- 青は熱を乞う -

「ルリ、探したぞ」

 いつも通り、何の変わり映えもない一日を終え、このまま帰路に付こうと思っていた時。背後から声を掛けられ、振り返った先には第13期生のメンターリーダー、ブラッド・ビームスの姿があった。

「ブラッドさん、お疲れ様です。何かあったんですか?」
「いや、大した事ではないんだが……」
「わざわざ私を探す時点で大した事だと思いますが」

 多忙の身である彼がわざわざ私を探すなんて、重要度が高い話なのだろうか。ブラッドは一瞬顔を別方向へ向けた後、再び私へ向き直る。誰か知り合いでもいたのかと、私も同じ方向へ顔を向けたものの、人影は見当たらなかった。

「それで、用件は何でしょうか。リトルトーキョーに付き合って欲しい、というわけではないでしょうし……」
「ルリさえ良ければまた一緒にと思ってはいるが……あいにく暫くは時間が取れそうになくてな」
「お気持ちだけ有り難く頂戴しておきますね」

 ブラッドは日本文化の愛好家で、私がHELIOSに入所した際、日本人だと分かるや否や、よく声を掛けられるようになったという経緯がある。ちょうど彼の従者であるオスカー・ベイルと入所時期が同じな事もあって、三人でリトルトーキョーに繰り出す事が度々あった。今となってはブラッドだけでなくオスカーもメンターに就任し、多忙を極めているだろうし、またそういう機会が訪れるのはまだまだ先の話だろう。
 でも、他に声を掛けられる理由が思い付かなかった。私がヒーローとして活躍出来てない事を心配している、という可能性もあるけれど、今のブラッドにとってはそれよりも自分が担当するサウスセクターのルーキー達を気に掛ける方が重要だ。

「用件だが……ルリ、グレイ・リヴァースとはどういう関係だ」
「はい!?」

 何故その名前が出て来るのかと、つい素っ頓狂な声が飛び出てしまったけれど、普通に考えればメンターリーダーが自分の管轄ではないルーキーの事も気に掛けるのは当然の流れだ。何もおかしな事はない。
 ただ、質問がおかしい。どういう関係かと問われても、何の関係も築けていないのだから答えようがない。

「口外したくないのであれば、詮索しないでおくが」
「いえ! そうではなく……特に何の関係もないと言いますか……」
「関係ない? つい先日、ジェイから『ルリにはグレイの事を陰で支えて貰いたい』と聞いたが」
「それは……まだ『そういう関係性になれたら良いな』という段階です」

 メンターリーダーたるもの、他のメンターから話を聞くのも仕事のひとつなのだろう。ジェイとブラッド、二人からグレイの話を持ちかけられれば、さすがに何かしら動いた方が良いとは思うものの、一体何をしたら良いのだろう。グレイがアッシュと上手くいく訳がないのは分かっているものの、それこそ何の関係もない私が間に入る問題ではない。そこは、同じルーキーのビリーが上手くフォローしているようだし。

「私、逆にブラッドさんに相談したい位です。どうしたらグレイの力になれるんでしょうか」
「そうだな……無理に何かをするというより、オスカーと同じような接し方で良いのではないか?」
「……私、特にオスカーに対して世話を焼いたりした覚えはないですよ?」
「アッシュに絡まれている時にルリが助けてくれたとよく聞くが」
「なるほど」

 ブラッドは言葉通り、特段私とグレイの関係を詮索するつもりはないみたいだ。単純にジェイから相談あるいは愚痴でも聞いて、その流れで私の話題も出たのだろう。

「ジェイさんからどこまで聞いてるか分かりませんが……とりあえず、ブラッドさんの助言をもとに、それとなくグレイを気に掛けてみますね。同じセクターのビリーくんが頼りになるので問題ないとは思いますが」
「頼りになる存在は一人でも多い方がいいだろう。ルリもルーキーの頃はそうだった筈だ」
「言われてみればそうですね……もう六年も経つのでつい忘れがちになりますが。というか、六年経っても成長してませんね、私」

 ついうっかり愚痴を零してしまった。これ以上会話が長引いたら、ブラッドの神経をすり減らしてしまいそうだ。こちらから話を切り上げなくては――そう思って別れの挨拶を告げようとした瞬間、ブラッドの方が先に口を開いた。

「ルリ。未だに『オーバーフロウ』の恐怖は拭えないか?」
「……それは……そこまで気にしていないつもりです」
「なら良いが……ルリ、お前は本来ここで燻っているような存在ではないと思っている。前回AAAへの昇格試験も挑めば受かっていただろう」
「ブラッドさん、さすがに買い被り過ぎです。昇格試験も今のままでは無理だと思ったから受けなかっただけですし」
「……問題は精神面という事か。そればかりはルリが自分で乗り越えなければならない壁か」

 いつの間にか私の悩み相談になってしまっている。ブラッドは顎に手を添えて真剣に考えてくれているように見える。駄目だ、その時間をルーキーの子たちに充てて貰わないと。私がメンターリーダーの足を引っ張ってどうするのか。

「ブラッドさん、お気遣いありがとうございます。私の事は置いといて、グレイの事は私も気に掛けるようにします」

 ――私みたいに萎縮して、何も出来ない存在になって欲しくないから。
 そう言いそうになったもののなんとか堪えて、私は別れの挨拶もほどほどに、ブラッドに頭を下げてその場を後にした。

「ジェイが言うにはグレイと因縁があるようだが……二人が良い化学反応を起こして、ルリも過去のトラウマを克服出来ると良いんだが」





 翌日も普段と何も変わらない一日だと思っていた。ブラッドの気遣いなど知る由もない私は、ルーチンワークの一環であるトレーニングを終えて室外へと出た。グレイとばったり会えないかと思ったけれど、残念ながら彼のスケジュールを把握しているわけではなく、完全に運に頼るしかなかった。連絡先さえも知らないし、この先気軽に連絡を取り合える仲になれるかも分からない。
 本当に、私には何が出来るんだろう――ぼんやりと考えながら歩を進めていると、ちょうど前を歩いていた人がいた事に気付かず、危うくぶつかりそうになった。気配に気付いて慌てて立ち止まり、視線を上げると、見覚えのある顔が視界に入った。

「ごめんなさい、考え事してて」
「いいよ、俺もぼうっとしてたし……」

 目の前の男子は欠伸混じりにそう答えれば、私を避けて再び歩を進めた。どこかで見た事がある――少し考えて、彼が第13期生のルーキー、フェイス・ビームスだと思い出した。
 ブラッド・ビームスの弟だ。

「あ、待って!」

 ブラッドにはいつもお世話になっているし、一言挨拶だけでもした方が良い。良かれと思ってした事が、まさか相手の地雷を踏んでしまうなんて、この時の私はまるで頭になかった。
 フェイスはゆっくりと振り返り、覇気のない顔を向けた。

「何?」
「ブラッドさんの弟さん、だよね? いつもお兄さんにお世話になってます」

 そう言って一礼した私の視界には、フェイスが不愉快そうに眉を顰めた瞬間を捉える事はなかった。ゆえに地雷を踏んでいる事に気付かず、私は顔を上げて呑気に祝いの言葉を紡いだ。

「入所おめでとう。兄弟揃ってヒーローなんて、さぞかし――」
「二度と俺に話し掛けないで」
「……は?」

 何を言われているのか瞬時に理解できず、呆気に取られる私をよそに、フェイスはもう一切話す気はないとばかりに顔を背けて、足早に再び歩を進めた。

 フェイスの姿が見えなくなり、一人になって漸く状況を理解した。けれど、自分が何を仕出かしたのか全く分からない。
 初対面で「二度と話し掛けるな」なんて、滅多に言われる事ではない。
 つまり私は無自覚で人の反感を買う事を口にしてしまい、あまつさえその原因さえ分からないという最悪のパターンを『また』やらかしてしまったのだ。

 もう私は子供じゃないのだし、『悪気がない』では許されない事だってじゅうぶん理解している。考えなしに余計な事を言って、例え正論であろうと言わなくて良い事まで言って、その結果反感を買ってしまう、そんな昔の私はもういない筈なのに。
 何も変わっていない。何も成長していない。ヒーローとしてだけじゃなく、人間としても。そう思うと、情けなさのあまり涙が込み上げて来そうになった。

「……ルリちゃん?」

 逢いたかった人に声を掛けられても気付かない位、この時の私は冷静さを欠いていた。相手に顔を覗き込まれて、漸く我に返るほどに。

「ルリちゃん、大丈夫……?」

 長躯を僅かに屈ませて、上目遣いで私を捉える琥珀色の双眸は、何もかもを見透かされてしまいそうに錯覚するほど、私をまっすぐに捉えていた。

「……グレイ、どうしたの?」
「え? 僕? ええと、パトロールが終わって戻って来たところ……」
「お疲れ様。順調そうだね」

 なんとか口角を上げてそう言ってみせたものの、グレイは私の言葉に耳を傾けているのかいないのか、心配そうに眉を下げて私を見つめている。
 もしかして、私に何か相談したい事があるのかも知れない。いけない、グレイを支えたいと思っている側が落ち込むなんて本末転倒だ。ここは私の方から行動を起こさないと。

「ねえ、グレイ。何か困ってる事はない?」
「ううん、今のところは特に……」
「そ、そっか……」

 ゆっくりと首を横に振ってそう言ったグレイは、特に嘘を吐いたり強がっているようには見えなかった。
 何もかもが初めてなルーキーなのだから、すべてが順調というわけではない。けれど、こうしてごく自然に困っていないと言えるのなら、グレイ自身、あるいはビリーと打ち解け上手くやっており、きちんと日々の課題を消化出来ているのだろう。今となっては、正直私が介入する必要などないのではないか。
 それならば、私はこれ以上彼を引き留めるのは時間の無駄だ。私ではなく、彼の時間が。

「上手くやれてるなら良かった。これからもビリーくんと協力して頑張ってね」
「あ……」

 グレイの言葉を待たずに、ひらひらと片手を振ってこの場を後にしようとする私の手が、突然引き留められた。

「待って……!」
「グレイ?」

 振り向くと、グレイが私の手を掴んで、何か言いたそうに切なげに私を見遣っていた。やっぱり何か話したい事があったのだ。全く気付けないなんて、私は本当に肝心な時に役に立たない。ヒーローとしても、人間としても――なんて落ち込んでいる場合ではない。
 この機会を逃してはいけない。

「やっぱり、何か聞いて欲しい事があった? ここでは話し難いなら、外に出る?」
「えっ、うう……えっと……」
「もしかして、この後は誰かと予定があるのかな。それなら、グレイの都合に合わせるからまた別の機会に――」
「あの……!」

 こんなグレイは見たことがないと言っても過言ではない程、この時の彼はいつもとは違う、意志の強い眼差しを私へと向けていた。

「ルリちゃん、もし良かったら……これから一緒にご飯食べに行かない……?」

 言われてみれば、もう間もなく陽も落ちる時間帯だ。これから夕食で街に繰り出すのも悪くない。
 いいよ、と返事をする前に、私のお腹から何とも形容し難い情けない音が鳴った。人前で、それもこんなタイミングでお腹が鳴るなんて、恥ずかしい事この上ない。

「グレイ、今のは聞かなかった事にして」
「ふふっ、お腹空いてるならちょうど良かったかな……?」
「もう! 聞こえなかったふりしてよ〜」

 さぞ今の私の顔は、誰が見ても赤く染まっているだろう。恥ずかしさのあまり、視線を合わせる事が出来なくなってしまったけれど、当然断るわけがない。私はグレイの手を握り返して、タワーから脱出しようと歩を進めた。

「ルリちゃん、手……」
「ほら、早く行こう!」
「……うん……!」

 二十五にもなって仮にも職場内で男女で手を繋いで歩くなんて、傍から見たら異様な光景かも知れないというのに、この時の私はそういう判断が出来なかった時点で、正直舞い上がっていたと言っても過言ではない。それほどまでに、グレイと一緒に過ごせる事が、嬉しくて堪らなかったのだ。

2020/11/23
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