先の話であった。
西へと向かったアトリたちは、バテラーと呼ばれるモンスターの群れに出くわし、早速互いに武器を手にした。自分の戦闘を見て貰うだけだと思っていたアトリは、剣と盾を構えるオルシュファンを見て困惑の声を上げる。
「あの、オルシュファン。私の槍捌きを見て頂くのでは……」
「『冒険』がしたいと言ったのはアトリ、お前だろう。ここで共に刃を振り、汗を流す事こそがそれに相応しいのではないか?」
「もう……物は言いようですね」
オルシュファンの嬉しそうな表情を見て、アトリは肩を竦めれば、槍を構えてバテラーに刃を向けた。目の前のモンスターに恨みはないが、聞くところによるとこのバテラーは食欲旺盛で、増えすぎれば生態系が狂いかねないほどなのだという。ひとまずは剣の肥やしになって貰おう――そう心の中で呟けば、アトリは一番近い敵に向かって槍を穿ち、周囲の仲間たちが一斉に敵意を向けた瞬間、空中へと飛び上がった。
青空にアトリの矮躯が舞う。暫しの間を置いて、槍先が持ち主のアトリと共に、敵の群衆に向かって凄まじい速度で落下する。
槍先を喰らったバテラーは鳴き声を上げる事も出来ないまま即死し、アトリは間髪入れず周囲の敵を槍で穿っていく。
「――む、見惚れていてはいかんな」
オルシュファンは最早己が介入せずとも、アトリひとりで全滅出来ると分かっていた。それでも、共に戦いたいと身体が疼き、バテラーの群れへと駆けて剣を振るった。
「アトリ! 今のお前ならドラゴン族も簡単に倒せるのではないか!?」
「それは言い過ぎです! まだまだ鍛錬が必要です……!」
アトリはオルシュファンの誉め言葉が事実か世辞か判断が付かず、混乱しながら槍を振るい、気付いた時にはバテラーの群れはすっかり息絶えていた。
モンスター退治はひとりでも出来る事ではあるが、ふたりならあっという間である。もっと、もっと一緒に戦いたいと無意識に思うほど、この時のアトリは高揚感に包まれていた。
ふと人の気配を感じ、アトリが周囲を見回すと、少し離れたところから駆けて来る住民と思わしき姿が見えた。
「――いやあ、助かったよ! 偶々こいつらの群れが目に入って、恐くて通れなかったんだ」
アトリとオルシュファンは互いに顔を見合わせれば、どちらともなく頷いて微笑んだ。ただただ自己満足で戦っただけだというのに、まさか人助けになっていたとは思いも寄らず、アトリは気恥ずかしそうに頬を染めた。
代わりにオルシュファンが、通り掛かった住民に声を掛ける。
「ご無事で何よりです。ドラゴン族が大人しいとはいえ、この辺りは物騒ですからな」
「あんたは……その紋章はフォルタン家か。ありがとう、騎士さん! そちらのお嬢さんも凄かったよ!」
盾に描かれた紋章で、四大名家の騎士だとすぐに察した住民は、オルシュファンに深々と頭を下げた。次いでに声を掛けられたアトリも、まさか激励されるとは思っておらず、肩をびくりと震わせれば首を横に振った。
「いえ! 私はまだ修行中の身ですので……」
「槍術士だろ? きっと良い竜騎士になれるよ。というかあんた、アウラ族って事は余所から来た冒険者か」
このクルザスでは自分以外アウラ族を見掛けた事がなく、この住民がまじまじと己を見遣るのも致し方ないとアトリは思ったが、次いで出て来た言葉に目を見開いた。
「この国もあんたみたいな強い冒険者を受け容れるよう変わってくれれば、皆安心して暮らせるんだがなあ。色々大変だと思うが、頑張れよ」
まさか見ず知らずの住民にそんな事を言われるとは夢にも思っておらず、アトリは一気に表情を明るくさせた。
「はい、頑張ります!」
オルシュファンはアトリがいつも以上にきらきらと輝いているように見えて、先程の戦いで得た高揚感とはまた別に、胸が熱くなる感覚を味わっていた。
己がアトリに惹かれたのは、親を亡くし天涯孤独の身となった彼女に同情したわけでは決してない。始めこそ「守ってやりたい」と思っていたが、庇護欲は恋愛感情とはまた別のものである事を理解していた。
だが、再会する度彼女は成長していた。二年前に再会した時点で、異性として意識しなかったと言えば嘘になる。ドラゴン族との戦いでは辛い目に遭わせてしまったが、アトリはしっかり鍛錬を積めば必ずや強い冒険者になるという確信を抱いていた。だが、異国の人間である彼女に重荷を背負わせたくない思いもあり、だからこそ、彼女が己へ向ける感情を察していながら、返答を濁し続けていたのだ。いつかその時が来たら、と。
そして、更に二年の時を経た今。アトリはオルシュファンが思っていたよりずっと成長し、最早助けなど必要ないほど強い冒険者へと進化していた。
アトリはグリダニアで槍術士として一から戦闘を学び、いざドラゴン族と対峙した際に戦えるよう、密かに鍛錬を積んでいた。その話を聞いた時、オルシュファンは驚いたが、同時に嬉しくもあった。
二年前の苦い出来事を払拭するかのように、敢えて竜騎士としての道を歩み始めたアトリを、オルシュファンは純粋にひとりの人間として敬意を抱いた。敬意と恋愛感情は同じではないが、両立はする。これは彼女を守りたいと思っていた頃には、考えもしない事であった。
今この時、この目でアトリの戦う姿を見届けたオルシュファンに、もうかつての迷いはなかった。彼女と一緒にこの雪原を駆け抜け、共に生きたい。このイシュガルドが他国への門を開くまでは、限られた時間しか会えないとしても。アトリと共に過ごす時間は、オルシュファンにとって既にかけがえのないものとなっていた。
「アトリ! やはりお前は最高にイイ冒険者だ!」
住民が無事ここを去るのを見届けた後、オルシュファンはすかさずアトリを抱き締めてそんな事を言ってのけた――のだが、アトリは少々それがお気に召さなかったようである。
「……オルシュファン。『冒険者』として、だけですか?」
「む? い、いや、違うのだ! 冒険者として『だけ』な筈がないだろう!」
「ふふっ、冗談です」
慌てふためくオルシュファンに、アトリはくすりと笑みを零せば、彼の背中に手を回して抱き返した。普通の恋人同士のような甘い雰囲気ではなくとも、今この瞬間、アトリは紛れもなく幸福感に満たされていた。例え限られた時間しか一緒に居られなくとも、この幸せな瞬間を覚えていれば、会えない日々が続いても耐えられる。そう信じてやまなかった。
2022/02/11